第 11 話 リハナ・アレクトルアという少女


 私は子供が大好きだ。


 物事を単純に捉え、深読みや勘繰りをせずにあるがままを受け入れるあの純粋さには、見習うところがあると思うし尊敬に値する。

 感情を素直に吐き出し、言いたいことをズバズバと言う。時に無神経なことを言うこともあるけれど、それも笑って許せる愛嬌に満ちている。


 それは、私がまだ『派遣ビーファ』に着任してから一年も経っていない頃のこと。

 幼少期から、人を助けたい、誰かの役に立ちたい、と漠然と思っていた私だったが、そのときの私は正直に打ち明けると、少しワクワクしていた気持ちもあった。


 異世界の存在が公然となってから十数年が経つものの、それらの情報が一般に流布るふされることは少なく、一兵卒だった私にとっても謎に満ち溢れていて、一般公開認可済みの情報を聞く度に憧れは強くなった。

 私の両親は上流階級の界隈でも指折りの名家であり、その立場を使えば秘匿された情報を知ることもやろうと思えばできたが、せっかくのロマンを権力で握り潰すような仕打ちを実行する気になれなかった。


 だから、『派遣ビーファ』に志願したのは、もちろん地球の人達を助けたい気持ちもあったけど、異世界に対する好奇心がなかったかと言えば嘘になる。


 未知の文化、文明、環境、食事――想像すればするほど期待に胸が踊った。


 実際、地球には私を楽しませるものがいっぱいあった。特に私を夢中にさせたのが、日本の玩具だった。

 けん玉、独楽、あやとり、折り紙、といった日本発祥の娯楽だ。今だとかなり古風なほうに入るらしいけど、私はそれが一番楽しいと思えた。ゲーム、っていうのもやってみたけど、操作方法が難しくてできなかった。


 こういった遊びは現代では少数マイノリティらしいけど、それでも一緒に遊んでくれる子供は確かにいた。


「よし! 俺の勝ち!」


 広大な田園が豊かさを運んでいる千葉の端っこ。辺境というほどインフラが滞っているわけではなく、スマホもコンビニも普通に普及している土地で、私は小学低学年くらいの子供達と玩具で遊ぶのがプライベートの日課となっていた。

 『派遣ビーファ』の獣人デュミオン達は政府から公認されて日本に住むことを許されている。休日には街中に出かけることももちろん可能だ。マーダー小隊の皆さんは都心部で買い物するのが好きみたいだけど、私は人の少ない静かな場所で過ごすほうが性に合っていた。


 それは、まだ私が、それが生来の性格なことは確かだった。


「リハナねえのメンコ裏返ったから、これはもう俺のな! いいよな?」


「うん、いいよ。約束通り、そのメンコは力也くんにあげる」


 やったー、と喜ぶ力也くんの顔が眩しかった。


「ちぇー。僕も欲しかったなあ。仮面ライダーのメンコ」人志くんが唇を尖らせた。


「ねえねえ、リハナ姉」茅子ちゃんが私の腕に抱き付いてきた。「私もリハナ姉のメンコ欲しい!」


「あ、ズルいぞ茅子。そんなに欲しいならちゃんとリハナ姉と勝負しろよ」


「私は力也と違ってアマノジャクじゃないから。好きな人からは素直に貰うもん」


「なっ……べ、別に好きとかじゃねえし……!」


「ふふ」子供達のやり取りは微笑ましかった。儀礼や接待という概念がはなからない遠慮のなさが、暖かな陽光に氷が徐々に溶け出すような心地よさを感じた。


 子供達の笑顔が大好きだった。この子達から笑顔が消えるのは嫌だなと思った。だから、仕事も頑張ろうと思えた。


 その思いをかてに、もしかしたら『マキナ』にだって勝てちゃうんじゃないか、と本気で信じることさえできた────。




 背後から忍び寄ってきた糸が、何本も重なって束を作り、リハナの足首にぐるぐると巻きついた。


 刹那、視界が激しくブレる。


 篠原亜子が受けた仕打ちと同じ要領だった。足首を引っ張られた彼女は空中を舞った。ブンブンと、まるで我武者羅がむしゃらに人形を振り回す子供のように。ぶつかってくる空気が固い岩石のようだった。抵抗しようにも高速で目まぐるしくまわる身体では思うように動かせず、されるがまましばらく激しい回游かいゆうを強制されていたが、間隔的に立つ大きな柱に叩きつけられたことで苦痛を強いられる旅行は終わりを告げた。


「カハっ……!!」背中からぶつかったリハナは、その衝撃で肺から空気が追い出され、口から大量の血が吐き出した。


 そして、そのまま三階分の高さから力なく落下した。


 その際にも頭を腕で守ったり、致命傷だけはなんとか避けて難を逃れることができたが、今の一撃だけで身体はボロボロだった。いくつの骨にヒビが入っているのかも解らない。


 ――分の悪い勝負なのは解ってた。

 ――身体に備わったスペックがまるで違う。

 ――基礎能力もそうだけど、なんといっても『魔力マナ』の量……!


