第 33 話 清濁


「それが俺の美点だからな」

「どの口が言うんですか?」


 自信満々に胸を張る神宮寺じんぐうじを、欝河うつかわ未月空みるくは冷ややかにあしらう。リハナの割り込みを阻止し、相手から本音を引き出そうとした神宮寺のやり方に同調した彼女だったが、それを踏ん反り返って誇示するのでは話が変わってくる。


「なんですか、最後のリピートアフターミーは。ライブのコールアンドレスポンスじゃないんだから」


「なかなか良かっただろ? アイツは元々、声だけだと怒ってるのか解りづらかったし、ちゃんと感情的になっている証拠にもなった」


「だからって、あの茶番じみたやり取りは……」欝河未月空は気まずそうに視線を、クレハと繋がっているスマホと対峙するリハナに、移した。「彼女も微妙な反応をしていましたし」


「まあ、いいじゃねえか」神宮寺も同じ方向に眼を向け、目尻に皺を寄せながら言った。「こうして上手くいったんだからな」




 二人の会話も、そして二人に見守られている状況にも気付かぬぐらい、リハナは目の前のスマホに意識を集中させていた。厳密には、そのスマホと着信が繋がっている遠隔にあるスマホを耳に当てた、憧れの先輩に、だが。


「クレハさん」とそこでリハナは言葉を閉ざした。なんと声をかけるべきか、解らなかった。クレハさんですよね? と何も考えなければ、そんな無意味なことを問いかけてしまいそうだった。


 彼女の脳裏に浮かんだのは、広大な砂漠の世界だった。見渡す限り、砂の山。日照りがじんじんと地面を熱し、熱により空気が揺らめいている。荒涼とした世界だった。北も南も解らず、宛もなく彷徨い歩いていたところ、遠目に青く眩しい色が見えた。オアシスだ。しかし、あれは本当に現実のものなのだろうか。よく見てみると、足元や四方を埋め尽くす、岩石を粉状にした黄色い物質が発す揺らぎと同じく不安定ではないか。オアシスを求めるあまりに乾いた心が見せる幻。その可能性だって充分にある。真か嘘か解らないオアシスとは、まさにリハナにとってのクレハそのものと言えるだろう。


『……いたんだね』クレハは静かに言った。


「はい」


『もしかして、全部聞いてた?』


「……はい」


『……なんだろう。思ったよりも恥ずかしくないもんだね。素直な気持ちを知られる、っていうのは』クレハには、戸惑いも騙された怒りもなかった。静と動で言えば、間違いなく『静』に分類される彼女の声色は、少し清々しそうでもあった。『別に、隠してるつもりでもなかったけど。あ、そうだ。リハナは、もう怪我は大丈夫?』


「怪我?」


『手加減もしたし、なるべく傷つけないように注意したつもりだったけど、最後は手荒に気絶させるしかなかった。アイーシャも、そのことは悔やんでる。私が代わりに謝るよ。ごめんね』


「怪我なら気にしないでください。私はなんともありませんし……傷が治るのは早いですから」


『そっか。そうだったね』


 そこで二人の会話が途切れた。静寂が空間を包む。いつの間にか、神宮寺と欝河未月空の姿が消えていることに、リハナは気が付いた。


「あの作戦の後」リハナは口を開いた。繊細なガラス製品に触れるような、恐るおそるといった調子だった。「皆さんがそんなことを考えていたなんて思いもよらなかったです。ビックリしました」


『ビックリしました、程度で済んだのなら精神的にも問題なさそうだね』


 先程まで絶賛陰鬱とさせている状態だったが、それを言っても湿っぽさが蔓延するだけに思えた。


「どうして、地球の皆さんと敵対しようと思い立ったんですか」リハナは直球に訊ねることにした。「派遣ビーファに就いた時点から計画してた、というわけではないですよね?」


『別に。ちょっと疲れただけだよ』


「疲れただけで、最強と評判の『禁忌の人物史アカシックエラー』に挑もうと思いますかね」


『でも、リハナだって思ったことはあるでしょ。地球人の人達は、【獣人デュミオン】に当たりが強い。全員が、とは言わないけど、そういう人達は一定数いる。休日に出かけるときはいつも耳や尻尾を隠して、もしも見られでもしたら、奇異な視線に晒されるのは避けられない。そんな経験を、リハナもしたことはあるよね?』


「それは……まあ、はい……」


『私達は、そんな生活に疲れた。それだけだよ』


 本当に? とリハナは疑わしく思った。本当にそれだけの気持ちで、地球を敵にまわすような危ない橋を渡る行為を仕出かすだろうか。


 クレハの言うことに理解ができないわけではない。

 それは、地球に駐屯する『獣人デュミオン』にとって宿命とも呼ぶべき事柄ではあった。

 地球人、といっても真にその被害を受けているのは『世界の扉ミラージュゲート』が顕現した日本に住む国民が大多数であり、海外の国々が異世界から大きな被害を受けたことは記録的に見ても滅多になかった。『派遣ビーファ』の隊員たちが海外旅行を許可されているわけでもないので、クレハ達の言う地球人とは、殆どが日本人のことを指していた。

 そんな日本人にしたって、『異神世界』のことを一から百まで理解しているとは言い難い。彼らにとっての異世界とは、自身の平和な生活を脅かす『マキナ』とイコールで結ばれている。そして、そういった印象を抱える者達に、未知を多く含んだ異世界人の分類や区別をつけさせる所業は酷な話とも言えた。


 リハナも、頭から生えた耳や腰から伸びた尻尾を理由に、妙な偏見や酷い差別を受けたことがある。もちろん、全員がそうではない。しかし、どうしても暗い感情をより享受してしまうのは、人類に限った話ではなく、理性ある生物に共通した生態のようなものだった。


 ただ、それを加味しても、『禁忌の人物史アカシックエラー』を倒してまでこの地球を支配しようと思い立つとはどうしても考え難い。


「それが理由なら、今までだって裏切るタイミングはあったと思います。……理由は、他にあるんじゃないですか?」


『…………』クレハは答えない。答えるべきか考えている、そういった素振りかも判断がつかない。『ねえ、リハナ』と口に出したものの、次に言ったのはリハナの求める答えではなく、『今さら言うのもなんだけど、よかったら一緒に戦ってくれないかな?』と言ってきた。


「……それって私にも、地球の皆さんを裏切れ、と言ってるんですか?」


『そういうことになるね』確認するように疑問を返してくるリハナに、クレハは澄んだ声で肯定した。『君を置いていった後、改めて思ったんだ。やっぱり、マーダー小隊は四人揃ったほうが本領を発揮できる、って』


「私は皆さんのように強くはないですけど」


『今は魔力マナも私達にも負けないぐらいだと思うけど。まあ、それを無しにしても、私は、リハナはマーダー小隊に必要だと思ってるよ』


「どうして、そこまで私のことを……」


『リハナは自分で思ってるよりも重要な役割を果たしているよ。その人並み外れた聴覚もそうだけど、何より君の魅力は――他人を尊ぶことができることだよ』


「他人を、尊ぶ……」


『リハナの他人を思いやる気持ち、その情熱は、みんなが持ち合わせられるようなものじゃない。君だけの武器だと思う。しかも、限界のない武器だ。それを捨てない限り、君はいくらでも強くなれる。それこそ、【禁忌の人物史アカシックエラー】に打ち勝つことだって、絵空事とは言えないほどに』


 買い被りだ、という思いはあった。しかし、この場面でそれを言うのは適しているのか、リハナは考えてしまった。


『どうかな?』クレハはリハナの答えを待った。


 リハナはクレハの言葉を聞きながら、自分はあまり動揺したり、または喜びを見出したりしていないことに気が付いた。一緒に戦ってくれないか。その文言は、今まで自分を悩ませていた根源と言ってもよかった。自分は、クレハ達に置いていかれたことがショックだった。それを認めていた。そして、ついに面と向かって、ではないにしても一対一のこの盤面で言われた、待ちに待った言葉。そのはずだった。だが、思いの外、リハナはその言葉を魅力的に感じなかった。また、その言葉に惹かれない自分に違和感を覚えなかった。


