第33話 ストメリナの情夫

 一方その頃。すでにブルクハルト城に到着し、客室に通されていたストメリナ。

 彼女は姿見鏡の前でいくつもポーズをとり、身体をくねらせていた。


 (髪も化粧も、ドレスも完璧だわ……!)


 銀色の長い髪を、頭の天辺でとぐろを巻くように纏めた。がっつり露出させた背中や腰を目立たせるためだ。

 ドレスは髪の色と同色で、首元は詰まっているが、喉の下辺りから胸の下までざっくりとスリットが入っている。胸の谷間や下乳が露わになった扇情的な装いだ。


 記念式典にふさわしいとはとても言えないような露出具合だが、それもそのはずで、ストメリナは王国に男を漁りに来ていた。

 彼女の夢は自身が大公になり、高貴な男達を侍らせること。

 記念式典自体には当然、興味はない。


 (記念式典には興味はないけれど……)


 ストメリナは舌なめずりする。

 先日、魔道具の通信機越しに報告があった、イルダフネ領の魔石鉱山で新たに発掘されたという朱い魔石には非常に興味がある。


 (並の魔石の百倍以上の魔力を秘めているという、伝説の朱い魔石バーミリオン。あれを巨氷兵きょひょうへい達に食べさせれば……!)


 バーミリオンを食べさせた巨氷兵達がいれば、自分一人でもブルクハルト王国を落とせるかもしれない。

 屍の山を築く想像をしたストメリナは、にやりと唇を歪ませる。

 そんな彼女に近づく者がいた。


「ああ……! 我が麗しの白銀の姫君。こんなところにいたのですね!」


 自分を褒め讃えるその声に、ストメリナは振り向く。

 そこには情夫のディルクがいた。


「ディルク!」

「探しましたよ、ストメリナ様」


 ディルクはストメリナの手を取ると、その甲に恭しく口づける。

 自分のことが好きで好きで堪らない、ディルクの顔にはそう書いてあるような気がして、ストメリナは彼に会うといつも上機嫌になった。


 (……私の美しい忠犬、ディルク)


 ディルクは皇帝の息子だが、母親の身分が低く、帝国には居場所が無いという。

 公国に遊学に来ているディルクは、コネを作るために数多くの貴族婦人と関係を持っているが、本命は自分だとストメリナは確信を持っている。


 (ディルクは私だけを特別だと思ってる。だって、他の女にはしない顔を私にはするもの)


 どこか憎しみにも似た、力強い視線をディルクから感じることがある。それだけ、ディルクは自分に執着しているのだろう。

 そう考えると、ストメリナの胸に多幸感が広がった。


「ディルク、今夜の式典のエスコートは頼んだわよ」

「はい、ストメリナ様」

「……でも、エスコートは『行き』だけでいいわ」


 帰りは別の男を捕まえて帰る。

 そんな意味を込めて、ストメリナはディルクを意味ありげに見つめる。ディルクはすぐにストメリナの言葉の裏にあるものを感じ取ったのか、少し不機嫌そうに「御意」と短く答えた。


「あら? 怒った?」

「そりゃ怒りますよ。ストメリナ様の肌を誰か別の男が触れると思うと……」

「ふふっ、……仕方がないわね」


 ストメリナは女の欲を丸出しにした目で、ディルクを見上げた。


「まだ時間があるわ、寝室となりのへやで休んでいきましょう?」


 ◆


「チッ……! 色情魔め」


 ディルクはガチャガチャと音を立て、舌打ちしながら腰のベルトを締め直す。


「ディルク様、廊下に声が丸聞こえでしたよ……」

「……文句ならあの色情魔に言ってくださいよ、クレマティス将軍」


 股間や腰に不快感を覚えながら、ディルクは渋い顔をしたクレマティスに言い返す。


「……言っときますけど、好きでも何でもない女としたって、気持ちよくないですから!」

「別にそんなことは聞いておりません」

「ふんっ!」


 クレマティスは公国軍の将軍。平時の時は大公やその娘達の警護をしている。

 今までストメリナとの情事の声を聞かれたことなんて何度もあるはずなのに、ディルクの心は乱れていた。


 (ああ、くそっ……!)


 ディルクはがりがりと癖のある焦茶の髪を掻く。

 たった今、自分がストメリナとまぐわったというのに、クレマティスが何とも思ってなさそうなのが気に食わない。

 せいぜい、情事の音が廊下に漏れて恥ずかしいとしか、クレマティスは思ってないのだろう。


「クレマティス将軍は、その、……嫌だとか思わないのですか?」

「何がですか?」

「……何でもありません」


 主語のないディルクの質問に、クレマティスは疑問を投げ返す。わざわざ説明をするのもどうかと思い、ディルクは何でもないと吐き捨て、視線を逸らす。


 ディルクは七日前、ストメリナの命を受け、ブルクハルト王国にあるイルダフネ領へと向かった。


 ストメリナから「アザレアをたぶらかすように」と言われていたディルクだったが、彼の本業は大公の間者。

 本当にアザレアをたぶらかすわけにはいかなかったディルクは、クレマティスの姿をアザレアに変え、アザレアの姿になったクレマティスに口づけた。


 その時の光景は魔道具の撮影機におさめ、ストメリナに提出した。ストメリナは映像に映った人物がアザレアだとあっさり信じたようで、上機嫌だった。

 無事、アザレアのたぶらかしの偽造が出来たディルクだったが、クレマティスと口づけをしてからどうも胸のあたりがもやもやする。

 クレマティスは家の迷惑になるからと結婚まで童貞を貫こうとしている男で、口づけすらしたことがなかったのだ。

 最初ははじめての口づけを奪ってしまった罪悪感だと思っていたのだが……。


 ディルクは無意識に唇に触れ、そしてハッとした。


 (……俺、きもいな)


 クレマティスを、アザレアをたぶらかしたという偽りの証拠づくりに巻き込んだのは、彼の弱みを握るためだった。

 クレマティスは次期大公。男と口づけを交わしている映像が出回れば、ただではすまない。


 しかしもう、ディルクはクレマティスの弱みを掴もうなどとは微塵も考えていない。

 それどころかこの七日間、ディルクはクレマティスのことばかり考えている。


 (……クレマティス将軍があんなことを言うからだ)


 ── 「あなたには自由に生きる権利がある。今はまだ、道が見えなくても」

 ── 「私が大公になったら、あなたを正式に私の家臣として迎え入れます」

 ── 「戦船の中で、帰るところがないと何度も言っていたでしょう? 私が正式に用意します。あなたの居場所を」


 ディルクは現大公をはじめ、色々な人間相手に尻尾を振ってきた。だが、クレマティスのようなことを言う人間は他にはいなかった。

 日を追うごとに、ディルクの中で水を吸ったスポンジのようにクレマティスの存在が膨れていく。

 それなのに、クレマティスが自分を意識している様子はない。

 この形容出来ない感情が何なのか、ディルクは分からず苛立ちを募らせていた。

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