第3話 渾沌会議


 P.M.1:00 国会議事堂 緊急異世界災害特設対策本部


 国会議事堂のとある一室。妥当な理由もなく、さりとてサイコロの目で決めたわけでもないが、とにかくその部屋に前もった報告もなく対策本部が立てられた。


 内容はもちろん、現在の状況に関すること。突然の『マキナ』の襲来に対策するための集まりだった。


 通常、こうした異常事態は総理の決定なくしては軽率に行動できず、本部も議事堂ではなく首相官邸に設置されるものなのだが、どうにも情報が錯綜しており、現場を指揮する官僚と内閣府が入れ違いのようなことを起こし、充分な連絡が取り合えていない状態だった。


 そのため、本部は過去に『六神案件』に関わった人員を招集することによりち上げ、その面々の過半がいた場所――国会議事堂に設置されることが決まった。


「一体どういうことですか!」そんな臨時会議室にて、一人の女が声を張り上げた。ヒステリックに裏返そうな声音。それが現状の深刻さをにょじつに表していた。


 彼女の名は欝河うつかわ未月空みるく。異世界間交流調整官、という『六神世界』との交渉や文化交流を行う外交官的な役割を担っていた。

 大海を挟んだ他国とは違い、正真正銘の異なる世界。文明や価値観が根底から異なる。教科書にも載っていないゼロからの交流は、非常に困難を極め、なかなか最適な官僚を見つけることができなかった。


 そんな末に現れたのは彼女だった。年齢は28。平均年齢40歳以上の官僚において、その若々しい年齢で固定の企画を統括する立場にいるのは異例に近いのだが、そのぶん古株からは反発も多い。特に彼女は目の敵にされている節があった。異世界人との初対面時にて、言語の壁も介さず強気に言葉を発し、所謂、『パッションイングリッシュ』を行使した結果、これまでの外交官候補よりも好調な功績を出したことにより、異例の大抜擢を得た。それを偶然の成功だと揶揄する者もいれば、内閣官房に取り入ったと噂する者もおり、とにかく評判は悪かった。


 もっとも、元々の評価にしたって、政界に入ったクセに目上の態度や礼儀がなっていない、という散々なものだったが。


「『マキナ』は一年前の大戦で全滅したんじゃなかったんですか。どうして今になって再び奴らが地球に……」


 世界の扉ミラージュゲート周辺の駐屯地に派遣された自衛隊からの警報が鳴った頃には、既に幾多の『マキナ』は都心に移動していた。報告が遅れた理由は、当該の自衛隊員と連絡がつかず、不明。最悪の可能性を考慮しなければならない。


 会議室には百インチの薄型モニターが置かれていた。今はどんな些少な情報も見逃したくない。点けっぱなしの画面では、還暦間近のアナウンサーが渋谷の状況を中継していた。避難指示が出ているにも拘らず、だ。街の状況を報道する強味は絶対にある、という確信を胸に抱き、危険を顧みず伝達役を買って出てくれた。必死に身を隠しながら、決死の覚悟で状況説明をするアナウンサーの後ろには、一般市民にも姿を知られているランクCの『マキナ』、『ソルジャー』が街中を支配していた。地面、ビルの壁、上空、どこを見ても黒い塊がうごめいていた。どうか、奴らに見つからないように、と祈らざるを得ない。


「中継映像から確認できるだけで、既に数百に昇る数の『ソルジャー』が地上をひしめいています。一年前の報告では、確かに『マキナ』の全滅を確認した、と断言していたはず。――もしよろしければ、ご意見をお伺いたいのですが」


 トゲを僅かに含ませた彼女の口振りは、まるで有罪と決まった被告人に弁明を求めるような迫真さだった。ただ、追求先は対策本部の面々ではなかった。


 彼女がこれまで話しかけていたのは、会議のために施された簡易的な長机の上に置かれているノートパソコンだった。なんの変哲もないパソコンだ。その機械に対して、未月空は喚き散らしていた。

 画面は四分割されており、そこにそれぞれ四つの顔が映っていた。四つの画面に映る、建物の壁と思わしき背景は、どれも日本では見たことがないデザインをしていた。


『……お言葉ですが、欝河嬢。わたくし共々の国は一年前の【異神世界大戦】には参加していませんので、ここでの発言を控えさせていただきたいのですが』


 画面右上の男が丁寧な口振りで喋った。男、とかろうじて解るのは声色が低かったからだ。顔は黒色をしたキツネに似た面で隠しており、服装もぶかぶかな上着で体つきを判別しづらくしていた。この非常事態にふざけていることこの上ないのだが、彼はいつもそんな感じだった。


