第9話 東京珍道中


 P.M.2:00 東京都渋谷区 桜丘町某所


 リハナは草木の中で息を潜めていた。犬槙いぬまきの葉が耳の中に垂れてくるのがくすぐったかった。尻尾に変な感触があるなと思って見てみれば、アリンコが餌を運ぶのにルートとして使っていた。萎々しなしなとしていた感情に従っていた尻尾をしどろもどろに動かして振り落とした。道路を挟んだ向こう側にはセルリアンタワーがそびえ立ち、無機質な空を一刀両断していた。それだけを見れば、非常に平和な世界に見えるのだから不思議なものだ。


 時間帯からかんがみれば、桜丘公園には人が集まってもおかしくはなかった。それほど清掃の行き届いた場所で、遊具や広い敷地があるわけではなかったが、外の空気を吸いに来たオフィスワーカーが一休みするのに最適な場所と言えた。ベンチが間隔的に並び、花壇には『桜丘フラワーロードプロジェクト』の看板が刺さっていた。至って普通の日常の風景だ。


 そこに、『マキナ』という異質が混ざっていなければ――――


 ――…………今だ!


 リハナは茂みからハンドガンの銃口だけを外に出し、近くにまで寄って来た『ソルジャー』の瞳を一発で撃ち抜いた。


 ゼロ距離からの射撃。


 いくら威力に乏しいハンドガンでも、これだけ条件が整えば皮が柔い『ソルジャー』なら仕留められる。弾の節約にもなるし、短機関銃サブマシンガンや手榴弾と違って音も大きくない。


 もっとも、この作戦を考えたのは彼女ではなかったが。


「――思ったよりやるじゃねえか。地球の武器を使いこなしてる」


 彼女が隠れていた茂みとは別の茂みから出てきた神宮寺じんぐうじは、動かなくなった『ソルジャー』の機能停止を確認してから近付いてきた。


「どの目線からものを言ってるんですか」リハナも立ち上がり、近付いてくる彼に憎まれ口を叩く。「民間人の貴方より、普段から銃を扱っている私のほうが使いこなせてるのは当然です。訓練だって、自衛隊の皆さんに負けないぐらい積んだんですから」


「けど、『獣人デュミオン』は魔力マナで運動能力を上げて、物理で戦うのが基本なんだろ?」


「……ずっと思ってたんですけど、随分と異世界こちらのことに詳しいんですね」


「さっき言った幼馴染が異世界の研究をしててな、よく蘊蓄うんちくを嫌というほど聞かされる。後は、まあ暇だったんでな、興味本位で調べたりしてた」


 『六神世界』に関した情報の一般人に流布るふされる程度は、実は曖昧なところが大きい。政治的なやり取り、例えば各世界の代表者との交渉や『異神五世界平和条約』の裏に隠された対立軸、などは当然ながら明かされず、明かされたとしても決定的な結論が出てからとなる。『派遣ビーファ』の存在や魔法の解明などがこれに当たる。対し、『獣人デュミオン』や『マキナ』などの各世界の情報は積極的に公開されることが多かった。何故なら、それを知っておくことで市民の防衛力を高める効果があるからだ。ただ、『異神世界』の文明レベルや言語ラングの公開、といった大勢の地球人に直接な関わりがないものに関しては、未だに公開基準が法律で定められていないため、市民に流布される加減はまちまちだった。その良い例が、各種族の魔力マナの使い方の特徴だった。


 また、機密事項とその境界もまだはっきりとしておらず、割りと本人の口から漏れ出ることもあった。例えば、『派遣ビーファ』が同僚の地球人に『ヘルミナス王国』のことを話したり、神宮寺が知人の研究者から研究の進捗を聞いたり、そこからネットに流れて周知の事実に、というパターンも少なくなかった。


「あ、ちょっと」リハナが声を出した。


 神宮寺が断りもなく、命を失くした『ソルジャー』に近付いたからだ。


「不用意に近づかないでください。『マキナ』の生態は不明な点が多いんですから」まだ、安全と決まったわけではない。


 しかし、彼女の警告も虚しく、神宮寺は構わず『ソルジャー』に近寄り、腰を下げてその亡骸を眺めていると、「なあ、なんでコイツらは人を襲うと思う?」と言ってきた。


「え?」


「ただ目の前の人間を殺戮してまわる本能的な生物。その行動原理は一体なんだと思うよ」


「そ、そうですね」いきなりの問題提示に、リハナは戸惑いながらも答えを考えた。「……やはり、繁殖するためでしょうね。野生の生物は例外なく、生きるために他の生物を殺しますから。奴らにとっての捕食活動がアレだったのでしょう」


