第7話 肝銘


 勝てるとは最初から思っていなかった。

 『獣人デュミオン』として生まれたときから『魔力マナ』の内包量が普通より少ない未熟者で、力も弱くて、走るのも遅くて、貴族の出ということもあり、露骨に馬鹿にされることはなかったが、周囲の眼の温度が他より低いことは少なからず感じていた。

 両親からはそのままでもいいと言われてきたが、それでは彼女の心が納得できず、無茶を承知で『騎士団アルスマン』に志願したのだった。


 普通ならみんなできているはずのことができず、新兵時代はついていくのもロクにできなかった。『獣人デュミオン』の力の差は、鍛えるような原始的な努力ではどうにもならなく、どうしても生まれ持った素質――つまりは『魔力マナ』の総量で強弱が決まってしまう。


 だから、リハナは最初から力量をどうこうするつもりはなく、剣術や槍術などの、武器を扱う技術力に着目していた。が、それもどうにもならなかった。

 そもそも、剣や槍を操るのにもそれだけの筋肉が必要ではあるし、才ある『獣人デュミオン』の中には装備した武器を己の肉体と同一と錯覚させ、体内に流れる『魔力マナ』をその武器と接続コネクトさせることができる者もいた。そうした実力が当たり前の『騎士団アルスマン』では、リハナのやることなすことが団栗どんくりの背比べでしかなかった。


 少し話は変わるが、『派遣ビーファ』として日本に送られる騎士達は、名目だけで言えば同盟国の防衛という重大な役割に就いているが、その内情は政治的に優先的でない人材を厄介払いしている側面もあった。もちろん、実力は申し分ないのだが、『ヘルミナス王国』も決して軍事力に余裕があるわけではないので、頼りになる戦力を自国に残しておきたい、という発想自体は自然ではあった。


 リハナは名うての貴族の一人娘ということもあり、一次の選考では候補に入らず、というよりは最初から候補外だった。


 しかし、そこに自ら志願したのだった。


 物心ついた頃から、他人を助けたいというこころざしが根ざしていた彼女は、『マキナ』の秩序なき横行を許せなかったし、その餌食えじきとなっている地球の罪なき人々を本気で助けたいと思っていた。

 足を引っ張るだけではないか、という考えはもちろんあったし、故郷を飛び出す不安と寂しさはあった。しかし一方で、彼女は昔から自分に厳しくする性分だった。自分を追い込み、自分を成長させる。そんな自己的な考えもあった。

 それに、自分が『派遣ビーファ』の枠を埋めることで、一人でも故郷を離れたくない他者を助けることができるのではないか、という思惑もあった。


 そして、そこで彼女の転機が訪れた。

 日本の政府から支給された重火器の類。自衛隊の基本装備と相性がよかったのは、意外にも彼女だった。


 いや、自然とも言えよう。『獣人デュミオン』にとって最大の武器とは己の肉体であり、拳銃や爆弾を必要としない者のほうが多かった。


 剣や槍よりも軽く、小回りも利いて扱いやすい。彼女は日本の技術を必死に学んだ。経験も積んで、彼女ならではの戦闘スタイルも手に入れ、『ソルジャー』の群れを一人で相手取れるぐらいには実力を募らせてきた。


 しかし、それも、重火器が通用するレベルの相手に限られた。


 ――『ソルジャー』の対処だけなら、この世界の人達でもできる。

 ――それじゃあ、わざわざ故郷をかなぐり捨ててまで来た意味がない。

 ――『派遣ビーファ』としての存在意義がない。


 それでもよかった。自分にできることをやる。それは『騎士団アルスマン』に入隊したときから心に決めていた。


 ――勝てるかもしれない、だなんて希望的観測は持たない。

 ――持ってはいけない。

 ――大きな期待は身を滅ぼすだけ。

 ――だから、自分の精一杯をいつも出し切る。


 だから、さっきの戦闘にも悔いはない。

 結局、勝てなかったけれど、圧倒的な強者に一矢報いることはできた。


 その直後に食らった一撃は、明らかにリハナの身体の許容範囲を超える、生死を彷徨うに相応しい一撃だった。


 ――自分の『魂』が消えかかってるのが解る。

 ――ああ、死ぬんだ。


 死の間際に聞いた、あの未知の個体である『マキナ』。奴の放った恨み言を思い出す。


 ――あいつ、本当に悔しそうだった。

 ――最後に聞いたのがあいつの声だったのが癪だけど。

 ――嘲笑とかじゃないだけマシだよね。

 ――なら、もういいや。

 ――後はクレハさん達がどうにかしてくれる。

 ――悔いはない。

 ――…………。

 ――……本当に?




