第 17 話 首相官邸奪還作戦 ―考案―


 首相官邸奪還作戦。


 リハナはその仰々しい作戦名を初めて聞いた。


 彼女が初耳ならば、当然ながら他の面子もそうだろう。「首相官邸奪還?」神宮寺じんぐうじは瞳をキラキラとさせていた。「なんだよそのワクワクさせる素敵名前はよ」


「それに関しては私が説明する」と挙手したのはクレハだった。「リハナは覚えてる? 私達と無線で話した最後の会話」


「はい。私が別行動を報告したときのやつですね」


 喋る『マキナ』──改め『フィクサー』の戦闘後だった。無線でマーダー小隊と連絡し、そのときに創明大学に向かいたい民間人と出くわしたことを話したのだ。


「実はその後、私達は国会議事堂に向かったんだよ。『マキナ』に襲われていたらマズイと思ったから。道中に何体か『ソルジャー』も倒したかな。とにかく、国会議事堂に向かって、そこの欝河さんと情報の交換をしたんだ」


「情報の交換」


「私達は『世界の扉ミラージュゲート』の周辺を全く把握できていませんでした」欝河うつかわ未月空みるくが説明を引き継ぐ。「現場の指揮官と連絡が取れなかったからです。なので、彼女から、鹿野山の包囲が突破されたことを教えてもらったんです」


「包囲を突破されたとなれば、他の施設に『ソルジャー』が襲いかかってるかもしれない」


「なので、未だに連絡を取れない首相官邸の状況を伺いに行ってもらったんです」


 二人の声が順番に発せられ、デュエットで歌を歌っているかのようだった。


「見て驚いたよぉ。まさに魔窟だったねぇ」ミデアが驚いているようには聞こえない声で言った。


「ああ、そうか。クレハさんが見に行ったということは、マーダー小隊の皆さんももちろん同行したんですね」リハナはミデアが話したことに面食らったが、すぐにそれが道理であることに気が付く。


「オレは行ってねえよ」アイーシャが言った。「オレは一人残って議事堂の護衛についた。今は無事だが、いつ『マキナ』の野郎が襲いに来るか解らねえからな」


「それから議事堂に戻った私達は、首相官邸の奪還する計画を考案していたんだけど――その途中で絶大な魔力マナの放出を感じ取って、今に至るというわけ」


 言い分から察するに、絶大な魔力マナの放出、とは神宮寺の仕業なのだろう。国会議事堂と渋谷って5、6キロは離れてたよな、とリハナは頭の中で地図を描き、そんな距離にある屋内の中でも感じ取れる魔力マナの濃さに身震いした。


「なるほどな」神宮寺が興味深そうに呟いた。「俺の居場所を特定できたから、一時的に会議を中断させたわけだ。俺を作戦に参加させたほうが成功も確実だから」


「いえ、神宮寺さんは待機です」


「あぁ!?」


 欝河未月空の冷ややかな否定に、神宮寺は顔を歪ませながら返事した。


「あーあー解ってねえなー」とややオーバーな声量で両手を広げた。「もう『禁忌の人物史アカシックエラー』とか被害考慮とか言ってる場合じゃねえだろうがよ。首相官邸だぞ? 日本の砦なんだぞ? 確実性を取るべきだろうが」


「確実性を取るために他のものを蔑ろにしては元も子もありませんでしょうが。いい加減、神宮寺さんは自分の立場をお自覚になってはでしょう?」


「なるべく被弾を抑えるからさあ」


貴方あなたのその適当さが信用ならないんですよ!」


 ちぇー、と唇を尖らせながら不貞腐れて座っている神宮寺を、香織かおるは立って近づき、よしよしと頭を撫でていさめた。ふざけているのかいちゃついてるのか解らない光景だった。


 そんな突っ込むのも疲れる二人を余所よそに、クレハは計画に動員できる戦力をリハナに説明する。「『派遣ビーファ』は『マキナ』の殲滅に出払ってて、今のところ私達しかいない。合流できた自衛隊員は十五余り。議事堂や創明大学を護衛する人員も割くと、さらに動員できる人数は少なくなる。争奪したい施設の優先度の高さからしても、もう少しいてほしいところだけど、贅沢は言ってられない。マーダー小隊が総員なのは確定」


「はい」それは何がなんでも行く気だった。


「ちょっと待てよ」そこで、待ったをかけたのがアイーシャだった。「オレらを総動員する腹積もりは解るけどよ、リハナは有陣大学で大怪我を負ったんだろ。そんな状態で計画に参加させても、足を引っ張られるだけだろ」