 思い出すだけでも腸が煮え繰り返るようだった。野生の性、といってしまえばそれまでだが、それにしたって奴らの残虐性は度を越していた。人を淡々と殺し、その死体も蹴ってぐちゃぐちゃにする、その非情さ、道理のなさ……許せるはずがなかった。


「捕食、ねえ…………。けどよ、コイツらは魔力マナを燃料に動くわけだろ。自分の身体に流れている魔力マナ。そいつを使って五感も再現してたっつー話だよな」


 亡骸となった『ソルジャー』には、生前に走っていた青い線がなくなっている。身体から魔力マナがなくなった証拠だった。魔力マナの消失は生命活動の消失を意味していた。


「ならよ、コイツらの食料も魔力マナになるわけだよな。けど、地球人に魔力マナが流れていないのは公然の事実だ。そもそも、コイツらは人を殺すだけ殺して、捕食と見えそうな行動をしているトコを見たことがないんだよな。身体だって機械だし、とても人を食う仕組みをしているとは思えねえ」


「ああ、それは『マキナ』の繁殖方法が『母胎マザー』を使っているからですよ」リハナは神宮寺の疑問に答えるつもりで言った。「『母胎マザー』っていうのは、『マキナ』を作り出す装置のことです。『エクス・デウス』のとある建築物の奥深くにあったらしいですよ」


 『異神四世界大戦』を経て、『ヘルミナス王国』と『シークヴァニア連邦』と『フーバ皇国』の連合軍は、『マキナ』を掃討した後、彼らの住む世界、『エクス・デウス』の探索を行った。『エクス・デウス』は日本のように高層ビルが立ち並んでいたのだが、そこを『マキナ』が住処としていた痕跡は見つかったものの、その建物に見合う大きさの種族を見つけることはできなかった。


 これは未だに仮説の域を出ないが、一説によると、『マキナ』は人工的生物で、『エクス・デウス』の住人によって作られたが、制御に失敗し、逆に滅ぼされる結果となった、と言われていた。


 そんな建物の奥にあったのが、『マキナ』を生み出す装置、『母胎マザー』だった。


「私は探索隊に参加したわけではないので、すべて事後報告のものになっちゃうんですけど、その装置の仕組みを調べて判明したのは、『マキナ』の繁殖方法は、他種族のDNA? と魔力マナを撹拌させて作り出すらしいです。だから、『ソルジャー』の役割は、人から血を吸い出して『母胎マザー』に提供する働きアリのようなものだ、というのが私の聞いた話です」


 ただし、それも憶測の域を出ないという。というのも、肝心の『母胎マザー』は探索隊が発見したその段階で、これ以上の繁殖を防ぐために破壊したからだった。なので、研究しようにも研究材料がないのが現状だった。


 だからこそ、今回の『マキナ』による侵略は予想外の枠をさらに越えた次元から来た不意を突く展開で、一般市民はもちろんのこと、 『異神四世界大戦』を経験した軍人達も酷く混乱を伴う結果となったのだ。


「なんとも眉唾モノですが、そうでもないと『マキナ』が人々を殺した動機が説明できないんですよね」


「ふーん。けどよ、その仮説って謎もあるよな」


「そうなんですか?」


「ああ。例えば、『母胎マザー』の原理が情報量と魔力マナの撹拌だとすれば、魔力マナのほうは『エクス・デウスあっち』で用意することになる。さっきも言ったように、地球人に魔力マナはねえからな」


「そうなりますね」


「んで、『マキナ』が地球を主に襲撃した理由として、地球に滞在する魔力マナに惹かれたから、ってのがあるよな。これは、何も奴らに限った話じゃない」


「う……急に耳が痛い話に」


 『世界の扉ミラージュゲート』が発現した2000年。『異神五世界平和条約』が結ばれたのが2005年であり、それまでの期間はさらに無法地帯だった。言葉が通用しない異世界と、突如として繋がったことにより、地球はもちろん他世界も混乱を極めた。そのためか、最初からいきなり和解といかず、しかも地球は魔力マナの量が潤沢だったこともあり、魔力マナが枯渇していた異世界にとっては文字通り奪い取ってでもその手に治めたかったはずで、『エクス・デウス』に限らず様々な世界から襲われるハメとなった。


