第53話 おとなしくなんかできますかァ!
「ぎゃあぁあぁあ〜〜!!」
一方その頃。ブルクハルトの王城では、客室に戻ったディルクが大騒ぎしていた。
それもそのはず。ディルクの顔は、剣だこのある大きな両手にむにりと挟まれていたのだから。
「おとなしくしてください、ディルク様!」
「おとなしくなんかできますかァ! 離してくださいクレマティス将軍!」
「ディルク様、お願いですから私の唇を受け入れてください!」
にゅっと唇を突き出すクレマティスに、ディルクは「ひいぃぃ!」と情けない声を漏らす。
「何で私との口づけを拒否するのですか!? イルダフネではあなたからしたくせに! しかも無理やり!」
「あーれーはー! アザレア様をたぶらかした証拠を撮るためにヤッたんですよ! 仕方なくです!」
「では私の唇も受け入れてください! これは歴とした治療ですよ!」
「だからっ! 嫌なんだよっ!」
ディルクはクレマティスの胸板をドンと押す。
抵抗するディルクに、クレマティスは瞳を揺らした。
「あんた……口移しで俺に魔力を分け与えるつもりだろ? そんなボロボロの状態で」
「私のことはいい」
「よくねーよ! ……あんた、そんな状態で俺に魔力を分けてみろ! 下手したら死ぬぞ!」
ディルクの瞳に涙の膜が張る。声を上擦らせながら、彼は首を横に振った。
魔力を分け与える方法はいくつかあるが、口移しがもっとも効率が良いとされている。
だが、効率が良い分、分け与える方の負担は大きい。
「私は、ディルク様にはやく元気になっていただきたいのです」
「俺は元気ですよ。あんたが坑道内でずっと回復魔法を唱え続けてくれていたおかげでな」
「でも、まだ不十分です」
「あのなぁ……。何でそんなに過保護なんですか?」
「…………」
(何で黙るんだよ……)
ディルクは心の中で舌打ちする。
どうしてこんなにクレマティスが自分の世話を焼くのか、わけがわからない。
クレマティスは記念式典の最中に、皆が見ている前でディルクと愛し合っていると宣言した。
だがあれは、アザレアを庇うためにやった行為だ。
本心ではないはず。
「……理由は分かりませんが、私の命よりも、あなたの方が大事だからです」
「は、はあ!?」
真顔で自分の命よりも大事だと言われたディルクは、火を吹きそうなほど、顔を真っ赤にした。
「な、何言ってんだよ!?」
「あなただってそうでしょう?」
「何がだよ!?」
「私に、あえてストメリナ様がいない道を行かせた」
「…………」
「あなたも、自分の命よりも、私の命の方が大事だと思っていますよね?」
(くそぉ、変なとこ鋭いな……)
ぐっと下唇を噛みしめながら、ディルクはクレマティスを見上げると、口を戦慄かせながら開いた。
「そうですよ……。自分の命よりも、あんたの方が大事ですよ……。だから、口移しで魔力を与えるとか、そんなバカな真似して欲しくないんだ……」
「ディルク様……」
頬を染めるクレマティスに、ディルクはびしりと顔の前で人差し指を立てる。
「おっと、勘違いするなよ? あんたがいなくなったら、俺の再就職先が無くなるからな。だから死んでもらっちゃ困るんだ」
「……そうですね、あなたを臣下にする約束は守らないと」
「そういうことだ」
ディルクはそう言いながら、不敵に笑った。
◆
一方、イルダフネの城塞では。
「んっ……」
アザレアは長いまつ毛を震わせる。
「アザレア……っ!」
「サフ、タール……?」
ぼんやりとした視界の中、安心したような自分を呼ぶ声が聞こえる。
「大丈夫ですか? 気分は?」
「ここは……?」
「安心してください。イルダフネの城塞内です」
「イルダフネ……」
サフタールの背後も、天井も真っ白だった。
ツンと香る消毒液の匂い。自分は治療の行う場所に連れてこられたのだろうか。
(治療……あっ!)
治療という言葉が頭に浮かんだアザレアの思考が、一気に鮮明なものとなる。
「サフタール、ストメリナは……!?」
「……落ち着いて聞いてください。ストメリナ様は助かりませんでした。大公閣下が、ストメリナ様のご遺体を抱き抱え、坑道から脱出されています」
「お父様が……」
アザレアは右手をあげると、目の前に翳す。
(お父様を、殴ってしまった……)
人を殴るなんて生まれて初めてで、まだ手が震えているような気がした。
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