第20話 この眼差しは変わらない

「えっ、サフタールが、城の中庭で出会った男の子……!?」


 湯殿から上がったアザレアは客室へ戻ったのだが、そこにはゾラとサフタールがいた。

 二人から話したいことがあると言われ、彼女は頭からほこほこと湯気を出しながら椅子にちょこんと座る。

 ゾラから、サフタールが十年前に公国の城の中庭で出会った少年だと知らされたアザレアは、驚きの声をあげたのだった。


「……お伝えするのが遅れてしまい、申し訳ありませんでした。アザレア」

「謝らなくても大丈夫ですよ、サフタール。あなたがあの男の子だと分かって嬉しいです。すごく大きくなっていたから、あなたがあの子だってぜんぜん気がつかなかったです!」


 あなたがあの男の子だと分かって嬉しいと言うと、サフタールの目元が緩まった。彼は騎士と見紛うぐらい立派に育ったが、この優しい眼差まなざしだけは変わらないと思う。


「……まだ、アザレアに謝らないといけないことがあります」

「何ですか?」

「十年前、『国へ戻り、研究機関で調べればあなたの髪色を変えることが出来るかもしれない』と言ってあなたの髪を頂いていたのに、まだ見つからないのです……魔法で髪の色を変える方法が」

「いいんですよ!」


 俯くサフタールに、アザレアは笑顔を浮かべながら手を横にふる。


「私はイルダフネに来てから、このあかい髪を嫌がる方に出会ったことがありません。今はもう、この髪のままで良いとさえ思っています。だから、謝らないでください」

「アザレア……。ありがとうございます。でもまだ、伝えなくてはいけないことがあるのです」


 サフタールは首の後ろに手を回すと、おもむろにネックレスを外した。丸いペンダントトップが手のひらへ落ちる。

 彼がペンダントトップのふちを指で擦ると、かちりと音がした。


「あ、そのペンダント、ロケットになっているのですね」

「……はい。中を見て頂けますか?」


 蓋が開いたペンダントトップの中には、渦巻状に収められた朱い糸が。


「これは、十年前にあなたから頂いた髪です」

「あっ! まだ持っていたのですね」

「ええ、いつ髪色を変える方法が見つかるか分かりませんから、常にこうやって持ち歩いていました。すみません……気持ちが悪いですよね」

「サフタール、これ以上謝らなくても大丈夫ですよ。ゆっくりお話してください」


 サフタールは終始恐縮しきりで謝りっぱなしだった。アザレアは、どうしてこんなにも彼が申し訳なさそうにしているのか分からなかった。

 彼があのツツジが咲く中庭で出会った少年だと知って嬉しかったし、自分の髪色を変える方法を探し続けてくれていたことも、感謝しかない。


「アザレア、ここから先は私が説明するわ」

「ゾラ?」


 サフタールの隣に座るゾラが、神妙な顔をしながら口を挟んできた。


「サフタール様、よろしいでしょうか?」

「はい、よろしくお願い致します。ゾラ殿」


 ゾラはどうもサフタールの事情を知っているらしい。彼女の真剣な表情に、アザレアも背筋を伸ばし、姿勢を正した。


「アザレア、落ち着いて聞いてちょうだい」


 ◆


 ゾラから聞かされた内容は、驚くべきものだった。


「サフタールが、私の髪の毛を使って、公国にいる私の元まで意識を飛ばしていた……?」

「ええ、そうよ。でもね、その力は悪用はされていないわ。サフタール様はあくまであなたのことが心配で、その力を使われていたの」


 サフタールの特殊能力について、アザレアには思い当たる節があった。


「も、もしかして、私がピンチだった時に助けてくれたのは、サフタールだったの……?」

「ピンチだった時? どういうことなの、アザレア?」

「ええ……」


 ストメリナから受ける虐めは、時には命の危険にすらさらされるようなものだった。大公が不在の時には、魔法で呼び出した氷の檻に入れられたり、廊下を歩いている時に上から氷の塊を落とされたこともあった。

 しかし、氷の檻はストメリナがいなくなると溶けてなくなり、氷の塊はアザレアの遥か頭上で粉々に砕け散った。

 ゾラがいない時でも何かしらの不思議な力が働き、アザレアは助かっていたのだ。


 アザレアの言葉に、サフタールは口を開く。


「……そうです。私はアザレアの危険を感知するたびに、あなたの元へ意識だけ駆けつけ、補助魔法をかけていました」

「そんなことが……! 信じられない……」


 サフタールの発言に、ゾラは口元を手で覆い、目を見開かせていた。彼は、公国の魔法研究所一の秀才であったゾラから見ても、信じられないような離れ業を使って助けてくれていたらしい。


「ありがとうございます、サフタール。あなたが私のことを救ってくださっていたのですね」

「よくご無事でしたね、サフタール様。意識を公国まで飛ばすだけでも魔力消費がものすごく激しいはずなのに」

「もしかして、命懸けで助けてくださっていたのですか?」


 魔力は人体に無くてはならないものだ。魔力消費が激しい魔法を使うと、時には命を落とすことだってある。


「確かに、アザレアをお助けした時は疲労を感じていましたが、それだけです。私は魔力の量だけは自信があるので命が脅かされるようなことはありませんでしたよ」

「本当ですか? サフタール。あなたに何かあったら私……」


 (サフタールは、ずっと私のことを護ってくれていた……)


 どこかの誰かが、明確な意思を持って自分を助けてくれているような気がずっとしていた。

 ゾラがいない時でも、自分は一人ではない。

 この不思議な感覚がアザレアを支えていたのだ。

 アザレアはサフタールを見つめる。彼は自分がしたことに負い目を感じているらしい。広い背を丸める彼に、アザレアはもう一度「ありがとうございます、サフタール」と心からの礼を伝えた。




「風呂上がりに長々と話してしまい、申し訳ありませんでした。どうぞ温かくしてお休みください」


 廊下に出たサフタールは、アザレアへ向かって腰を折る。

 一通り話が終わり、ゾラは先に自分の部屋へ戻った。アザレアはサフタールの見送りをしようと、廊下に出た。

 アザレアはもう少しだけサフタールと話がしたいと思ったが、夜も更けてきている。これ以上引き止めるのはよくないだろう。


 (寝室が同じなら、もう少し話していられるのかしら……)


 お互いが眠るまで一緒にいられたら。きっとそれは素敵なことだと思う。


「サフタール、お願いがあります」

「何でしょうか?」

「早々に、寝室を同じにしませんか? そうすれば、私があなたを見送ることもなくなります」

「アザレア……」

「だめでしょうか……。少しでも一緒にいられたらと思ったのですが」


 広いベッドの上で二人並んで横たわり、お互いが眠くなるまでおしゃべりに興じる姿がアザレアの脳裏に浮かぶ。もっとサフタールとたくさん話をして彼のことが知りたい。そう思ってアザレアは提案した。


 アザレアがもじもじと、上着の前で結ばれた紐を指先で弄っていると、ふいに輪郭に手が添えられた。サフタールの大きくてごつごつした手が、耳の下に触れる。

 一体何をしているのだろうと不思議に思い、アザレアが顔を上げると、サフタールの顔が近づいてきているところだった。

 アザレアの唇に熱い吐息が掛かった、その時だった。

 サフタールはバッと顔を上げると、そのまま後ずさったのだ。


「も、申し訳ありません……!」


 サフタールは顔を真っ赤にすると、逃げるように去っていった。

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