第 15 話 突然変異体


 P.M.4:40 東京都目黒区 同所


 リハナは初めて乗る車椅子の感覚にあまり慣れず、どこか気恥ずかしさもありながら、突き進んでいる廊下を見回した。


 白い無地の壁が真っ直ぐに伸びており、その両脇にスライドドアが間隔的に設置されていた。どれだけ進んでも同じ光景が広がっているような無機質さだった。研究棟と冴山香織が言っていたのを思い出す。だからなのかは解らないが窓は少ない印象だった。


 車椅子はミデアが押していた。案内役のクレハを先頭に、神宮寺たちが最後尾でリハナを挟んでいる形だった。


「そういえば、言うのが遅くなっちゃったけど、怪我は大丈夫?」クレハが顔だけ向かせて訊ねてきた。


「はい、大丈夫です!」リハナは元気よく答えた。


「こらこら、嘘つかないのぉ」そこをミデアがたしなめる。「憧れのクレハを前にしたからって張り切りすぎ。まだちゃんと英気を養わないと」


 実のところ、リハナの傷や怪我はその殆どが既に完治しており、彼女も痛みがないことからその判断を口にしたのだが、包帯を身体中に巻いている状態は説得力がなく、無理をしているとしか周りからは見えなかった。


 もっとも、本人にしたって骨折がそんなに早く治るとは思っていないので、痛み止めが効いているのだろう、ぐらいの認識だった。


「だったら、早いとこ『癒』で治してくれたらいいじゃないですか」


「私も専門外だから解んないけどさぁ。アレって正確には傷を治す魔法じゃないんだってさ。だから、重傷患者に放つのは危うさもある、って氏子うじの人達が言ってたよぉ」


 氏子うじの人達、とは『フーバ皇国』の住人のことである。『癒』は彼らが開発した魔法で、彼らにとっては基本となる魔法のひとつらしいのだが、効果はいまひとつのようで、重い病気や怪我を治そうとするにはもっと難易度の高い魔法を使わなければならなかった。


「氏子と言えば、あの人達って性別がないって本当なのかなぁ」ミデアは小首を傾げて言った。


 車椅子に乗っている負傷者を連れている以上、目的地に向かうのは、どれだけ急いでいたとしても慎重に進めざるを得ないため、そうした雑談も咎められることはなかった。


「どうなんでしょう。私もあまり交友がないので解りません」


「『派遣ビーファ』が地球以外の異神世界に接触するのはよろしくない。『アースヘル条約』に抵触する恐れがある」


「でも、見た目は完全に男女のそれだよねぇ」


「正確に言うと、氏子は生まれた瞬間は性別を持ってないんだよ」悩める獣人三人娘にたまらずそう言葉を落としたのは、冴山さえやま香織かおるだった。「見た目はボクらと同じ人間そのものだけど、性別がない、というよりは安易に男女の区別をしないんだろうね。赤ん坊が物心つく年齢になって、ボクらが認識している『男らしさ』と『女らしさ』に準じた感情と性格が芽生えるのが一般的らしいけど、それでも性別は凡のままで、恋愛関係に発展するのも性別の一致を絶対的な障害としないそうだよ」


「そ、そうなんですか」


「まあ、人類の生態とは根本的に違うからね。哺乳類じゃないから生殖行為も必要ないし。食事も魔力マナで充分なんだって。だから、ボクらと恋愛観に差異があってもおかしくないよ」


「詳しいんですね」


何故なぜか惹かれるんだよね。ビビッ、と来たっていうか。ペットショップで運命的な動物に出会った感覚に近いかな。ボクの研究テーマともあながち無関係とも言えなくないしね」


「良いことなんですよね……?」聞き流すだけなら好感触の沙織の言葉。しかし一言一句を噛み砕いてみれば、どこか両者の目線の高さに違和感をリハナは覚えた。大人が子供に可愛らしさを覚えるような、そんな感じだった。


 どこまでも続くかのような廊下は、リハナ達一行を除く人の気配を全く感じなかった。それだけでなく、通りがかる扉の奥からも物音ひとつせず、世界に生き残っているのは自分達だけではないか、という錯覚に陥りそうだった。


 研究棟は目下閉鎖中であり、屋内で進められていた研究の類はいずれも中止を余儀なくされていた。その理由は言わずもがな、『マキナ』襲来のためだ。創明大学に滞在していた人々は、当大学の地下に作られたシェルターに避難誘導されていた。このシェルターは核シェルターや他の用途に作られたとか、そういう有り合わせではなく、対『マキナ』に作られたシェルターだった。高頻度で現れる『マキナ』に対応できるように、長期的に見積もられた施設と備蓄が設置されていた。下手をすれば築ウン十年の木造アパートよりも住心地のいい快適さなのだが、中には研究の強制中止に反発を覚える者もおり、勝手に外に出ようとする輩が湧いてからは入り口を自衛隊が見張るようになった。


