第 44 話 光散る ―壱―


 P.M.6:10 渋谷ヒカリエ2F 駐車場エリア


 クレハの振りかぶる重量感のある剣を、その半分もない騎士剣で受け止める。

 金属同士のぶつかる甲高い音は鳴らず、リハナの耳に届いたのはこちらの刀身が削れたゴリ、という地鳴りのような音だけだった。


 斬る、というよりは断つ。


 斬撃とは思えないほどの鈍い衝撃が、刀身を支える両手から痺れを介して伝わってくる。足腰が崩れそうになるのを踏ん張り、向かってくる強大な力に負けぬよう魔力マナを集中させる。


 クレハの速力は瞬きすら命取りになるほどで、少しでも気が緩めばこうして接近を許してしまう。特に、リハナがギルドリエ流の剣技を披露してからは反撃の余地を与えないほどの連続攻撃を仕掛けてくるようになっていた。


 ――『転亀舞クレストキール』を使うタイミングもない。

 ――当たり前だけど、剣術の年季が違う。


 身体の重心、足の立ち位置、力の入れ具合、呼吸のタイミング、そのすべてを無意識の域で精密に効率よく操作し、速度と威力に申し分のない剣撃を生み出していた。

 先ほどのように受け流す余裕もなく、防戦一方だった。

 その上、振るわれた剣を防ぐたび、確実にこちらの刀身は消耗していた。魔力マナを通し、通常の鋼よりも強度を上げているとはいえ、それは相手も同じ。同じ条件でぶつかり合えば、より洗練された技術が圧倒するのは当然のことだった。


 ――このままじゃジリ貧で武器を失うのを待つだけだ。

 ――だったら……!


 押し潰されそうな鍔迫り合いをなんとか維持しながら、リハナは一秒も満たない時間で後ろを確認してから、相手が力を込めたタイミングで対抗に使っていたパワーを緩めた。


「――――!」突然、押し合っていた片方を失くしたクレハは、勢い余る形でリハナに襲いかかる。


 それと同時に、リハナは地面を前に蹴り上げた。クレハの一撃を利用した、長距離の後退。予め読んでいた軌道に態勢を整え、駐車場の薄汚れた壁に着地する。


 一度、距離を取る。これで事態が好転する確証はないが、あのまま続けていても有利が取れることは確実にない。

 剣術の型を組み直すためにも、ここは一旦クールダウンが必要だろう。


 そう判断しての行動だったが――もちろんこれは、リハナに利はあっても相手には一利が全くない。


 吹き飛ばされた衝撃を和らげ、身体を一回転するように地面に飛び移り、視線を正面に戻したときには、既に彼女は次の行動を起こしていた。


 顔を上げた直後に見えたのは、赤い車体。


 駐車場に停めてあった複数の自動車のうちの一台がリハナに迫りくる。地面からタイヤを浮き上がらせ、ぐるぐると回転しながら忙しないが、その速度は18番の投げる速球に匹敵した。


 一秒後には押し潰されてしまう切迫感を受けながら、リハナは咄嗟に、挑むように突っ走り、スライディングで車体の下を潜り抜ける。上体を反らし上になった瞳は真っ赤な鉄の箱をしっかりと映し、地面と平行になった耳は過ぎ去った自動車がひしゃげていく音をしっかりと拾った。


 そんな余韻に浸ることもなく、リハナは即座に体勢を整え剣を両手で構える。


 飛ばされた自動車の先にある光景で、こちらに立て直す暇を与えないよう画策するクレハが別の車を蹴り上げる瞬間を見逃さなかったからだ。

 軽自動車とはいえ、筋骨隆々な男性でも到底マネできない所業。まるで、サッカーボールを蹴り上げるかのような軽快な挙動で彼女は右足を振り抜き、誰の所有物かも解らない車を遠距離武器へと変えてしまう。


 ――誰のものか解らないけど、運転手の方ごめんなさい!


