第12話 アザレアの魔法


 イルダフネの城塞には、魔法専用の演習場が存在した。

 何の準備もなされていないところで魔法を使っては、すぐに大事故になってしまうからだ。


「アザレア様、ここでは魔法が使いたい放題ですよ」


 演習場は一見するとただの石造りの四角い部屋だが、窓はなく、部屋の四方には拳大の魔石がぐるぐると回っている。

 魔石にはそれぞれ、火・水・風・土の属性効果が付与されていた。

 魔法を使っても、それぞれの魔石が属性にあった魔法を吸収してしまうので、他の人間や物に当たらないのだ。

 魔法が当たらなかったら演習にならないのでは? と思われがちだが、四方で回っている魔石は測定器と繋がっていて、魔法の効果を数値として見ることが出来る。


「魔物討伐へ行く前に、アザレア様の魔法の威力がどれほどのものなのか、測定させてくださいね」

「はい、やってみます!」


 サフタールはアザレアの魔法を三日前に目にしている。賊相手にアザレアは炎の魔法を出してみせたのだ。

 アザレアはグレンダン公国では引きこもりがちな生活を送っていた。ゾラ曰く、魔法の勉強は熱心にしていたものの、実践で魔法を使用したのは三日前が初めてだったという。


 (いきなり賊相手に攻撃魔法を出せるなんて……。アザレア様は魔道士の素質があるな)


 実践でいきなり魔法を繰り出せる人間は存外少ない。何度も場数を踏んで、やっと実践でスペルをまともに唱えられるようになるのが普通だ。

 スペルとは、魔法を発動させるための呪文のことで、このスペルを唱えることで超自然的な力を行使できる。


 サフタールが壁にあるボタンを押すと、奥にある床が四箇所空き、突如出来た穴からそれぞれトルソーのような人形が出てきた。

 部屋の奥に四体の人形が並ぶ。


 サフタールは換気用の、風の魔石以外の魔石の効果を止めた。今、部屋の端でぐるぐると回っているのは、黄緑色の風の魔石のみである。

 炎の魔石を止めたのは、アザレアの魔法効果を目視するためだ。


「アザレア様、この人形を魔法で燃やしてもらえますか? なるべく全力でお願いします」

「はい! 全力ですね! ……ほむらよ、焼き尽くして!」


 アザレアが胸の前で手を組みスペルを唱えると、四体の人形がごうごうと音を立てて燃え出した。

 そしてそれは瞬く間に消し炭となってしまった。


 (四体とも、あっという間に燃やし尽くしてしまうとは……)


 ここは魔法の訓練用の演習場で、かなり本気で魔法を発動させようとしないと、マッチ程度の火ですら起こすのが難しい。それなのに、アザレアははじめから人形を消し炭にしてしまった。それも、四体同時に。


 あの日、賊が消し炭にならなかったのは、アザレアに実践経験が足らなかったからだろう。襲われかけている状態で魔法を唱えるのは難しい。集中が出来ないからだ。


 (……賊どもは命拾いしたな)


 なお、賊を捕らえた後に尋問を行ったが、奴らは雇い主の素性を知らなかった。だが、雇い主は一般人とは思えないほど体格の良い男であったらしい。

 おおかた、ストメリナが公国兵に命じて、賊にアザレアを襲うように仕向けたのだろう。

 ストメリナの顔を思い浮かべると、サフタールのはらわたは煮えくり返りそうになる。


 サフタールは消火のため、水の魔石も動かした。人形を燃やした炎があっという間に立ち消える。

 煙や臭いは、風の魔石にするすると吸収されていった。


「い、いかがでしょうか……?」


 アザレアが不安そうな顔をしてサフタールを見上げる。


「……ちょっと数字を見てみましょうか」


 ここでは魔法の威力を計測することが出来た。

 サフタールは黒く四角い板を手に取ると、それに指を滑らせていく。板に映し出された数値を見た彼は、目を見開く。


 (……限界値を超えている。測定不可能ということか)


 アザレアはそもそも、魔力由来のあかい髪をしている。この朱い髪を維持するために毎日多くの魔力が消費されているはずだが、彼女が疲れていたり具合が悪そうにしている様子はない。

 サフタールはアザレアをじっと見つめると、自分の顎に手を当てる。


 (……これが真の天才というやつか)


 サフタールは充分な魔力を持ち合わせているが、攻撃魔法の素質がなく、いくら努力しても小さな炎ひとつ起こせなかった。

 赤ん坊の頃から五歳まで医法院にいて、イルダフネ家の養子となってからも医法院で勉強を続けた彼は、傷を癒す回復魔法や戦闘に有利となる効果を生み出す補助魔法は使えるようになったものの、魔法での戦う術を持っていなかったのである。