「いや、それは別にリハナが気にすることじゃないだろ。大体、『ヘルミナス王国』は最初から地球に対して友好的だったろ」


 ただ、例外もあった。それが、『ヘルミナス王国』と『フーバ皇国』だった。この二世界は、他世界から狙われる地球に味方した。『ヘルミナス王国』は取引を持ちかけ、『派遣ビーファ』などの戦力を提供する代わりに、食料や衣服などの物資を返礼してもらう『アースヘル和親条約』を結んだ。『フーバ皇国』に至っては、そもそも争う思考がなかったようで、不利な状況に陥る地球に同情して無償の支援を施してくれていた。


「とにかく、『エクス・デウス』では魔力マナが枯渇寸前だったと聞く。だから、地球に惹かれた。そんな状態で繁殖用の『魔力マナ』を余分に取っておけるとは思えない。奴らの繁殖方法に、魔力マナは関係していないと思っている」


「けど、実際に『マキナ』は増えていて、奴らは魔力マナを燃料に動いている……」


「まあ、そこらへんの謎は解らんが、俺が言いたいのはそこじゃなくて、奴らが人を殺すのは、繁殖のためじゃないんじゃねえか、っていうことだ」


「では、なんのために……」


「人を殺すために人を殺す――俺はそう考えている」


「……?」


 文章の構築力がなさすぎて怪奇な文章となっている。そんな意味の解らなさを覚えたリハナは、神宮寺の出した結論を詳細を訊き出そうと口を開いた直後――――




「あの、すみません!」




 と二人の耳に知らない声が届いた。


 二人は一斉に聞こえた方向に顔を向けた。ビクッ、といきなり視線に晒された声の主が怯えた反応を見せた。二十代の女性だった。ただ、眼を引いたのは彼女の身体だった。上着を着ていたのだろう、夏でもないこの時期にノースリーブのトップスに、そこから伸びた腕は傷だらけだった。髪は乱れ、泥のような液体が付着していた。青ざめたジーパンも所々が破けていた。


「っ……大丈夫ですか!」その尋常でない出で立ちから、リハナは『派遣ビーファ』としての顔を再浮上させた。


 今にも倒れそうな女性に駆け寄り、身を預けるように促し、彼女は心配そうにその身体を観察した。


 切り傷がいくつもあり血が流れているものの、命の危険にまで達しそうな程度ではなかった。顔色は青白く、恐らく物理的ダメージよりも精神的な疲労が大きいのだろう、リハナが触れるときにも身体を震わせていた。はあはあ、と息が激しい。走ってきたのだろう、と予想できる。


 ――つまり、何かから逃げていた……?


「神宮寺さん、周囲を警戒したほうがいいかもしれません。この女性を襲った存在が近くにいる可能性があります」


「その女はどうすんだ」


「神宮寺さんに預けてもいいですか。もし、追っ手がいれば、私が対処します。どちらにしても、応急処置は神宮寺さんにしかできません。近くにコンビニか薬局、病院がないか、警戒しながら探しましょう」


「ま、待って……ください……!」


 今後の行動指針を決めたところで、女性が力を振り絞るような声色でリハナの肩を掴んだ。


「病院、じゃなくて……、行ってほしいところが……あるんです……!」息も絶えだえに言う女性からは、絶対に伝えなければならないという切実さが滲んでいた。


「行ってほしいところ?」


「有陣大学という場所です……! そこに……っ、友達や先生達が! 『マキナ』に……!」


「『マキナ』に大学の生徒達が!?」


 女性は掴んだリハナの肩に力を入れ、なんとか立ち上がった。「案内します……! だから、みんなを助けて!」


「ですが、貴方の怪我も……」


「それよりも! もういつ殺されてもおかしくない!」


 女性の必死に満ちた迫力に、リハナは気圧されるようだった。本人はここまで言うのであれば、無理やり治しに連れて行くこともできない。抵抗されて、さらに怪我でもされたら目も当てられない。


 それに、リハナとしても有陣大学に囚われた人々を見逃す選択肢はなかった。比較的軽症の女性の強制治療と、時間をかけるほど命の危険性が上昇する被災者、その二つを天秤で測ったところ、後者に坂が出来上がるほど傾いた。


「もう死んでんじゃねえの、そいつら?」そのとき、神宮寺は冷めた声色で言った。


「え……」


「ちょっと、なんてこと言うんですか神宮寺さん!」リハナは堪らず声を上げた。


 神宮寺は無言で肩を竦めた。冗談のつもりだったのか、とリハナは流石にその軽口を許すことができず、さりとてこのまま口論を始めても仕方なく、デリカシー皆無の男を無視して話を進めることにした。


