最強魔法師の世界救済
黒い蜘蛛
Reactivation
前編
プロローグ まだ誰も知らない君
私はあの後ろ姿を忘れることはないだろう。
特別に大きいわけでも小さいわけでもない。
翼やツノが生えているわけでもない。
特徴なんてあるはずもない。ヘビの絵に足を付け足してしまうように、そんなものがあってしまえば、非の打ち所のない絵画に泥を塗ってしまうようなものだ。
果てのない地平線のように。
静かに聳え立つ山のように。
濁りなく広がる空のように。
つぶらに輝く銀河のように。
ただ、そこに佇んでいる、それだけで――――
「……っ!」
パリン、と何かが割れる音。強盗の一味が、立ち上がるときにガラスの破片を踏み砕いたのだ。
破片は男の足元に限らず、地面の至るところに散乱している。
『日本にもあった!? サマリテーヌ』という示威とも卑屈ともつかないキャッチコピーを掲げ、およそ五年の月日を
「クソっ!」立ち上がった男は悪態を
男は重装備で身を固めていた。コンバットシャツの上に防弾チョッキ、革の厚いジーパンの関節各所にはプロテクターが嵌められていた。頭部を守るためにヘルメットの他には、口元を隠すためのフェイスマスク。サバゲーの装備をほぼ流用していた。ゴーグルも装着していたが、コレについては片目側が壊れていて、奥の瞳が丸見えになっていた。
そうした、同じ本格的な格好をした人物は他にも四人いた。しかし、気を失っているのか、地面に身体を落としたままだった。その黒ずくめの上にはキラキラと窓ガラスの破片が乗っていた。
「こんなことが、あっていいものか……!」男は震えが止まらない様子だった。割れたゴーグルから顔を出す瞳が揺れている。「どうして、お、おお俺が……」
「どうしてこの俺がこんな目に遭わなくちゃいけない、か?」
まるで、長い年月をかけて形をつけてきた氷結晶から一滴の水滴が落ちるように、その声は男の
その言葉だけで大量の雪崩が押し寄せてきたように、男の身体が緊張で強張った。
「まさか、そんな
「いっ、いや、そこまでは……」
「だとすれば、失望もいいところだぞ。衆人環視の中、堂々と『アイツ』に危害を加えようとした、その覚悟と行動力には、ちょっと見直したところもあったんだがな」
吐かれた重たいため息が空気と混じっていく。言葉の通り、戦闘用の装備で身を固めてきた男達の前に立つのは、どこにでもいそうな少年の姿をしていた。黒いスウェットに白いパンツ、足は靴下をはかずにサンダル、とゴミを出すためだけに着用したようなラフな格好。銃撃戦すら視野に入れて防弾チョッキを着た彼らと比べても、その格差は火を見るよりも明らかだった。普通ではない点といえば、中学生の平均身長を遥かに越えていることぐらいだった。
だが、そんな少年に彼らは敗北した。スウェットに切り傷ひとつ付けられず、まさに手も足も出せなかった。瞬殺だった。目の前の少年は、想定していた以上の脅威をその身に宿していた、ということだ。
「期待外れだな。これなら鏡の前で変顔をしてたほうが幾分も楽しめる」
「た、楽しめるだと……!」
男の眼が驚愕に染まっていく。そして、頭に血が上る。この惨状が、石ころのように転がる仲間たちが、今までの戦闘も、すべてはこいつにとってのお遊戯でしなかったのか?
