第31話 記念式典へ
時が過ぎるのは早いもので、とうとう記念式典の日がやってきた。
「アザレア、準備はいいですか?」
「はい、サフタール」
アザレアとサフタールは、豪奢な四頭馬車に乗り込む。
イルダフネから王城までは、馬車で四時間ほど掛かる。何事も無ければ、夕刻には王城に着くだろう。
アザレアはすでに社交界用のドレスに着替えていた。ドレスは黄緑を基調としたものを選んだ。肩が大きく出るデザインで、胸元を前方へ折り返したような大きな白い襟がついている。その襟に大公から贈られた雪鈴草のコサージュを付けた。
朱い髪は編み込んで頭の後ろでまとめている。後ろから見ると
サフタールは着飾ったアザレアに微笑みかける。
「すごく素敵ですね。まるで薔薇の妖精のようだ」
「サフタールこそ、とても素敵です」
サフタールは白いクラバットを首に巻き、黒に近い深緑のフロックコートを羽織っている。タイトなズボンも同色で、足元は王都で流行しているドレスシューズを合わせていた。都会的な装いの彼に、アザレアは鼓動が早まるのを感じる。
(馬車の中では、ずっとサフタールと二人きり……)
アザレアがイルダフネに来て、今日でちょうど半月になる。今まで何かと二人きりになる機会があったが、めかし込んでいる彼は想像していた以上に素敵で、意識しないではいられなかった。
「……アザレア、心配ですか?」
サフタールは、アザレアが緊張していると思ったらしい。眉尻を下げながら、顔を覗き込んできた。
いつもとは違い、前髪を少し後ろに流しているサフタールは妙に色っぽく、アザレアは頬に熱を感じながら頭を軽く振った。
アザレアの反応を見たサフタールは、苦笑いする。
「……なんて。実は私も緊張しているのです」
「サフタールが、ですか?」
「……ええ。前にもお話しさせていただきましたが、私は現国王の庶子なのです」
イルダフネに来たばかりの頃に聞かされた、サフタールの出生の秘密。
サフタールは生まれてすぐに医法院へ預けられ、五歳の時にイルダフネ家の養子になったという。
(たしか、王国の王太子殿下はまだ十六歳……)
正妻の子よりも早く生まれてしまったサフタール。王城に引き取られることなく、医法院行きとなってしまった彼は、その状況から見るに厄介者扱いだったのだろう。
(サフタールが厄介者……)
故国で不義の子だと言われ虐げられていたアザレアは、厄介者扱いされる苦しさを誰よりも分かっている。
自分など生まれてこなれば良かったと、何度考えたことか。
泣きながら「どうせ自分なんて」と卑屈なことを言うたびに、ゾラがいつも明るく励ましてくれた。大人になれば、外に出られる機会がきっとやってくる。だから自分や、初めて会う他者を信じる心を失ってはいけないと優しく諭してくれたのだ。
(ゾラは私が泣いていると、いつも手を握りしめてくれたわね……)
ゾラがいてくれたおかげで、自分は卑屈にならずに済んだ。「どうせ自分なんて」と何もかもを諦めずに済んだのだ。
(それでも……)
自分の生まれに関係することは、ずっとしこりのように心に残り続ける。サフタールの心にも、国王から捨てられてしまった悲しい事実が残り続けているのだろう。
自分は庶子だと言う時の、サフタールの顔からは感情が何も読み取れない。
アザレアは、隣りに座ったサフタールの手に、自分の手をそろりと伸ばす。
サフタールの手を握ると、次の言葉を紡ごうとしてた彼の肩がびくりと震えた。
「あ、アザレア……!?」
サフタールの手は大きくて、アザレアの手で包み込むことは出来ない。お互いに手袋をしているので手の感触は分からないが、温かさは伝わってくる。
「どうかしましたか?」
「ううん、手を繋ぎたくなっただけです。……だめでしたか?」
あなたが感情の見えない顔をしていたから、とは言えない。サフタールの心に触れたい気持ちはあったが、まだ一緒に暮らしはじめて半月なのだ。性急すぎるのはよくないだろう。
「ありがとうございます、アザレア。慰めようとしてくれたのですか?」
だが、サフタールにはアザレアの考えは筒抜けだったようだ。
「……すみません、心配させて。私は確かに医法院に捨てられたようなものですが、陛下は私と普通に接してくださいますし、王太子殿下とも良い関係を築けているのです」
「そうなのですか?」
「はい。……ただ」
「ただ?」
「……どこか、後ろめたいものを感じるのです。私は普通の夫婦から生まれた存在ではないですから」
伏し目がちにそう溢すサフタール。彼はとても実直な人間だ。だからこそ、婚外子として生まれた己が許せないのかもしれない。
「ここだけの話……。公女であるあなたに、複雑な生まれの私は相応しくないのかもしれないと……そう考えたこともありました」
「そんなこと……」
「大公閣下にあなたの髪色は本当は銀髪だと告げてしまったら、もしかしたらこの婚約がなくなってしまうのではないかと恐れてもいます。大公閣下の正統な血を受け継ぐ存在だとあなたが認められれば、もっと大国の、それも王族の元へ嫁げるかもしれない」
アザレアの本当の髪色が銀髪だと、大公やその周囲に知られれば、自分との婚約を解消し、アザレアをより良い家へ嫁がせるのではないか──そう、サフタールは心配していた。
アザレアはサフタールの言葉に、眉を吊り上げる。
「サフタール!」
「う、は、はい!」
「私は、イルダフネ家以外の家へ嫁ぐつもりはありません」
アザレアは、サフタールの手を握りしめている自分の手にぐっと力を込める。
「しかし、もっと良い家に……」
「私にとって、イルダフネ家が最上です」
「アザレア……」
「心配しないでください。私はどうしてもサフタールと結婚したいのだとお父様に強くお願いしますから。それにお父様は、国王様に『娘をよろしく頼む』との内容の書状を出されたのでしょう? 心配しなくても大丈夫です!」
「は、はい……! そうですね」
(サフタールは優しいけれど、優しすぎるのが玉に瑕かもしれないわね……)
相手の身になって考えられるサフタールは素晴らしいと思うが、逆に考えすぎてしまうところがある。
もっと自分本位になってもいいのにと思うが、養子であるサフタールはずっと周囲に遠慮があったのかもしれない。
(私はサフタールの妻になるのだもの。もっと彼の本音を出せるようにしてあげなきゃ)
「でも、不安だと思うことを言ってもらえたのは良かったと思います」
「……すみません、今から王城へ向かうところなのに。こんなところでするお話しではありませんでしたね」
「大丈夫です。いつでも、何でもお話ししてください。私はあなたの妻になるのですもの」
アザレアはぽんと自分の胸を叩いた。
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