 魔力マナは永久的ではない。

 体内に流れるもそうだが、現実に流れ出たもの――『魔法』も例外ではない。

 例えば、炎の球を発射できる魔法があったとして、放った後もずっと炎の球が現実に残存できるわけではない。ある一定の距離、時間が経てば徐々に勢いは落ち、その形状を保つことは難しくなる。


 『ネームド』の魔力マナで作られた糸も、当然ながらその法則からは逃れられない。さらにその糸で作った巣も、いつまでもその姿を維持するわけではない。いずれは崩れて元の光景が戻ってくるのだ。


 ただ、当然そうなるのを長引かせるために作成に工夫を入れる。そうした手順の末に完成された形こそが『魔法』なのだ。


 生まれもって『魔力マナ』が少ないリハナには、魔法を使うことができなかった。


 ――落ち着け、私。

 ――自暴自棄になったらダメだ。

 ――奴は強い。

 ――だけど、あのとき戦った喋る個体と比べたら断然マシだ。


 痛みと焦りでまばらになろうとしていた思考をかき集め、『ネームド』に勝利する方法、未来を手早く構想する。


 ――私が奴が万が一にでも勝つことができるとしたら。

 ――やっぱり、あの瞳を狙うしかない。

 ――このマグナムをゼロ距離で撃つ。

 ――それしかない。


 それすら通用するか怪しいものだった。それほどの格上。絶望的な差。だが、それ以外の勝つビジョンが思い浮かばなかった。


 リハナは短機関銃を腰に提げ戻し、ホルスターに入れていたマグナム銃を手に取る。姿勢を低くし、駆け出す準備を整えた。瞳を狙うにもまずは、相手の懐に入り込まなければならない。


 しかし、彼女が近付くまでもなく、『ネームド』のほうが突っ込んできた。先の攻防で戦力差を把握したのか、己の肉体で真っ向から挑んできた。


 実際、『ネームド』の魔力マナによる基礎能力の強化は凄まじいもので、彼女はおろかコンクリートの壁程度なら貫いてしまえるだろう。


 ただでさえボロボロの身体に、その一撃を食らってしまえば瀕死では済まないかもしれない。


 そうと解りながらも、彼女は動かなかった。

 それどころか、迫ってくる『ネームド』に対し、正面切って立ち向かうことを選んだ。


 『マキナ』に感情があるのか解らないが、埋められない戦力差を把握していた『ネームド』は躊躇いなく拳を握った。


 彼女の背後で眩しい光が発されたのは、そのときだった。


【――ΩΣ?▪!】


 『ネームド』は動かしていた足を止め、膨張するその輝きに対して身構えた。


 それは、魔力マナを通して敵や地形を捉える奴らの欠点。弱点であり五感の役割を担っている『魔力の核』は、見た目こそ瞳を思わせるが、その実は視覚機能が備わっているわけではない。蚊が呼吸の熱を感じ取るようなメカニズムが介在しているのだ。そして、その認識は、誰彼の姿形を正確に区別できるわけではなく、この刺激の強い光を攻撃と誤認して動きを止めたのだ。


 リハナは走り出す前に、その場にある物を落としておいた。


 それが光の正体だった。


 これで目眩ましになるとは思えなかったが、策もなしに突っ込んだところで無駄死することは解っていたので、ダメ元で使ってみた。


 殺傷力はないものの、非殺生を重んじている日本では銃よりも採用率が高いかもしれない、鎮圧用の兵器。


 閃光手榴弾スタングレネード――――


「っ……!」


 リハナは眼を閉じてフラッシュを回避していた。暫く閃光は続くのだが、だからこそ警戒して何もしてこない『ネームド』に攻撃を加えるのなら、今しかなかった。


 視覚という重要な索敵手段を失ったものの、彼女の大きな耳は『ネームド』の正確な位置を教えてくれていた。


 危険を冒す行為なのは承知の上。こうでもしなければ一矢も報えない。


 眼を瞑りながらマグナムの銃口を、耳が示す方向に向け、瞳のある角度を意識しながら撃った。


 当たった――という感触はなかった。


 やがて閃光手榴弾スタングレネードの効果が消え、銃の乾いた発砲音だけが木霊する中、ゆっくりとリハナは眼を開いた。


 目の前には壁があった。

 いや、厳密には壁ではない。マグナムの銃弾で削れた辺りから、その性質を変容させ、シルクのような滑らかさでありながら幽霊屋敷のようなおどろおどろしさを醸し出す繊維が顔を出した。


 ――『ネームド』の糸!

