第32話 嫌な予感
昼頃にイルダフネ領を出た馬車は、日が完全に傾く前に王城へと辿り着いた。
「ここが、ブルクハルト城……!」
はじめて肉眼で見るブルクハルト城の荘厳さに、アザレアは息をのむ。
側塔には、藍色をした尖り帽子のような屋根が乗っている。
まるでおとぎ話に出てくる城のようだとゾラが言っていて、アザレアはずっとブルクハルト城を一目見たいと思っていたのだ。
馬車の小窓から外を覗くアザレアに、サフタールが後ろから声を掛ける。
「美しい城でしょう?」
「ええ、絵本に出てくるお城のようです!」
馬車ははね橋の上を渡っていく。他にも招待客がすでに来ているのか、城門前には豪奢な馬車が並んでいる。
(この招待客の中に、ストメリナやお父様も……)
以前は、ストメリナの顔を思い浮かべるだけで震え上がった。だが、今は以前ほど恐怖は感じなくなっている。ストメリナを恐れて中庭で泣いていた自分はもういないのだ。
それに今、自分の隣りにはサフタールもいる。
(……大丈夫、きっと私は今日の式典で上手くやれるわ)
◆
琥珀色の瞳を輝かせ、夢中になって外を眺めているアザレアの横顔を、サフタールはじっと見つめていた。
はじめて見るブルクハルト城に浮かれているアザレアとは裏腹に、サフタールの表情は浮かない。
(……嫌な予感がする)
サフタールは危険を予知する能力を持っている。彼が先ほどアザレアに弱音を吐いたのも、今朝から嫌な光景が次々に頭に浮かび、心を乱されていたからだ。
サフタールは額に手を当てると、眉根を窪ませ、苦しげに瞼を閉じた。
(……ディルク殿)
頭に浮かんだ嫌な光景。それは帝国の第八王子ディルクに関するものだった。七日前、公国軍の将軍クレマティスと共に、結婚の祝いの品をイルダフネまで持ってきた彼は、ストメリナの情夫のふりをした大公の間者であった。
(……ディルク殿とストメリナが揉めている場面が、今朝から何度も頭に浮かぶ。これは一体何なんだ?)
おそらくは、何らかのきっかけでストメリナがディルクの裏切りを知り、激昂しているものと考えられる。
ただの口喧嘩で終わればよくある男女の揉め事だが、ストメリナとディルクのやりとりは口論だけでは終わらなかった。
二人はなんと魔法を使い出し、それはかなり大きな戦いに発展する。ストメリナは巨大な氷の柱を呼び出し、ディルクを貫こうとしていた。
(ディルク殿とストメリナがいる場所は、室内ではなさそうだ……)
ブルクハルト城内で魔法を使えば、すぐに誰かが気付き、その場に駆けつけるだろう。
ディルクとストメリナはしばらく魔法で応戦を続けているようだ。微かに見える背景から、どこか洞窟のようなところで二人が戦っているようにも見える。
(洞窟……)
考えられるのは魔石鉱山だ。記念式典の翌日に魔石鉱山へ見学に行く流れになっても別におかしくはない。
王城から魔石鉱山までは、馬車で三時間も走れば辿り着く。
ただ、ディルクとストメリナが二人きりで魔石鉱山にいるのは不可解だ。彼らだけで入山しようとすれば、門番が止めるだろう。だが、門番も人間だ。大金を積まれればこっそり通してしまうかもしれない。
(……ディルク殿とストメリナから目を離さないようにしなくては)
ディルクとストメリナだけではない。
大公やクレマティス絡みでも、嫌な光景が頭に浮かんだ。
ディルクとストメリナほどはっきりとした光景が浮かんで見えるわけではないが、頭に浮かんだクレマティスは何故かベッドにうつ伏せた状態で泣いていて、大公はすごく悪い顔をしながら高笑いをしていた。
将軍であるクレマティスが嗚咽を漏らしているのも気がかりだが、大公の高笑いもこちらにとって良いことが起こったとはまったく思えない。
サフタールはきりりと痛む胃のあたりを撫でる。
今、この頭に浮かんでいる光景が、実現しないことを祈るばかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます