第 12 話 圧倒


 『魔力マナ』には個人それぞれの全体量が決まっている。

 ゲームのキャラクターがLV上限に達するまでに、決まった数値のMPまでしか上がらないように。

 彼らの場合では、LVが年齢に等しくなり、二十代に相当する年齢が全盛期と言われている。


 しかし、『マキナ』はその仕組みにならわず、埋まれた瞬間から全盛期の魔力マナを機体に宿している。

 成長期や老年期がないからこそ、最初から全力を出すことができるのだ。

 ただ、メリットはある。動くための駆動燃料が魔力マナである彼らは、機体に流れている魔力マナが底を尽きれば文字通り生命活動が停止する。魔力マナは増えても回復はしない。なので、戦闘で大きく消費すればするほど寿命がドンと近付いてくる。


 そうした魔力マナの法則。抗いようのない自然の摂理を、本能的に理解してるからこその困惑。


 目の前に立つ少女から沸き立つ黒い何かは、明らかに自機が含むものと同質の『魔力マナ』だった。先ほどまで大した気配もなかった彼女が、この短時間で無視できないほどの魔力量を排出させていた。


 『ネームド』は相対している相手がさっきの人間と同一なのか判断がつかなかった。


「…………」リハナは顔を俯かせたまま立っていた。一切の言葉を吐かず、頭からはだらだらと血を流し、傷がないところを探すだけでも難しい状態。


 ――なのに、なんだこの重圧は!?


 そう思わせる機能こそ備わっていないものの、そう感じさせるほどのプレッシャーが解き放っているリハナ。あちらの存在感が大きくなるにつれ、魔力マナが共鳴するかのように震えを起こしていた。


 意識が滞在しているのかも怪しい様子だというのに、上昇する魔力マナの強大さが、空気に乗ってピリピリと伝わってくる。


 相手の一挙手一投足も見逃してはならない、と『ネームド』は警戒心を剥き出しに少女を注視していた。


 していたはずだったのだ。


【――ΩΣ?▪!】気付いたときには地に倒れ、瞳からの映像はリハナの手の平でいっぱいになっていた。


 今の状態に陥るまでの記録された光景を再考リファインする。結果、それでも何をされたか判明しなかった。

 リハナと『ネームド』には二十メートル以上の距離が空いていた。どれだけ計算しても、その隙間を埋めるのに5秒はかかる。

 加えて、彼女は足根骨を負傷し、走ることはおろか立つだけでも神経の奥底を削られるような痛みが走るはずだった。全力疾走するにも、万全を期しているとは言えない。


 だが、事実、彼女は『ネームド』に観測できないほどの速力で接近した。あまりの速さに、身体が消えて一瞬でこちらに来たように見えた。怪我は我慢した、と強引に解釈できるが、その圧倒的な速さは魔力マナの底知れぬ豊富さを如実に表していた。


 そして、極めつけは頭部を覆った手の平から感じられる魔力マナの濃密さ。


 気付いたときには地面に叩きつけられていた。


【――――Σ▪▪βΨ▪Ω⚠!!!】


 『ネームド』は床の擬態を解除し、己の周囲半径三メートルの糸を手指で手繰った。まるで、あやとりのように一本いっぽんを指の隙間に通し、残った片手を繊細に動かすことで、リハナの骨折した足首に巻き付かせた。


 一気に腕を引く。


 頭部を抑えていた手が退き、彼女の身体が糸に引っ張られていく。一旦、距離を置かせた。『ネームド』は糸で操りながら起き上がった。


 柱や外壁、階段や床でもいい。とにかく硬いものにぶつけまくって、その身体を物理的に動かせないまで破壊してやる。

 こいつは危険だ。好きに行動させてはいけない。そう判断した本能が、彼女を塵ひとつなく完膚なきまでに、命がないと客観的に判断できるまで殺す選択肢を取らせた。


 しかし、いいようにやられるほどリハナも素直ではない。いや、もはや彼女の意思が介入しているのかも怪しいのだが、とにかく彼女は、飛ばされながら携帯していたサバイバルナイフを取り出した。


 その間も壁や天井に思いっきり叩きつけられているのだが、まるで何も問題などないかのように己の行動を遂行していく。


 そして、手に取ったナイフで自身の足首に絡みつく糸を一太刀で切り離した。


 空中で体勢を整え、地面に着地したときには二本の足で何事もなかったかのように立っていた。


 右手でサバイバルナイフを、残った左手にはハンドガンが握られていた。一息つくいとまも与えず、矢継ぎ早に彼女はハンドガンで『ネームド』の瞳を撃ち抜こうと二発撃った。


 ハンドガンの威力では彼の機体を傷つけることはできない。それは先刻も確認できた実績だった。


 それでも嫌な予感がしたのは、本能的に死を感じ取ったとでもいうべきか。

 『ネームド』は糸先を左右に伸ばした。器用に指を動かし、その先に隠しておいた二匹の『ソルジャー』を引っ張ってきた。


 自分一人では対処できない場合や保険のために、こうした配下は巣のそこらじゅうに潜ませていた。『ソルジャー』は自分の意思がなく、本能に従うままに行動するのが常だが、『ネームド』のような上位互換存在には従事するようデータがインプットされていた。

 この場合、上位互換存在とは、命令できる権利を持った『マキナ』のことを言い、それを持っているのは、限られた知能を持つ『ネームド』とそれらを束ねる『頭脳ブレイン』のみ、と地球側は結論を出していた。何故、『ネームド』という一個体のみが命令できる権限を与えられているのかの研究は結論を出されていない。


 前回のように糸をコンクリートに擬態させるのではなく、『ソルジャー』を盾代わりにして攻撃を防ごうとしたのは、攻撃の効果を確かめようと思ったからだった。ハンドガンの威力は解っている。だが、胸騒ぎが止まらない。その真相を確かめなければ、下手に行動することもできない。


 秒速350メートルで突き進む二つの銃弾は、ピッタリと二匹の『ソルジャー』の瞳を貫くと、爆発を起こしたかのように二匹の機体を内側から弾けさせた。


 その際、魔力マナの気配を感じ取れた。


 『ネームド』は確信する。銃弾に『魔力マナ』が込められている……!

 単純な銃弾の威力だけなら問題ないが、『魔力マナ』で強化された銃弾となると、『ネームド』の強靭な装甲も貫くことができるだろう。恐らく、最初に腕を落としてきた一撃も銃によるものだろう。


 つまり、接近も遠距離も危険は少なからずある。


 ただ、ハンドガンには弾の制限がある分、遠距離のほうがこちらにも有利に働くかもしれない。


 そして、遠距離ならば、あちらの攻撃よりも、より高威力の攻撃手段をこちらは持ち合わせていた。


 だから、『ネームド』はまず、敵の迅速な接近を防ぐ一手を取ることにした。


 刹那――ロビーの全部から色を抜けた。

 壁も、床も、天井も、部屋の中にある家具や置物に至るまで粘着力のある高強度な繊維に変容していく。


 今ここに、『ネームド』の巣が完全に顕現した。


 周囲から魔力マナが漂い始める。糸は魔力マナを材料に作られる。先ほどは手指で直接糸の操作をしていたが、それは細かい動きと指向性を確定させるためであって、魔力マナが己の機体で流れ出たものである限り、任意で糸を動かすことが可能だった。


 完全にこちらの領域。


 しかし、糸を部屋から引き剥がすつもりはなかった。むしろ、糸を部屋中に張り巡らせておくことで対象の動きを封じるのが最大の目的だった。


 魔力マナで作られた糸の成分は、地球で言うところの液体に近い。

 見た目こそ液状でないものの、糸にくっつく原理はハチミツのような粘り気のある液体が分泌され、通常の粘着テープよりも強度の高い分子間力を引き起こす。そのため、糸の温度は空気に触れたかのように冷たい。その引力は時間が経過するごとに粘着力を高める。それこそ、蜘蛛の巣に囚われた哀れな蝶のように身動きが取れなくなってしまうのだ。


 わば、リハナ・アレクトルアはまな板の上で押さえられた魚に等しかった。


 接近は封じた。残る問題は拳銃による遠距離攻撃だ。


 『ネームド』の前腕が音を立てた。ガチャガチャ、と複雑にパーツが形を変え始めた。特に形を変えたのが手の平で、指先が中へ引っ込む代わりに、肘についていた突起が先まで移動し、拳だった部位がその突起に沿うようにして流線型な形へと余計なパーツを引っ込ませることで変形していく。全身を流れる魔力マナの線が、その突起へと集まるかのように流れを変える。


 『ネームド』――形態モードβ移行。


 通常モードは飽くまで魔力マナの消費を抑えた知能犯。巣や『ソルジャー』を使って獲物を貶め、自分は玉座の上で胡座あぐらを掻く。これは何も強者の余裕というわけではない。魔力マナを少しでも温存することによって活動停止を展延させる、役割上の効率的な最適化だ。


 だが、『マキナ』が殺戮機械である以上、当然ながらその通称に相応しい機能を備えていた。それが、大きな魔力マナを消費する代わりに強大な戦闘力をその身に宿す形態モードβ。これは、全身の基礎能力を安定させるための魔力の本流を、瞳の知覚を鋭意化させる終着点に送る分を割いて、発射大砲に傾向させることで一度に大量のエネルギーを放出する戦闘モードだった。


 ハンドガンなんかより威力を出力できるのは明らかだった。

 その上、ここは動きを制限された巣の中。彼女にこれを避ける方法は……ない!


 チャージを始める。魔力マナの流れが大砲に集中していく。青い線が段々と赤くなっていった。


 攻撃に転化する魔力マナの量は、使用者の加減によっていくらでも調節できる。もちろん、攻撃に偏れば瞳の機能は落ちる。


 『ネームド』は3対7で比重を置いた。

 過剰気味に集まる魔力マナにより大砲の温度が上がっていく。

 と同時に、青く発光している瞳が薄らいでいくのが解る。まるで、瞼を閉じてようとしているようにも見えた。今の状態では、目の前の視野に映る範囲しか知覚できないだろう。


 チャージ完了。

 魔力砲発射――――。


 変形した片手から熱の波動が飛び出した。火花散る電磁波を迸らせる。火薬や電力では再現できない、何もかもを焼き払う魔力の塊。


 こんなものを食らってしまえば、人体はおろかこの建物だって無事ではない済まない。

 もっとも、この空間は使用者が営巣しているので、魔力砲は糸の壁に霧散して建造物が破壊される心配はなかった。


 だとしても高威力なことには代わりなく、リハナは迫りくる死の光線に所在なく佇み――――


 横に跳んで、普通に避けた。


 『ネームド』が動揺するように反応した。

 彼女の足元には糸が広がっている。接着した糸から身体を離すのは至難の業だ。無理やり離せば肌が剥がれるし、ゆっくりと剥がすには時間がない。例え離れたとしても、次の地面に糸はあり、そのたび粘着力が発生するため、そんな俊敏な動きができるわけがなかった。何故、避けられたのか。


 その答えは、彼女の右手にあった。


 足を踏み出すその前に、足元に張り巡らされた糸をサバイバルナイフで切り落としていた。速さを封じられる糸のその根元を毟り取り、刃渡り15センチのナイフを休む間もなく振るい、自分の道を切り開いてく。


 それは早業。熟練の域を優に超えていた。


 『ネームド』は迅速に魔力マナの比重を6対4に調節した。瞳の機能を優先させ、移動するリハナを捕捉しながら、威力を代償にした代わりに連発可能な銃撃ショットで狙撃しようと試みる。


 しかし、それ以上の俊敏さを彼女は発揮していた。彼女がいる方向にショットを撃つ。すると、次の時点では既に五歩先を走っていた。


 知覚が追いつかない。

 何故、あそこまで早く走れる?

