後編

第 27 話 獣人達の陰謀


 地球換算 PM:12:30  ヘルミナス王国王宮 玉座の間


 ヘルミナス王国は、建国以降から『クロウム』の姓名を冠する者が国を統治することが決まっている。国を起ち上げた発起者がクロウムという名の『獣人デュミオン』だったからだ。そして、クロウム家を頂点に、そこから派生した王家の血筋や建国に関わってきた一族を貴族の家柄として迎え入れ、ピラミッド型の階級組織を作り上げ、国の運営に携わっている絶対君主制度ともまた違った政策を取っていた。


 その顕著な例として、法律の制定がそれだろう。法律の採用に国王は関わらない。いや、正確には決定権が国王にはなかった。法律の是非を裁定する権利を持つのは、『判事フェイスフェイ』と呼ばれる、ヒエラルキー型組織で言うところの、社長の下に位置する貴族達だった。彼らは国の運営の中でも、とりわけ内部案件に関わることが多く、国民の声を一心に受けることになるのがこの機関だった。

 法の改正は頻繁に行われる。巡るめく情勢の変化に伴う修正と研鑽は、その変化に即した形をのっとるものの、これがいつまでも最良、とは絶対にならない。見直しと復習は必需である。だからこそ、国民の不満を集めてそれを精査し、その対策に務める専門職が生まれるのは必然だった。


 その他、経済や憲法、国の治安を維持する『騎士団アルスマン』など、まつりごとに必要な分野にはそれに詳しい帝王学を積んだ家系が世襲する決まりとなっている。そうした役割分担はまさに日本の政治体制に似通った一面もあったが、施政方針に関する絶対的権利は国王が統べているので、政党は当然ながらなく、民衆は貴族の定めた法定に従わざるを得ない。


 ただ、王都に住まう人々は、そうした絶対王政に露骨な反発は抱いておらず、そこには遺伝的な政体に従事する本能のようなものもあるのだろうが、王が決めたことは絶対、という思考はあながちも国民の行動を縛る要因になるとは限らなかった。


 それがたとえ、首を挿げ替えただけの能力未知数の王であっても――――




 コンコン、とノックする音が静寂な王宮内に木霊する。「クロウム様、ぜひともお耳に入れていただきたく、ダレイオス・ハーメルン判事、ただいま参上致しました」


 玉座の間と廊下を隔てる扉を叩き、その中にいる君主に入室の許可を取る。

 地球のプロトコールマナーで言うところの、ノックの回数は、2回で空室確認、3回で入室確認であり、これが面接の際の正しいノック回数と言われているが、その上、4回は目上の人がいる部屋に入るのもののため、というのが一般的である。

 ヘルミナス王国に地球と同じ作法があるわけではないが、そういった礼儀を重んじる倫理観は共通しており、ハーメルン判事の所作にも格調高い上品さがあった。


「入るがいい」


 扉の奥からそう聞こえ、ハーメルン判事は静かに扉を押し開けた。


 煌びやかな装飾が施された壁や天井、床には華美なレッドカーペットが敷かれた長い通路。ヘルミナス王国の中でもずば抜けた空間の広さを持つ王宮は、閑所だろうが兵士の待機所だろうが己の権威の誇示に手の抜きどころがないのだが、この玉座の間はその比にならないほどの豪奢さが展開されていた。


 柔らかい生地でできたレッドカーペットは、靴裏越しの感覚でも解るほど高級感があり、壁にかけられた絵画や黄金色の装飾は嫌味になりすぎない調和の取れたデザインをしていた。


 その中を歩くハーメルン判事もまた、豪族を思わせる雰囲気を醸し出していた。輝きを放ちそうな美しい銀の髪を腰に届くまで伸ばし、それを一本に束ねている。凛と屹立した耳は艷やかすら感じられ、尻尾は足元の絨毯にも負けぬほどの気丈な毛並みを揃えていた。細められた眼から表情は読み取れず、くっきりとした顔立ちは外国人を彷彿とさせた。


 歩く動作ひとつ取っても芸術作品のような趣があり、扉から玉座の前までその気品に満ちた姿勢を崩さず歩き切ると、背筋を伸ばしたまま、両手を互いの肘に当てたかと思うと、今度は両掌で器を作るような形を取り、それをパタリと閉じてそのままお辞儀した。