「……いいでしょう。確かに、、『コーリアス』は『エクス・デウス』との決戦に不介入でしたし、お三方の意見を先にお聞きしましょう」


『含みのある言い方ですね』


 クツクツと笑い、飄々とした態度を崩さない彼は、『六神世界』のひとつ、『コーリアス』の代表者だった。ただ、それ以外のことは全く解っていない。機密情報が多いので、という一点張りだった。では、あなたはどう呼べばいいのか、という問いには、「それでは、『お面屋』とでも呼んでください」と明らかに不真面目な対応をされただけだった。


『意見と言われても、私達も【お面屋】様と同じで大したことは言えませんよ』


 画面左下に映る、長い髪の男性が便乗するように言った。こちらは『お面屋』とは対称的に、白いローブを身に纏い、髪も白かった。しかし、注目すべき部分は白一色の服装ではなく、彼の頭に生えている大きな耳だろう。

 髪の毛と繋がるように白い毛の生えたふわふわの耳だった。ファンタジー世界に登場する、『獣人』に近い、というよりは獣人そのものの姿をしていた。


『大戦に参加した騎士団アルスマンによる報告によれば、一切の疑いなく【マキナ】は全滅させた、と記録も取られています。これ以上の発言をすることは不可能かと』


『ハーメルン殿の言う通りですな。此度の事態は我々の関知する埒内らちないにあらず。こちらを一方的に責めるのはお門違いというやつだ』


 画面左上に映る老人が、白い獣人のことを『ハーメルン』と呼び、追随するように言葉を洩らした。


『先の戦は熾烈を極めたという話だ。命の価値観が曖昧になる者も多分にいたほどだ。死者も少なくなかった。昨日までの平和は我らの犠牲で成り立っていたことを忘れたわけではあるまいな?』


 実のところ、『マキナ』による被害はその大半以上が地球で起きたことだった。他世界への侵略もゼロではなかったが、その比は比べ物にならない。わば、『異神世界大戦』とは、三つの異世界が地球のために立ち上がった、復讐代行のような事情があった。


「大戦の功績には相応の報酬を支払ったはずです。それに、持ちつ持たれつ、共存共栄、互いの平和を願うのが『異神五世界平和条約』ではないですか。必要以上の尊重は上下関係の契機です」


『ちッ……口の減らない小娘が! そもそも、貴様はなんなのだ! 何故なにゆえ、首相がいない? 私は【シークヴァニア連邦】を統べる【評議会】の一党、リポス・ガイデンハイムだぞ。そこらへんの民草が生意気な口を聞いて良い身柄ではない!』


「私は異世界間交流調整官、欝河未月空です。『六神世界』に関わる案件において、私は特別権限を有しています。それは、有事の際、首相による指揮が得ることができない場合においてのみ、現場の指揮権を首相と同等に行使することができる者の一人です。そして、他世界への交渉や尋問、質疑追求も任せられています」


『質疑追求ですか。穏やかならざる言い方だ。まるで、此度の事態の首謀者が我々の中にいる、と確信しているかのような』


 白い獣人の言葉をきっかけに、四人の異世界人の口が重く閉じられた。それは、パソコンという媒介で通しても冷たさが伝わってくるような、身体の芯から凍りついてしまいそうな沈黙だった。


 議事堂滞在だった他の本部の面々は、パソコン越しの圧迫感に耐え切れなさそうだった。冷や汗を垂らし、瞳孔を虚ろにし、今にも胃液を吐き出してもおかしくない様子の者もいた。首相や大臣が不在の中、異世界間の不和が発生しようとしているこの状況に、不安と恐怖が生まれるのも仕方のないことだった。


 ただ、その中で唯一、欝河未月空だけが泰然自若としていた。疑惑と敵意が渦巻いた異世界人の視線を、正面から堂々と受け止めていた。沈黙は答えなり。白い獣人の発言を否定せず、一切の曇りを見せない瞳が物語っていた。


『……あの、今は私達で争っている場合ではないんじゃないですか』


 そこに、今まで喋っていなかった、画面右下に映る『フーバ皇国』の外交官がおずおずと口を開いた。容姿年齢は十二ぐらいで、大きく見積もっても十五には見えなかった。童顔なため、性別も判然とせず、健康的な短い黒髪に反して、落ち着いた表情が爽やかさを感じさせた。


