第 22 話 首相官邸奪還作戦 ―弐―


 A.M.10:00 東京都千代田区 首相官邸内部


 正面の警備を全滅させたことによって、警戒態勢のレベルがぐんと引き上げられたようだった。

 もはや、隠密行動やスニーキングなど取る暇もなく、進めば進むほど敵が現れるような状態だった。


 首相官邸の内部は想定以上に酷いものだった。正面玄関から入り、エントランスホールまで渡るまでの最中、出くわすことも奇襲を仕掛けられることもなかったため、思ったより数は少ないのかもしれない、と早とちりしそうになったほどだった。いつもは立哨りっしょうしているSPや官邸警務官も今は人っ子ひとりいなかった。

 だが、少し耳を澄ませば、うじゃうじゃと耳障りな音があちこちから聞こえてきた。不快で仕方ない。さらに、その不快感満載な足音が明らかにこちらに向かってきていた。見張りの一匹が見つけた途端に全員が襲ってきたように、外の情報は既に内部の仲間たちに共有されているのかもしれない。


 旧官邸にある『男の花道』と比べると幾らか格は落ちるものの、それでも美しさや荘厳さは今も感じられる階段を下った。エントランスホールは構造的な高低差から三階にあり、中に入った直後に上下に移動できる階段が設けられていた。マーダー小隊の面々は二階に降りることを選んだ。


 これには理由が二つある。


 ひとつ、今回の作戦に徹した結果だ。彼女達の役割は外に待機する自衛隊の経路を作らなければならなかった。生存者の捜索をするならば、上階からしらみつぶしに部屋を当たるべきであり、そして十中八九、生存者がいるのは四階から上だと彼女達は確信していた。大会議室や官僚応接室などの部屋の密度が高い上階では、『マキナ』もわんさかと徘徊できるわけではなく、なおつ身を潜められる物陰も多い。対して、三階から下のフロアは天井の高い部屋が多く、死角となる場所が少なく、もし生存者が今も生き残っているのであれば、おのずと四階か五階の可能性が高いというわけだった。


 そこまで判断したにもかかわらず、あえて階下におりることを選んだもうひとつの理由は、


「リハナ、確かにこっちから『頭脳ブレイン』の気配が聞こえたんだな?」


「はい。正確には、『ソルジャー』とは異なる気配が、そこの部分だけ聞こえたという感じなんですけど」


「逆に言やあ、そこ以外は『ソルジャー』どもの気配しかしないわけだろ? だったら、ソイツが『頭脳ブレイン』に間違いねえよ」


 リハナの耳に届く、『魂』と彼女が呼ぶもの、その波動。高低差では誤魔化せない常軌を逸した異様さが、ずっと彼女にひとつの地点を示していた。

 そこを目指すためにも、マーダー小隊は内部の捜索を自衛隊に任せることにした。リハナの察知した妙な気配。それが『頭脳ブレイン』なのだとしたら、そいつを仕留めてしまえば、首相官邸内のすべての『マキナ』が機能停止するのだから早い話だ。


「とはいえ、まだ確証はありません。これまで聞いたこともない『魂』ですから」


「まあ、『頭脳ブレイン』自体、生き物とは思えない珍妙な見た目してからねぇ」


「やはり、ここは手分けして行動しませんか? 先ほどの階段、上にも行けるようでしたし、上下で二人ずつ探索しませんか?」


 リハナの性格上、下のフロアに『頭脳ブレイン』がいる可能性が高いと理解した上で、それでも生存者の保護を優先したい気持ちが強かった。純粋に怯えて隠れている人々を助けたかった。


「二手に分かれるのは危険」それにはクレハが答えた。


「そうでしょうか。『ソルジャー』相手なら、私一人でも……」


「確かに、『ソルジャー』だけならね。――だけど、もしもそれ以外がいたとしたら? 例えば、昨日リハナが話してた『フィクサー』とか」


「……!」


 ランクS『フィクサー』。人語を介し、『暴君タイラント』にも匹敵する凶悪な『マキナ』。


「リハナが出くわしたというそいつがいたときは、マーダー小隊の総力をもって挑んだほうがいいと思う。話を聞いただけでも、それだけ強大な相手。戦力が分散した状態では危険」それに、と彼女は言葉を続けた。「昨日の話だと、リハナは奴らの気配を察知できなかったんだよね? だとしたら、この階下に奴らが潜んでいる可能性は充分にある」