「研究は進めたいけど、今はこんな事態だし、部長達も避難してるし、そもそもボクにそこまでの権限ないしで、みんなが来るまで暇で暇で仕方なかったよ」


「何もすることなかったら大人しく避難しろよ。対策本部の邪魔にならないようにウロチョロすんな」


「私達からすれば、、それは神宮寺じんぐうじさんも同じ立場なんですが」リハナは車椅子に揺られながら、言い合いをしている後ろの二人に声をかけた。「『禁忌の人物史アカシックエラー』とはいえ、民間人なことには変わりないのですから」


「お前は俺とのデートがまだだろうが。デートできる日がくるまで、お前が完治するのを傍で待つからな」


「え? なにそれ! デートの約束! ズルい、そんなのズルい! ボクもデート行きたい! 行きたいいきたい!」


 キザったらしくも聞こえる自己中な神宮寺の台詞せりふに、そういえばそんな約束をしていたなとリハナはげんなりする。その上、聞き捨てならないと言わんばかりの気迫で割り込んでくる香織の熱意にも頭が痛くなりそうだった。


「ボク、グーフィーが見たいな! あの低い痺れた声が聞きたい!」


「うるせえな」言うほど痺れてるか? と神宮寺は顔を近づけてくる香織を手で引き剥がした。「解った。いつか行ってやるから落ち着け」


 やったー、と喜ぶ彼女を尻目に、神宮寺は「この話題出すんじゃなかった」と後悔したような表情を作り、疲れたような様子を呈したが、二人の騒がしさに振り回されているのはリハナ達だった。


「賑やかな人達だね」クレハは小声でミデアに話しかけていた。


「なかなか面白くなりそうだねぇ」


 頭上で会話をする先輩のものさんっぷりに、リハナは小さくため息をついた。




 P.M.4:45 同所


 クレハが案内する対策支部は別の階にあった。研究棟の研究室は例外を除き、部屋の主から許可を取った上で、リハナのような重傷患者を運び入れる個室に宛がわれていた。そんなフロアで重要な会議を行うわけにはいかず、対策支部は一階の職員室隣接の生徒指導室を拝借していた。そこに向かうために、一行はエレベーターの到達を待っている最中だった。


「やっと見つけたぞ」そんな彼らに声がかかった。やや乱暴な口調な男の声だった。


 神宮寺はその声を聞くと、眉を下げて露骨に嫌な顔を作った。「香織といい、なんでここの民間人はこんなに非協力的なんだよ」


 彼が民間人の自由奔放ぷりを嘆くたびに、リハナはどの口が言うんだと角が立つのだが、今はそのことよりも知らない男の声のほうが気になった。


 声のしたほうを見ると、一人の男が立っていた。男、というよりは少年といった正しいかもしれない。強がった形相に幼さが見え隠れしている。明らかに染めている金髪も、彼の無法さよりも、背伸びした子供らしさをアピールすることに尽力しているようだった。身長は170前半ぐらい。学生だろうか、学ランのボタンをすべて開けて着ていた。


「なんの用だよ、虔治」神宮寺は少年の名を呼んだ。


「けんじさん、というんですか、あの人」リハナは小声で香織に訊ねた。突然現れた謎の少年は、神宮寺とは見知った間柄のようで、彼が知っているのなら幼馴染みの彼女も知っているのではないか、と思った。


「そう、秦野原はたのはら虔治けんじくん」香織は答えた。「この近くにある逆羽高校ってところの生徒。ここの地下に教師生徒総じて避難してるんだけど、何かとよく抜け出す問題児の一人なんだよね」


「高校生なんですか。では、お二人はどういう繋がりで?」


「そうだね。ええと……まあ、リハナちゃんなら問題ないか。彼ね、あ、虔治くんのほうね、彼──『突然変異体』なんだよ」


「とつぜん……?」


「あれ? 知らない感じ?」


 それならますます弱ったな、と顔をしかめる香織は、話してはいけないことを話してしまったことを後悔するような、というよりそれそのものを表情に滲ませていた。


 リハナは『派遣ビーファ』として地球に駐屯している『獣人デュミオン』なだけであって、その実、二世界の政治的やり取りや事情には全く詳しくなかった。変に突っ込んでスパイだと勘繰られても面倒だった。