『こんなことをしていても、【地球】の危機をどうにかできるわけではありません。欝河様の思いも解りますが、いがみ合うのは後にして、今は如何いかにして【マキナ】を退けるかを、皆さんで意見し合うのが最優先事項ではないですか』


「……そうですね。稔橋にんきょうさんの言う通りです。少し、取り乱しました」すみません、と彼女は頭を下げた。それは、稔橋という外交官に対する謝意でもあった。「ただし」しかし、ここだけは譲れないと言わんばかりに、この言葉を続けた。「今回の事態の精査次第では――『禁忌の人物史アカシックエラー』を行使することも、充分に留意していただきたく思います」


 欝河未月空がこの会議にて初めての固有名詞を口にしたとき、今度息を呑むことになったのは、各世界で地球のピンチを眺めていた彼らのほうだった。

 禁忌の人物史アカシックエラー。たったそれだけの言葉で、まるで全世界を敵にまわしたかのような緊張が彼らに走った。


「それでは」欝河未月空は、そんな顔色を一変させた各世界の重鎮たちの反応を知りながらも、構わず会議を進行させた。「まずは状況の確認からしたいと思います」


 そこで彼女は、近くの席に座る官僚の名前を口にした。彼に知りうる限りの状況を説明してもらう、ということだった。


「被害の範囲は『世界の扉ミラージュゲート』を中心に、東京や千葉などの都心に大きく及んでいます。恐らく、人口の多い土地を優先しているのでしょう。各公的機関とは一部を除いて情報交換を行っていますが、未だに首相官邸とは連絡が取れず、自衛隊、消防レスキュー隊、公安の実働部隊の最優先事項として向かわせていますが、未だに目ぼしい報告はありません」


「市民の避難は順調ですか」


「なんとも言えない、というのが正直なところです。誘導を行った時点で、『マキナ』は既に街中を徘徊しているような状態でした。こうした事態に備えた東京内の避難指定施設は、十のうち三が壊滅、地下シェルターはいずれも健在ですが、東京の人口をすべて収納しきるのは限界があります。逃げ遅れた市民については、皆目かいもく見当けんとうもつきません」


『分析官さん、戦況のほうはどうなっているのですか』と横から質問は挟んだのは、ハーメルンという白い獣人だった。


「せ、戦況ですか。えーと、それはですね」他世界の住人に話しかけられた彼は、顔を強張らせて少し言葉を詰まらせた。自分の態度次第では今後の関係に亀裂が入る、とでも思っているのかもしれない。粗相のないように、という思いを意識しすぎて、かえって返答がぎこちなかった。「結論から言いますと、戦況は。ただいま確認できている『マキナ』は、ランクCである『ソルジャー』のみで、奴らの装甲であれば我々の武器でも太刀打ちできますから。被害を考慮せず、殲滅を優先すれば、『マキナ』を退くのにかかる時間は、約二日ほどとなる、というのが簡単な目測です」


 被害を考慮せず、殲滅を優先。とは広範囲に及ぶ兵器を使用する、ということだった。中でもハードルが低いのは戦車だろう。


「いいえ。最優先事項は市民の救助です。意思決定論をするまでもありません。市民が安全な場所に避難できた。それが確信できるまで武装レベルを引き上げるつもりはありません」


『だが、確信を得られるものなのか? 貴様らの国には、雑草のように人口が多いのだろ?』シークヴァニア連邦の評議員が意地悪く言った。『兵力を惜しみなく使えば、早くて二日で終わるのだ。このままグズグズとしていたら、却って犠牲者の数は多くなる可能性もあるではないか』


『まあまあ、ガイデンハイム様。欝河様の言い分も一理あります。どちらかが間違っているわけではない』


『では、ハーメルン殿は何ゆえに戦況などということを訊いたのだ』


『いえね、少し確認したかったんですよ』ハーメルンは眼を細めた。『もしも、【地球】の皆様が、自国の軍事力だけでは、【マキナ】を対処しきれないのであれば、【派遣ビーファ】の貢献度は如何ほどになるのか、と』


 キッ、と欝河は歯噛みで音が出そうになるのをなんとか堪えた。この守銭奴が。このおよんでも、彼らは自分達の利益ばかりを考えている。


『実際、その辺はどうなっているのですか、分析官さん?』


「……『派遣ビーファ』のご活躍は計り知れません。自衛隊の誰よりも、数多くの『マキナ』を討伐しています」


 ハーメルンは薄く笑った。『それは良かった』

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