第24話 見せつけからの、見せつけがえし

「大丈夫ですか? サフタール」

「申し訳ありません、アザレア……」


 話し合いは長引き、一度休憩を取ることになった。

 アザレアはサフタールを誘い、廊下に出た。サフタールの顔色が真っ青だったからだ。


 中身がいくらクレマティスとはいえ、アザレアの姿になった彼とディルクの口づけを間近で目にしてしまったサフタールは、とてもショックを受けたらしい。

 サフタールは額をおさえると瞼を閉じる。


「はは、情けないですね……。中身がクレマティス将軍だと分かっていても、心の臓がバクバクしています」

「私もとても驚きました。無理もないですよ」


 乾いた笑い声を漏らすサフタール。アザレアはショックを受けてしまった彼を慰めようと考えを巡らせる。


 (サフタールは、これから妻になる私がディルク様に盗られてしまったと錯覚して、ショックを受けているのよね……)


 自分がサフタールの立場だったら、とアザレアは考えた。彼が別の女性と口づけを交わしている場面を想像する。


 (なんだか凄くモヤモヤする……)


 サフタールはたった八日前までは顔すら知らない人だったのに、いつの間にか他の人に奪われたくないと思う存在になったようだ。知らない女性が、サフタールに親しげに近づく想像をしただけでも嫌な気分になってくる。


 (……奪われたくないだなんて。サフタールは物ではないのに)


 自分に、こんなに利己的な部分があったなんてとアザレアは驚く。


「私も、あなたが他の女性と口づけをする場面を目にしたら、とてもショックだったと思います。一緒ですね」

「アザレア……」

「あなたに嫌な思いをさせないよう、私に言い寄る者がいたら魔法で黒コゲにします。私の唇に触れていいのは、サフタールだけです!」


 サフタールを元気づけようと、アザレアは高らかに宣言する。

 割と大胆なことを言っているのだが、サフタールを慰めるのに必死な彼女は気づかない。


「ありがとうございます、アザレア……」


 アザレアの少々過激な発言に瞼を瞬かせたサフタールだったが、すぐにいつもの柔らかな笑みを浮かべた。


 ◆


「くそぉ……! イチャイチャしやがって!」


 扉をわずかに開け、その隙間からアザレアとサフタールの様子を覗く者がいた。ディルクである。彼は悔しげにぎりりと歯噛みする。


 アザレアをたぶらかしたにせの証拠を作るため、彼は公国軍の将軍クレマティスの姿をアザレアに変え、口づけをした。


 帰りの軍船の中でも偽の証拠は用意出来たが、嫌がらせのために敢えてサフタールに見せつけたのだ。


 ディルクは、国同士が決めた政略結婚で、あっさりアザレアの夫の座を手にするサフタールに嫉妬したのである。

 少しぐらい意地悪をしても問題ないだろうと、ディルクは今回の凶行に出たのだが……。


「アザレア、私はディルク殿の言うとおり女性経験がありません。そのせいであなたに嫌な思いをさせてしまうかもしれない……」

「そんな。私も男性とお付き合いをした経験がありませんから、気にしないでください」

「いや、女性の交際経験と男のそれでは意味合いが違うというか……」

「そうでしょうか? 男女と言っても、人間には変わりないですし、それに私はあなたと色々な経験を積めたら良いと思っています……」


 ディルクからは見えないが、きっとアザレアは恥じらっているのだろう。彼女は軽く身を振った。グラデーション掛かった朱い髪が揺れている。


 聞き耳を立てていたディルクは、扉の影でぷるぷると震える。

 童貞だと堂々と告白するサフタールに、アザレアは健気にも気にしないと言った。しかも、色々な経験を一緒に積めたら良いとまで言ったのだ。なんと寛容なことか。

 ディルクは二人の仲がほんの少し気まずくなればいいと思ってサフタールが童貞だという超個人的な秘密を暴露した。だが、結果的には逆に二人の絆を深めてしまったようだ。


 (羨ましい……)


 ディルクの瞳は潤んでいた。八番目とはいえ、一応帝国の王子である彼は後宮で育った。

 身分の低い母親は早くに亡くなったため、彼を守る者は誰もいなかった。

 彼は己を守るため、自分の身を使って愛憎渦巻く後宮を生き抜いた。成人し、帝国を出てからも自分の居場所を得るために有力貴族の女達相手に男娼の真似ごとをするなど、己をすり減らしてきたのである。


 そんな汚れ切ったディルクの目には、アザレアとサフタールの二人はとても眩しく映った。彼らはこれから少しずつ愛情を育んでいくのだろう。たくさんのはじめての経験を二人で積んでいくのだ。

 ディルクは女でも男でも、利用出来ると判断すれば身体を開いてきた。性的な経験だけは多いが、心から好いた相手とそういった事をしたことはない。いつも偽りの愛を囁いてきた。


 ディルクの頬に一筋の涙がこぼれ落ちた、その時だった。彼の背後から呻くような声が聞こえた。


「はじめての、口づけだったのに……」


 その発言に、ディルクは己の耳を疑った。

 侍女のゾラは手洗いへ行っていてここにはいない。今、応接室にいるのは自分とクレマティスだけである。


 (まさか、今の発言は……?)

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