『突然変異体』というワードも当然初耳であり、つまりそれは、『派遣ビーファ』として生きたいく上では知る必要がない、ということを意味していた。


「まあいいか、言っちゃっても」


「え、いいんですか」明らかにマズそうな顔をしていたが。


「うん。どうせ、『禁忌の人物史アカシックエラー』が玲旺れおであることもバレてるんだし、まあ大丈夫でしょ」忌避感を覚えるリハナに対し、香織はあっけらかんとしていた。「『突然変異体』ってのは、『魔法』が使える地球人のことだよ」


「え、でも地球人は」


「そう。地球人は『魔力マナ』を宿していない。というか、感じ取ることもできない。地球上には魔力マナが潤沢に偏在しているらしいけど、ボクらにとっては眼に見えない原子と分子の塊でしかない。そのことを研究対象にする人達もいるにはいるんだけど、異世界人と実験体にするわけにもいかないから、その進捗は良くないらしい」


 地球人、その他の異世界に住む住人。我らと彼らの違いはどこにあるのか。何故、魔法を使うことができるのか。できないのか。魔力マナとはどういうものなのか。これらに関した研究は、コネクト時代が到来してから二十年経った今も判明していなかった。研究する本人たちが知覚できないのも問題だが、何よりも政府が異世界に対する規制範囲が未だに厳しいのが、研究者たちの行動を制限させていた。


「そんなときに見つかったのが『突然変異体』でね、地球人でありながら魔力マナを持ち、それを原料に『魔法』を使うことができる。そんな地球人が何人か見つかったんだよ」


「何人もいたんですか?」


「魔法を研究する大体的な機関が把握しているのは、確か三人だったかな。全員日本人だよ。世界的に見れば他にもいるかもしれないけど。虔治くんもその一人だよ」


「秦野原さんと神宮寺さんと、もう一人というわけですか」


「うんうん、玲旺は特別枠。『突然変異体』と名付けられた彼らは、くまで研究対象なんだよ。協力してもらう代わりに、相応の報酬を払ってるみたい」


 研究内容については秘匿も多いから部外者のボクもよく知らない、と彼女は言った。


「じゃあ、神宮寺さんと彼がお知り合いなのは」


「この研究棟でばったり出くわしたことがあってね。そのときに『禁忌の人物史アカシックエラー』のこともバレて。それで、虔治くんが、玲旺に研究対象の役割を取られるんじゃないか、って思い込んじゃったんだよ。それからは、事あるごとに玲旺に勝負を挑むようになった感じかな」


「研究対象になること、ってそこまで大事なんでしょうか」


「というよりは報酬目当てだね。あの子、母子家庭で妹もいるんだけど、お母さんが身体弱くて働くことが難しいから、実質報酬が家計を支えているようなもんなんだって」


「そうだったんですか」


 それを聞いた途端、リハナは虔治に対する評価を一変させた。最初に見たときは、柄の悪い反抗期的な迷惑少年のように考えていた彼女だったが、その粗暴な見た目の内側には並々ならぬ親愛があるようで、感動すら覚えた。


 ──人志くんと同じだ。


 何より、母子家庭に妹を持つ長男という立ち位置が、一緒に遊んでいた子供の一人とドンピシャに被り、虔治のことを憎んだり迷惑とも思えなくなっていた。


 ──これは応援したくなっちゃうな。


 そんな熱っぽい視線に気付かず、虔治は意気揚々と神宮寺に詰め寄っていた。


「まさか、この非常事態に勝負を挑むつもりじゃねえだろうな」と挑発する神宮寺。


「そこまで空気の読めないお祭り野郎じゃねえよ、オレだって」


「なら何しに来たんだよ」


「地下で暇を潰してたときに偶々たまたまお前を見つけてな、どうしても言っておきたいことがあったんだ」


「地下……? ああ、香織に会いに行ったときか」


 有陣大学から救助された後、神宮寺が創明大学で何をしていたのかというと、幼馴染みの香織に会いに行くことだった。彼女はそれまでは素直に地下シェルター内で大人しくしていた。虔治はそこを目撃したようである。