 P.M.13:15 東京都渋谷区 渋谷駅隣接ビル二階


「――――おい、大丈夫か!」


 耳に届いた男の声に、リハナは眼を覚ました。


「……え?」


「お、意識が戻ったか?」男はほっと息をついた。


 視界が暗くてよく見えなかったが、その声は先ほども聞いたことがあった。あの幼子を抱いていた青年のものである。


 だが、どうして彼の声が?

 その疑問が尽きない。


 ――私、一体どうなったんだっけ……?


 気を失う前と今の記憶の前後が繋がらない。


 とにかく、状況を確認しようとまずは寝ていた状態から起き上がろうとした。


「待て。まだ無理すんな。怪我してんだから」


「怪我……? えっと、ここは……」


 身体の節々から痛みがあった。それでもなんとか立ち上がる。守るべき民間人が近くにいるのに、自分が寝込んでいるなど有り得ない。


 どうやら彼女が眠っていたのは、どこかのビルに設置されたオフィスのようだった。既に避難は済んでおり、部屋の電気も消されていた。背後は、さっきまで自分がもたれ掛かるように寝ていた誰かのデスクが見るも無惨な変化を遂げていた。資料と思われる紙が何枚も散乱していた。


 正面を見てみると、割れた窓から太陽の光が射し込んでおり、それ以外は緑色のカーテンで外の光景の一切を封じ込めていた。


「あ……」そこで彼女は思い出した。


 今まで見たこともない、人語を介す『マキナ』と戦闘に入るも敗北。そして、あの窓を突き破るまでに吹き飛ばされてしまったことを。


 ――あれ? でも、生きてる……?


 『魔力マナ』のもった攻撃をまともに受けた彼女は死を覚悟した。確かに身体は痛みを発しているが、この程度では済まないダメージを予想していた彼女は、存外に立ち上がるだけの体力が残っていることに愕然としていた。


 ――部屋の家具がクッションになってくれたのかな?


 そう結論づけるも、あまり納得はいかなかった。


「もう立って大丈夫なのか?」そして、先ほどまで気を失い、彼の呼びかけによって眼が覚めた、とリハナは状況を理解した。「だったら、さっさとこの場所から逃げねえと」


「……いえ。逃げるのは貴方だけです。私は『マキナ』をどうにかしないといけませんから」


「は?」


「助けてくれたことには感謝します。ありがとうございます。しかし、ここからは私達の領分です。ここは私に任せて、貴方は安全な場所へ」


 何故、彼がこの場にいるのか、それは解らなかったが、だとすれば彼女が取るべき行動はひとつだった。この世界の民間人を守る。それが『派遣ビーファ』に志願した理由なのだから。


 奴はまだ外にいるだろうか。ならば尚の事、ここは自分が死守しなければならない。マーダー小隊のみんなは、氾濫した『マキナ』をせき止めるために頑張っている。そちらが片付いた次第、すぐに駆けつけてくれるはずだ。それまで、このボーダーラインだけは自分が粉骨砕身で食い止めなければならない。


 ――さて、残った装備でどれだけ戦えるか考えないと。

 ――あ、でも先に、無線で未知の個体に出会ったことは皆さんに伝えないと。

 ――本当は戦った感触を伝えたいけど、私の命が無くなるまでにそんな時間があるかな。


「……じゃねえのか」


「はい?」


 青年が何かを呟いていたようだが、思案に耽っていた彼女は聞き逃してしまった。


 もう一度、今度は大きな耳を傾けるようにして、青年の言葉を待った。


「バッカじゃねーの!?」


「なっ……!?」


 予想外の一言に、リハナは面食らった。


「なにカッコつけようとしてんだヤセ我慢! 今、アンタがこの場にいる理由を思い出せよ。叶わないクセに無謀なことしようとしてんじゃねえよ!」


「む、無謀って……!」


「解らねえなら教えてやるが、今のアンタは百パーアイツには勝てねえ。行っても秒で殺されるだけだ。それくらい解れバカ!」


「ば、バカって……」リハナの顔が見るみるうちに赤くなっていく。「そんなことは百も承知ですよ! 無謀だなんて、私が一番よく解ってる! でも、無謀でも、敵わないと解っていても、行かなければならないんです!」


