第26話 雪鈴草

 一週間後にはブルクハルト王国の王都で記念式典がある。

 ディルクとクレマティスも参列予定とのことで、二人とも話し合いが終わり次第帰っていった。今から公国へ戻って王都の記念式典に間に合うのか?と思ったが、途中で大公やストメリナと落ち合う予定らしい。


「綺麗なコサージュ……」


 ディルクが持ってきた結婚の祝いの品は、雪鈴草ゆきりんそうを模した飾りのついたコサージュだった。雪鈴草は鈴蘭に似た花で、花言葉は「夫婦円満」。純白の花弁は鈴蘭よりもやや大きく、一つの茎に二つ蕾ができることから、公国では結婚祝いに贈られる定番の花となっている。だが、なぜか国外に持ち出すと枯れてしまう。公国でしか生きられない花なのだ。


 (枯れないように、雪鈴草を模した飾りを贈って下さったのかしら……)


 ディルクは、この祝いの品は大公が選んだものだと言っていた。雪鈴草のコサージュは小さな花束の形になっていて、鈴蘭やかすみ草と共に白いリボンで纏められている。

 公の場で着る豪奢なドレスにも、ちょっとしたお茶会で着るカジュアルなドレスにも、場面を選ばず胸に付けられそうだ。


「記念式典に付けていったらどうですか? きっと大公閣下も喜ばれるはずです」

「そうですね。このコサージュに合ったドレスを選ばないと」


 サフタールの提案に、アザレアは小さく笑みを溢す。

 記念式典にはストメリナも参列する。正直なところ今まで気が進まなかったが、父親からの思いがけないプレゼントに少しだけ気持ちが前向きになった。


 それでも、ストメリナの恐るべき計画について知ってしまった今は、嬉しい気持ちに浸る気分にはなれない。


「アザレア、ストメリナ様のことが気になりますか?」

「ええ……」


 サフタールの問いかけに、アザレアは瞼を伏せる。


「ストメリナの計画は、私だけでなく多くの人を巻き込んで不幸にするものです。絶対に、止めなくては」

「記念式典も油断は出来ませんね。何かしら仕掛けてくると考えたほうがいいかもしれません」


 サフタールは、部屋の隅にあった黒くて四角い箱を持ち上げると、テーブルの上に置いた。

 四角い箱の上には、丸いボタンのようなものがいくつも並んでいる。

 サフタールがボタンのなかの一つを押すと、何もないところに四角い映像が現れた。映像の中では、氷で出来た鎧の兵士達が大剣を振るっている。


「これは、……巨氷兵きょひょうへい?」

「ディルク殿に頼んで、我が家にある魔道具に録画させてもらいました。ディルク殿が持っていた魔道具よりも遥かに型落ちしていますが、再生は何度でも可能です」


 一般的には、魔道具は持ち運びが容易な小さくて軽いものほど高価だ。ディルクが兄からくすねたという魔道具の小型映像機はきっと法外な値段に違いない。


「アザレア、出来る限りの対策をしましょう。あなたの魔法を頼りにしています」

「はい!」


 (私は、サフタールに頼られている)


 君を護ると言われるのももちろん嬉しいが、アザレアは頼りにされることに一番の喜びを覚える。胸がいっぱいになり、頬が熱くなる。

 公国にいた頃は、どれだけ魔法の研鑽を積んでも役立てる機会に恵まれなかったからだ。せいぜいストメリナの嫌がらせに対抗するのに使うぐらいだった。


 (頑張ろう。絶対に戦争は起こさせない……!)


 アザレアはまた決意を新たにした。今、自分のまわりにはサフタールやイルダフネ家の人々がいる。きっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。


 ◆


 翌日。ディルクが持ち込んだ映像は、ゾラやリーラにも共有された。

 今、演習場には、アザレアとサフタール、そしてゾラとリーラがいた。皆、魔法を使うため、魔道士のローブを着込んでいる。

 ツェーザルは隣領の領主との会談があり、この場にはいなかった。


「巨氷兵……これはアザレアの火の魔法でも、溶かすのはちょっと難しいかもしれないわね。もっと強力な熱が必要よ」


 応接室にいたゾラは、すでに対策法を考えていた。


「魔法で呼び出した氷製のゴーレムに、魔石を飲み込ませて作るとディルク殿が言っていましたね」


 ゾラの言葉に、サフタールは難しい顔をする。

 険しい顔をするゾラとサフタールに、アザレアは慌てて口を挟む。


「で、でも、魔石を飲み込んだ魔物は、私の魔法で問題なく倒せていますよ?」

「ゴーレムは魔法生物。魔物の元は野生動物。同じ魔石を飲み込んだとしても、効果が大きく変わってくるわ。きっとゴーレムの方が魔石の効果が強く出ているはずよ」

「ゾラ殿、私の強化魔法をアザレアに掛けるのはどうでしょう?」


 サフタールの提案に、すっと手を挙げたのはリーラだ。


「強化魔法は合う合わないがあるから、まずは効果が弱いものから試した方がいいわ。サフタール」

「そうですね、母上」

「あの、強化魔法というのは……?」

「サフタールが使う補助魔法の一種よ。一時的だけど、攻撃魔法の威力を高めたり、逆に弱めたりも出来るの。魔法攻撃の耐性の付与も出来るのよ」

「す、すごい……!」


 公国にいた頃、ゾラから差し入れられた魔道書の類には、補助魔法に関するものもあった。アザレアも興味があって相当読み込んだのだが、彼女には適正がなかったのか何一つ覚えられなかったのである。


「私、補助魔法はからっきしなのでサフタールを尊敬します」

「はは……。私は逆にアザレアのような属性攻撃魔法はまったく使えませんから」

「お互いの足りないところを補い合えるなんて、素敵だわぁ」


 リーラは仲睦まじいアザレアとサフタールを見て、瞳をとろんとさせる。


「サフタール、良いお嫁さんが来てくれて良かったわね♪」

「まだ、結婚式まで二ヶ月半近くありますよ、母上」

「そうね。二人を無事結婚させるためにも、アザレアちゃんのお姉さんの悪巧みを止めないといけないわね」


 蕩けそうな顔から一転、真剣な顔をするリーラの発言に、アザレアは改めて気がつく。


 (もしも公国と王国が戦争になったら、私はサフタールと結婚出来なくなる……?)


 二人の婚約は公国と王国とが決めたもの。魔石鉱山の共同発掘を行っている二国の和平の証として結ばれるものだ。国同士の仲が何らかの理由で拗れ、戦争にでもなれば、婚約は無かったものとされてしまうのでは。


「リーラ様、もしも、もしも公国と王国が戦争になったら、私は……」


 アザレアが不安を口にしようとした、その時だった。

 演習場のブザーが急に鳴り出したのだ。

 突如鳴り響いた警笛に、サフタールはすぐに走り出した。彼は壁にある赤くて丸いボタンを押しながら、ラッパ形をした拡声器を手に取る。


「何事だ!」

「サフタール様、至急ご報告がございます。執務室へお戻りください」

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