 そのはずだ。

 彼女の中で、その答えが、二つもなかったのだから。


「せっかくの申し出ですけど、お断りします」リハナはきっぱりと言った。


 自分が求めていたのは、信じていた仲間と地球を脅かすことではない。

 しかし、たとえ道は違えど、かつての仲間との繋がりは、過去は、拒絶されたくなかった。そういうことだった。


『……知ってた』醜く粘ることも、断ったリハナを軽蔑もすることせず、クレハは淡々と受け止めた。




 神宮寺と欝河未月空が再び入室したとき、リハナはただ静かに眼をつぶっていた。


 彼女の前に置かれたスマホは、塗り潰されたキャンパスのように真っ暗な光景を映し出しているだけだった。


 立っている位置こそ、部屋を出て行くときと変わっていなかったが、神宮寺には解った。そこに佇む彼女は、かつての苦悩した彼女ではないことに。閉じこもっていた殻から飛び立とうとしている、巣立つ覚悟を決めた雛鳥と同じ卓越した魂を燃え上がらせていた。


「迷いは脱したか?」神宮寺は問いかけた。


「……クレハさんに誘われた」リハナは口を開いた。「一緒に戦ってくれないか、と」


「そうか。?」


「私は、クレハさん達のやっていることは正しいとは思っていません。けど、あの人達を敵とも思えません。きっと、あの人達にはあの人達の、今でしか駄目な、譲れない思いを糧に今回のことを決断したんでしょう」


 こうして、改めて話し合ってみて、リハナは思った。やはり、自分はクレハ達のことを何も知らない。知ろうとしてなかった、と。自分が見つめるクレハ達の姿は、いつも輝いていた。新兵時代から憧れていた、あの希望の光を纏う姿だけをその眼に映してきた。映そうとした。望んでいた。拒絶していたのは、寧ろ自分だったのだ。


「私はあの人達の思いを知りたい」真実から背けていたツケを払うときがきた、とそう思った。「そして、その上で、私はあの人達の行為をなんとしてでも止めたい所存です」


「そうか」神宮寺は不敵な笑みを浮かべた。「気合バッチリみたいだな」


「あ、でもひとつだけ言ってもいいですか?」


「なんだよ?」


 リハナは大きく息を吸い込んだ。そして、口元を両手で包んで筒のような形を作った。声がよく通るための工夫だ。「私も地球人は面倒くさいと思ってますよー‼」とどこにいるかも解らないかつての仲間達に届ける勢いで叫んだ。




「リハナもやっぱり、地球人のことは少なからず辟易へきえきとしていたみたいだよ」着信を切った後、クレハはスマホを仕舞いながら、そう言った。


「まあ、そうだよねぇ」と応じたのは、今までクレハの電話を眺めていたミデアだった。「あの威圧感を感じない『獣人デュミオン』のほうがよっぽど珍しくて、幸せ者だと思うよぉ」


「私達の行いは無駄だったのかな?」


「いや、それとこれとは話は別じゃなあい?」


 ショッピングモールを思わせる広い空間に、彼女達はいた。民間人は避難済みで、人の気配は微塵もない。様々な店舗が所狭しと展開していたが、とりわけ彼女達がいる階層には洋服屋が多かった。エスカレーター近くのベンチに腰を下ろし、スマホから政府に連絡を施し、たった今それが終わったところだった。


「話は終わったのか」安いことで有名なアパレルショップから歩いてきたのは、アイーシャだった。


 彼女達は特段オシャレに興味があるわけではなかったが、今は『派遣ビーファ』の制服ではなく、無人の洋服屋から服を頂戴し、それを着込んでいた。動かしやすさを重視した、機能性を優先したコーデなのは共通しているものの、みながそれぞれ系統の違う服装をしていることは、彼女達の好みが反映されているのだろう。