 ――ロビーの壁に擬態させて銃撃を防がれた……!


 そして、その色味のないカーテンの奥には、絶好のチャンスの機会を得た強者の笑みが――――


「――――!」リハナは咄嗟にマグナム銃を落とし、腰に提げていた面積の広い短機関銃サブマシンガンに持ち直し、それを身体の前に出した。


 無駄のない見事な手際のよさだったが、邪血暴虐な蹂躙者はそんな秀才の抵抗を嘲笑うかの如く、一切の業を感じない無骨な正拳がその銃身ごと貫く。


 飛び散る破片。

 お腹に伝わる衝撃。

 臓器、神経、骨格――全身が揺さぶられたかのような眩暈と気持ち悪さ。そして、一瞬の暗転。閉じようとする瞼に必死に抵抗しようと歯を食いしばった。


 このまま気を失えば、それこそゲームオーバーだ。


 そんな理性と本能がせめぎ合いに囚われようとしている彼女だったが、そんな無防備にも程がある機会を易易やすやすと見逃すような敵ではない。


 『ネームド』の放った蹴りが彼女の右肩を襲った。

 明らかに普通のキックではなかった。魔力マナにより強化された果てしない膂力。


 骨の軋む音が聞こえたような気がした。


 横から車が衝突してきたような強打に、リハナは何度も地面に打ち付けられ、転がるように20メートル以上の距離を吹き飛ばされた。

 生徒の転倒を防止するために滑り止めが塗られているのが、余計に彼女の肌を擦り傷程度では済まない深さへ誘った。

 しかし、それは頭の損傷を免れるように腕で守ったことも作用しているだろう。


 勢いを失った彼女はなんとか立ち上がる。


 手にはバラバラになった短機関銃サブマシンガンのグリップが握られたままだった。その場に捨てる。

 当たりどころがよかった。腹部と拳の間に銃身を挟み、衝撃を幾分か和らげたし、蹴りにしても骨の固い肩甲部に当たった。


 だが、その分……失ったものも大きかった。


 ――マグナム銃を手放しちゃった。

 ――残ったのはハンドガンとナイフぐらいか。


 閃光手榴弾スタングレネードはもうひとつ残っているが、同じ手が通用する保証はない。


 打ちひしがれてもおかしくない絶望的な状況に、『ネームド』はさらに追い込みを仕掛ける。


 奴の大きな尻尾の先から糸が発射された。その出された糸を掴み、まるで綱引きでもするかのような持ち方で、彼女に向かって思いっきり投擲してきた。

 漁業で魚をいっぺんに捕まえる投網を打つような投げ方。広範囲に行き渡るように投げられた糸は、放射状に伸びる途中で、形をより立体的かつ四角や三角でもない凸凹なコンクリートの欠片へと擬態させた。


 降り注ぐ瓦礫の雨に眼を瞠りながらも、リハナはその間隙を死物狂いで見極め、頬に掠めたりと危ない場面もあったものの、なんとか致命傷を避けることができた。


 彼女は避けながらもハンドガンを相手に向かって発砲してみたが、走りながらでは狙いも定まらず、腕や胴体に弾かれる虚しい音を叩くだけだった。


 『ネームド』の攻撃は止まらない。今度は糸を長い棒状に束ねてから水平に薙いできた。その高さはリハナの胸辺りに固定されていて、跳躍による回避が難しいと判断した彼女は、迫る直前に上体を反り返すことによって素通りしてくれるのを待った。


 しかし、そんな儚い期待も虚しく、糸は彼女の頭上に到着した途端、しなりを見せながらその場に留まり、擬態の兆候を見せた。


 ――私がこうやって避けることを予測して……!