「なんのためにだよ」


「貴方のような民間人を助けるためです! 大体、なんで貴方がここにいるんですか! 私、言いましたよね? 安全な場所に避難しろ、と。二回も! なのに、このような危険な場所に突っ込むなんて、貴方こそ馬鹿ですか?」一度、爆発してしまうと、心の内側に思っていたことが溢れるように口から出てきた。「あの小さな子はどうしたんですか。あの子を連れてさっさと逃げてください」


「あの子ならちゃんと母親を見つけて保護してもらったよ。テメエが注意を惹きつけてくれたおかげで、あの二人と近くのシェルターに案内できた。その後に戻ってきたんだろうが」


「なんで戻ってきたんですか! 一緒に避難してくださいよ!」


「テメエが心配だったからだろうが!」


 状況を忘れて、感情に任せた口喧嘩を始める二人。

 要は互いに善意を全面的に押し出しているだけなのだが、二人はそのことに気付かず、互いを融通の効かない頑固者として捉えていた。


「あーもうらちが明きません。もう私は行きますから、貴方は早く避難してくださいね!」


 リハナは青年に構わず、先ほどの戦地に戻ろうとした。青年がどれだけ喚こうとも、あそこは一般人が割り込めるような余地のある領域ではない。彼がいる位置から『マキナ』の意識を遠ざければ、よほど自殺願望でもない限り、生身で前線に出てくることはないだろう、と考えた。


 割れた窓の先を目指し、彼女は再び地面を蹴った。


「あぶねえ!」

「ぎゃふん!」


 その矢先、青年に足を掴まれた。勢いあまった彼女は顔面からオフィスの床に転倒してしまった。


 引っ込もうとした怒りが再び反り立とうとしていた。


 何するんですか、と避難の声を上げようと彼女は顔だけを後ろに向けようとしたところ――頭上に何がか通り過ぎた。


 その瞬間、まるで地震のような揺れが建物全体に響き渡り、ごごごご、という大きく不穏な音があちこちから聞こえてきた。


「こ、これは……地震?」


「ちげえよ、これは」


 腹に圧が込められた感覚が走った。

 青年がリハナの身体を持ち上げ、割れた窓に向かって走り出した。


 初対面の男性に身体を触れられた事実に、リハナは少しばかり意識をそっちに持っていきそうになったが、その乱暴にも程がある持ち上げ方に加え、なりふり構わない全力疾走に、そんな恥ずかしさなどすぐに吹き飛び、乗り物酔いのような気持ち悪さと腹の痛みだけが残った。


 だが、有無を言わせない青年の迫力に、文句のひとつも吐くことができなかった。


 十秒と経たず、二人は割れた窓に身体を突っ込ませた。

 屋外へ出たことで、彼女は初めて自分のいた場所が二階だったことに気が付いた。

 窓を飛び出した勢いは、跳躍を活かした人間が可能とする最大限の速度があったが、それでも重力に逆らうことができず、二人はコンクリートの床に叩きつけられることとなった。

 幸運だったのは、二人とも背中から着地できたことだった。


「いってえ……」


「いたた。……もう、突然なんなんですか」ようやっと自由になり、改めていきなり自分を抱えたその訳を問い質そうと顔を上げた。


 青年は強く打ったのかお尻を擦っているものの、その顔は真剣味を帯びており、とても非難をぶつけられる状況ではなかった。顔を上げ、瞳は警戒の色を浮かばせて睨みを利かせていた。


 その視線の先には、リハナにとっても忌々しいことこの上ない奴がいた。


【チッ……アリンコが巣から出てきやがった】


 ご丁寧に舌打ちの音まで再現する電子音で、文字通り矮小な存在を見下した言葉を発する。恐竜のような姿勢で、六枚の翼刃を生やし、一つ眼の竜顔をした見た目からは考えられないほどに、俗世に即した乱暴な口調をしていた。


【まあいいか。だったら、大雑把な方法じゃなくて、じっくりとその悲鳴を味わう殺し方をするまでだ】


 その歪な在り方が、かつて彼らに殺されてきた被害者達を嘲笑うかのようで────


 ドゴーン、と音が鳴った。


 『マキナ』の後ろで、十階建てのビルがゆっくりと沈んでいった。先程までリハナ達が籠っていた、あのビルだった。頑強そうな外壁が嘘のようにひび割れ、バランスを崩したかのように頂点が傾き始めていた。

