一人の夜

「たしかにその、びっくりしたんですけど、でも忍者ってすごいなぁって、素直に思いました。私を抱きかかえて走ったり跳んだり、漫画で読んでいた忍者みたいでした」


「漫画みたいに、魔法のような忍法は使えませんけどね。俺たちのはあくまで人間が鍛錬して身につける技術です」


「でも、あんなに早く動いたり高いところから飛び降りたり、私から見たら魔法です」


「ありがとうございます」


「本当にすごいです」


 結衣子は自分が見た光景を思い出した。血に染まった床や廊下に雄々しく立つ、日本古来の戦士。それこそ自分が授業で教えるような、古典に登場する侍みたいではないか。


 血の臭いや銃声、刃物が肉に刺さる恐ろしい音、爆発で震える空気は五感にまだ残っている。


 自分が体験した強烈な非現実感と共存する、恐ろしい現実感。だからこそ、忍者の戦いぶりは鮮烈に、むしろ美しく目に焼き付いていた。


 思い出すとまた心臓が高鳴る。これは恐怖なのだろうか。それとも、感動していたのだろうか。


「本当にすごかった」


「あ、ありがとうございます」


「私、大学では戦国時代や幕末の、激しい戦いの時代を研究していたんです。きっと、あの当時もこのような戦いだったんでしょうね」


「そ、そうですね」


「あ、でも、今日のように大きな鉄砲なんてなかったでしょうし、今の方がずっと激しい戦いだったのかもしれません。もちろん人が亡くなっている以上はこれが幸運とは言えませんが、それでも、私が生きて本当の忍者に会えたのは運命的な巡り合わせだと思います」


「先生、近い、近いです」


 言われて、やっと自分が淳弥ににじり寄っていたことに気付いた。息がかかる距離だ。彼の顔は真っ赤である。


「ごめんなさい!」


 慌てて後ろに下がった。お互いに顔が真っ赤だ。


「すいません、俺は小さい頃から修行ばかりだったので、女性に慣れていません。失礼だったら申し訳ないです。決して、先生がその、嫌だとかではなくて、その、————魅力的だと思いますが、どうすればいいのかわかりません」


「あ、ごめんなさい、私こそ急に近寄っちゃいまして、生徒なのに、ごめんなさい。ちょっと思い出して、興奮しちゃって」


 あはは、と照れ隠しに笑った。こんな笑い方が自分にできるとは思わなかった。


「先生のお気持ちはわかりました。ありがとうございます」


 やっと、自嘲のない微笑みになった。


「俺の周りにいたのは一香のような癖のある女性ばかりでした。学校でも男と女はクラスが分かれてますし。母が早くに死んでしまったのもあって、あまり女性に接したことはないんです」


「そうなんですね。お母さんも。私も両親はいません。似ていますね」


「確かに、そうかもしれません。ただ、俺の祖母は先生のおばあちゃんのような人ではなかったと思いますよ。あれは本当に、化け物みたいな強さでしたから」


「化け物」


 吹き出してしまった。こんなにつよい忍者に化け物扱いされるなんて、どんな人だったんだろう。


「あの人は炎も雷も地も風も、自由自在でした。俺たちが束になっても敵わなかったんですが、病には勝てませんでしたね。まぁ、忍者も所詮は人の子ってことなんでしょう」


 言って、すぐに真顔になり頭を下げた。


「すいません。また、無神経でした」


「大丈夫、大丈夫です。もう私たちは仲間ですね。独り身仲間です」


 結衣子自身も強がっていることは分かっていたが、この生真面目な少年忍者を少しでも助けたかった。


「長居しすぎたようです。また後ほど見舞いに伺います。どうぞゆっくり過ごしてください」


 そういって淳弥は出ていった。


 一人になると、周囲の音がだんだんと聞こえてきた。


 女の子たちのおしゃべり、廊下を走る音、買い物袋をガサガサと鳴らす音。


 女子寮は賑やかだ。結衣子も大学は女子寮にいた。24時間騒がしく、退屈する暇もなかった。いつまでも静かにならないので、たまに寮を抜けて深夜のファミレスで本を読んだりした。高校の寮も同じなのだろうか。


 しばらくはそんな声や音を聞いていた。そうして、やっと、結衣子は泣いた。

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