義姉から虐げられていましたが、温かく迎え入れてくれた婚家のために魔法をがんばります!

野地マルテ

第1話 不義の子

「なんて汚い髪の色……! こんな穢らわしい髪、私がむしって差しあげますわ!」

「っ……!」


 銀糸に朱を一滴垂らしたような髪色を持つ少女は、少女よりもいくつか歳上であろう銀髪の少女に長い髪を掴まれていた。

 ここは大公が住まう城。彼女達の後ろを使用人が何人も通り過ぎる。

 少女二人は共に大公の娘であった。姉が幼い妹を虐めているというのに、侍女は後ろで立っているだけ。

 髪を掴まれている妹は、涙を浮かべて周囲の大人達へ視線を向けるが、誰も彼女を見ようとはしなかった。


 彼女の名はアザレア。

 両親やその親族にはない髪色をしていた。


 ◆


「……っひっく、……」


 アザレアはツツジが咲く植木の影に座り込み、一人泣いていた。

 自室にいると、また意地悪な異母姉のストメリナがやってくるかもしれない。これ以上虐められたくなかったアザレアは、嗚咽が漏れそうになる口を両手で塞ぎ、必死で息を潜める。


 (どうして……)


 アザレアは腰まで伸ばした、自分の波打つ朱い髪に視線を落とす。両親も姉も銀髪だった。親戚もだ。一族で自分だけが、このような髪色をしている。根本は朱の色が濃いが、毛先にいくほど淡い色になる。

 この髪色が意味するもの。誰もが大公の後妻であるアザレアの母の不貞を疑った。

 アザレアの母は昨年亡くなった。病で亡くなる間際まで、娘は大公の子だと母は主張していたが、誰も信じてはくれなかった。

 まだ八歳のアザレアには、不貞の意味はよくわからなかったが、自分の父が大公ではない可能性が高いということだけは理解していた。


 (私は、どうしてこんな髪の色をしているの?)


 自分の髪があかくさえ無ければ、母は不貞を疑われることもなく、自分も姉から虐められることはなかっただろう。

 アザレアは、震える小さな手でその朱い髪に触れた。

 一本の髪を指に巻き付けると、それを思いっきり引っ張った。ぷちりと、微かな痛みが頭皮に走る。

 痛いことは嫌なはずなのに、忌々しい髪が一本でも抜けると、一瞬だけ気分が晴れた。アザレアはまた、頭へ手を伸ばすと髪を引き抜いた。


 母が亡くなり、アザレアは一人きりになった。構ってくれる侍女や使用人はおらず、同年代の友達もいない。父である大公は忙しく、挨拶を交わすことさえままならない。

 彼女は寂しさを紛らわせるため、中庭に隠れては髪を引き抜いてた。髪を抜いている時だけは無心になれた。


 夢中になって髪を抜いていたアザレアは、自分の背後から近寄る者の影に気がつけなかった。


「どうかしましたか?」


 いきなり後ろから声を掛けられたアザレアは、びくりと肩を震わせる。


「あっ……」


 振り向くと、そこには自分と歳が近そうな少年がいた。短く整えられた黒髪に薄紫色の瞳。一目で仕立ての良いものだと分かるシャツとベスト、それにズボンを身につけていた。

 この国では黒髪は珍しい。異国の要人の子息だろうか。見たことのない顔だ。


 髪を引き抜く行為は普通ではないとアザレアは分かっていた。咄嗟とっさに、抜けた髪を持っていた片手を背後に隠す。


 (恥ずかしい……。変なところを見られちゃった)


「涙のあと……。泣いていたのですか? こんなところで?」


 少年は片膝をついてしゃがむと、アザレアと視線を合わせた。

 彼は優しく問いかけてくるが、アザレアは恥ずかしくて答えられない。下唇を噛んで俯いた。


「私は回復魔法が使えます。どこか痛いところがあれば治しますよ」


 回復魔法、という言葉でアザレアはパッと顔を上げた。


「魔法が使えるの?」

「ええ」


 少年の目にはが描かれていた。自分に微笑みかけてくれる存在に、アザレアの胸に温かなものが広がる。


「じゃあ、私の髪を銀色にして! ……お父様や、ストメリナみたいに」


 アザレアの願いに、少年はぱちぱちと瞬きする。


「銀色? あなたの髪の色はとても可愛らしいのに? まるでこの庭に咲き誇るツツジのようだ」

「可愛い、らしい?」


 二人の周囲には黄を帯びた赤いツツジが山ほど咲いていた。ツツジの花の中心は赤みが強いが、花弁の端にいくほど淡い色になる。確かにアザレアの髪色によく似ていた。アザレアの髪も根本は赤みが強いが、毛先の方は色合いが淡い。