 ナイフで糸を切り落としながらのはずだ。

 糸だってそんな柔な強度ではない。

 にも拘らず、彼女はその手にかかる重さをものともせずに、速度をますます上げていた。

 ジグザグとした動きで縦横無尽に駆け回り、自分を狙ってくるエネルギーショットの間隙を縫うように躱していく。


 着実に縮まるその距離。

 まさに鬼神の如く――――


 このままではらちが明かない、と判断した『ネームド』は先刻の『魔力砲』の比重へと再調節する。


 先ほどのように長い溜めは作らない。

 発射し続けながら逃げ場を潰すように対象を追いかけ、確実に仕留める。


 その分、魔力マナの消費は激しい。

 最悪、使い切って自分は機能を停止させるかもしれない。

 だが、それでも構わない。そう思わせるほど、彼女は脅威になり得る。


 そう判断した『ネームド』は、片手の大砲から極太の高熱を発射させた。発射の反動で足裏が地面と擦れる。足腰に力を入れ、バランスを保ちながら、エネルギーの奔流に振り回されないよう一気に横一直線に凪いだ。


 彼女の身体が溶けるようにオレンジ色に染まるのが解った。上半身と下半身が切り離され、彼女の瞳が虚ろに滲み、切断された身体からは高熱で溶解されたからか血も噴き出さない。


 直撃した。後は絶命を待つのみ。


 そう勝利を確信したのも束の間――彼女の身体が、汚れを落としていくかのように白く変わり、形を崩し始める。


 それは、『ネームド』にとっても馴染み深い現象。

 リハナだった糸は外部からの刺激により、その形を保てなくなり、『魔力砲』の余波により跡形もなく消し飛んだ。


 擬態――――


 一瞬で事態を理解した『ネームド』は――ならば本物の彼女はどこだと首をまわす。瞳の機能に再度比重を置いた。


 気配は上からした。


 擬態していなかった柱と階段を伝い、敵が擬態に気を取られている間に、上空へといつの間にか移動していたリハナは、下にいる宿敵を静かに見下ろしていた。階段から跳躍し、『ネームド』の直上まで位置調整した彼女は、空中で両手を合わせるように伸ばしていた。


 その手中には、とある物が収まっている。

 それは、彼女が秘密兵器と呼んでいたマグナム銃だった。


 銃撃ショットを避けながら走りまわったのは、先刻にてやむを得ず手放したそれを拾うためだった。


 自分に向けられた小さな黒い空洞を見た瞬間、『ネームド』は己に及ぶ死を直感したが、もうとき既に遅かった。


 永遠のように長く感じる一瞬。


 マグナム銃から解き放たれた、その小さな銃口から考えられない広範囲に及ぶ魔力の波動は、『ネームド』の魔力マナの核を的確に撃ち抜いた。


 短く吹き飛ぶ一瞬だった。


 リハナは静かに着地する。


 『ネームド』の死亡が確定したことにより、ロビーを覆っていた糸が綻ぶかのように消えていく。形を失くしているこれらは、魔力マナとして眼に見えないものになり、この地球を漂うことになる。


「はあ……はあ……っ!」


 リハナは膝から崩れ落ちるように倒れ込んだ。電力で動いていた人形がその役目を終えたように。限界を迎えた。と同時に、彼女の身体から溢れていた魔力マナの気配が薄らいでいく。


 嵐が過ぎ去ったかのように静寂が場を支配した。




 数時間後


 どれだけ気を失っていたのだろう。


 リハナは折れた足を引きずりながら、ロビーを抜けて中庭を目指していた。

 正確には、その中庭にある植物庭園を目指していた。


「くっ……つうッッッ!!」


 歩くたびに金槌で叩かられるような鈍い痛みが響く。


「な、にが……あったの……?」


 彼女が目覚めたときには、もう何も残っていなかった。

 ロビーから魔力マナの気配は消え、『ネームド』の頭部のない亡骸だけが転がっていた。


 何も覚えていなかった。


 ――なんか起きたら、起きる前よりも身体中が凄い痛いし……。

 ――知らないところまで傷がついてるし。


 自分は負けた。死んだ。そう思っていただけに、頭に広がる混乱は到底形容しきれないものだった。


 ――誰かが助けてくれた?

