第 29 話 言い換えれば


 十分後 同所


 リハナは再びあの病室に戻ってきた。

 病室といっても、創明大学の敷地内に建つ研究棟、その一室を急遽、個人用病室として改造した簡易な作り。ベッドや遮断用のカーテン、その他治療に必要な患者に当てる道具が置かれているだけだ。元々この部屋は、心に悩みを持つ生徒の相談に乗ったり研究の指針に不安を覚える生徒の話を聞くためのカウンセリングルームのような役割に使われていた。そのため、最初から置かれていた物の数も少なく、運び入れる作業も比較的短時間で終えれたという合理的な側面もあった。もちろん、他の部屋より広さに期待は持てないものの、教室のようなひらけた空間は民間人の患者が共有するスペースとしたいので、個人用には狭い空間を優先的に消費したい思いもあるのだろう。


 リハナにもそういった不満は一切ない。寧ろ、大した怪我もしていないのに優遇してもらっていることに申し訳なさを感じていたほどだったが――確かに今は一人になりたい気分ではあった。


 リハナは昨日の午の刻辺りからこの病室にもることを強いられていた。退室を禁じられていた。そして、定期的に、見知らぬ軍服を着た女性が訪れ、遂行していた作戦中のことを何度も訊かれていた。


 その質問、尋問といってもいいだろうが、リハナは決まってこう言葉を返していた。「すみません。今はまだ整理がついてません。考えがまとまり次第、すべてお話します」


 現実逃避、または露骨な時間稼ぎ。説問者にそう思われても仕方ない回答だった。


 当の本人すら、本当に決着のつく問題なのかも自信がなかった。気を失ってから目覚めるまで24時間以上が経っている。考えるだけの時間なら充分にあった。もはや、ちゃんと考えられているのかすら解らなかった。彼女の頭の中は、色々な化合物と原料を混ぜて渦巻く液体のようになっていた。薬になるのか毒になるのかもつかない。


 マーダー小隊の裏切り。その言葉が設問者から溢れるたび、名状しがたい思いが身体の内側に貼り付いてくるかのようで、呼吸が止まるような息苦しさを覚えた。


 気絶していた間のこと、『首相官邸奪還作戦』の顛末も、一通りのことは最初の尋問時に聞き及んでいた。しかし、頭に全く入ってこなかったというのもあった。もっとも、たとえ話を聞く心構えができていたとしても、彼女が驚く新情報はなかっただろう。


 彼女の耳に今もこびりついている言葉があった。

 それは、憧れて止まない目標でもあった女性の言葉。「色々、考えはしたんだけど。やっぱり、リハナは巻き込めない」


 巻き込めない。客観的に聞けば、可愛い後輩を憂慮した心優しき言葉。

 しかし、かけられた本人であるリハナには、それがまるで、頼りにもしていたし、頼りにもされていた、憧れと恩義を混ぜ合わせた眼で見ていた上司に見限られたかのような言葉に感じられ、自分の足場が消えてどこまでも落ちていくような感覚が全身に走った。


 飼い主を失ったペットとは、こういう気持ちになるのだろうか。


 そんなことを思うぐらいには彼女はしょうすいしていたし――何より、彼女達が裏切り、地球の敵に立ったことよりも、そんな私情に近い感情にいつまでも囚われている自分に愕然としていた。


 自分の知っている情報を政府側に告げられずにいるのは、少なからずそうした働きがあることは否定できない。守ると誓った地球の人々。その敵となった仲間達。自分を見放した先輩達に対する情愛は今も変わっていなかった。


 別に、自分も連れて行ってほしかったなどと思っているわけではない。しかし、自分が置いていかれた感覚にショックを受けているのは事実。


 自分はどうすべきなのか。

 一向に答えが出る気配はなかった。


 そんなとき。


「入るぞ」と言うと同時に扉を開くしつけな開口一番。


 そんなことを仕出かすのは、彼女の知る中で、ただ一人しかいなかった。


神宮寺じんぐうじさん……」


「なんだ、起きてたのか」寝顔で見れると思ったのにな、と言うほど残念そうでもなく肩を竦める神宮寺は、ずかずかと部屋の主の許可も取らず近寄ってくると、「よっこらしょ」と傍にあった椅子に腰かけた。「どうだ、怪我の具合は? ってこれ、この前も言ったような気がするな」


「……いえ、怪我はなんとも。そもそも、個室を用意してもらうほど大したダメージは、今回はなかったので」


 官邸内で戦った『ソルジャー』の大群には圧勝し、続いての『頭脳ブレイン』戦では迫りくる攻撃を、すべてクレハとアイーシャがカバーしてくれた。特に後者に関しては、自分が傍観していたに過ぎない。そこをさらに守ってくれていたのだから、怪我を負うほうがおかしい、とリハナは思っていた。