 アザレアは少年の言っていることが理解できなかった。この城では、誰もが自分の髪を見て露骨に嫌な顔をする。母だって、悲しそうな顔をしてこの朱い髪を撫でていたのだ。こんな髪が可愛らしいはずがない。

 アザレアは首を横に振る。


「可愛くないわ。だって、私の髪を見た人はみんな嫌な顔をするの。死んだお母様だって……」

「……そうですか。私はこの国の人間ではありませんから、感覚が違うのでしょう。あなたの波打つ朱い髪はとても素敵だと思いますよ」


 そう言うと、少年は頬をほんのり赤く染める。嘘を言っているようには見えなかった。

 アザレアは自分の事情を話すことにした。言いたくはなかったが、この髪を何とかしたいという気持ちの方が上回った。


「朱い髪をしているのは家族で私だけなの。お父様も、死んだお母様も、ストメリナも、親戚の人達も皆銀髪なのに私だけがこんな髪の色に……。お母様はフテイ? をしたって皆が……」


 またアザレアの琥珀こはく色の瞳に涙の膜が張られる。瞬きをすると、すべらかな頬に水滴が溢れ落ちた。

 アザレアの顔が大公に似ていれば、突然変異でたまたまこのような髪色に生まれてしまったと思われたかもしれない。

 しかし、アザレアはかつて『公国の真珠』と謳われていた母イルミナに生き写しであった。


「……申し訳ありません。私は傷を癒すことは出来ますが、髪の色を変える術は持っていないのです」


 少年は心底申し訳なさそうに言う。

 魔法の力でもこの髪色はどうにもならないのかと、アザレアも残念に思ったが、少年から髪色を褒められたのは嬉しかった。


「……そうなの。でも、あなたに髪の色を褒めて貰えて嬉しかったわ」


 今までストメリナからさんざん穢らわしいだの、汚いだの言われ続けたこの髪。それをこの少年は褒めてくれた。

 胸の奥がすうっと軽くなるのをアザレアは感じる。

 アザレアが礼を言うと、少年の視線がまっすぐこちらへ向けられた。


「……よろしければ、髪を数本頂けませんか? 国へ戻り研究機関で調べれば、魔法で髪色を変えることが出来るかもしれません」

「ほんとう?」


 少年の申し出に、アザレアの瞳が再び輝く。

 彼女は握りしめていた自分の髪を、すべて少年に渡した。

 少年は懐から清潔そうな白いハンカチを取り出すと、手のひらに広げる。アザレアの髪の一本一本を大切そうに置くと、丁寧にそれを包んだ。


 少年が懐にハンカチを仕舞ったその時だった。

 「若ー! 若様ー!」と呼ぶ男性の大きな声が聞こえてきた。


「護衛が呼びに来てしまいました。もう行きますね」

「あっ、名前……! あなたの名前が知りたいわ」


 立ちあがろうとする少年の腕を、アザレアは咄嗟とっさに掴む。少年は薄く微笑むと、アザレアの小さな手を握った。

 アザレアの手は、一瞬だけほのかな白い光に包まれる。光が消えると、ストメリナにつけられた引っ掻き傷がなくなっていた。


「私はブルクハルト王国の医法院で暮らす、医法士の卵です。名乗るほどの者ではありません」

「でも……護衛は『若様』って」

「あだ名のようなものですよ」


 医法士は回復魔法で傷や病を癒す術士のことで、この城にもブルクハルト王国からやってきた者が何人も働いている。

 だが、ただの医法士見習いの少年が若様と呼ばれ、護衛がつけられるだろうか。

 きっとブルクハルト王国の要人の息子に違いない。


「私の名前はアザレアです」

「アザレア……可憐な名前だ。また会いましょう、ツツジの姫」


  少年は薄紫色の瞳にまた弧を描くと、颯爽さっそうと去っていった。

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