第54話 右手をじっと見つめる

 アザレアは自分の右手をじっと見つめる。


「……ごめんなさい、サフタール。恥ずかしいところを見せてしまって」


 婚約者に取り乱すところを見られてしまった。

 いくら大公の非道すぎる行いに怒ったからと言って、頬をいきなり殴りつけるのはよくなかった。その場面をサフタールに見せたのも最悪だ。

 でも、あの場では冷静になれなかった。まだ、心の中が落ち着かなくてざわざわする。


「私がアザレアの立場だったとしても、同じことをしていたと思います……いや、もっと激昂していたでしょうね」

「サフタールが?」

「……はい。私は普段なんとか領主家の人間の顔を取り繕っていますが、実はけっこう矮小なんですよ。人としての器が」

「サフタールは矮小なんかじゃないです」


 アザレアは身体をベッドに横たえたまま、首を横に振る。


「……申し訳ありませんでした」

「どうしてサフタールが謝るのですか?」

「あなたに辛い思いをさせました」

「……サフタールが悪いんじゃないです。すべてはお父様が悪いんです」


 (……ストメリナの両親のことは、ストメリナには関係ないのに)


 大公は、異母弟や妻に裏切られ、辛い思いをしたのかもしれないが、それをストメリナにぶつけるのは間違っている。

 ストメリナが憎いのならば、いっそ彼女を母親の祖国である帝国に返せば良かったのだ。

 そうすれば、ストメリナは少なくとも肉親と暮らせたはず。


 アザレアの瞳から、また涙が溢れ出す。


「お父様は最低……最低です」

「アザレア……」

「でも、ストメリナに同情はしません……。ストメリナも、それを望んでいないでしょう……」


 大公のことは憎い。だが、ストメリナには同情しない。彼女がそんなことを一縷も望んでいないからだ。


「私はこれから……どうしたら」

「なかなか気持ちの整理はつかないと思います。辛くなったら、いつでも私に吐き出してください」

「ありがとうございます。サフタール……」


 (サフタールは、優しい)


 大事な魔石鉱山があんなことになって、これからサフタールは大変になるはずだ。それでも今、自分の手を握り、励ましてくれる。こんなに優しい彼が矮小だとは思えない。


 二人が手を握り合っていると、救護室のベルが鳴った。

 サフタールは名残惜しそうに、アザレアの手をゆっくり離す。


「アザレア、少し席を外します」

「私はもう大丈夫ですから、行ってきてください」


 ◆


「若様!」


 サフタールが救護室を出ると、廊下には魔道士のローブを着た男達がいた。


「お前達、体調や気分は大丈夫なのか?」

「ええ、ストメリナ一行に倒されたのはデコイ達ですから、我々本体は無事です」


 魔石鉱山の入り口を守っていた魔道士達は、実は人間そっくりに造られたデコイであった。

 魔石鉱山はいつ何時誰に狙われるか分からない。

 そこでサフタールは医法院と、エレメンタルマスターの魔道士を模したデコイを共同開発したのだ。

 デコイは精巧に造られており、傷つけば血を流す。

 事情を知らぬ人間には、デコイだと見破ることは困難だろう。


「……だが、デコイはお前達と精神的に繋がっている。巨氷兵に斬られ、痛い思いをしただろう」

「斬られそうになった瞬間、接続を切りましたから平気ですよ。……ですが、やはりデコイでは限界がありますね。バリアは張れても、まともに戦えません」

「ふむ……」


 デコイはエレメンタルマスターが使うような高難易度のバリアは張れても、襲撃があった際、とっさに動くことが難しい。

 デコイと本体となる人間は精神的に繋がっていて、本体はデコイへ指示は出せるが、多少のタイムラグが生じるからだ。

 戦では、そのタイムラグが命取りになる。


「やはり本体が医法院にあっては、何かあった時にすぐ動けません。我々もこれからは魔石鉱山へ常駐します」

「駄目だ。夜間のあの場所は危険すぎる。これからもデコイで守っていこう」

「しかし、若様!」

「人命は失われれば取り返しがつかない。もっとデコイの性能を上げていこう」


 (彼らを魔石鉱山に常駐させていなくて良かった……)


 サフタールは腹から息を吐き出す。

 もしもの時を考え、デコイを置くことにして本当に良かったと思う。


 サフタールはアザレアが眠っている間、魔石鉱山の襲撃シーンを映した動画を見ていた。魔道具が撮影したそれは、恐ろしいものだった。

 ストメリナが呼び出した巨氷兵が、魔道士のデコイを襲い、四肢を刎ね回っている様を見てゾッとした。

 あれが生身の人間だったらと、考えるだけで背筋が凍る。


「若様、今代わりのデコイが魔石鉱山へ向かっています」

「ありがとう。また変わったことがあったら教えてくれ」

「はっ!」


 魔道士の男達は去っていく。

 サフタールは彼らの背を見送ると、自分の唇に指先で触れながら、俯いた。


 (結局、できなかったな……)


 サフタールはアザレアに口づけることが叶わなかった。その前に、彼女が目覚めてしまったからである。

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