 つまり、二人が勝手な行動を始めたのは、神宮寺がシェルターで大人しくする選択肢を取らなかったからと言えよう。


 虔治は毅然と佇む神宮寺にグッと近付き、メンチを切るように頭ひとつぐらい上にある顔を見上げた。


「13体だ」震える声で言った。


「あぁ?」


「オレは、ここに来る前、逆羽のみんなを守るために、ランクCの『マキナ』を13体倒した。お前はどうなんだ、神宮寺!」


「……なんの話?」


「だから、お前は何体の『マキナ』を倒したか訊いてんの! 一度訊いたら解るだろ!?」


「いや、解らねえよ」興奮して捲し立てる虔治を冷ややかに見る神宮寺。


 そしてその視線で冷や水を浴びたかのように、虔治は自分の身に何があったかを話した。逆羽高校にも『ソルジャー』が現れたこと。自衛隊が到着に遅れて、生徒や教師たちの避難が遅れたこと。虔治が彼らを守りながら『ソルジャー』を相手取り、その結果13体をほふるに至ったこと。


「す、すごい……!」その功績を耳にし、リハナは感嘆の息を飲んだ。実際、『ソルジャー』を相手に戦地をまわる彼女だからこそ、その功績の素晴らしさを誰よりも深く理解することができた。


「今はピンチだからな、わざわざ自ら怪我するようなマネはしねえ。だが! 敵を仕留めた数なら勝負できる! さあ、答えろ神宮寺! テメエは何体だ!?」


「そんなに凄まなくても聞こえてるから一旦離れろ鬱陶しい」神宮寺は熱を入れる『突然変異体』の少年とは対称的な態度で応じた。「何体かなんて知らねえよ。覚えてねえよ。というか、お前は倒しながら一々数えてたのか? どんだけだよ」


「当然だ。オレがテメエより価値があることは、少しでも証明しないといけねえんだよ」


「価値、って……」


 『突然変異体』は他の類を見ない貴重な体質なのは確かで、あえて価値をつけるならば、実験体や身体検査を積極的に買って出る虔治のほうが、機関にとっては有難ありがたいことこの上ない存在のはずだった。そもそも、神宮寺は『禁忌の人物史アカシックエラー』と呼ばれる憲法上にも登録された存在で、扱いとしては核兵器に近い。核兵器を一介の研究者が研究できるわけがない。なので、虔治が内側に抱えている対抗心は杞憂きゆう以外のなにものでもないのだ。


 神宮寺は、最初こそ面白がり、もちろん手加減して、虔治のことを何度も負かしていたのだが、それが彼にさらなる不屈の闘志を燃え上がらせる結果となっていた。


「すごい! 素晴らしいです!」そこで、いつの間にか車椅子から立ち上がったリハナが、虔治の傍まで近寄り、その手を掴んだ。


「…………!?」


「秦野原さんの心意気、とても胸を打たれました。家族のために身を粉にする献身的な精神、私も見習いたいと思います!」


 瞳を輝かせ、心の底から敬意を表するリハナ。彼女は、悲壮感を詰め合わせた彼が努力する姿に何よりも好感を抱いていた。才能や幸運に左右されず、ただ抜身の身体だけで人生を邁進する。自分がそれに近いだけに、仲間意識のようなものも感じていた。


「え、ていうか、立てるの……?」車椅子を押していたミデアは、片足を骨折しているはずの彼女が問題なく立っており、そして自分が見ていない間に移動していた彼女の俊敏さに冷や汗をかいた。「車椅子、いるぅ?」


「秦野原さんに幸あるように、私も陰ながら応援しますね!」リハナは喋る度に感極まり、彼の手を掴む手にも力が入る。


「…………」虔治は、神宮寺の前に突然割って入ってきた見知らぬ『獣人デュミオン』に面食らったまま硬直していた。


「……? 秦野原さん……?」


「え、あ、あ、あ……」そして、彼の顔が見るみるうちに温まっていく。言葉にも狼狽が広がっており、まるでそういう玩具のようにも見えた。


「相変わらず、女の人は苦手か」香織は苦笑混じりに言った。


 御年17歳の彼は、これまでまともな異性との交際をしたことがなく、関わりがあるとすれば妹ぐらいで、女性に対するコミュニケーション力を鍛えることができなかった。特に、初対面の女性を相手にすると、訳も解らなくなるぐらい考えをまとまらなくなってしまうのだった。


「と、とにかく……!」虔治は逃げるようにリハナの手を払い除け、彼女の後ろに立つ神宮寺に指をさした。「神宮寺、オレは絶対にお前よりも役に立ってみせる! そんで、この事態を乗り越えて、騒ぎが収まった後には強くなった力でお前をボコボコにしてやるから覚悟しておけよ!!」と明らかに後先考えず廊下の奥へ足早に消えてった。


「エレベーター、ずっと待ってるんだけど」クレハは「開」のボタンを押したまま、感情の薄い顔で言った。

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