 ――一体誰が……?


 ロビーはさほど荒々しい形跡は残っていなかった。擬態していなかった柱が倒れていたぐらいで、そこで何か行われていたのか考察する余地もなかった。


 何も解らず、唯一解ったのは、自分は生き残ることができたということ。


 ――なら、まだ頑張らないと……。


「とにかく、神宮寺さんが達がいる植物庭園に……!」


 『ネームド』が消えたことにより、奴の魔力マナで練られた巣は消滅したはずだ。擬態中は魔力マナを感じ取りづらいので、そこは憶測にしかならなかったが、魔法の使用者が壊れても続く事例は一度もなかった。


 だが、危険が完全に消えたとは言えない。巣には働きアリの役割を担う『ソルジャー』がまだ残っているはずだからだ。


 つまり、神宮寺達は未だに安全とは言えない。

 絶対に助けなければならない、とリハナは自分に強く訴えた。


「痛みがなんだ! 早く……中庭に……!」


 ロビーの奥に繋がる廊下を渡り、建物の裏側に広がるスペースを抜けた。別校舎に移動するために外を出て、舗装された道から外れて右に曲がると、中庭に到達することができる。


 彼女はその曲がり角に差し掛かる直前だった。

 果てしない時間のように思え、実は十分もかからない短い距離。

 身体中から悲鳴が上がるのを無視し、気合と根性のみでその身を立たせていた。


 耳を動かし、索敵を図る。……反応はない。

 とはいえ、油断はできない。彼女はハンドガンを両手で携え、足に響く鈍痛を我慢しながら、一気に曲がり角から飛び出して中庭に向けて銃口を向けた。


 そこには予想だにしない光景が広がっていた。


「…………え?」


 彼女が思い描いていた光景は、数多の『ソルジャー』が庭園を覆っている、まさに餌に群がる虫の図だった。穴から落とされる直前の光景が、それに近かったからだ。

 今の自分にどこまでその大群を相手取ることができるか、自信はなかったが、自信の有無で向かう向かわないの選択肢を思考するなどもっての他だった。

 あれだけの数がいて、取り残された民間人が生きているわけがない。そう判じることも確かにできたろう。しかし、そうして諦めてしまうのは彼女の理念、いては生き残った責任にも背いてしまうことになる。

 やれることはやり切るのが、彼女の根幹なのだから。


 しかし、そんな彼女を待っていたのは、想像していた身の毛もよだつ光景よりも、より渾沌と異様が極めるものだった。


 まず眼に入ったのが、『ソルジャー』の亡骸だった。

 中庭の至るところに亡骸が転がっている。二つの校舎の間に作られたその空間は、決して広いとは言えず、先ほど立ち寄った桜丘公園になから半尺だけ付いてきたぐらいのスペースで、そこに植物庭園を設置するものだからより一層せせこましい印象を強く与えていた。

 そして、問題の植物庭園は、庭園を覆っていたドーム状のガラス板がすべて砕けていた。背の高いヤシの木を囲っていたアレが、ひとつ残らず、だった。その破片は転がっている亡骸にいくつか刺さっていた。

 さらに眼を惹くのが、外部との遮断壁を失った植物たちの異様な形だった。まるで、強靭な針金が人の力で無理やり折り曲げられたかのように、奇妙な方向に曲がりくねっていたり、樹木は幹の上から途中で消失していたり、背の高い草木は渦巻き状に変形していた。時空が歪められ、その被災地にあった物質が総じて歪められた。そのような印象もあった。