 直線上に形を整えられた糸が擬態したのは、大学内の地上と天井とを繋ぐ支柱だった。圧倒的な質量が彼女に叩きつけられた。


 コンクリートの床すら破壊する威力。リハナは転がるように飛び出したことによって直撃を免れた。


「くっ……!」だが、無傷とはいかず、左足がその大一撃の下敷きとなってしまった。無理やり引き抜く。皮が引き剥がされ、骨に響くような激痛が彼女の判断を鈍らせる。悲鳴を上げて泣きたい衝動に駆られるが、そんなことをしている暇すらない。


 奴が目の前まで来ていた。


「…………」力なく項垂うなだれる。諦めたように見せた。事実、足をやられては先ほどのような激しい行動をすることはできない。


 『マキナ』に感情はない。少なくともリハナはそう思っていた。人を殺すのも本能に従っているだけで、そこに愉悦や快楽を求めた根底はない、と。


 そう信じてもいなければ、やっていけない。


 ただ、時おり、奴らはこういう場面でゆっくりと次の行動に移る一面があった。まるで、逃げ場のない獲物が死を覚悟しているときに、その恐怖をじっくりと味あわせるかのような陰湿さを垣間見せるのだ。


 それが、どういった目的かは解らない。ただ、相手の反撃を警戒しているだけかもしれない。確実なのは、動けないリハナに対し、『ネームド』は噛み締めるように拳を握り、一切の容赦なく魔力マナの籠もった一撃を放ったことだった。


 砕音。

 飛び散る血。

 そして──倒れる支柱。


 拳が届く直前、リハナは頭を下げ、立ち上がり、折れた左足から激痛と血が流れるのを感じながら、真横にダイブするように飛び出した。

 それにより、彼女の背後にあった支柱に『ネームド』の攻撃が当たり、その破壊力に耐え切れず、破損した箇所に重心が傾き倒れた。


 ──やっぱり。


 リハナはこれを狙って、あの位置まで走ってきた。


 ──柱にぶつけられたとき、その柱は糸に戻らなかった。

 ──本物の柱だったんだ。


 彼女がこの算段を思い付いたのは、糸に無理やり支柱のひとつに叩きつけられたときのことだった。擬態の魔法は再現性に長けているものの、反面、外部からの刺激に弱い。銃弾を撃ち込むだけでも解除できる。しかし、柱はそうはならなかった。つまり、ロビーに連立しているあの柱たちは糸ではない。本物の、物理法則に従う質量の塊だと当たりをつけた。


 ──確証がなかったから、マグナムが食らわなかったときの保険だったけど。

 ──どうだ……!?


 『ネームド』は倒れる支柱の下敷きとなった。


 訪れる静寂。


 警戒を解かずに暫く様子を伺っていたリハナだったが――やがて忘れていた呼吸を一息すると、ペタッと床に力なくへたりこんだ。


「……私には才能がない」ぼそりと呟いた。「それどころか、普通はあるはずの力も持たずに生まれた。それを原因で馬鹿にされたこともあった。そうじゃなかった人達も、心の中では私のことを蔑んでたと思う」


 『騎士団アルスマン』に入隊し、厳しい新兵時代の訓練に励んでいる間に感じた、蔑みと哀れみの視線。みんなについていくこともままならず、朝も夜も身体を鍛えた日々を送り、それでも届くことのない努力とは無関係な差。


「でもね、それでもよかったんだ。私は弱い。その弱いなりに自分を貫くんだ、って。できることをやりきろう、って思えたんだ。私は私の人生を否定したくない」


 リハナは顔を上げた。


「やれるだけのことはやりきった。私は間違った人生は送っていない。……これでいいんだ」


 柱を押し上げた『ネームド』は、掠り傷ひとつも負っていない身体で彼女を見下ろすと両腕を大きく掲げた。


 ──ああ。

 ──ごめん。

 ──みんなの仇、取れなかった。

 ──でも、これでいいんだよね?

 ──仇は何も、私が取る必要ないんだし。

 ──私より強い人はたくさんいる。

 ──私は……私なりに満足できる人生を送った。


 彼女の頭目掛けて、『ネームド』の掲げた拳が振り下ろされた。









 ──……本当に?

 ──本当に、それでいいの?


 ……誰?

 私に話しかけているのは。


 ──本当にこれで終わってお前は満足なの?


