第6話 サフタールの特殊能力

「えっ、私がなぜあの時、港にいたのか知りたいのですか?」


 朝、アザレアはサフタールと一緒に食堂で朝食を食べていた。

 今、食堂にいるのは二人と給仕係の使用人のみで、他に人の姿はない。

 昨夜の歓迎会でしこたま酒を呑んだリーラとゾラは二日酔いで起き上がれず、ツェーザルは王城で定期会合があるらしく、空が明るくなる前から出かけていった。


 今日のサフタールはシンプルな襟付きの白シャツとタイトな黒いズボンという若者らしい平服姿だ。シャツの上からでもはっきりと分かる体格の良さに、アザレアは少しドキドキした。


「はい。グレンダン公国の戦船は昨日の夕刻にイルダフネ港に着く予定でした。そして、イルダフネ家の迎えが来る予定も夕刻……。なぜ、サフタール様はあの時間帯に港にいらっしゃったのですか?」

「そうですね……。先にアザレア様に説明した方がいいかもしれませんね」


 サフタールは一口コーヒーを啜ると、カップをソーサーに置き直した。


「実は私には、不思議な力がありまして……」

「不思議な、力?」


 (魔法のことかしら?)


 サフタールは昨日、賊達の動きを止める魔法を放った。ブルクハルト王国は魔法の発展に力を入れていると聞く。グレンダン公国では一般的ではないような魔法もあるのだなと解釈していたが、違うのだろうか?


「はい。私には近い未来の危険を予知する力があるのです。昨日、アザレア様とゾラ殿が賊に襲われかけている場面が、いきなりバッと頭に浮かんで……。居ても立ってもいられず、城を飛び出してしまいました」

「では、サフタール様が城下へよく行かれるのも……」

「そうです。困っている領民がいると分かると放っておけないのです。私一人では対処しきれないこともあるので、私設兵達にも協力してもらっていますが……」

「す、すごい! そんな能力があるのですね……!」


 そんな力がこの世に存在するなんてとアザレアは驚く。だが、人が多く住む場所ではトラブルなど日常茶飯事だろう。城から港までは距離がある。あんな遠くの人間の危険までもを察知していたら、大変なのではないか。


「もちろん、人の力なので万能ではありませんし、危険を察知しきれないこともあります。私の体調が悪い時などは、予知出来ないこともありましたよ」

「それでもすごいです……!」

「……気味が悪いとは思われないのですか?」


 サフタールは遠慮がちにアザレアに問う。

 アザレアはサフタールの能力を大変そうだなとは思っても、気味が悪いとは考えもしなかった。むしろ、自分の能力を人々を護るために使っているサフタールを尊敬した。


「思いません。むしろ、尊敬しています。自分の力を人々を護るために使うなんて……領主家の鏡だと思います!」

「アザレア様……ありがとうございます」


 アザレアが前のめりになって尊敬していると言うと、サフタールは頬を掻き、照れくさそうに礼の言葉を口にする。


「そうだ、アザレア様。今日は城塞内を案内しようと思うのですが……いかがですか? 無理にとは言いませんが……」

「まあ、いいのですか?」

「はい。広いので一日では回り切れないかもしれませんが、要所だけでもご案内できたらと思いまして……」

「嬉しいです! よろしくお願いしますね」


 ◆


 サフタールはまず、アザレアを城塞内にある魔石工場へ案内した。

 鉱山などで採掘した魔石は不純物が多く、そのままでは使えない。イルダフネ城塞内にある工場で不純物を取り除き、使いやすい大きさにカットするのだ。


「綺麗ですね……!」


 コンベアーに等間隔に乗せられて運ばれる、色とりどりの魔石を見たアザレアは、琥珀色の瞳を煌めかせる。


 魔力がふんだんに含まれた魔石は、主に魔道具の核として使われる。

 魔道具とは魔法を習得しなくとも魔法のような効果を得られる道具のことで、火や熱を起こす調理器具や光を発する照明などの生活用品から工場などで使われている工業用品まで幅広い。人々の生活になくてはならないものだ。

