第 45 話 光散る ―弐―


 創明大学 地下シェルター 物資保管倉庫


「これは、絶対にリハナにだけは言わないでほしいことなんだけど」


 鬼ごっこから始まり、頼りにしていた先輩研究員達の手も借り、戦闘と言うには味気なかったものの、最終的には研究班側が駆け引きに成功したことにより決着を見せた、冴山さえやま香織かおるを巡る一連の騒動。


 それから少し時間が経ち、倉庫内の空間に余すことなく降り注いだスプリンクラーの水が乾き始めた頃。そこまで彼女の話を聞かずに待ったのは、びしょ濡れになった服を着替える時間が欲しかったからで、主に被害を受けた白衣を脱ぎ、不意打ちで雨に打たれた香織とミデアの二人はトップスからボトムス、中の下着まで全替えする必要があった。


「悪いんやけど、ミデア・アルファム隊員の着替えはこっちの女性陣に手伝ってもらうわ。もちろん、武器は全部没収するし、反撃をしようものならすぐに対処できるよう水鉄砲は構えたままでやらせてもらうけど、それでええか?」


「うーん、濡れたまんまじゃ気持ち悪いしねぇ。しょうがないなぁ」


 ミデアからすれば、敵の状態がどうであろうと無視しても問題ないにもかかわらず、わざわざ要求の機会を遠ざけてまで反撃のチャンスを与える彼らの不用心さに呆れ返る思いでいっぱいだったが、あざける気持ちにはならなかった。「よっしゃ、ここは僕が代表して手伝ったる」と冗談にしても面白くない井上いのうえ部長には冷めたが。


 とにかく、着替えも終えて気分もスッキリ。これでお風呂にも入れたら気持ちも替わるものだったが、贅沢を通す身分でもなし。ミデアは約束した通りに、今回の騒動を起こした理由を話すことにした。


「でも、本当にいいの?」香織が心配そうな顔で言った。「ボクたちに理由を話しても」


「えー、銃で脅しつけといて今更そんなこと言うのぅ?」


「だって、それを話したらミデアさんは裏切り者になっちゃうんじゃ」


「さっきも言ったように、私達が本当に話したくない相手なのはリハナだけだからさぁ。それ以外には別に、言うなと強く言いつけられてるわけじゃないしぃ」


「どうして、リハナちゃんにだけ言えないの?」


「それもこれから話すってば」勿体もったいつけるように言うミデアは、生易しい待遇を施す彼らにかまけて、己が実質的に捕虜の立場である自覚が足りないようだった。「とにかく、こっちに隠したり嘘をつく意思はない、ってことぉ。ここで聞いたことをリハナに伝えたりしない限りは、そんな隠し立てするようなもないしぃ。二人と違って、銃で肌を焼かれながらも立ち向かうほど、私は頑張り屋でもないしぃ」


 のんびりと言葉を紡ぐミデアは、両手を上げ、降伏を意味するジェスチャーを、精一杯と評するには緊張感の欠片もないが、戦う意思がないことを終始表現していた。


 だが、心の中ではひとつの悪知恵が働いていた。


 ――今はとりあえず、話に集中させる。時間を取って、綻んだ瞬間に逆転を狙うのが賢い選択かなぁ。


 転んでもタダでは起きず。

 どれだけ不利な事態に陥っても、勝つための要素を見逃さずにざとく着々と行動する。諦めは死を意味する熾烈な世界で生き抜いてきた彼女故の手段に、香織達は気付くことができなかった。


「寧ろぉ、このことは地球人である君達には知って欲しい、知っておかないといけない事柄だと思うんだよねぇ」


「せやから、勿体ぶらずはよ教えてや。君らがあんな事をしでかした理由わけ、っちゅーヤツを」


「はいはい、解ったよぉ」かす井上部長にうんざりするミデア。「その前に、おさらいで言っておくけど、まず私達の目的は、『禁忌の人物史アカシックエラー』の抹殺。そして、地球の豊富な資源を丸ごと頂くことだよぉ」


「……なんでそんな軽いねん」井上部長は頬を引き攣らせた。


「確か、玲旺れおがいなくなれば平和条約を蹴っ飛ばして、『ヘルミナス王国』も総力を上げて侵略できるから、そのきっかけを作ることがマーダー小隊の目的、だったよね」香織は説明を補足するように言う。