 二人のことを思い浮かべると同時にチクリと胸に痛みが走る以外に、本当に特筆すべきダメージはなかった。


「何いってんだよ」と言葉を返した彼は、優しげな笑みを湛えていた。「お前はちゃんと頑張ってるんだから、それ相応の待遇を用意してもらわないと、むしろそれが身の程を弁えていないっつーの」


「ですが、私は……」


「大体な、ずっと思ってきてるけど、お前のその謙遜や卑下は美徳なんかじゃないからな。時には謙ることは大事だと思うし、その姿勢は否定しないけどな。出し方を間違えたら嫌味にしかなんねえぞ。自分は大したことない、は結果を出し切っている奴が言っていい言葉じゃない」


「そ、そうなんですかね」


「アレだな。お前はもう少し、この特別感を堪能したほうがいい」


「それを貴方が言うんですか……?」リハナは少し笑った。


 特別感という言葉をこの場にいる者に当てはめるならば、神宮寺玲旺れおを除いてそれにピッタリ該当する人物は他にいないだろう。


「おうよ」神宮寺は悪びれもせず応じた。「俺はこの特別感を誇ってる。優越感だってある。存分に楽しまないと損だ。なんつったって、何をしてなくても毎月大金が振り込まれるんだからな」


「そうなんですか?」


「ああ。余裕でサラリーマンの給料を超えてるぞ」と自慢げに言う神宮寺だが、リハナにはサラリーマンの平均月収を知らないため、それが凄いことなのか判断がつかない。「まあ、口止め料とかも含まれているんだろうがな。もしも、『禁忌の人物史アカシックエラー』が自分のために力を使いだしたら収集がつかねえ。その可能性を少しでも抑制するために納入する、っつーつまらねえお国の判断だ」


「神宮寺さんの力は、それほどまでに強大だということですね」


「あんま自覚はねえんだけどな」と言いつつ笑いを抑え込んでいる彼の様子は、まるで悪戯を仕掛けたことを隠している子供のようだった。「まあいいや。今日は、別に俺の話をしに来たわけじゃねえ。一応、別の理由があるんだよ」


「……クレハさん達のことですよね」


 おおむね予想はできていたことだった。自分の立場が、現在非常に繊細な橋の上におり、その傍まで立ち寄ることができる人物が限られていることも。リハナは、彼も政府側があの手この手で自分から話を聞き出そうとしたいがために差し向けた刺客の一人だろう、と当たりをつけていた。


「しかし、すみませんが、神宮寺さんが来ても言うことは変わりません。そのことは、もう少し整理がついてから――――」


「ああ、違うちがう。別に俺はそんなことに興味はねえ」


「……え?」喋っているところを遮られたリハナは、神宮寺の言葉を聞き間違えたかと思った。実際、耳を彼の傍に近づけ、本当はどう言ったのかを聞き分けようとしたぐらいだった。


「確かに、俺がここに来れたのは、お前がずっと口を閉ざして参った未月空みるくちゃんが手練手管に仕向けた算弾あってのことだ。といっても、アイツを恨まないでやってくれよ。アイツも国のために必死なんだよ」


「はあ」


「けど、俺はそのていを利用してお前の病室に入ったに過ぎない。俺がここに来た理由は、いくつかお前に言いたいことがあったからだ」


「言いたいこと、ですか」


 彼が自分に言いたいことなど、全く思い当たらず、想定していなかった展開に当惑するリハナ。そんな様子を尻目に、待ってろ、と右手で制するようなポーズを取る神宮寺は、逆の手で自身のズボンのポケットを探っていた。探っていた、といっても拳ひとつ入り切らない入れ物の中を漁るのに時間がかかるはずもなく、目当てのものはすぐに掘り出せたようだった。


 彼が取り出したのは、一枚の紙切れだった。メモ帳のような線の入ったデザインをしており、ポケットに入れるために二つ折りでコンパクトにされていた。


「まずは、これは俺のじゃないんだが」と言いながら、彼は二つ折りにしていた紙をパカッと広げた。「やあリハナちゃん、元気?」


 最初は、彼が突然ちゃん呼びをしてきたのだとリハナはぎょっとしたが、すぐにそうではないと理解できた。紙にそう書かれているのだ。もっと言ってしまえば、その紙は誰かが書いた手紙だ。


「『大変なお仕事の後に、労いもできず、こんな形でしかお話できなくてごめんね。未月空ちゃんがうるさくてさ、一般市民のあなたはシェルターでじっとしていてください、ってさ。しかも、なんか警備が厳しくなってて、簡単には抜け出せなくてさ』」


 恐らく、とリハナは思った。恐らく、マーダー小隊の三人が首相を誘拐したことにより、その一味の疑いがあるリハナに勝手な行動をさせないためにも警備を手厚くしているのだろう。


「『玲旺がリハナちゃんと会うっていう話を聞いて、一分ぐらいでこの手紙を書いたよ』」そこで、手紙を読んでいた神宮寺が噴き出した。「一分ぐらい、って書き始めに宣言することじゃねえだろ。つーか、一分どころか普通に十分ぐらいかかってたぞ」