 今回ブルクハルト王国とグレンダン公国が互いに手を取り合い、新たな魔石鉱山を切り拓いたのも、二国に魔石による更なる発展をもたらす為だ。


 魔石工場内にある機械も、魔石に含まれる魔力によって動いている。魔石工場内にいるのは、数人の整備士と見回りの私設兵だけ。少ない人間で工場を切り盛り出来るのもすべては魔石と魔道具のおかげだ。


 そして、魔石は宝石としても人気があり、貴婦人達の間ではお守りとして身につけるのが流行している。


「どうぞ、気に入ったものがあればお一つお取りください」

「わぁっ、いいのですか? どれにしましょう……」


 サフタールが好きな魔石を持っていっていいと言うと、アザレアは前屈みになってコンベアーを覗き込む。

 サフタールはアザレアの横顔を見つめると、切れ長の目を細めた。


 (アザレア様の感情が、失われていなくて良かった……)


 サフタールは首に下げていたペンダントをシャツの上から握りしめる。この丸いペンダントトップの中には、アザレアの髪が入っている。


 この髪は昨日今日に手に入れたものではない。

 十年前、ツツジが咲き誇る中庭で手に入れたものだ。


 サフタールは十年前、アザレアと出会っていた。医法院で暮らす、医法士の卵の少年として。

 あの日サフタールは、父親のツェーザルに連れられてグレンダン公国を訪れていた。

 サフタールはツェーザルが用事を済ませている間暇になり、たまたま城の中庭に入り込んだのだ。

 ツツジが咲き誇る、美しい中庭だった。

 自分と似たような年頃の少女がいると思い、近づくと、少女が普通ではない行動を取っていることに気がついた。

 少女は啜り泣くような声を漏らしながら、自分の髪を引き抜いていたのだ。


 あの衝撃的な場面を思い出すたびに、サフタールの胸は締め付けられる。


 (アザレア様に、国へ戻って研究機関で調べれば、魔法で髪色を変えられるかもしれないと言ったが……)


 アザレアはその髪色に酷く悩んでいた。一族の誰も持っていないあかい髪。不義の子との疑いをかけられたアザレアは迫害に遭っていた。


 サフタールはなんとかアザレアを救ってやりたいと思ったが、十年経ってもアザレアの髪色を変える方法は見つからなかった。

 だが、アザレアの髪色の原因だけは突き止めることが出来た。

 それは、魔力だ。


 (魔石の色は石に含まれた魔力で決まる。アザレア様の髪の色も、彼女の魔力が原因だ)


 人体にも個人差はあるが魔力が宿っており、それは通常瞳の色に影響を及ぼす。だが、アザレアは何故か髪に魔力の色が出てしまっていた。

 髪に魔力の色が出る現象は非常に珍しい。有名な魔法学者の文献によれば、確率的には十万人に一人の割合でしか出ない。


 アザレアの髪色が魔力由来だと証明出来れば、不義の子だという疑惑を払拭することが可能かもしれないとサフタールは考えたが、ここにも問題があった。


 アザレアの髪に宿った魔力は非常に強力で、一時的に魔力の影響を無くし、本来の髪色を見せるという方法が取れなかったのだ。

 アザレアの髪を元の色にするには、膨大な魔力が必要だった。


 (私が「アザレア様の髪は魔力由来の色です」と言ったところで大公閣下が信じてくださるだろうか……)


 魔力の影響がない、本来の髪色を見せることが出来なければ、説得力はない。

 サフタールに何度目か分からない無力感が湧き上がってくる。

 十年も、アザレアの髪色を本来の色に変える方法を探し続けているのに進展らしい進展がないのだ。

 銀の染料を使えばアザレアの髪を染められるかもしれないが、銀には毒があり、人体には使えない。それに一時的に髪色を変えるだけでは意味がない。


 (アザレア様……)