 クレハは黒いブルゾンと下はジーパンで、どことなくスタイリッシュさを意識していた。ここを根城にしていた直後は、キャップ選びに時間をかけそうになっていたので、ファッションに身をやつすことは嫌いではないのかもしれない。

 アイーシャは袖のないシャツの上にデニムのジャケットを羽織っていた。少し肌寒いこの季節にも拘らず、下は短パンで引き締まった脚部を隠そうともしていなかった。

 その中で言えば、ミデアは一番オシャレに鈍感かもしれない。少しダボダボのパーカーを着込む姿は暖を取っているように見え、パンツも生地の厚いものを選んでいるようだった。色合いも、上が派手な赤と下が地味な緑で、調和が取れているとは言い難い。


「首相さんは?」クレハはアイーシャに訊ねた。誘拐した首相は彼女に監視させていた。


「気絶していたからったらかした」


「あ、いけないんだぁ。職務の放棄だぁ」


「起きたところで、どうせ縛り付けてるんだし、一人じゃ逃げられやしねえよ」アイーシャは肩を竦めた。


「アイーシャは勝てると思う?」クレハは質問を重ねた。


「勝てる、って誰にだよ」


「決まってる。『禁忌の人物史アカシックエラー』に」


「なんだ、今さら怖気づいたのか?」と意地の悪い笑みをぶつけてくる。「言っておくが、オレは全然怖くねえぞ。寧ろ、戦えることを楽しみにしてるぐらいだよ」


 そう言う彼女に、本当に臆したような様子は見られなかった。いずれ起こる運命を受け止める覚悟ができているかのようで、彼女の姿は頼もしく映った。


「私だって、怖くない」

「ちょっと、拗ねてないか」

「そんなことない」


「実際、どれくらい強いんだろうねぇ、彼」ミデアはのんびりと言った。こちらも、アイーシャとは違う意味で、気後れや緊張した様子はなかった。


「彼一人だけで、『異神世界』の全部が大人しくなるぐらい」

「そうは言われても、規模が大きすぎて実感がないよねぇ」

「関係ねえだろ、強さなんて。誰が相手だろうと、戦うだけだ」

「そうだけど、やっぱり基準みたいなのは知りたいじゃない。作戦を立てるためにも、ね」ミデアはマイペースに言いながらも、神宮寺との勝負を見据えた発言を徹底していた。何も、彼女達は負けるつもりで今回の騒動を引き起こしたわけではないのだから。


「基準、になるかは解らないけど」クレハは聞き及んでいた『禁忌の人物史アカシックエラー』の情報を開示する。「でも、よく言われるのは、私達の世界で言う、『剣聖ラーケイド』のような存在、だということ」


「剣聖ラーケイドかぁ」ミデアは遠く見える山の頂上を眺めたかのような声を出した。


「単純に考えれば、私達が束になって、剣聖に打ち勝てるかどうか」


「無理だろうなぁ」


「無理かどうかじゃねえ。やるしかねえんだ」アイーシャは弱気になりそうなミデアに発破をかけるつもりで言った。


「いやいや、私だって解ってるよ、そりゃ。だからこそ、手段も選ぶつもりないし」


「作戦はやっぱり、事前に決めた通りにするつもり」クレハが取り仕切るように言った。「絶対に、負けられない。だから、何と言われようとも、この作戦は決行する」


「じゃあ、彼を呼びつける場所も」


「リハナに伝えておくよう頼んでおいた」クレハは頷いた。ここまで予定通りだった。リハナがあの場にいたことは予定外だったが、そのことを伝えたとき、多少なりとも驚きはあったようだが、ちゃんと伝えてくれはいるだろう、という確証はあった。「決行は、今日の18時。『禁忌の人物史アカシックエラー』と対決する場所は、ここ――渋谷ヒカリエに決まった」


 勝っても負けても、ここが人生の分かれ道。自分達の未来を、決定的に変える、あるいは決着がつくとも言えるその場所の名前を口にしたとき、彼女達が浮かべたのは悲嘆ではなく、待っていた食事が姿を現すような胎動を起こす前の武者震いだった。


 さあ、誰にとっても運命が変わる交差点――最後の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る