「ナメやがって!」気付いたときにはナイフを伸ばしていた。
食事の際に料理を切り分ける食器とはもちろん異なり、キャンプ場で焚き火をするために枝を細かくしたり、ゾンビゲームでプレイアブルキャラクターが携帯しているような、あのナイフだ。峰に数ミリの溝が連立しており、ノコギリとしての用途でも使える。
刃渡りは六センチメートルを軽く凌駕しているだろう。鋭く尖った刃先は突き刺すのにも切り付けるのにも適している。当たれば人の柔な肉壁など容易く破れてしまえるだろう。
しかし、そうはならない。少年が男の自棄っぱちを避けたから――ではない。
「――――!?」
男が両手で構えるように突き出したナイフは、少年に近付くにつれ、自動的にというべきか自然とというべきか、少年の中心から脇道に逸れていく。
男の直進がズレたのではない。ナイフは真っ直ぐに構え、狙いをつけ、どこでもいいから刺さってしまえ、という気概で地面を蹴った。よしんば軸がブレたとしても、このブレ方は、ありえない。ナイフの先は既に少年の身体のない右隣に突き進もうとしていた。
操られているような感覚はない。眩暈や立ち眩みでもない。男の意思と身体は今でも少年を刺したくてたまらない。大人をおちょくるような生意気なことを言ったガキを痛い目に逢わせたい。
まるで、横から見えない手が割って入り、ナイフの側面を押してくるような、謎の力が働いていた。
――だが……!
この程度なら問題ない。男は逸らされ続けるナイフの矛先を、腕の力で無理やり少年の方向に戻そうとした。確かに横側の圧力は強烈だ。だが、ビクともしない、というほどではない。人間は台風の渦中でも歩けるぐらい頑丈なのだ。それに比べれば、この程度の斥力など大したことない。男はそう判断した。
「残念だったな! 俺を止めたければ台風を持ってくるんだったな!」
カタカタ、と震えながらもナイフは段々と少年に向かっていく。
「あーあ」
対し、少年はつまらなさそうに声を出した。
「やっちまったな」
一言。
次の瞬間――男の腕から血が吹き出した。
「……え?」男は間の抜けた声を出した。一秒後、状況を理解する前に激痛が走った。「があああぁぁあぁああ!!!」
あまりの痛さに、男の手からナイフがこぼれ落ちた。音を立てて地面に落ちる。
落ちたナイフは奇妙な形に曲がっていた。柄から刀身まで、螺旋を描くようにぐにゃぐにゃと変形していた。切っ先を中心に、ぐるぐると軌道を辿れるそれは、小型のドリルのようにも見えた。
その上に、血が滴り落ちる。
男の両手もまた、同じ末路を辿っていた。まるで、伸縮自在のゴムを交差させていくかのように、肘から先の腕部が三つ編み状に巻かれていた。ただ、伸縮自在のゴムと違う点は、腕はそんな形状になれば骨や肉が耐え切れない、ということだ。
今まで感じたこともない激痛に、ただただ叫び声をあげることしかできない男。そんな彼に少年は近付く。
「自然の法則に逆らうからだ」少年は言葉を吐くが、果たしてその静謐な声音が男に聞こえているかどうか。「押し寄せる洪水に歯向かったら、骨や肉なんかズタズタにされちまうぞ」
飛び散る血。
近付いた少年の顔にもその一滴が飛び掛かろうとしてきたが、男のナイフと同じように何かに弾かれるように脇に逸れていき、その途中で搔き消えてしまった。まるで、透明な水と混ざり合ったかのように。
有り得ない形状に曲がるナイフと腕。
消えた返り血。
本来では考えられない現象が巻き起こっていた。
その中心にいるのは、なんの変哲もない少年。
しかし、デパートを訪れていた客は殆どが既に避難しているのか、少年が生み出している不可思議な現象を目撃する人物はいなかった。
少年の背中を眺めている、少女一人を除いて――――
これまでの常識と客観的な事実だけを述べれば、少年は何もしていない。ただ、男がナイフを振りかざし、勝手に自滅した。そう判じることもできる。
だが、ただ一人だけ少女は、それらの現象が少年によって起こされたことだと確信していた。
ただ、佇んでいるだけのその背中。
それに少女は、たったひとつ、単純明快にしてシンプルな感想を抱いた。
ゴクリ、と唾を飲み込む。
「最強…………」
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