 魔法で戦えない分、サフタールは身体を鍛え上げ、剣術の腕を磨いた。彼の騎士のような肉体は、戦う術を持つためだったのだ。


 アザレアの魔法の才に嫉妬しないと言ったら嘘になる。それほどまでに彼女の魔法は高いレベルのものであった。


「サフタール様……」

「す、すみません、考え事に耽ってしまいました」


 アザレアの不安そうな声に我に返る。


 (アザレア様の才能に嫉妬している場合じゃない。彼女は何より安心できる場を欲しているのだ)


 サフタールは咳払いをすると、いつもの笑顔を浮かべた。


「アザレア様はすごいですね! 今放った炎魔法の威力ですが、基準値を遥かに上回っていました」

「えっ、ほ、本当ですか?」

「ええ、これなら魔物の討伐隊に入っても充分やっていけるでしょう」

「嬉しいです! がんばりますね!」


 次期当主の妻が魔物の討伐隊に加わる。よその貴族家ではあまり考えられないことだが、このイルダフネ家では普通のことだ。イルダフネ家は国防を担う家。有事の際は一家で戦うことを求められる。


「母上も昔は魔物の討伐隊に加わっていたのですよ」

「リーラ様が?」

「ええ、今では魔法学校の運営で忙しくしていますが。母上はああ見えても魔法学者の娘で、あらゆる属性を操るエレメンタルマスターなのです」


 リーラはイルダフネの城塞内に学校を作り、魔道士を次々に生み出していた。

 その話を聞いたアザレアは、はー……っと深いため息をつく。


「すごいですね……。結婚して他家に入ってからも、しっかりお仕事をなさっているだなんて……。私もリーラ様のようになりたいです」

「なれると思いますよ? 私もアザレア様のやりたいことを応援したいです」

「ありがとうございます。がんばりますね!」


 (生き生きしているな、アザレア様……)


 こんなにも瞳を煌めかせているアザレアの姿は、グレンダン公国では見たことがない。

 サフタールは十年前に手に入れたアザレアの髪を媒体にして、彼女の様子をたびたび覗いていた。

 アザレアはいつも俯いて、悲しげな顔をしていた。

 彼女がイルダフネに来たら、もう二度とあんな顔をさせないとサフタールは心に決めていた。



「サフタール様」

「何ですか?」

「今度は私、サフタール様の魔法が見たいです」


 (やはり、そう来るよな……)


 実は攻撃魔法がろくに使えないなんて言いたくはないが、いずれバレてしまうことだ。

 サフタールは諦めて正直に話すことにした。


「アザレア様、申し訳ありませんが私は攻撃魔法を扱えないのです」

「えっ、でも。賊相手に動きを止める魔法を使われてましたよね?」

「あれは補助魔法の一種です。それに捕縛は医療行為にも使われますから」

「では、私相手に捕縛を使ってください!」

「……はい?」


 (……一体何を言い出すんだ、アザレア様は)


 ここは魔法の演習場とはいえ、完全なる密室で、今はサフタールとアザレアの二人きり。

 そんなところで捕縛──身体の動きを止める魔法など行使したら……。


「アザレア様、申し訳ありませんがあなた様へ捕縛は使えません」

「どうしてですか?」

「捕縛はブルクハルト王国の医法院が編み出した魔法で、使用制限があります」


 サフタールはシャツの腕を捲ると、腕輪を見せた。それは一見すると普通の金のブレスレットだが、よくよくみるとスペルが刻まれている。


「この金のブレスレットがないと捕縛を行使できない上、何に捕縛を使ったのか医法院へ情報が行くのです」


 医法院は数々の魔法を生み出しているが、犯罪対策はしっかりなされていた。医法院産の魔法を使うには定期更新が必要な免許がいる上、犯罪行為に使えば厳しいペナルティを付けられてしまう。


「今、アザレア様に捕縛を使えば、私は罪に問われてしまうでしょう」

「どうしてですか?」


 アザレアは琥珀色のまあるい瞳をこちらへ向けてくる。

 どうも密室で男が女性に対して、捕縛の魔法を使うことの意味を分かっていないようだ。


「私たちは婚約関係にありますが、まだ、正式な夫婦ではありません。私が今、この場であなたに捕縛を使えば、医法院は私があなたに対し、不埒な行いをしようとしたと疑います」

「な、なるほど……!」


 アザレアの顔が、髪の色に負けないほど真っ赤に染まる。

 照れるアザレアに、サフタールも自分の頬が熱を持つのを感じた。


「…………」


 気まずい沈黙が流れる。


「……もう、出ましょうか。そろそろ夕食の時間です」

「そ、そうですね。今日もありがとうございました!」

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