「よく知ってるねぇ」一応、機密情報なんじゃないの? と言いたげなミデア。「誰よりも強い最強のメッセンジャーがいるもんで」と香織。


「地球の資源が豊富、というのも疑問が残るけれどもね」と言ったのは矢戸戸やこべ副部長だった。彼女は兵藤ひょうどう寛太かんたの装備していたシールドで雨を防いでいたため、他の面子と比べると被害は少なかったが、一応白衣は脱いでいた。下に着ていたベージュのブラウスと黒のパンツが瀟洒しょうしゃな雰囲気を与えていた。「想定以上に増える人口は、いずれ起こる枯渇問題を後押ししていると言われるぐらいだし。日本だって、決してエネルギーの自給率が高いわけじゃないのよ。『ヘルミナス王国あなたたち』に支給している物資だって、限られた範囲でなんとかりしていると聞いたことがあるわ。もっとも、噂で聞いたレベルだけど」


「と、というよりは、みっ……ミデアさんの言う『資源』とは、ま、『魔力マナ』のことなんじゃないですか……?」森川もりかわ彩也あやは、瓶底眼鏡で隠れても解る不安げな瞳で提唱した。「魔力マナを感知できない私達には、わ、解りませんけど……地球には確か、残り五つの『異神世界』とは、く、くあべ……」とそこで舌がもつれたのか、改めるように呼吸を整えた。「く、比べ物にならないほどの魔力マナが空気中に含まれているんですよね……?」


なんごろなっとる異世界人の言い分を信じるなら、やけどな」井上部長は挑戦的にミデアに一瞥くれた。


「その通りだよぉ。至るところから魔力マナの気配を感じるねぇ」ミデアはその挑戦を買うように肯定の言葉を口にした。「ただねぇ、私達は別に地球の潤沢な『魔力マナ』が欲しいわけじゃないんだよねぇ」


「え、そうなんですか……?」


「そりゃそうだろ森川」当惑する彼女に、素っ気なく話しかけたのは隅多すみたデニスだった。間違った説を提唱した彼女を軽蔑しているというわけではなく、それが彼の通常運転だった。「『獣人デュミオン』が外部の魔力マナを利用して魔法を使う類の種族じゃないことは研究済みだろ。だからこの場合の『資源』は文字通りの地球にとっての資源、食料とか土地とか金属とかそういうのを言ってるに決まってるそんなことぐらい解れよ」


「う、うぅ……すみません……」


「ドンマイだぞ、森川くん!」兵藤寛太は恐縮気味の彼女を励ます。


「ということは、マーダー小隊が玲旺を倒すことにしたのは、地球の物資支援が足りないから?」香織が虚を突かれたような声で問い掛けた。


 そんなことのために、と香織は信じられない気持ちだった。これは決して、彼女達の理由を軽んじているわけではない。『ヘルミナス王国』の事情に詳しいわけでもない自分が、今この場で又聞きしているだけの分際で判断していいことではない、と理解していた。

 ただ、どれだけ長考を重ねても、だから人類最高戦力の男を博打覚悟で倒す動機に直結するとは思えず、本当にそれだけのために今回の騒動を実行したのならば、失礼ながらその覚悟は浅はかと言わざるを得ないだろう。


「物資の量に不満があるなら、まずは上に訴えるとか、遣り様はあったでしょ! わざわざ、玲旺に勝負を挑むようなことをしなくても…………」


「うーん、厳密には少し違うかなぁ」ミデアは調子を崩さず、穏やかな女子会を楽しむかのような口振りで反論する。「私達が欲している資源の詳細はおおむね合ってるよ。『へルミナス王国』は歴史的に兼ねて土地や食料の不足が背中合わせでついてきているようなもんだし。けどねぇ、クレハ達が欲しがってる資源ってのは、王国に提供される分じゃないんだよねぇ」


「クレハさん達……?」どうして、私達、と言わないのか香織は気になったが、もうひとつ気になる箇所があった。「それに、王国に提供される分、ってどういうこと?」


「そのままの意味だよぉ。地球……というより、日本政府が提供してくれる食料や生活用品って、それが直接王都の人達に配られるんじゃなくて、貴族や上流階級の国民が優先的で、平民、さらに言えば貧民に類する国民には配られないなんてことも珍しくないんだよねぇ」


 貧富の差。それは、香織にとっても想像しやすい国難だった。特として、社会階級制度が採用されている国では、その不平等な待遇が浮き彫りとなっていてもおかしくない。寧ろ、自然と言えよう。