 そのすぐ下では、ビルの瓦礫や窓ガラスの破片が雨のように降り注いでいた。遠目にはゆっくりのスピードで倒壊しているように見えるが、その実は計り知れない速度で落下していることだろう。ビルの一部が地面に接触する度に砂埃が大きく舞い上がり、リハナ達から視界を奪っていった。


 青年とリハナは屋根のある地下階段にひとまず避難した。その近くにサッカーボールぐらいのコンクリートの塊が落ちてきた。あんな物に当たれば、『獣人デュミオン』だろうとひとたまりもないだろう。


「クソ……他人の世界で好き勝手しやがって……」青年は悔しそうで拳を握っていた。


「…………」リハナは落下物に気を付けながら、少し顔を出してあの『マキナ』の様子を伺った。


 砂埃が舞う黄色一面の中、あの巨体はそれでも判別ができるほど目立っていた。案の定、ビルの瓦礫や窓ガラスの破片をものともしていない。マグナムも手榴弾も利いているようには見えなかった。


 奴の細い胴体から伸びている右腕から、妙な光が飛び出していた。手の甲に沿うように、平べったく、長さが奴の身体の半分はありそうだった。


 ――光の刀?

 ――奴の『魔法』か。


 形状からして斬撃系の攻撃をしてくると踏んだリハナは、そういえばビル内にいたときに頭上を通過した何かがアレに似ていたことを思い出した。


 ――それじゃあ、あのビルの倒壊は奴が丸ごと切り落としたってこと!?

 ――攻撃範囲だけならランクAよりも広範囲……!


 そこまで思い至り、リハナはとある疑問に辿り着いた。


 ――ちょっと待って。

 ――じゃあこの民間人は、私でも察知できなかった攻撃から私を守った、ってこと?


 卓逸した知覚能力を持ったリハナでさえ、相手に集中しなければ対処しきれない一撃。


 あのとき、彼女は青年との言い合いで気が緩んでいた。

 それは青年も同じように思えたが、青年は絶妙なタイミングで飛んできた斬撃から見事リハナを守ってみせた。


 ――…………ただの偶然?


「おい、アレを見ろよ」


 リハナの不審感など露知らず、青年は彼女にとある方角を顎で示した。


 そっちを見てみると、彼女が仕留め損ねていた『ソルジャー』が何匹も倒れるビルの下敷きになる光景があった。


「仲間もお構いなしかよ。エグいな」


「……まあ、奴らに仲間意識なんてものがあるとは思えませんが」


「だが、あのデカブツは言葉を話してるじゃねえか。だったら意志疎通はできるんじゃねえの?」


「そんなこと……」できるはずがない、と反射的に言い切ろうとした。


「まあ、どっちにしても、同じ世界の住人を巻き添えにする奴と会話なんざしたくねえがな」青年は苦虫を噛み潰したような顔で言った。


「そ、それよりも、今はこの状況を打破することを考えましょう」リハナは生まれた動揺を取り繕うように言った。「この視界の悪い中でも、敵は構わず突っ込んでくるでしょう。厳密には奴らは視覚ではなく、生物の呼吸や体温、地形などを読み取ってこちらの居場所を把握してきます」


「なるほどな。蚊の索敵システムと似たようなもんか」


「蚊という昆虫がそういう生態なのかは知りませんけど、とにかくこのままじっとしていてはかえって狙われる確立が上がりますから、ここは私が派手に動いて、その隙に貴方は周囲を見渡せる広いルートから逃げて――」


「いや、その必要もねえと思うぞ」


 え、と声を出す余裕もないほど、青年の発言は不意打ちに近かった。その真意を探ろうと青年を見てみると、今度は階段を覆う壁面に背をつけながら、親指をその壁面に向かって指さした。


 素直にその壁面を見ろ、というわけではないだろう。


 壁を挟んだ指先の方向には、例の『マキナ』がいる。

 釣られるように、彼女は再び砂塵の中に佇む奴の姿に眼を向けた。


 奴の配置や状態を確かめるために覗いた一度目は、残念ながら自分の決死の行為が無駄だったことを悟っただけで終わっただけに、もう一度見たところで何が変わるのかと怪訝けげんに思ったのだが────


 彼女の耳がアンテナが立つように反応した。


 砂埃が舞う中、奴の影の奥に、もう一体の気配を聞き分けた。


 ──だから、なんで私が気付かなかったのにこの民間人は気付いているの!?