 内心で謝りながらも、動かしていく手は止まらない。


「ギルドリエ流剣式壱の型『三月恍クレシェント』」


 迫りくる白銀のBMWの外郭に、両手で構えた騎士剣を添わせるような柔らかな軌道でありながら、上から下方へ閃光の如く打ち出す。剣技に重きを置いた、壱の型ながらの高難易度技。

 正面を捉え、一切のブレなく、まるで紙や豆腐に刃を通すかのように、機構を含んだ車体を切り落とした。


「電光石火『菊花パラスティール』」


 次の瞬間、高速の連撃が車を両断したリハナに襲いかかる。菊の花弁のような四方八方に伸びた十二の煌めき。耳がピクリと動く。来た、とリハナの鼓動が強く響いた。


 クレハの繰り出す剣術はいずれも我流だ。昔聞いた話によると、振り回していくうちに強いと思った型を採用しているのだという。聞いたほうが後悔してしまう真相に、リハナは彼女の天才性をさらに意識するようになった。

 『菊花パラスティール』はクレハが持つ技の中でも一級として有名だった。リハナが新兵として力をつけていた頃にも聞き及んでいた、彼女の代名詞とも言える技だった。瞬く間に接近し、瞬く間に放つ十二連撃。防ぐ一手が限られた妙技は、必中必殺とさえ言わしめた。


 彼女と剣を交えると決めた瞬間から、リハナはこの技を最も警戒していた。実績と共に名を轟かせていたこの技を、如何にして突破するか。そんなことを考えたのも、実は昨日今日の話ではない。


 ――想像の類でしかなかった『アレ』が、まさかこんな形で披露することになるなんて。


 苦悩と期待の入り交じった複雑な心情にそっと苦笑いするが――それも一瞬のことで、すぐに表情を引き締めると、両手で持つ騎士剣に魔力マナをうんと注ぎ込む。

 現在のリハナは車を切り伏せた直後で、刹那的な接近が可能な『菊花パラスティール』に抵抗するための体勢の立て直しができない。

 ならば、やるべきことはひとつ。

 剣道の面打ちのように、真上から対象の頭部にかけて正中線に切り込む『三月恍クレシェント』。夜空に浮かぶ三日月の外縁を柔らかくなぞるような剣技に、本来必要のない多量の魔力マナと力を込め、両断後の停止を振り切りそのまま地面に向かって叩き付ける。


「ッ…………!?」クレハの瞳が見開かれる。そして、通り過ぎる。すれ違い様に放った刹那的な十二連撃は、リハナの身体を切り刻むことはなく僅かに狙いが逸れてしまった。


 魔力マナが流れた刀身に叩きつけられた地面は、めくれ上がるように凹み、欠片が飛び散り、膨れたような岩柱を生み出す。地面が揺れる。アスファルトの破壊はクレハの足元にまで及ぶ。


 それが、彼女の剣筋を狂わせる決定打となった。平衡感覚を失う凸凹した地面により踏み込みが上手くいかなく、放った連撃が綺麗にハマらなかった。


 サッカーボールほどの大きさの瓦礫に足を取られ、魔力マナで加速させたスピードを停止してからもふらふらとした覚束なさだった。転んでしまいそうな足取りで、リハナの生み出した惨状を確認しようと身を翻す。「驚いたな」


「まさか、私の『菊花パラスティール』をこうもあっさりと防がれるとは」


「……あっさりとなんかじゃないですよ」


 貴族の娘でありながら、約束された将来を捨てて、危険がつきまとうこの世界に身を投じたきっかけたる彼女の存在から眼を離したことは片時もない。どうすれば、彼女のようになれるのか、少しでも近付くことができるのか。研究を怠ったことはない。


 そして気が付いたのが、彼女の代名詞、『菊花パラスティール』は平坦で障害物のないフィールドでしか使っていない、ということだった。

 常識的に考えれば解ることだった。途轍もないスピードで接近するそのすれ違い様に斬りつける離れ業。とてもではないがその身に宿る運動神経で収まる範疇ではない。正確無比な魔力操作と整った条件が重なって、初めて成立する難易度の高い技なのだと予想できた。


「軌道をズラすために地面を破壊する行為を、クレハさんが魔力マナで加速してからこちらに辿り着く前に成し遂げなければならない。じゃないと、破壊した後の地面に応じた魔力マナの調整をされてしまうから。見てからじゃ遅い」


「つまり、リハナの敏感なお耳があって初めて成り立つ対策、ってわけだ」


「敏感なお耳、って言い方はやめてほしいんですけど」


「量産品の騎士剣を用意したのも、私のことをナメてかかったわけじゃないんだ。アサルトライフルじゃあ命を奪うから、慣れない剣を持ってきたのかと」


「……その思惑がなかったと言えば嘘になります」けど、とリハナは表情を引き締める。「クレハさんをナメるだなんて、一度もしたことありません。剣だって、私の勝率を少しでも上げるための手段ですから」


 リハナがこの戦闘に剣を用いることを選んだのは、ギルドリエ流剣術で彼女の我流に対抗しようと思ったからではなく、遠距離武器では一瞬にして接近する彼女の剣技に勝てないことを悟ったからだった。