 もっとも、香織の持つそれはくまで想像。恵まれた環境で育った女の描く世界観に過ぎないのであって、実際に蔓延する国民の苦悩や受難はそれ以上なのだろう。


「クレハとアイーシャは、こっちで言うところの孤児院育ちでさ、両親も血が繋がった間柄もいなくて、そこに住む孤児と育ててくれた職員の人が家族みたいな感じでぇ」だから、その繋がりをより強くしたくて、二人の姓名も同じにしたみたいだよぉ、とミデアはしみじみとこぼした。「二人が『騎士団アルスマン』に入隊したのも、孤児院のみんなを養いたいってのが動機だったみたいだよぉ」


「なんや、君はちゃうんか」


「私の家系は普通だよぉ。まあ、貧困層に部類されるほうではあるから、パパやママが楽になるなら越したことはないんだけどねぇ」おこぼれがついでに貰えたら、というように軽く言いのけるミデアの本心はそこにある気がしなかった。「二人の育った孤児院も同じような世帯事情でさぁ……いや、あっちは人数が多い分もっと悲惨なのかな、とにかく、せっかくみんなのために騎士団アルスマン入りしたのに、こうやって派遣ビーファ送りにされちゃったでしょ。だから、みんなが健やかに生活できているか気になっちゃってるんだろうねぇ」


「なんや、手紙でやり取りとかせえへんのか」


「世界すら違うのに、誰が手紙を送迎してくれるっていうのさ」


「年末のときとか、帰省は許してくれへんのか」


「『マキナ』がいつ襲ってくるか解らないのが今までの現状だったからねぇ。ああでも、『異神四世界大戦』で『マキナ』を滅ぼした後は長い休みが与えられて、故郷に帰ることも許してくれたことがあったかなぁ」まあ、『マキナ』は絶滅してなかったみたいだけど、と肩を竦める。


 一年前に決行された、その『異神四世界大戦』とは、『地球』と『コーリアス』を除いた異神世界で起こした戦争のことだ。

 獣のような特徴を持つ『獣人デュミオン』が存在する『ヘルミナス王国』。

 魔法の開発を得意とし、地球に無償協力を申し出た『うじ』の住む『フーバ皇国』。

 他を抜きん出た戦力を誇り、生態的には最も人類に近いと言われている『シークヴァニア連邦』。

 この三国が立ち上がり、連合を組み、相手したのは、無差別な侵略を起こしていた『マキナ』が生まれた世界、『エクス・デウス』だった。


 非参加だった地球の民ですら知らぬ者はいない一年前の出来事エポックメイキングには、地球駐屯部隊だった『派遣ビーファ』からも何人か参加を命じられていたという話なので、クレハのような実力者も前線で剣を振っていたのだろう。そして、戦争が終わり、『マキナ』の絶滅が確認したのち、終戦後の休暇が平等に与えられた。


 だったら、故郷への帰省が許可されたクレハ達は、『ヘルミナス王国』に戻り、孤児院の様子を窺いに行ったのかもしれない。そして、施設の貧しい環境が全く改善されていないことを知り、今回の計画を思いついた。香織はそう考えた。


「このタイミングで実行に講じたのは、『マキナ』の襲来に乗じれば簡単に首相に接触できる、と考えたからね」矢戸戸副部長は感心しているのか呆れているのか解らない息をついた。


「……でも、やっぱり納得できない」香織はやり切れない様子でこぼした。「確かに、家族のためだったらなんだってする覚悟はできるかもしれない。でも、それで玲旺と戦うなんて発想は突拍子がすぎると思う」


「すぎる、ってのもそれは冴山さん、貴方の主観でしょ。彼の戦いはカメラや映像には残ってない。知らなければ、臭いと噂のシュールストレミングでも嗅ぎたくなる。そういうものよ」


 彼女の言いたいことは解るが、口にした例えはよく解らない香織。


「いや」と口に出したのはミデアだった。「確かに、私達は『禁忌の人物史アカシックエラー』の実力を計り兼ねているけど、それで地球全人類を敵にまわそうだなんて思わないよぉ」


「あら、そうなの?」


「今まで語ったことは、序章に過ぎないよ」ミデアは広角を丸く吊り上げるように笑うが、それは筋肉を使って笑みという表情を形作っているように見えた。「物資が欲しい云々ってのは、飽くまできっかけだよ。私達が地球を見限ろうと思ったのは、ここからが本番なんだからさぁ」

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最強魔法師の世界救済 黒い蜘蛛 @mamebatyuru

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