 国王に対する尊敬の念を示した、この国独自の作法だ。日本の敬礼や、中国の抱拳に近い。


方方ほうぼうにご多用なこの時分に伺い申した勝手な行動、申し訳ありません」と両手を合わせたポーズのまま、丁寧に謝意を口にした。「そして、謁見賜っていただいた空より広きお心遣い、偉大なる御身をわたくしのような矮小なる眼に曝していただき、ありがたき幸せです」


 謙譲に卑下を二も三も重ねたような畏まった態度と言葉。しかし、ヘルミナス王国では、彼の目の前にいる男こそが天上の存在。この世界の神そのもの、と言ってもよかった。


 シューハイルド・ヴィブラス・クロウム。

 『ヘルミナス王国』の五代目国王として、この国を治める地位につく、正真正銘のこの国にとっての神様的存在。


「面を上げよ」五代目国王としての重々しい口が開いた。


「お心遣い、感謝致します」王からの許しが出ても、決して気概を緩ませず、敬意を最大限に払った姿勢のまま丁寧な言葉を紡ぐ。


 大きな体格をしているが、それは肉体を鍛えているからではなく、国王だけが着ることを許された礼服や装飾で隠れてはいるが、その服の下はだらしない腹が寝そべるように丘を作っていることだろう。顔の至るところに皺が寄り、瞼は腫れぼったくいつも眠そうに見えた。見た目だけで言えば、年齢は人類換算で七十代前後といったところだろう。


「して何用だ? ハーメルン判事よ」


 この玉座の間は彼の独壇場となるフィールドだった。何か、本当にのっぴきならない不測の事態でも起きない限り、彼はその部屋から動くことはない。


「ハ! 僭越ながらお答えします」ハーメルン判事はそう前置きし、此度の訪問の理由を明かした。「わたくしがお持ちした案件は、『地球』との外交問題でございます」


「そういえば、貴様は外交官に就任していたな」


「はい。先程、ほんの一時間ほど前のことでございます。地球の外交官から、との廣報こうほうを受けました」


「ほう?」シューハイルド国王は聞いているのかいないのか、曖昧な相槌を打った。


「その部隊の通称は――『マーダー小隊』。クレハ・アードロイド、アイーシャ・アードロイド、ミデア・アルファム、リハナ・アレクトルア、の以上四名で組まれた部隊でございます。そのうちの、前者三名の裏切りが確認されたとのご報告です」


「アレクトルア?」国王の眉が不可解げに歪められた。「何故、『判事フェイスフェイ』を務めるアレクトルア家の者が『派遣ビーファ』に左遷されているのだ?」


 リハナの血筋は、生まれながら『判事フェイスフェイ』の一員として国の一翼を任されている名家だった。そんな高潔な血縁者が、派遣部隊という名の厄介払いとも言える人選に混じっていることに、国王は疑心を覚えた。


 それ以外にも眼をつけるべき事柄をハーメルン判事は口にしていたと思うが、国王の関心事はそこに集中しているようだった。


「国王の仰る通り、わたくしも疑問に思っておりました」ハーメルン判事は合わせた両手をそのままに賛同した。「ですので、リハナ・アレクトルア女氏の変遷へんせんを調べたところ、どうやらアレクトルア女氏は自ら『派遣ビーファ』への所属を志願したようです」


「進んで申し出た、というのか」


「仰る通りでございます。その事象には、肉親であるクバナ・アレクトルア氏からも同意を得ているようでございます」


「そうか。同意の下であるか。ならばよい」シューハイルド国王は容易く納得した。もしも、両親の受諾なしに『派遣ビーファ』へ送られたとすれば、アレクトルア家からの信用に影響が走ることを危惧していたようだが、その問題がないとなると途端に興味を失くした様子だった。


「不躾ながら、話を戻させていただきたく思います」


「うむ。許す」


「謀反を起こしたマーダー小隊は、地球に襲来した『マキナ』を狩猟する計画の遂行している合間に、日本の最高指導者である首相を誘拐し、そののち姿を眩ましたとのことです」


「ほう」


「ですが、その際――」とそこでハーメルン判事は初めて表情を忌々しそうに歪ませた。非の打ちどころのない芸術品にヒビが入るような、危機感が煽られる変わり様だった。「マーダー小隊の隊長であるクレハ・アードロイドはこう喋ったそうです。――『禁忌の人物史アカシックエラー』を連れてこい、と」


