第9話 出生の秘密

「来たか。クレマティスよ」

「はっ、大公閣下」


 謁見の間にて、クレマティスは入口で片膝をつき、頭を垂れた。

 近づいてくる足音に、クレマティスはさらに深く身を屈める。


「おもてを上げよ。仰々しく片膝などつかなくてもよい。私は任期さえ終えれば大公ではなくなるのだから」

「そうは参りません、大公閣下は大公閣下であらせられるのですから」

「やれやれ、お前は相変わらず堅いな」


 ふうと大公はため息をつく。

 大公は今年で齢五十になる。声こそしわがれているが見た目は若々しく、腹も出ていない。昔は他国の姫から求婚されるほどの美貌を誇っていたという大公は、中年になってもその面影を残している。切れ長の瞼からは、青玉を思わせる瞳が覗いていた。

 肩まで伸ばした豊かな銀髪を後ろに流し、鎖付きの黒い肋骨服を着たその姿は、表舞台からの引退を控えた人間には見えない。


「クレマティスよ。次期大公になるお前にだけ話しておきたいことがある」

「はっ……」

「ストメリナのことだ」


 (ストメリナのことだと?)


 意外な話題に、クレマティスはぎょっとしそうになる。公国軍を率いる将校として大公から叙任を受けて十年になるが、大公は二人いる娘の話題をほとんど出したことがなかったからだ。


 (何の話だろうか……まさか)


 頭に浮かんだ最悪の展開に、クレマティスの脇や背からは冷たい汗が吹き出る。

 だが、可能性として無いわけではない。


 (大公閣下は私に、ストメリナと結婚しろと仰るのだろうか……)


 動揺し、青空色の瞳を揺らすクレマティス。

 彼の動揺を感じ取ったのか、大公は苦笑いする。


「ははっ、案ずるな。お前が考えているようなことではない」

「はっ……」

「ストメリナだが……実は私の子ではない」


 大公が突然発した言葉に、クレマティスは目を見開く。

 アザレアが不義の子だという噂はもう何年も流れているが、ストメリナが大公の娘ではないなどという話は聞いたことがない。

 

 (ストメリナが大公閣下の娘ではないだと? そんな話、父上からは聞いていない)


 クレマティスは宰相の息子だ。宰相はすでに大公に仕えてもう三十年になる。ストメリナの出生の秘密を知らぬはずはない。


「宰相からは聞いていないようだな? 驚くのも無理はない。ストメリナは私と同じ、銀色に輝く髪を持っているからな。だが、ストメリナの父親は私の異母弟だ。……二十一年前に謀反を起こし、処刑された男だ」

「なんと……」

「意外だろう? ストメリナは自分の血統に自信を持っているからな。真実を知らぬとは言え、愚かな娘だ」


 喉奥をくくっと鳴らして笑う大公に、クレマティスは冷や汗が止まらない。

 大公の異母弟は前エトムント公爵と平民の娘との間に産まれた婚外子で、謀反を起こすまでは文官として城で働いていたという。そんな男がストメリナの父親だなんて。


「ストメリナの母親は帝国の姫でな。気位の高い女だった。帝国から独立した、僅か歴史が百三十年ほどしかない新興国に嫁ぐのを嫌がり、私と床を共にしようとはしなかった。あの女は私への嫌がらせのためだけに弟と寝たのだ。……私の寝室でな」


 その日大公が公務を終え、深夜に自室に戻ると発情した猫のような声が聞こえたという。

 寝室の扉を開けると、そこには背に汗を浮かべて腰を振る男の姿があった。

 大公は自分のベッドの上で交わる者が誰なのか確認せぬまま魔法のスペルを唱えると、氷の柱を呼び出し、男の背に突き刺した。


「弟のあれは、死んでも硬いままだった。あの女は検分の間、血塗れの男と繋がったままだったよ。あれは傑作だったな……ははは」


 忌わしい過去を思い出したのだろう。

 大公は乾いた笑い声を漏らす。


「……弟の死後、あの女の妊娠が分かった。愚かな女だったが、一応は帝国の姫。子は何かに使えると思い、産ませるだけ産ませて殺した。だが、愚かな女の娘はまた愚かな女だった」

「大公閣下……」

「クレマティス、私はストメリナを討とうと考えている」


 (ストメリナを、討つ?)


 大公の言葉は、どこか遠くから発せられているように感じた。クレマティスが十年仕えてきた大公は娘に関心がなく、まつりごとのみが頭にある人物。そんな風に思ってきたのに。


「ストメリナを放置すれば、いずれブルクハルト王国との戦争の火種を作られてしまう。あの女は戦乱に紛れてお前を討ち、武功も立てて次期大公の座に座ろうと画策しておる」

「まさか、そんな」

「ストメリナが使っている間者複数人から聞いた話だ。間違いない」


 (私は何も知らなかった……)


 アザレアを妻に迎え入れることが出来なかった。その喪失感にばかり浸り、まわりが見えていなかった。

 初めて聞く衝撃的な事実の数々に、クレマティスは立ち尽くすことしか出来ない。


「だが、ストメリナを討とうにもそう易々と殺させてくれる女ではないだろう。あの女にはアザレアほどではないが魔法の才がある。抵抗されれば厄介なことになる」

「協力させていただきとうございます。大公閣下」

「さすが理解が早いな」


 (……大公閣下は恐ろしい方だ)


 過去の恨みも何もかもを隠し通し、冷静に事を運んでいる。


 (これが為政者の器、か……)


「まずはストメリナを油断させねばならぬ。二週間後にブルクハルト王国で魔石鉱山共同発掘の記念式典があったな? 私も行くぞ、ストメリナと共にな。……まあ最後の時だ。良い父親を演じてやろうじゃないか」

「はっ!」


 また大公は乾いた笑い声を出す。

 その笑い声を、クレマティスは何とも言えない表情を浮かべながら聞いていた。


 クレマティスは宰相の父と自国の侯爵家出身の母との間に生まれた。両親はとても仲がよく、兄弟皆に平等に、温かく接してくれていた。父は彼が物心つく頃にはすでに宰相職にあり多忙であったが、それでも家族と過ごす時間を作ってくれる優しき父であった。

 温かな家庭で育ったクレマティスにとって、大公の周囲で起こった愛憎劇はあまりにも衝撃的すぎた。

 だが、驚いてばかりはいられない。

 大公がストメリナを討つというのなら、彼に仕える者として全力で手助けしようと思う。

 それにストメリナが死ねば、アザレアを助けることにも繋がる。


 (必ずや、やり遂げなければ……)

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