 乱暴で着飾りのない言葉だった。しかし、それが彼女なりの優しさであることを、リハナは知っていた。


「いやー、それなんだけどねぇ」ミデアがアイーシャの懸念に複雑そうな表情を浮かべた。


「んだよ、なんか言いたいことでもあんのか」


「いやね、私もアイーシャの言い分にはおおむね同意だよ。怪我人に無理させたくないしぃ? でもさ……信じられないことに、リハナの怪我、完治してるんだよ」


「は?」


 アイーシャが信じれないといった風に、見開いた眼をリハナに向けた。


「あはは」と笑う他ない。


「でも、車椅子……」

「ここに来る前に、車椅子から立ち上がってるよ」

「頭部から血ィ流して、足も骨折してんだろ?」

「さっきも言ったけど、問題なく立ててるし、頭部の血も止まってるらしいんだよねぇ」


 病室から眼が覚めて、医師の一回目の検診では、まだ骨も折れたままで頭部も頭蓋骨損傷一歩手前、といった状態だったという。二度目の検診が来るまでにクレハに連れてこられたので、まだ包帯やギプスが巻かれたままだったが、数時間前に感じていた痛みも今ではすっかり引いていた。


「痛みも全く感じてないんだよねぇ」

「はい。全くです」


魔力マナによる再生機能の上昇……」クレハがぼそりと呟いた。「多分、そういうことだと思う」


 身体に回路のように張り巡らされた魔力マナの通り道。それが異世界人が魔法を使える仕組みであり、地球人にはない循環機能だった。血管や臓器の働きとは一種異なる、科学の及ばない領域。


「けどよ、リハナの魔力量って……」アイーシャが言いづらそうながら、マーダー小隊の面々はその言わんとしていることが解った。


 リハナは生まれ持ってから魔力マナに恵まれなかった。『獣人デュミオン』ながら、魔力マナによる限界値以上の身体強化を施すことができなかった。必然、魔力マナによる自然治癒もできないはずだった。


「言ってる意味がよく解らねえけどよ」愕然としているマーダー小隊の面々に、神宮寺は口が開いた。「リハナの魔力量なら、


 突然変異体。ましてや『禁忌の人物史アカシックエラー』ともなれば、地球人だろうと、体内の魔力マナに如何ほどの量が流れているのか感じ取ることができた。


「そんなに驚くべきことか?」


「いや、これは人並み以上っていうか……」ただ、そんな彼らよりも深く詳細に聞き分けることができるのが『獣人デュミオン』だった。地球人の五感を優に越えた耳の良さは、単純な魔力量に加え、他人の魔力マナの質や濃淡さを把握することもできた。「なんというか、……」


「やっぱり、アイーシャもそう思う?」ミデアも気難しそうに言った。「そうなんだよねぇ。妙なんだよ」


「ああ。濃いとも薄いとも言えねえし、質が良いとも悪いとも言えねえ」


「だからって、平均とも言えない」


「そ、そうなんですか……?」リハナは二人のはっきりしない見立てに当惑を見せていた。


 もしかしたら、だ。

 もしかしたら、普通の『獣人デュミオン』よりも知覚能力に長けているリハナであれば、二人が聞き分けた見識よりもより詳しい内容が把握できたかもしれないが、体内に流れる魔力マナについては、視力が良い人間が視力の悪さを理解できないように、当事者が把握できるものではなかった。


「まあ、確かに、以前よりも多少は身体の重さがなくなっているような気がしますが」


「どうしてそんなことが……」


「よく解んねえけど、魔力量が急に上がるのって、そんな不思議なことなのか」


「そりゃそうですよ」神宮寺の疑問に答えたのは、自覚のないはずのリハナ本人だった。「魔力マナは身体の成長につれて増幅するものであって、いきなり上限を突破することなんて有り得ません。時間が経っても、使った分が戻ってくることもありません。私達が使える魔力量は、死ぬまでその容量が決まっているんです」


「へえ、そういうもんなのか」


 解っているのか解っていないのか、どちらとも言えない軽さで納得する神宮寺。地球人には馴染みのない理論なのだろう。しかし、子供の頃からそう知らされていたリハナからすれば、自分に成長性がないことが最初から解っていたことになり、無知な神宮寺を理解させるのに熱が入るのは仕方のないことだった。


「リハナは変化があった自覚はないの?」クレハは訊ねた。「いえ、全く」と答える他なかった。


 いや、全くと言えば嘘になる。彼女の記憶の片隅に、ある光景が広がっていた。


 それは、有陣大学で戦った『ネームド』の亡骸である。


 ――全く覚えてないけど、あいつを倒したのは私だったということ?


 だが、それならば、見に覚えのないハンドガンの弾の消費や知らない間についた傷にも納得がいく。


 全く自覚のない成長。


 ――私の身体、どうなっているんだろう。


 『マキナ』に対抗できる力を得たというのに、彼女は喜びよりも不気味さを覚えた。


「詳しい事情をお訊きするつもりはありませんが」欝河未月空は咳払いをし、話題を本題のほうに戻そうとした。「とにかく、そちらのリハナさんも作戦に参加できるというわけですね」