「なに?」そして、自らの保身にしか興味を示さなかったこの王も、異様なほどの食いつきを見せた。「それは真か? ハーメルン判事よ」


「王のご意向を妨げるようで非常に忸怩じくじに堪えきれない思いですが、残念ながらそれ以上の情報は得られず、先の申し出の真偽は定かではありません」


何故なにゆえに我が国の雑兵が『禁忌の人物史アカシックエラー』を求める? それも、最高指導者を人質に取るまでの所業を犯しながら、要求の内容がたったそれだけなのか?」


「申し訳ございません。そちらに関しても、地球側から説明はありませんでした」


「何を考えておるのだ……!」シューハイルド王は苦々しげに眉根を寄せると、握った拳を震わせて怒りを溜め込んでいた。「このタイミングで『禁忌の人物史アカシックエラー』を敵にまわすなど、自殺行為にも程がある。それも、我が国を巻き込む可能性を加味した上で、だ」国家反逆罪にも匹敵する、と腹立たしげに独りちた。「ハーメルン判事よ」


「如何いたしましたか」


「実際、我々は『禁忌の人物史アカシックエラー』と戦うことになれば、勝てる見込みはあると思うか?」


 一国の王が言うにはあまりに幼稚な質問。しかし、ハーメルン判事はそれを笑いもせず淡々と答えを返した。


「無礼を恐れず提言させていただきますと、クロウム様の勝率は三割ほどであると思われます」


「なるほど。して、その理由は?」


「『禁忌の人物史アカシックエラー』の実力は、その名の通り祖国からも禁じられるほどの強大にして余りある力です。戦術分析官であるアルタの持論によれば、かの存在が内包する魔力マナの量は『獣人デュミオン』のおよそ23倍。『剣聖ラーケイド』ならば互角に渡り合えるかもしれませんが、それでも騎士団アルスマンの半数以上を犠牲にしなければ勝利は難しいでしょう」


「なるほどな。たとえ勝利したとしても、何百もの犠牲を出しては今後の政策にも支障をきたす危険性がある、か」


 まるでそこの問題が解決されれば、何百もの犠牲も厭わないかのような言い方だった。


 実際、シューハイルド王にとっては国の存続と己の地位の確保こそが最優先事項だった。それがすべてと言ってもいい。それが故に、己を危機に晒す真似をしない。したくない。国民の反発を買いたくないがために、政策には人心を掌握するための術をふんだんに使い、表向きには慈悲深き寛大な王として評判が通っていた。


「やはり我らも、味方につくのではなく、他の世界のように侵略に励んだほうがよかったのやもしれぬな」


 地球にまだ『禁忌の人物史アカシックエラー』なる存在が周知の事実ではなかった当初、『世界の扉ミラージュゲート』を通して接続コネクトされた異世界の半数が、その豊富な資源を狙って地球を襲った。特に魔力マナを主軸に生活を送ってきた世界にとって、欲しくて止まない代物を、使い方もそれの価値も知らない存在が潤沢に持ち合わせているのだから、宝の持ち腐れとしか言いようがないだろう。魔力マナが枯渇し滅びようとしている大地を復活させようと奮起する異世界人にとって、その行為は文字通り命を賭す覚悟がみなぎっていた。


 しかし、『へルミナス王国』と『フーバ皇国』は別だった。世界間での意思疎通が普通化する前から『地球』に友好的な態度を一貫させていた。『異神五世界平和条約』を結ぶ前から、『アースヘル和親条約』という地球とヘルミナス王国の相互扶助が行われていた。


 その申し出をしたのがシューハイルド国王だった。


 ヘルミナス王国の国土は非常に狭い。それに伴い、人口も極めて少なく、その数は三千にも満たないと言われている。

 その原因の一因として、『魔物ミシュラ』の存在が大いに関係していた。『魔物ミシュラ』とは、ヘルミナス王国が存在している世界を跋扈している生物の総称であり、地球で言うところの動物や昆虫に近い部類だ。奴らは地球にとっての『マキナ』のような立ち位置で、餌を求めて獣人デュミオン達を襲いにくる。そのため、ヘルミナス王国は『魔物ミシュラ』の侵入を防ぐために壁で四方を囲っていた。

 この獣人デュミオン共通の敵の所為で思うように国土を広げられないのが現状で、人口を増やそうにも限られた土地ではその人口を養うための資源も確保できないという悪循環だった。