「なに、これ……」いずれも自然現象でどうにかなるものではなかった。


 だか悲しきことに、リハナの理解が追いつく前に事態はどんどんと流転していく。


 上空から大きな機械音が聞こえてきた。


 新手か、と身構えるリハナだったが、空を見上げると、敵ではなく地球が開発したヘリコプターのプロペラ音だと解った。


 ヘリが中庭に到着すると同時に、彼女の背後から数人の人影が姿を現した。それだけではない、中庭に繋がる扉、建物の窓からも同じ格好をした人々が突入してきた。


 リハナが知覚できなかったということは、彼らは潜んでいたのではなく、走ってその場に間に合わせてきたのだろう。


 服装は揃って肌を隠し、装備は彼女に似たように短機関銃サブマシンガンやハンドガンを携帯していた。


「自衛隊……!?」馴染みのある見た目から、リハナは彼らの正体をすぐに見抜いた。


 有陣大学に突入した自衛隊員達は、驚くリハナを横目に植物庭園の中心地を目指していた。そして、所定の位置に着いたのか、足を止めると持っていた短機関銃サブマシンガンを同じ方向に向けたまま動かなくなる。


 ――なんでこの場に自衛隊の皆さんが……?

 ――いや、この際それは問題じゃない。


 有陣大学が『マキナ』に占拠されていた以上、その事実が発覚したときには、部隊のいずれかが鎮圧に向かう必要性が出てくる。


 ――問題なのは、なんで皆さんは銃口を向けているだけなの?


 そこにいるのが『マキナ』であるのならば、銃で包囲するまでもなく始末するのが最適である。奴らに生かす価値はない。この観念は何もリハナに限定するものではないのだから。


 しかし、そうではなく照準を定めるだけ。すなわちそれは、膠着状態を選ぶこと。銃口の先にいるのは、話が通じるか、殺処分するに値しない対象ということだった。


 ――一体、誰が……。


 リハナは、立っていた位置では死角になっていた植物庭園の中心地を見ようと少し身を乗り出した。


 恐らく、そこにいるのは、『ソルジャー』を一網打尽にした未確認の物体なのだろう。

 草木を異様にねじ曲げ、こんなにたくさんの自衛隊が出動するほどの存在。


 ――もしかして、『ネームド』もそいつが倒してくれたの……?


 強大な存在、ということで真っ先に思い浮かんだのは、『シークヴァニア連邦』の兵団だった。彼らは六神世界の中でも高い戦闘力を誇っている。使う魔法も身体能力も桁違いだった。


 しかし、彼らは地球と支援関係にはない。『異神五世界平和条約』こそ結んでいるものの、それまでは地球の魔力マナを狙う侵略者側だった。


 ――『フーバ皇国』は争いを好まないらしいし、『コーリアス』は秘匿情報が多すぎて解らない。


 まさか『派遣ビーファ』の誰かが包囲されるとは思えず、答えに行き着くことができない悶々とした感情を抱えながら、リハナは中心地に立つ存在をその眼に映した。


 それは、彼女にとっても記憶に新しい人物だった。


「え……」またもや頭に混乱が広がる。「神宮寺さん……?」


 自衛隊に包囲され、下手な行動を取ればいつでも銃弾の餌食を受ける位置に立つ存在は、見間違えようもなくあの神宮寺じんぐうじ玲旺れおだった。


 彼は面白くもなさそうに自衛隊員達を見渡していた。四方八方、二階や三階の窓からも、短機関銃サブマシンガンの銃口が空間を埋め尽くしている。今、誰よりも死地にいるはずの彼は、まるでつまらない番組を眺めているかのような眼で様子見をしている雰囲気だった。


『速やかに投降してください!』そこで、ヘリコプターから声が聞こえた。『貴方は包囲されています。下手な行動を取らず、大人しくこちらの指示に従ってください』


 毅然と立ち振る舞ってはいるが、その声色に隠された不安と緊張感が、リハナには見て取るように聞き取れた。

 幾年に渡り『マキナ』のような超常的存在を戦ってきた彼らが、一人の青年に対してこれ以上にないほどの恐怖を抱いていた。


『私達は貴方と争いたいわけではありません。大人しく投降してもらえば、貴方の要望を可能な限り叶えましょう』


 交渉にしたっておかしな言い分だった。立ちこもる銀行員を相手にしても、ここまで下手に出ることはない。これではまるで、戦争相手に土下座までして降伏を示しているようなものだった。


『こちらの指示に従うようお願いします――【禁忌の人物史アカシックエラー】!』


 神宮寺玲旺はおちゃらけたように肩を竦めた。

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