「そんなにかかってたんですか」


「ああ。俺がリハナに会えるかもしれないって話をしたら、アイツ張り切りだしてよ」神宮寺は迷惑そうな顔を作ろうとしたのだろうが、その表情からは幼馴染みに対する親身の暖かさを消しきれていなかった。「お手紙書くから持っていって、って俺が断る間もなく書き始めたんだよ。一昨日おととい知り合ったばかりの気合の入れ様じゃねえよ。いつの間に仲良くなったんだ、お前ら?」


「それは……」リハナは反射的に、銭湯での一件を口にしそうになったが、本人を前にその経緯を説明する気にはなれなかった。「というか、それを言うなら神宮寺さんだって同じじゃないですか」と誤魔化すことにした。「私と神宮寺さんだって、一昨日知り合ったばかりの関係、言ってしまえば行きずりの関係じゃないですか」


「まあな」


「どうしてこんなに私にまとわりついてくるんですか」


「ストーカーみてえな言い方だな」そう神宮寺は眉毛をへの字にさせたが、すぐに意地悪く八の字に変えると、「そりゃ、お前とはまだデートしてねえからに決まってるだろ」


「その建前、いつまで引っ張るつもりなんですか」


「建前じゃねえよ」


「たった一回きりのデートのために、敵の疑いがかかっている私に会いに来るはずがありません」リハナは断言した。根拠はない。しかし、その言葉はリハナの思いが率直に乗っていたと言ってもよかった。「私が純情だからって、いつまでもそんな理由であしらえると思ったら大間違いです」


 たかがデートで、容疑者であるリハナに、許可を取ってまで面会の場を設けるぐらいならば、もっと他にやりようはあるはずだった。というか、傍に彼のことが大好きな女の子がいるのだから、その人と行けばいいではないか、とリハナは香織かおるの心情を知っているからこそ、少々責めるような思いもあった。


 ――私なんかに構ってないで、神宮寺さんは早く香織さんの想いに応えてあげたらいいのに。


「それでもその理由が本音だと言い張るのならば、それはもう一目惚れとか運命とか、そういう範疇ですよ」


「まさにその一目惚れだと言ったら?」


「え?」と不意を突かれたような声を出すリハナ。しかし、慌てて首を振った。騙されてはいけない。どうせ、またいつものからかいに過ぎないのだから。


 そう思い、吐かれた揶揄やゆを押し退けて真意をさらに追求してやろうと改めて眼を向けると、そこにはこれまでに見たこともないほどの真面目な顔をした神宮寺がいて、思わずのけぞりそうになった。


 ――え?

 ――まさか、本当に……?


 リハナは胸の鼓動が高まるのを感じた。真顔でこちらを見つめてくる彼の顔は、いつもの意地の悪いにやけ面と違って、二枚目俳優のような整った顔立ちも相まって非常に心臓に悪かった。


 そして、心なしか、その顔が段々と近付いてきているような気がした。


 ――え?

 ――待ってまってまって!


 リハナは慌てた。自然と顔に熱が集まり出し、何も考えられなくなるような眩暈を覚えた。


 顔を寄せてくる神宮寺は、瞬きすらしていないようで、じっと何かを馳せるかのようにリハナを凝視していた。その熱視線が恥ずかしくなり、視線を外そうと努力するが、どうしても吸い込まれるかのように彼の真正面に戻ってしまう。


 彼女の頭に浮かんだのは、人なら誰しも想像したことがあるかもしれない光景。男女の唇がゆっくりと重なるロマンチックともリアリスティックとも取れる、あの光景だった。


 ――そんな!

 ――だって私。

 ――まだ、そういうことはしたことないのに……。


 しかし、自然と眼は閉じてしまった。


「リハナ」

「ひゃ、ひゃいっ!?」


 コツン、と軽い衝撃が額に走った。「お前が恋愛を語ろうなんざ百年早いっての。見え透いてんぞ、強がり」


 思いきって眼を開けた先には、いつもの相手をおちょくって楽しんでいる神宮寺がいた。


 それも、段々と遠ざかると、彼は不遜とも言える態度で足を組み、ニヤニヤとしながらリハナの反応を待った。


 からかわれた、と瞬時に悟った。


「なっ……!?」今度は別の意味で彼女の顔が赤くなっていくのが解った。


「まあ、放っておけないことは否定しないけどな。お前、俺や香織が見てねえと勝手に抱えて自滅するタイプまっしぐらだろうが。それも言い換えれば、愛情ってことになんのかね」


「っ〜〜〜!」リハナの心中に様々な感情が渦巻いた。しかしそれは、答えが出ない先程までの錯綜とは異なり、例えるなら甘いお菓子のような、一目見るだけで喜ばれるものと解る代物だった。「気にかけてくれてありがとうございますッ!」


 しかし、乙女心は複雑かな、素直にそれを喜べない本音もあった。

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