 そんなとき、地球という宝庫が明るみとなる。

 シューハイルド国王は、他の異世界よりも先に、地球の魅力に気が付いた。なんとか一部でもその資源を確保できないものかと頭を巡らせた結果――『アースヘル和親条約』が締結された。


「あのときは『地球』の戦力も未知数であったからな、確実に利益を得る手段を選んだが――蓋を開けてみれば肩透かしもいいところであった。これならば、『禁忌の人物史アカシックエラー』が台頭する前に根刮ねこそぎ奪い取ってしまえばよかったか」


「お言葉ですが、クロウム様」物騒な企みを吐露する主君に、ハーメルン判事は逆に冷静さを取り戻したようだった。「『アースヘル和親条約』は書面以上の効果がありました。地球側から物資が支援されたのはもちろんのこと、他世界に救いの手を差し伸べる国王への国民の信頼も上昇しました。そして、最大の得利である、恒久的な要求を実質的に行うことができるのは、国王の聡明な判断がなければ実現できなかったことです」


 食材や衣服などの生活水準を引き上げる物資を供給してもらう代わりに、へルミナス王国側は地球への脅威を退ける兵力――つまりはマンパワーを提供するのが『アースヘル和親条約』の主な取引内容だ。


 書類上、この二世界は対等な立場においてこの条約を締結させた。しかし、物と人を交換する上で実質的優位を陣取っているのは『へルミナス王国』に違いなく、ハーメルン判事はそこを利用した接触を算段していた。


 ただ、その予定も危うく瓦解しようとしていた。


「だからこそ――せっかくのクロウム様の計らいを無碍むげにしてしまう危険を犯した、マーダー小隊の謀反者達を許すわけにはいきません」


「うむ。そういう話だったな」シューハイルド王は本題を忘れそうになっていたところを、ハーメルン判事にそれとなく本筋を促された。「して、此度の裏切り行為は、地球側はなんと言っておるのだ?」


「地球側は、此度の裏切り行為は、わたくし達が策略したものと疑っているようです」


「自然な運びだな。だが、その疑いは全くの濡れ衣だ」


「これを利用しない手はありません」しかし、とハーメルン判事は言葉を続けた。「それにはまず、潔癖を証明する必要があります」


 現状、地球とへルミナス王国の関係は雲行きが怪しくなり始めていた。マーダー小隊が反旗を翻したことによって、国単位で疑惑が広がろうとしていた。このままでは、物資の供給が断たれる可能性もゼロではない。


「無実の証明をするのではなく、飽くまで潔白です。婉曲でも、地球に敵意がないことを知らしめればいいのです」


「ならば、簡単なことだ」シューハイルド王は迷いなく言った。「その首相を誘拐した謀反者どもを死刑に処す。そうすれば、多少は示しがつこう」


 謀反者を死に追い詰めることによって、我々はその一味とは無関係であることを証明する。魔女裁判が流行した時代のヨーロッパのような古めかしい倫理観で物事をはかるシューハイルド王。


「友好的な印象を植え付けるためにも、兵力を少し分け与えるやり方もありますが、いかがいたしましょうか」


「『魔物ミシュラ』との防衛戦が迫っているこの時期にか? ありえん」


「クロウム様の仰る通りでございます。出過ぎた真似をしてしまいました、申し訳ございません」


 後のことは貴様に任せる、とシューハイルド王は玉座の肘掛けに顔をつけるように姿勢を崩すと、目線だけを下にいるハーメルン判事に、言葉を発さずともこの玉座の間からの退出を強いた。


「ハッ! これにて失礼いたします」とハーメルン判事は入室した際に取ったジェスチャーと同じ手順を踏んだ後、踵を返し、レッドカーペットを踏みしめながら最初にくぐった扉を目指した。


 取っ手を手前に引くと、幾分か落ち着いた廊下の光景が広がり、そちらの領域に一歩踏み出すと、丁寧な仕草でゆっくりと扉を閉めていった。


 ハーメルン判事は暫くそこから動かなかった。


 シャンデリアを吊るした高く広い天井に、曲がり角の見えない左右は、まるで巨人の住居に迷い込んでしまったかのような倒錯を覚える。


「ふう」と漏らした吐息は、まるで今まで呼吸をしていなかったと思えるほどに音を発した。「……ふんぞり返ることしかできない老害が」


 ハーメルン判事は合わせていた両手の関節を、ポキポキと鳴らした。

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