「出し惜しみなんてしていられない。私は私の意思で、貴方の目的を潰すと決めましたから……‼!」


 そう言うや否や、リハナは踵を返した。

 相手に背を向けながらも警戒を怠らず、彼女が走り出した先は、壁に衝突して転がる赤い車のとなりに立てつけられた扉。

 冷たい印象を放つ鉄製で、上部には非常口を示す人の絵が描かれていた。

 そこまで辿り着いたリハナは、躊躇なくその扉に手をかけた。


「……! あれだけ啖呵を切っておいて逃げるつもり……!?」クレハもそれを追って駆け出す。


 重たい鉄扉が開くような音を立てて閉まる非常口まで駆け寄り、その取っ手をまわし切る前に、クレハは頭の中でこの渋谷ヒカリエの構内図を展開した。


 この先は花屋やサプリメントメーカーが並んだヒカリエ内でも片隅に位置する区画のはずだ。近くにはトイレもあり、非常事態に備えた避難経路に繋ぐための最短距離としてこの扉は付けられたという。


 ――お店が並んでいる通りに出るまで、真っ直ぐな通路が3メートルぐらい続いてたはず。


 扉が開いた直後に銃弾を撃ち込まれる可能性は否定できないが、ハンドガン程度の威力であれば直撃しても問題はなかった。


 ――……一応、警戒はしておいたほうがいいか。


 奥深い地下室を思わせる頑丈な扉の前に立ち、クレハはゆっくりと右手に愛用の剣を馴染ませる。

 待ち伏せの奇襲も、仕掛けられた罠も、その可能性に怯える原因ごと吹き飛ばしてしまえばいい。

 斬り伏せるというよりは突きに近い剣の振り方で飛び出した彼女の身体は、目の前の扉だけではなく周囲の壁すら引っ剥がしながら奥の狭い通路を突き進んだ。

 舞い上がる砂埃。ピンボールのように弾ける鉄扉。走るというよりは飛び込みに近い形で一気にヒカリエ内まで移動したクレハは、通路の途中はおろか両脇から壁が消えた先にもリハナの姿がないことに一瞬呆気に取られる。


 どこかに隠れて奇襲を仕掛けようというのか。気配を捕まえようと人より優れたケモノのような耳をそばだてたそのとき――――


 視界の上から降ってくる丸い影がひとつ。


 それの正体が解った途端、クレハは自分が失態を犯したことに気が付いた。


閃光手榴弾スタングレネード――――!!」


 対処する間もなく、響き渡る大音量。耳の中が、陸に上った魚がのたうち回るような不快感と痛みで支配される。それと同時に、眩しいほどの光が迸り、聴覚と共に視覚の情報も霧散していく。


 閃光手榴弾スタングレネードがクレハに直撃したことを確認してから、リハナは隠れていたフラワーショップのレジ台から飛び出した。


 その手に、この戦いのために用意したロングソードはない。


 両手に何も持っていない状態で、眼も耳も働かずに右往左往するクレハに近付くリハナ。

 クレハもまた、今の自分がどれだけ格好の的であるかを理解しているのだろう。出鱈目に剣を振っている。

 その剣先に当たらないように身を低くして突進し、彼女の腰辺りを抱くように腕をまわすと、相手の膝の動きを利用するようにして手前に引き、相手の重心を崩し倒す。


 まんまとバランスを失うが、リハナが掴んだことによって見聞きできなくても位置を特定したクレハは、すかさず足払いをその位置に向かって滑り込ませた。

 足先が足首に擦れるも、転倒するまではいかず、太ももに付けたホルスターから拳銃を取り出したリハナは、「動かないでください」と撃鉄を降ろしながらクレハに向けた。


「撃たないんだ」段々と視界が戻ってきたのだろう、眼前に銃口がありながらもクレハは挑発的に言った。


「妙な動きをすれば撃ちます」


「私の野望を邪魔するんじゃなかったの? ここで撃てば、終わるかもしれない」


「その前に、訊きたいことがあるんです」倒すのはいつでも出来る、と言わんばかりだった。「言っておきますけど、強硬手段に出ようとは思わないことです。ハンドガンぐらいの威力なら、魔力マナで強化された肉体、ましてや『獣人デュミオン』の肉体ならば、地球人の開発した武器程度は耐え切れるかもしれませんが、最初に言っておきます。この銃弾はただの銃弾ではありません」