 リハナは青年に対する評価を益々ますます決めかねていた。


 ただ、今はそれを考えている場合ではなかった。例の個体と新たに現れた別の個体。二体の話し声が聞こえたからだ。


【グラトニー、こんなところで何をしている】


【ンだよ、レイジか。今いいトコなんだから邪魔しないでくれよ】


【それが此度の任務にとって利点があるのなら邪魔はしない。まずは話してみろ】


【別にイ? ただ珍しくこっちに挑んでくる人間がいたからよ。ちょっくら可愛がってやろうと思っただけだ】


 ――あの全身刃物だけじゃなくて、他にも喋れる『マキナ』がいるの!?


 考えたくもない事実を前に戦慄を覚えるリハナ。単純な計算をすれば、新しいほうの人語を介す『マキナ』も、さっきまで戦っていた個体と同じ実力、ということになる。そんなこと考えたくもなかった。


 とそうこうしているうちに、ビルの予期せぬ解体が静まり始めたのか、空中を覆っていた砂埃が段々と晴れてきていた。


 新しい個体の姿が露わとなった。


 まず、目を引いたのが、背中についている羽だった。機械的にも自然物にも見えないそれは、昆虫の蝶の羽に幾何学的な模様が描かれていた。そして、その羽が空中で漂わせているのは、これまた翼竜のような見た目をした身体と顔だった。もちろん、顔には大きな一つ眼が光っており、変わった形の戦闘機に見えなくもなかった。


 ――やっぱり、あいつと同じで見たこともない個体。


「すげーな、アイツ。完全にロボット系だな」となりで青年が感心するような口振りで言った。「『ソルジャー』はまだ生物感あったけど、ありゃ完全に人工物だろ。どういう生態系してたら、あんなの生まれるんだ?」


「…………」青年の危機感のない暢気のんきな調子に突っ込みたい気持ちはあったが、今はあの二体の会話に集中したいこともあり、あえて無視した。


【……はあ。あのな、グラトニー。俺達の任務を忘れたのか?】


【あぁ?】


【忘れていなければ、こんなところで道草食ってる場合ではないことぐらい解るだろ。自己的快楽を優先するようでは、俺達も地球人と何も変わらん。今は任務を遂行することだけを考えるんだ】


【けどよオ、まだその地球人を殺してねえぞ】


【放っておけ。地球人の一人や二人ぐらい、そこらへんの雑兵に任せておけばいい。幸いにも、あいつらは数だけ順当に揃っているんだ。だが、俺達の替えはない。そうだろ?】


 ――……? 一年前の『母胎マザー』破壊によって、『マキナ』はこれ以上の繁殖はできないはずだけど……?


【あー、わあったよ】グラトニー、と呼ばれた例の個体は気だるそうに応じた。【オイ、『獣人デュミオン』の女!】


 それが自分のことを指していることに、リハナは速攻で気付いた。


【命拾いしたな。けど、今度会ったら次は容赦しねえ。これでもかというとテメエの身体をもてあそんで、痛みと快楽もワカラネエ断末魔を聴かせてもらうから覚悟しとけ】


【はあ。相変わらず上品さの欠片もない奴だな】


【それが俺様だからな】


 その後も、二体は他愛もない会話を交わしながら飛び立つと、凄まじいエンジン音を立てながら人の視力が追い付かない速度で空の彼方へ消えてしまった。


 無慈悲に奪った命も、人々が丹精込めた建造物の破壊も、すべては予定調和の如く、有り触れた日常かのように、特に触れる意味がないと言わんばかりに――二体の会話は今の状況とは無関係な世間話をしていた。

 それは皮肉にも、普段から小さき生き物を片手間に殺してしまう人間が、特別こだわって他人に話すことでもない、と思ってしまうのと同じような感覚だった。


 主観が違えば、ここまで屈辱的なスケールに変化する。


 人類が身勝手な生き物で、感情という尺度がある限り、自分もその例に漏れないのだろう、という自覚がリハナにはあった。


 しかし、その自覚があるからこそ、彼女は軽々しく人を殺していくあいつらを許せるはずもなかった。


 彼らが消えた空を見上げながら、「お前達の姿は、ここに銘じておいたから。そっちこそ、次会ったときには覚悟しておけ」と宣言した。

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