第35話 怒り
アザレアとサフタールが王城の客室へ向かって歩いていたところ、二人は後ろから声を掛けられた。
「アザレアか?」
聞き覚えのあるしわがれた声に、アザレアは心臓を跳ねさせる。
振り向くと、そこには黒い肋骨服を着た男がいた。
白髪まじりの銀髪を後ろに流しているその男は、アザレアの父親──大公であった。
「お父様……」
「元気だったか?」
「はい……」
「大公閣下、ご無沙汰しております」
すかさずサフタールが前に出る。つい先ほどまで顔を青ざめさせていたとは思えないほど、はきはきと大公に挨拶をする。
「婿殿か。堅苦しい挨拶はいい。じき、我々は親子になるのだから」
「はっ……」
「ちょうどいい、二人と話したいことがある。まだ式典まで時間があるだろう?」
アザレアは自分で返事をする前に、隣りに立つサフタールの顔を見上げた。
客室にはディルクを探しに来ていた。彼に一番、危険が迫っていると判断したからだ。だが、大公関連でもサフタールは危険予知をしている。
「私達も、大公閣下にお伝えしたいことがございます」
「そうか、では私の客室で話そう」
◆
ローテーブルを挟み、奥のソファに大公が。扉に近い位置のソファにはアザレアとサフタールが腰掛ける。
ソファに腰を沈めるなり、大公は口を開く。
「君達が私に話そうとしているのは、朱い魔石バーミリオンのことか?」
「……ご存じだったのですね、お父様」
「先ほど、ブルクハルト国王から直々に報告を受けた。朱い魔石は膨大な魔力を持つゆえ、加工が難しい。我が公国に技術協力を願いたいと。もちろん私は協力を惜しまないつもりだ。他の魔石同様、朱い魔石を折半する約束もした」
「そうですか……」
サフタールは胸に手を当てて、ほっと息を吐いている。ここで朱い魔石の魔力に目が眩み、どちらかの国が独り占めしようとすれば争いの火種になってしまう。
国王と大公が今まで通り協力関係を望んでいる。それが知れただけでもアザレアは安心できた。
「朱い魔石が発掘された魔石鉱山は、公国と王国とが力を合わせて守っていくべきだろう。一国で所有していては、他国に狙われてしまうからな」
「大公閣下の仰る通りかと」
「だが、公国も王国も、国内には朱い魔石の独占を望む者も出てくるだろう。……油断は出来ん」
大公の言葉に、アザレアはストメリナの顔を思い浮かべる。彼女は、魔法で呼び出した氷製のゴーレムに魔石を食べさせ、
ストメリナは巨氷兵を使い、王国を落とすつもりなのだ。
(ゾラは私の魔法でも、巨氷兵を溶かすのは難しいかもしれないと言っていた……)
巨氷兵に朱い魔石が使われたら。寒気を覚えたアザレアは、二の腕をさする。
大公はそんなアザレアに視線を向けると、目を細めた。
「その雪鈴草のコサージュ……。とても似合っているぞ」
「えっ……は、はい?」
「それを付けていることにすぐに気がついてはいたのだが、誉めるタイミングを失っていた。すまないな」
アザレアは自分の胸元に視線を落とす。彼女はストメリナの企みを思い出し、寒気を覚えて二の腕をさすっていただけなのだが、大公はどうも勘違いしたらしい。
せっかく付けてきた結婚祝いのコサージュについて言及されないので、「気がついてないのでは」とアザレアが思い、二の腕をさすってアピールしたと大公は考えているようだ。
アザレアから見れば、大公は娘にあまり関心のない父親だ。大公自身が贈った物を身につけても、それに対して何も言われないだろうと思っていた。
「ありがとうございます、お父様……」
アザレアはぎこちない笑みを浮かべる。もっと嬉しそうな反応をすれば良かったと彼女はすぐに後悔したが、大公は特に気にしていないようで、すぐに話は移った。
「ところで婿殿、私からも話があるのだが」
「何でしょう?」
「アザレアの髪の色のことだ」
「アザレアの、髪の色……?」
「ああ、実は娘の髪は魔力の影響で朱く染まっている」
大公の言葉に、アザレアは息を詰める。
(お父様は、知っていた……?)
アザレアが、一族の誰も持っていない髪色をしている理由。それを大公は知っていた。
「……ご存じだったのですか」
サフタールの声が微かに震えている。怒りを押し止めているようだ。
「ああ」
「ならば何故、そのことを公表しなかったのです?」
サフタールはアザレアの事情を知っている。大公がアザレアの髪が朱い理由を分かっていたのに、それを公表し、アザレアの名誉を護らなかったことに怒りを覚えているのだろう。
「証拠がなかったのだ。アザレアの髪に含まれている魔力は強力でな。どんな魔石を用いても、無効化できなかった。しかし、今回朱い魔石が見つかった。朱い魔石を使えば、アザレアの髪色を元の色に戻せるかもしれん」
大公もサフタールと同じことを考えていた。
その事実に、アザレアはどう反応してよいか分からなかった。
サフタールはなおも、大公に問いただす。
「アザレアの髪の色が戻せたらどうするおつもりで?」
「娘の髪が銀髪ならば、公表する。不義の子との疑惑を払拭したい」
「証拠がなくても、アザレアは実の娘だと強く主張すれば良かったのでは? アザレアは何年も苦しんできたのですよ。あなたの娘ではないかも知れないと、悩んできたのです……!」
サフタールは膝の上で、震えるほど拳を握り締めている。その一方で大公は落ち着いていた。
「……まるで娘のことを、ずっと近くで見ていたかのようなことを言うな?」
「ゾラ殿から聞きました……」
「ふん、そういうことにしておこう」
(お父様は、サフタールの能力を知っている?)
大公は何をどこまで知っているのか。
色々調べられていると思うと良い気はしなかったが、髪色を元の色に戻せるようになったことは、こちらから報告した方がいいとアザレアは思った。
「サフタール、コンパクトを貸してもらえますか?」
「……大公閣下にお見せするのですね?」
サフタールはフロックコートの内ポケットに、コンパクトを忍ばせていた。
大公と話す機会が来るのではないかと、念の為持ってきていたのだ。
サフタールはコンパクトを出すと、アザレアに手渡した。
「お父様、今から……私の本当の髪色をお見せします」
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