「はい」それでも、大事を取って安静すべきなのが医師の判断だろう。しかし、リハナは、例えそう言われようとも参加を拒否するつもりはなかった。


「マーダー小隊再起動、ってわけだな」アイーシャは力強い笑みを浮かべた。

「でも、やっぱり戦力不足は否めないけどなぁ」ミデアは腕を組んでうーんと唸っていた。

「そうだね」クレハは無表情に頷いた。


「そんなに敵の数が多いんですか」リハナは、マーダー小隊の先輩方の強さを知っているからこそ、三人が渋面にしていることが信じられなかった。


「もう、『ソルジャー』がいないところを探すほうが難しいくらい」


「『ネームド』の巣が作られている、とか?」


「いや、それにしては侵入経路が少なすぎる。巣を張って、そこに獲物を誘き寄せる奴のやり方じゃねえ」


「あの警備の多さから推測するに、多分あそこには――『頭脳ブレイン』がいると思う」


「『頭脳ブレイン』ですって!」


 リハナはその呼称を聞くと、車椅子に乗っていることも忘れて机を叩きながら立ち上がった。


「ブレイン……ってなんだ?」神宮寺は小首を傾げた。


「あれ? 玲旺れおは知らないんだ?」香織はそんな彼の様子に小首を傾げた。


「『マキナ』のことは教科書に載ってるぐらいしか知らねえ。つーか、教えてくれなかった」


「ふーん。じゃあ、研究に携わることもある分、ボクのほうが詳しいね」としたり顔だった。「ブレイン、ってのは『頭脳』と書いてブレインって呼ぶんだけど、その名の通り、『マキナ』の脳みそを担っている個体のことだよ。ランクはAAだよ」


「脳みそを担ってる? つまりアレか、『ネームド』みたいな知能を、『ソルジャー』たちが身につける、ってことか?」


「正確には指揮官だね。どういった原理かは解らないけど、『頭脳ブレイン』は周囲の『ソルジャー』に遠隔から指示を送ることができて、それに必ず従わせる魔法を持っているんだ。普段は各々に行動する『ソルジャー』は、それによって社会性が生まれる」


「それって、『ネームド』とどう違うんだ?」


「最大の利点としては、互いに協調性が強く生まれることだね。『ネームド』は巣を作って、そこで留まらせた『ソルジャー』に襲わせる、っていう戦法だけど、『頭脳ブレイン』の場合は完全な群体行動。互いが互いを支え合うような指揮系統を取るから、厄介さの方向性としてはこっちのほうが上かな」


 イメージとしては、『ネームド』は『ソルジャー』を奴隷として手足のように使い、『頭脳ブレイン』は『ソルジャー』に仲間意識を刷り込ませることによって巧みな連携を作り出させるような感じだった。


「特に厄介なのが、『頭脳ブレイン』は『暴君タイラント』も操れることなんだよねえ」


 『頭脳ブレイン』は数自体が希少であり、地球で目撃された個体も、この二十年でたったの四匹だった。そのため、この個体は判明していないことのほうが多く、魔法も推測と予測が多くを占めていた。


「でも、弱点もあるよ? その筆頭が、『頭脳ブレイン』を叩くとその指揮下にあった『マキナ』が全滅すること」


「全滅?」神宮寺は眼を丸くした。


「人間で言うところの、脳みその役割を果たしているからね、それがなくなったら機能しなくなる、ってことじゃない?」


「『暴君タイラント』も死ぬのか?」


「そういう記録があるね」


「それなら、『頭脳ブレイン』さえ倒せば万事解決じゃねえか」単純に神宮寺はそう考えた。


 『頭脳ブレイン』が死ねば他の『マキナ』も死ぬ。確かにその通りだった。とても解りやすく、単純明快なこと。


 しかし、その単純さに辿り着くまでの障害が非常に難行。彼らの要である『頭脳ブレイン』は堅牢な警備網によって阻まれており、本人も自身の重大さを把握しているのか、かなり身を隠す技術に長けていた。そこに『暴君タイラント』が護衛に混じっていれば、地球の自衛隊ではもう通用するレベルを超えており、『派遣ビーファ』の精鋭でもギリギリのせめぎ合いとなることを示唆されていた。


「幸いにして、『暴君タイラント』はいないと思う」クレハは言った。「中まで見てないけど、あの巨体が屋内で待機しているとも思えない」


「というか、他の場所でも『暴君タイラント』の出現は確認されていませんよね」


「だからこそ、地球の軍事でもギリギリいけそうなんだが、それでも懸念は残るよな」


 うーん、とマーダー小隊の四人が腕を組んで喉を唸らせる。戦力の割合は彼女達四人が七割を占めている、といったところ。もちろん、装備の内容にもよるが、人の手で扱う銃器ではどうしても限界が来てしまう。その値が人の手の強度を凌駕できないからだ。そうなると、銃器では突破できない装甲を持つ高ランクの『マキナ』には歯が立たない状況となる。


 実質的に戦力となるのは自分達だけ、という考えが彼女達にはあった。


 そんなときだった。「その話、オレにも詳しく聞かせてくれないか?」


 対策支部もとい生徒指導室の外から男の威勢のいい声が響いてきた。


 バタン、と勢いよく扉が開かれた。


 押し開いたときに前に出していた手の平をそのままにした姿勢で、はたはら虔治けんじはこれほどにもないドヤ顔を晒していた。

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