 反論の余地もなかった。『ソルジャー』と『頭脳ブレイン』以外いない、という情報は、くまで自分の感覚でしかなく、それが必ずしも確実というわけではない。それに、あの渋谷駅での一件、二体の『フィクサー』をリハナは察知することができなかった。信用に足る足らないの問題ではなく、己に課せられた任務以外のことを達成しようとするには、懸念材料が大きすぎるのだ。


「ずっと疑問だったことがある。なんで『奴ら』はこの首相官邸たてものを占拠したんだろう、って」


 首相官邸は、日本の牙城といっても差し支えない。強大な兵器や豊富な物資が置いているわけではないが、その強力な戦力を取り扱える唯一にして貴重な人材がここにいる。そう、首相だ。単純な知識や扱い方だけならもっと適任はいるだろうが、その人物がいなければ使用許可が降りない類の兵器も少なくなかった。


 そんな首相官邸を、『マキナ』が狙い打ちした理由――――


偶々たまたま? それはそれで可能性はあるけど、相手に言語を喋るぐらいの知能犯がいるとしたら……」


「今回の騒動は意図的な可能性がある……ってことか」アイーシャは眉間に皺を寄せた。


「そのことから、私は『フィクサー』がここにいても不思議はないと思う。リハナが話してくれた、奴らの言う『任務』のこともまだよく解らないし」


「あ……」そこでリハナは、あの二体がそんな会話を交わしていたことを思い出した。


「20メートルそこらの巨体が、やっぱり上にいるとは思えないから、いるとしても下だと思う。自衛隊が奴らと接触する前に、私達が始末すべき」


 リハナが話した昨日の段階で、既にそこまでの可能性を組み立てていた。バラバラだった情報を繋ぎ合わせ、ひとつの結論を下す。もちろん、それが正しいかどうかの精査は済んでいない。しかし、行き当たりばったりに屋内を移動するよりは、ひとつの仮説を軸に行動したほうが安定しやすいのは確か。


 ――やっぱり、クレハさんには敵わないな。


 リハナは改めて痛感させられた。


「でも、リハナの懸念も解らないでもないよね」そのとき、ミデアが口を開いた。


 異様な気配のするほうへ走らせていた足を、四人が一斉に止めた。


「というと?」クレハは確認を取るように言った。


「いやさ、首相さんたちがもし生きてるなら、やっぱり上にいるだろうし、その人達の安全を確保するためにも粗方あらかたは片付けたほうがいいんじゃないかあ、なんて」


「で、ですが、『頭脳ブレイン』を討伐すれば全機が機能停止するんですよね?」


「リハナはあんまり知らないだろうけど、『頭脳ブレイン』ってとんでもなくめんどくさいんだよねぇ」


「そ、そうなんですか?」


「うん。取り逃してしまった事例のほうが多いぐらい。それを考えたら、ちょっと対策を練ってたほうがいいんじゃないかなぁ、と思うんだよねぇ。だから」ぱん、とミデアは両手を合わせて音を出した。「ここは私が、いっちょ一肌脱ごうと思ってさ。四階から上を、私だけで探索する。それなら、戦力もあんまり分散しなくていいんじゃない?」


 あれ、とリハナはミデアに違和感を覚えた。

 ああではないこうではないと提言する彼女を見やる。


 リハナのミデア・アルファムに対する印象は、他の二人に比べると少し無遠慮なところがあった。親近感を持っている、と言ってもいいかもしれない。

 ミデアの抱える魔力マナはあまり多くない。リハナのように全くないわけではないが、比例して身体能力もそこまで高くない。それを本人は全く気にしておらず、自分の歩調でマイペースに任務をこなす様は敬意すら感じられた。今の発言は、そんな抱いた彼女のイメージ――川に流されるがままになるようになれ、というような事なかれ精神に近い彼女のイメージとは反しているように思えた。


 彼女が自ら進んで提言すること自体珍しいので、そう思っただけかもしれない、とリハナは特に気にかけずに終わる。「でも、危険じゃないですか。やっぱり、私も一緒に行ったほうが」


「リハナ。言っちゃあなんだけど、今のキミって私より全然強いんだよね。戦力としては二人にも劣らないと思うよぉ」


「いえ、そんなことは――」


「あるんだよ、これが」悔しいことにね、と彼女は悔しげでもなく続ける。「クレハの仮説も無視できない今、三人をバラバラにするのはよくないと思う。『ソルジャー』相手だけなら、単独でも問題ないんだけどねぇ」