 サフタールはアザレアの横顔をじっと見つめる。

 彼には危険予知の能力があるが、また別の能力も持ち合わせていた。

 サフタールはこの十年間、アザレアの髪を使って彼女の生活をたびたび覗いていた。

 あの日、サフタールはアザレアが引き抜いていた髪を数本受け取った。

 王国へ帰ってからも、アザレアがどのような生活をしているのかどうしても気になったサフタールは、アザレアの髪を媒体にして、意識を公国にいる彼女のところまで飛ばしていたのだ。

 髪や爪など、人体の一部を媒体にしてその人の様子をうかがうことが出来るのも、サフタールの特殊能力の一つだった。

 

 アザレアの生活は想像していた以上に酷いものだった。彼女の異母姉のストメリナは何かにつけて彼女に因縁をつけ、陰湿な虐めを繰り返していた。それを周囲の人間達は止めようともしなかったのだ。


 サフタールはストメリナとその周囲の人間たちに憎悪を抱いている。

 アザレアは、他の親族とは違う髪の色をしているというその一点だけで迫害を受けていた。アザレアの母親がたとえ不貞を犯していたとしても、そのとがは彼女には無いというのに。


 アザレアは人間不信になってもおかしくない日々を送っていたが、それでも明るさを失わなかった。ゾラと出会ったこともあるだろうが、それならゾラ以外の人間を警戒し、敬遠するようになっていても不思議ではない。


 何せ、アザレアの日常を間接に感じていたサフタールでさえ、一時的にだが人間が怖くなってしまったのだから。


 (……アザレア様はお強い方だ)


 サフタールはアザレアに打ち解けて貰えない覚悟もしていたが、彼女は自ら話しかけてくれる上、笑顔も見せてくれている。どれだけ迫害を受けても明るさを失わなかったアザレアには、感謝しかなかった。



「サフタール様」

「何ですか?」

「私、この魔石を頂きたいです」


 アザレアが手に取った魔石は薄紫色をしていた。大きさは小指の先ほどであまり大きくはない。魔石は水晶のように透き通っている。

 魔石は色によって、魔力の量や宝石としての価値が変わる。薄紫色の魔石は含まれる魔力はそこそこ多い方だが、たくさん採れるので価値はさして高くない。城下に暮らす平民でも無理なく買える魔石だ。


「どうしてこの魔石を選ばれたのですか?」


 遠慮しているのだろうか。

 アザレアだって、魔石の価値は知っているはずだ。

 サフタールがアザレアにこの魔石を選んだ理由を尋ねると、彼女は少し恥ずかしそうにしてこう言った。


「サフタール様の瞳の色に似ていて、綺麗だと思いました。それに公国ではあまり見ない色の魔石ですし……」

「私の瞳に?」

「だめでしょうか……?」


 しゅんとしたアザレアに、サフタールは慌てて首を横に振る。


「い、いえ、駄目ではありません! どうぞお待ちください」

「ありがとうございます。大切にしますね」


 魔石を握りしめてにっこりと微笑むアザレアに、サフタールの胸の奥が軋む。

 それに自分の瞳の色と、似たような物を選んでくれた。その事実にもサフタールは嬉しく思った。


 (……ああ、この方はこんな風に笑うのか)


 公国にいた頃のアザレアは、ゾラといる時以外に笑顔を浮かべたことはほとんど無かった。

 サフタールはアザレアの髪を使って、彼女の元へ意識を飛ばしていた。悲しみにくれるアザレアの姿ばかり目にする日々だった。


 (これからは、たくさん笑顔を浮かべて貰えるように尽力しよう)


 サフタールには恋人がいたことがない。彼はずっと魔法の研究ばかりをしていた。アザレアが不義の子ではないという証明をするために。


 女性の扱いは不慣れだが誠実に接してさえいれば、アザレアは自分のことを少なくとも嫌だとは思わないのではないか。

 サフタールはアザレアのことが大切すぎるゆえに、消極的なことを考える。


「アザレア様、良かったらその魔石をアクセサリーに加工しましょうか?」

「まぁ! ありがとうございます。ではペンダントトップにしたいです」


 サフタールはアザレアから魔石を受け取る。

 アザレアの手のひらにあったそれは、ほのかに温かった。

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