「……その根拠は?」


「私なんかより使いこなしているクレハさんのほうが解るんじゃないですか?」


「……魔力マナか」


 彼女の持つ拳銃には、クレハの剣しかり先程のロングソードしかり、彼女の身体に宿る魔力マナが自然に流れていた。


魔力マナを通したからといって、銃弾の強度が上がるものなの?」クレハが知る限り、そんな例は聞いたことがなかった。「接着している剣や銃身なら解るけど、身体から離れたものに魔力マナを流すなんて不可能だよ」


「なら、試してみますか?」リハナは真顔で言った。


 リハナが引き金に手をかけ、クレハは押し黙るように口を結んだ。かと思うと、綻ぶように微笑を浮かべる。「ビックリ。まさか、リハナがそんな高みから脅しつけるようなことをするなんて」


 高みだなんてとんでもない。リハナは強く否定したかった。ずっと堪えているが、今にも身体が震え出しそうで仕方がなかった。クレハの、一挙手一投足から眼を離さないように神経を張り巡らせていた。少しでも隙を見せてしまえば、一瞬で形勢逆転される。その確信があったからだ。


「私の言うことを聞く気になりましたか」


「今回の作戦を中止しろ、という要求以外なら」


「では訊きますが、このタイミングで今回の作戦を決行したのは、やっぱりこの騒動に乗じて上手くいくと思ったからですか」


「騒動、ってのは『マキナ』襲来のこと?」


「はい」


「そういうことなら、その通りだよ」クレハは銃口から微塵も眼を逸らさずに言う。「元々、『禁忌の人物史アカシックエラー』の抹殺はずっと計画してたことなんだ。『ヘルミナス王国』の侵略を促すには、一番の障壁だからね。そんなときに、首相を救う作戦の要になれたわけだし、丁度いいかなと思ったんだ」


「ということは、最初は首相を人質に取るつもりはなかったんですか」


「『禁忌の人物史アカシックエラー』を動かすほどの材料があれば、それで問題はなかった。護衛も警備も厚く固められている首相をわざわざ狙う理由なんてないよ」


「……嘘じゃありませんよね」


「この期に及んで嘘を言うつもりはないよ」


 澄ました様子で答えるクレハに、リハナは心の中でほっと一息ついた。よかった、と心で呟く。もしも、この『マキナ』すら彼女達の手招きしたものであれば、例え今回の作戦を阻止できたとしても、彼女達を庇い立てることが難しくなってくる。


「……では、最後の質問です」


「思ったより早い最後だね」


「どうして、こんなことを始めたんですか」


 それは、リハナが彼女達に会ってまず確かめたいことだった。自ら破滅に向かうような此度の作戦。その真意がなんなのか。


 あのとき、リハナはクレハ達に置いていかれた。彼女を連れて行くべきではない、と判断された。

 そのことにショックを受け、辛酸を舐め、悩みに悩んだこともあった。

 しかし、今ならそれも受け入れる。確かに自分はマーダー小隊の一員だったが、真の意味で憧れの先輩達を見ていられたかどうかと問われると、素直に頷くことができない自分がいた。

 結局、自分は憧れの先輩達を、その『憧れ』を強調した部分しか見ていなかったのではないか、と。

 例え、今ここで明かされる真意が想像もできない重みを抱えていたとしても、自分の阻止しようという意思が失くなることはない。

 しかし、見ていなかったからこそ、今からでも知ろう思うことは間違ったことではない、とリハナは信じていた。


「理由がどんなものでも、神宮寺じんぐうじさんを抹殺するような今回の作戦を支援するつもりはありませんが、共感して、一緒に悩むことはできるかもしれません。私だって、マーダー小隊なんです。クレハさん達からすれば雀の涙のようなものかもしれませんが、どうか私も皆さんと一緒に苦しませてくれませんか?」


 それが、それこそが、リハナが求めるたったひとつの望み。

 もっと自分を頼ってほしい。

 仲間外れにしないでほしい。

 酷く自分勝手で、だからこそ譲れない強い思い。

 そのためなら、自分の関わらない彼女達の願いすら砕く。

 そんな歪んだ覚悟。


 クレハは暫く考えるように沈黙を貫いた。俯かせていた眼を、やがて閉じ、力なくすように項垂れていた手から剣が落ちる。まるで、燃料の切れたロボットのように、段々と動かなくなる気配すらあった。


 彼女の様子から諦観がふつふつと湧き上ってくることに気付いたリハナは、目尻に熱いものがこみ上げてくる気すらしながら、引き金から指を離し、拳銃の矛先をゆっくりと下にさげていく。


 やがて、クレハは意を決したように眼を開き――――


「だからこそ、話せないんだよ」


 瞬時に、意識的に落とした愛剣を拾い上げ、下から空気を裂くように分厚い刃を切り上げる。

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