 確かに、四階から上は大した『魂』は聞き取れない。『ソルジャー』のものしかしないし、その数も階下ほどではなかった。彼女だけでも凌げる範囲ではあった。


 ただ、ここであれこれ色々と考えても仕方ないのことではあった。最終的な判断は、小隊のリーダーであるクレハが決めることなのだから。


「……ミデアの言う通りにしよう」それが、彼女の出した結論だった。「ミデアなら単独行動も問題ない。先に生存者を確保して、後に続く自衛隊に無線でその位置を知らせる。それが最も効率のいい方法だと思う」


「現状、足手まといになりやすいのは私だからねぇ。『フィクサー』相手に私の魔法が効くかも解んないし。脇役は陰でせっせと縁の下の力持ちしときますよぉ」


 ゆっくりと伸びをした後、ミデアだけは来た道を引き換えした。その足取りはまるで焦点が定まっておらず、やる気の出ない身体を致し方なく持ちげているような歩調だった。

 急ぐ様子も普通に歩く気配も見せず、飽くまでマイペースに事を成そうとするその背中は、不思議と頼りなさよりも安心感が湧いてくるのだった。


「なんというか、本当に不思議な人ですね、ミデアさんって」リハナは言わずにはいられなかった。


「あぁ?」アイーシャはリハナに眼をやった。


「ミデアさんは、『ヘルミナス王国』にいたときからお二人とは知り合いだったんですよね」


「まあな」


「あの人は最初からあんな感じだったんですか?」


 あんな感じ、とは我ながら抽象的なことを言ってしまった、と思ったリハナだったが、それでアイーシャには通じたようだった。「そうだな。つーか、もっとやる気がなさそうだったな」


「え、アレよりですか?」先輩に対して、アレ、という言い方を思わずしてしまうほど、リハナの受けた衝撃は大きかった。


「アレでも、リハナが入ってきたからちょっと気を引き締めてんだよ。可愛い後輩に頼られたい気持ち一心でな」


「……正直、あんまりイメージできないです」


「だろうな。普段がアレだからな」


 リハナが見たことのあるミデア像と言えば、やたらと後輩である自分を揶揄からかったり、任務中もお喋りの絶えない不真面目な姿勢なため、それでも以前よりはマシだと言われても、その前の状態が想像できなかった。


「言っても、オレもアイツの素性に詳しいわけじゃねえんだよな。今回の作戦だって、なんでアイツが乗ったのかもよく解んねえし――――」


「二人とも、お喋りはそこまで」


 クレハのピシャリと言い放った声に、アイーシャの言葉が途中で幕を下ろす。会話に夢中になるあまり、口を開く回数が少ないクレハがそれをたしなめるのは、もはや様式美と化していた。


 ただ、今回に限っては、リハナもアイーシャも、油断や気の緩みも一切見せていなかった。むしろ、警戒心を引き出せるまで引き出し、いつでも臨戦態勢に入れるよう腰の重心を調節していた。


 三人が向かう下り階段の先。

 そこはホワイエと呼ばれるロビーであり、先ほどまで立ち話をしていた場所だった。


 中庭を映し出すガラス張りの壁の向こう側――そこには着実に外に待機していたであろう『ソルジャー』達が、招かれざる客である彼女達の元に集まっていた。


 のみならず。

 大ホールや小ホールに続く廊下からも、うじゃうじゃと蜘蛛のように地面や壁、天井を這う姿が確認できた。


「ミデアが去った後でよかったな」アイーシャが言った。「こんな状態の中じゃあ、流石さすがに一人を脱出させるのも難しかった」


「けど、尚なおさら、ここを突破されるわけにはいかなくなりましたよ」


 四階に登ったミデアの邪魔をされないように、この大量の『ソルジャー』を、一匹でも取り逃すわけにはいかない。リハナはそう固く誓う。


「リハナ、まだ『頭脳ブレイン』の気配はする?」クレハが確認を取る。


「はい。下からビンビンと」リハナの耳に届く謎の気配は、一階からしていた。


「だったら、コイツらは早いところ殲滅する」クレハはそう言うと、腰に提げた剣を鞘から抜いた。「中庭の分も、来るまで待つのも時間の無駄。こっちから仕掛けてあげよう」

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