 誰なの。

 ねえ。


 ──本当にそんな寝言を吐くのなら、今一度思い出してみろ。


 ──誓ったあの日のことを。




 私は燃える田園を眺めていた。

 あの光景はどこにもない。


 豊かに育った稲草も。

 爽快なそよ風も。

 澄んだ心のようなせせらぎも。

 唄うような小鳥たちのさえずりも。

 子供達が住んでいる村も────


 跡形もなく、そこにあるのは吐き気を催すほど残忍で理不尽な現実だけがあった。


 私は暫く立ち直れなかった。『派遣ビーファ』の制服を着てその村に訪れるのは初めてのことだった。『派遣ビーファ』としてこの村に来た以上、言い渡された任務を遂行しなければならないのに、私は何も考えられなくなっていた。


 いや、考えたくなかったのだ。

 マーダー小隊に通達された任務内容、その中身を聞いてしまった時点で。


『千葉県○○市○○郡にて、『マキナの姿を目撃。既に何人もの民間人が被害を受けている』


 それは、日本にとってはして珍しい問題ではなかったんだと思う。『マキナ』の襲来。大方は鹿野山の包囲内で無力化することができたものの、取りこぼした少数を探索していた末、そんな任務が通達された。


 私達が駆けつけたときには遅かった、なんて言い訳にもならない。

 包囲網を何体かに突破された時点で、言い訳のしようもないミスなのだから。


 だけど、そんな私達のミスのツケをあの子達が払わされるのは違うじゃないか。


 あの子達には未来があった。

 力也くんは野球選手になるのが夢で、リトルリーグで何度も活躍したチームのエースだった。

 人志くんは真面目で優しい子だった。勉強を積極的にしていて、女手ひとつで育ててくれている母親と幼稚園児の妹を養って守るんだと張り切っていた。

 茅子ちゃんは村一番のオシャレだった。「リハナ姉は可愛いんだからいっぱいオシャレしないと」と私に色んな服を選んでくれた。学びを得ることばかりだった。


 みんな、私なんかよりよっぽど優秀で、私なんかより生きていなきゃいけない子達だった。


 なのに……!


 私を罰するのはいい。

 八つ裂きにしたっていい。

 どうなっても構わない。


 だから、私が生きていることは、義務の放棄に近いようなものなんだから――――


 地の底を這いずってでも、罪なき人々から幸福を奪う簒奪者を排除しろ。

 あの子達をこれ以上増やしてはいけない。

 私の手で――『マキナ』を滅ぼすんだ。




 『ネームド』は倒れているリハナを静かに見下ろした。


 身体を柱にぶつけ、コンクリートを破壊するほどの正拳突きと回し蹴りを食らわせ、さらに柱で足を潰し、最後に頭をかち割った。彼女の身体は傷がないところが珍しいぐらいで、特に頭から凄まじい量の血が止めどなく流れていた。ピクリとも動く気配がない。


 これほど人間相手に打撃を加えたことはない。大概の人間は腕を折っただけでも泣き喚き、こちらに対する反抗的態度を引っ込めるのに、この女はどこまでも諦めなかった。その執拗な粘り強さは恐怖に値するほどだった。


 弱いクセにしつこい奴め。


 もしも、彼に言語を理解する脳と感情があれば、そんなことを呟いていたかもしれない。


 そして、そんな何もできない弱者に恐ろしさを感じた自分に腹を立てていただろう。


 何はともあれ、厄介な敵は倒した。

 上の階に残した男も、『ソルジャー』の餌食となり、今ごろは欠片ひとつ切り刻まれているのかもしれない。

 呼び水役の女も始末した。巣にみずかおもむかせるには、やはり同じ種族同士のほうが油断も誘いやすく、まんまと罠にかかる可能性が高い。そのためにも、この大学にいた人間は命までは取らずに捕らえていた。ただ、勝手な行動をされては困るので、死の危険性がない程度に痛めつけ、抵抗の意思を奪っていた。その中から、また新たな呼び水役を作るのがいいかもしれない。


 そんな算段を決定し、上の階を向かおうと身を翻す『ネームド』。


【――ΩΣ?▪!】


 その瞬間、彼は味わったことのない感覚に囚われた。


 確証もない、記録にもない、不思議としか言えない感覚。まるで、魔力マナが身体から溶けていくような名状しがたい何かが身体中を駆け巡った。


 人はそれを、『悪寒』という――――


 『ネームド』は本能的に恐ろしいと判断した方向に手の平を出した。


 次の瞬間、その手が後ろに弾き飛ばされた。


 破損した腕が地面に転がる。


 機械生命体である彼に、死の恐怖や緊張感があるわけがなかったが――そうであってなお、咄嗟に後ずさりしてまうほどのプレッシャーを感じ取ることができた。


 人間であれば冷や汗を大量に垂らしているであろう『ネームド』の瞳が捉えたのは――――


「はあ……はあ……」


 気絶しているままにも見える無表情と、どす黒い闇のような『魔力マナ』を渦巻かせているリハナの姿だった。

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