「あの人は無視してください。それより……すみませんが、有陣大学まで案内してもらってもいいですか」


「……はい、解りました」


「一応、お名前をお訊きしても?」


「篠原亜子と言います」女性、改め篠原亜子は青白い顔で名乗った。




 P.M.2:10 東京都渋谷区 有陣大学表門前


 有陣大学は大通りから外れた場所にひっそりと立っていた。他と比べると敷地も狭く、申し訳程度の運動場を見ると、部活にそこまで力を入れていないのだろうと推測できた。


「ここが……有陣大学です……」篠原亜子が言った。


「案内してくれてありがとうございます」リハナは礼を言った。「ここからは私に任せてください。篠原さんは近くのシェルターに避難しておいてください」


「え、でも……」


「安心してください。学校の皆さんは必ず私が助けますから」


「いえ、そうじゃなくて……」篠原亜子は言いづらそうにしていたが、それでも意を決したかのように口を開いた。「なんというか、学校の中、変なことになってるんです」


「変なこと?」


「『マキナ』が屋内を改造しているみたいで、構造が滅茶苦茶になっているんです」


「……!」その言葉を聞いた途端、リハナの顔が驚愕に染まった。「奴らが巣を作っているんですか!」


「リハナ、『マキナ』って巣を作るのか」神宮寺がピンときていない顔で訊ねた。


「通常、『ソルジャー』は働きアリなので、特定の場所に依存するようなことはしません。獲物を足で探し、本能に従うまま行動するんです」


 『ソルジャー』の核となる瞳の部分と、『母胎マザー』の核は魔力マナによってバイパスが繋がっているとされている。その二つの魔力マナの質が同一と思われるからだった。これも、破壊されたため実証ができず、確定とした情報ではない。


「ですが、ランクB――『ネームド』は違います。奴らは知恵を持っています。獲物を狙うのに効率を求めるんです。例えば、罠を張ったり、武器を作ったり、一度に大人数を狙うやり方を実用するんです。巣を作る行動も、『ネームド』の特徴もそのひとつ。長期戦を予想して、仲間を集めるための場所を作るんです」


「知能犯、ってわけか」


「まあ、人の知能と比べれば流石に低いですけど。予測のできない行動をすることが多く、人によっては、ランクA――『暴君タイラント』よりも戦いづらいと仰る人もいますね」


 ちなみに、リハナが入隊しているマーダー小隊の01と02もその一味なのだが、重火器が通用しないという点では、ランクBもAもリハナにとっては厄介なことこの上なかった。


「わ、わたし、その巣からなんとか必死に逃げてきたんです」篠原亜子は辿々しい口ぶりで言った。「だから、安全なルートを案内できるかもしれません」


「しかし、危険なことには変わりありません。やはり、篠原さんは神宮寺さんと一緒に待つか、安全な場所に避難してもらったほうが」


「で、でも――」


「まあ、いいんじゃねえの?」と篠原亜子に割り込んで口を開いたのは神宮寺だった。


「神宮寺さん……」


「そんな眼で見んなよ。本人が行きたいって言ってんだ。案内できるなら、有効活用しない手はないだろ。それに、そんな地獄から出てきたのに、もう一度入ろうっつー覚悟があるんだ。足を引っ張るばかりじゃねえだろ」


「うーん、そうかもしれませんが……」


「それと」神宮寺はそこで言葉を置き、リハナに近づくと、キョトンとしている彼女の顔で思いっきりデコピンをした。


「あうっ!」


「何しれっと俺をハブろうとしてんだ馬鹿。俺は蚊帳の外なんて御免なんだよ。何がなんでもついていってやるからな」


「だ、だからここは危険で……」


「てい、てい、てい」彼女が最後まで言葉を吐く前に、神宮寺は何度もその額にデコピンを決めた。彼女がうんと言うまで続けるつもりなのだろう。


「わ、解りました、解りましたから!」リハナは了承する他なかった。


「…………」篠原亜子はそのやり取りを呆然と見ていた。敵の陣地に忍び込もう、という状況の割に、なんとも緊張感がなかった。


 主に、神宮寺のせいではあったが。


「ああ、そうだ」先陣を切って有陣大学の敷地内に入ろうとした神宮寺だったが、門に手をかけたところで足を止めた。


 ぎゃ、とリハナがその背中にぶつかった。


「アンタに訊きたいことがあったんだ」背中の感触を無視し、彼は篠原亜子に眼を向けた。


「わ、わたしですか……?」


 彼は細めた眼を向けたまま、「ユウカは大丈夫だったのか?」


「――――――!!!」篠原亜子は眼を見開いたまま答えることができなかった。


 神宮寺もそこまで興味がないのか、彼女の口から答えを聞く前に門を押して敷地内に足を踏み入れた。


 そんな二人の様子を、リハナは不思議そうに見ていた。

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