第29話 大公の娘


「アザレア、私の部屋に来てもらってもいいですか?」

「はい!」


 ツェーザルの執務室を後にした、アザレアとサフタール。アザレアはサフタールに誘われたことが嬉しくて、思わず笑顔を浮かべそうになるのを慌てて堪えた。


 (いけないわ。今は笑っている場合じゃないもの)


 アザレアは、両頬を押さえながらサフタールの秀麗な顔を見上げる。

 深刻な状況でも、一緒にいたいと思える相手がいれば気落ちせずに済む。困ったことがあっても話し合える相手がいれば、たとえ物事がすぐに解決しなくても気分的にはすごく楽になる。

 

 (これが、心の支えというものかしら?)


 毎日、少しずつ自分の中でサフタールの存在が大きくなる。彼のことを考える時間が長くなったとアザレアは思う。


「アザレア、少し試したいことがあるのです」


 廊下を並んで歩きながら、サフタールは言う。


「試したいこと?」

「……はい。もしかしたら、あなたの積年の悩みを解決出来るかもしれない」


 サフタールから積年の悩みと言われ、アザレアは首を傾げる。

 イルダフネに来てからもう九日になるが、毎日楽しく過ごせているので、悩みらしい悩みは無かった。

 敢えて言えばストメリナのことと、朱い魔石のことが気がかりだが、それはすでに自分一人の問題ではなく、イルダフネ家の皆で解決に取り組んでいる。


 アザレアは疑問に思いながらも、サフタールの部屋へ入る。

 サフタールは鍵付きの引き出しから、丸くて平べったいものを取り出した。金の蔓薔薇つるばらが施された見覚えのある形状に、アザレアはまばたきする。


「これは……コンパクトですか?」

「ええ、魔道具の核が壊れてしまったコンパクトがありまして。試しに朱い魔石の粉末をほんの少しだけ入れてみたのです。このコンパクトには魔力効果を一時的になくす魔法が付与されています」

「魔力効果を一時的になくす……?」


 何故、魔力効果を一時的になくすコンパクトがあるのだろうか? 用途がすぐには思い浮かばない。

 一般的にはコンパクトは女性が使うもので、上蓋の裏には鏡がついている。中にはちょっとした化粧道具が入れられる便利なものだ。


「このコンパクトは、元は母上の私物です。母上は魔法を使って化粧をしているので、元の顔と変化がありすぎないか見比べていたとか」

「リーラ様、すごいですね……! 魔法でお化粧をするとか、想像もつかないです」


 アザレアはぱちぱちと拍手する。リーラは多才な魔道士で、属性攻撃魔法でも回復魔法でも何でも出来た。

 基本となる魔法を応用した生活魔法も得意なのだから、死角がない。


「アザレア、このコンパクトを使ってみてもらえませんか?」

「いいですよ。どうやって使うのですか?」

「コンパクトの中央にある、薔薇の装飾に触れてください」


 コンパクトの中央には金の薔薇の装飾があった。

 アザレアがその薔薇の上にそっと人差し指と中指を乗せると、薔薇の装飾が朱く光りはじめる。


「アザレア……!」


 自分の名を驚いたように呼ぶサフタールの声に、アザレアは顔をあげる。彼はよほど驚くことがあったのか、口を手でおさえていた。


「どうしたのですか? サフタール」

「やった……っ! やっと、上手くいったんだ……!」

「何がですか?」

「アザレア、姿見鏡を見てください」


 サフタールは声を上擦らせている。何か自分に驚くような変化があったのだろうか? こんなに興奮ぎみな彼は見たことがない。

 疑問に思いながらも、アザレアはサフタールの部屋の中にあった、姿見鏡を覗いた。


 ◆


「うそ……っ!?」


 姿見鏡を覗いたアザレアはぎょっとする。

 自分の朱かった髪が、銀色に変わっていたのだ。

 大公や、ストメリナのように。

 今は後ろで軽くまとめていたので、髪色が変わったことにすぐには気がつけなかった。

 アザレアは急いで自分の髪を解くと、胸の前に垂らした。波打った銀髪がさらりと広がった。


「やはり、あなたの髪は魔力の影響で朱く染まっていたんだ」

「魔力の影響……?」


 サフタールは、自身が持つ魔力の影響で、瞳など身体の一部の色が変わってしまうことがあると言った。

 だが、髪の色が変わってしまうのは非常に珍しい現象らしい。


「朱い魔石の力を使って、あなたの魔力を一時的に消しました。並の魔石では髪の毛一本すら、元の髪色に出来なかったのに……」

「魔力の影響で髪が朱くなっていた……。私の元の髪はお父様と同じ銀色だった……。では、私はお父様の、大公の娘なのですか?」

「そうです」


 大きく頷くサフタールに、アザレアは口元を両手で覆った。両親や親族が持たない朱い髪をした自分は、大公の娘ではないと思っていた。

 公国での生活を思い出す。自分を見つめる人々の表情は酷く冷たいものだった。いつも汚物を見るような目で見られていたのだ。


 (私は、お父様の子だった……)


 不義の子と言われ、蔑まれていた日々。母は自身の不貞を強く否定していたが、母を信じられず、自分を朱い髪に生んだ母を恨んだこともあった。こんな髪でさえなければと、中庭で髪を引き抜いたこともあった。


「サフタール……!」


 目の前にいるこの人は、十年かけて自分の髪色を元に戻してくれた。すぐにでもお礼を言いたいのに、喉に何かが引っかかったようで言葉が出ない。

 アザレアはサフタールに手を伸ばす。

 彼はその手を取ると、白い歯を見せて笑った。


「良かったですね、アザレア! 大公閣下にもお知らせしましょう。きっと、ほっとされるはずです」

「ほっとされる……?」

「大公閣下は信じていたと思います。アザレアが実の娘であることを」


 本当だろうか。だが、サフタールの言うことならば、信じられる。

 アザレアは喉の奥をひくつかせながら、こくこくと頷いた。

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