反撃

 言うが早いか、淳弥は苦無を机越しに投擲した。何かがめり込む音と、人が倒れる音がする。


 それに応じるように激しい銃声が鳴り響いた。二人が身を隠している机が弾丸のせいで激しく震える。鉄板か何かを仕込んでいるのか、派手な音を立てて揺れるものの、壊れる気配はない。


「先生、すいません。今回は手加減できない。ここで待っていてください」


「え、でも、鉄砲が! 撃たれますよ! 出たらだめです!」


「大丈夫です」銃火にさらされているとは思えない笑顔になった。「俺、弾道が見えるんで」


「え?」

 

「それより、目を閉じていてください。あなたが冥界に近い存在だとしても、きっと心を傷つける」


 返事を待たず、淳弥は机から飛び出した。


 思わず目で追ってしまう。


 不思議な光景だった。淳弥はかろやかに左右へ体を揺らしながら進んでいく。当然結衣子には弾丸など見えないが、少年が避けた後ろの壁が弾け、跳んだあとの絨毯が爆ぜている。


「ほ……ほんとうに……?」


 呟いたところへ、跳弾が机に当たって大きな音を立てた。


 慌てて体を引っ込める。机の下でわけもわからず震えるしかなかった。


 銃声が聞こえる。小さな悲鳴と倒れる音、壊れる音、増える足音。


 確かにあの少年忍者は強いのかもしれない。鉄砲の弾を避けれるのかもしれない。しかし増え続ける足音から考えると、明らかに多勢に無勢だ。さっきみたいに爆弾を使われたらどうするのだろう。忍者だからと言って不死身というわけじゃないはずだ。


「こわい……」


 音は止まない。声こそほとんどしないが、銃声と地を蹴る音、何かが噴き出す音、人が倒れる音が止まない。


「たすけて……」


 両手で顔を覆う。現実を切り離すように目を瞑った。


 その時、瞼を通して一瞬の光が見え、音が消えた。


「おかしら、ずいぶんと雑魚相手に手間取っているようですね」


 聞き覚えのある声がした。


「二条。遅いぞ」


「呼んでいただけなかったもので。いまやっと、先生の助けを求める声が聞こえたんですよ。お頭、結衣子先生に助けられましたね」


 目を開ける。すぐそばに淳弥と二条がいた。


「え? え?」


 混乱する結衣子を見て、二条は整った顔でにっこり微笑んだ。


「もう大丈夫です。悪い奴は私がやっつけました。美しい女性の声はいつでも私に届くのです。夕食には十分に間に合う時間ですね。これは都合がいい」


「え、その、二条先生も忍者でいらっしゃるんですか?」


「ご覧の通りです。学園一の凄腕ですよ。そんなことより、今晩のご予定はいかがですか? もしよかったら私と」


「さっそくナンパか、雷光の」


「雷撃です」


「どちらでも良い」


「よくありません。光るだけが取り柄の奴みたいじゃないですか」


「わかったわかった。それより守備はどうだ」


「よくないですね。敵はちゃんと現代戦の装備をしています。我々ではなかなか難しいですよ」


「難しいのはわかっている。こいつらは戦っている間も声を出さなかった。相当訓練されている。守り切れるのかどうかを聞いている」


「それなら大丈夫です。私もいますから」


 淳弥はため息をついた。


「それは頼もしい」


 結衣子は恐る恐る机から顔を出した。床には軍隊のような服装をした男たちが転がっていた。体格からして、あきらかに日本人ではない。……噴出す血も見える。


「先生、見ない方がいいです。俺が案内しますから、もう行きましょう」


 淳弥が差し出した手を取ろうとしたが、血がついているのが見えて思わず手を引いた。


「血が」結衣子の声は震えていた。「血がついてます」


「……失礼しました」


 淳弥は血を拭って、今度は手を差し出さずに有無を言わさず結衣子の手首を掴んだ。


「許してください。今は急がねばならない」


「お頭、いつでも女性には優しくしなければいけませんよ」


「うるさい」


 結衣子は手を引かれるままに部屋を出た。廊下まで人が倒れている。こんなに多くの軍人を二人でやっつけたというのだろうか。


「ひとまず三船と合流する。先生は奴と一香に任せる。俺たちはじいさまを追って、ともに連中の指揮官を潰す」


「承知」


 下の階から怒号が聞こえた。三船の雄叫びだ。それに続いて、生徒たちが応じる声もする。


「すぐ下のようですね」


「うん。いくぞ。先生、失礼します」


 いうが早いか結衣子を抱き上げた。緊急事態なのだが、男性に持ち上げられたことなどないので思わず心臓が跳ね上がる。今日だけで一生分の鼓動を使いそうだ。顔が赤くなってないだろうか。


 そのまま、廊下の窓から飛び降りた。


「えっ」一生分の鼓動を使うどころか、今にも止まるかもしれない。「えええー!」


 3階から1階への落下は思いのほか長く感じた。実際には3秒もない。着地した淳弥は結衣子を抱き上げたまま1階の廊下へ窓ガラスを破りながら飛び込んだ。


 止まりそうな心臓を心配する暇もなさそうだった。


「お頭! ああ、語部先生も!」


 三船が侵入者を片づけた後だった。校長室よりも大量の人が転がっている。


「終わったか」


「面目ない! 少々時間がかかりました」


「被害は」


「物はともかく、人は大丈夫です。鍛えてますから」


「よくやった」


 三船はにやりと笑って振り返る。視線の先で、日本刀や鎖鎌で武装した男子生徒たちが笑って返す。


「体育の授業よりはよっぽど楽でした」


 そのうちの一人がうそぶく。


 結衣子は目の前の光景に驚きを隠せない。体育教師と生徒が軍人と戦って一方的に勝っている。ということは、彼らも忍者?


 淳弥は結衣子をやっと下ろした。下ろされて、自分がずっと淳弥に抱きついていたことに気付いた。一気に顔が真っ赤になる。


「先生、少しの間だけ三船と待っていてください。すぐに一香も来ます」三船に振り返り、「頼んだぞ。じいさまは敵のドローンを追ったようだ。俺たちはじいさまとともに指揮官を叩く」


「承知」


 淳弥は三船の返事に頷くと、結衣子に一礼し、二条とともに外へ跳んでいった。


「さぁ、先生はこちらへ。安全な場所へご案内します」


「あ、はい、その、ありがとうございます」


 もう言われるがままに動くしかない。廊下では何人かの生徒がすでに片付けを始めている。見ないように気を付けたが、赤黒く広がる血溜まりは視界から外れても存在感は消えなかった。


 もうだめだ。意味がわからない。これは夢ではないのだろうか。三船の後ろを歩いているうちに、結衣子は意識が遠くなった。

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