中編

第 13 話 地球起立の日


 『コネクト時代』が始まった2000年5月24日。そこから2005年12月24日に至るまでの期間。長いようで短く、短いようで長い。子供が物心つくまでの年月。


 人類は世界が終わるのだと確信していた。


 『世界の扉ミラージュゲート』の発現。

 複数の異世界との接続コネクト

 『魔法』という超高度文明の確立。

 それを矛に蹂躙を執行する異世界の機関。

 度重なる『マキナ』の襲来。


 今も地球がその形を保てているのは、『ソルジャー』のような地球の軍事力でもギリギリ対処できる脅威ばかりが襲ってきたこと。早い段階で、日本語を覚えてまで和親交渉を仕掛けてきた異世界があったこと。『マキナ』が地球だけでなく、他の世界に対しても猛威を振るっていたこと。そのため、地球侵略派の異世界勢が戦力を集中することができなかった。


 そして、『異神五世界平和条約』の承認。

 これが結ばれなかったら、現在進行系で地球は方方ほうぼうから狙われる立場にあったことだろう。


 条約の概要をつまんで要約すると、異世界間での侵略・戦争・無許可の立ち入りを禁じるというもの。また、これまでの侵略で受けた被災を金額ではなく別の面で賠償することを約束させ、平等な関係性を築く契機とさせるもの。

 異世界交流はそこから始まり、唯一、交渉の余地がない『エクス・デウス』に関しては異神世界共通の問題として扱い、その事項に関する情報は平等に公開することが帰結された。武力による支援や補助にまで発展しなかったのにはいくつが理由があり、大まかに纏めると、武力行使の忌避感と地球駐屯の危険性が主立った理由だった。『ヘルミナス王国』と『フーバ皇国』の二世界は、それぞれまた別のネゴシエーションが行われていたので、特別に駐屯を許されている状態だった。


 そんな『異神五世界平和条約』という、地球にとってこれ以上ないほどの歓迎すべき和平可決だが――何故なにゆえに異神世界の銘々はこれを受け入れることにしたのか。


 その理由を述べる前にまず、他世界から見た『地球』の価値を明かす必要がある。

 異神世界、と呼ばれる六つの世界は、地球、ヘルミナス王国、フーバ皇国、シークヴァニア連邦、コーリアス、エクス・デウス、という名前をそれぞれ付けられている。そのうち、王国や皇国、連邦を名付けられている名前は、その世界で唯一建国された国名を世界の総称に移し替えているに過ぎない。


 そして、地球を除く他世界では、『魔力マナ』という不可思議な物質が生活水準レベルまでの常識に組み込められていた。

 さらに、地球にも魔力マナは存在し、地球人にそれを扱うことは不可能だった。にも拘らず、地球の魔力マナは他世界よりも潤沢らしく、それが地球を侵略する理由足り得た。


 魔力マナから生み出された『魔法』は、地球の科学文明を遥かに凌駕していた。拳銃も戦車も、それ以上の威力を人の身で再現することができる魔法の前では無力だった。地球と他世界の力関係ははっきりとしていたはずだった。


 しかし、ある日のこと――その力関係が覆ることとなった。


 ある一人の少年の存在が、地球と他世界との戦力差が丸々裏返すまでの力を得た。

 地球人に魔力マナは扱えないという摂理。その法則を破り、この世に生を受けたイレギュラー。彼の力量を目の当たりにした政府は、人類史においてタブーにまで及ぶ限界値を飛躍させた実力に、異世界に対する切り札を手に入れた喜びよりも忌むべき恐怖を覚えた。


 誰が呼んだか、『禁忌の人物史アカシックエラー』。


 『異神五世界平和条約』は、『禁忌の人物史アカシックエラー』を抑制させる目的もあった。かの存在はどの世界にとっても脅威となり、地球は『禁忌の人物史アカシックエラー』の武力行使を禁ずる約束を結び、政治的な立場においても優位を取れるようになった。


 そして、『禁忌の人物史アカシックエラー』と呼ばれる彼の名は――――




「――とまあ、あれが噂の地球の最終兵器、『禁忌の人物史アカシックエラー』。本名、神宮寺じんぐうじ玲旺れおくんというわけ」


 ミデア・アルファムの説明を聞いたリハナは、しばらく言葉を発することができなかった。

 そんな様子の彼女に、マーダー03ことミデアはあーららと顔をしかめ、腕を組むと何度も頷いた。


「まぁ、気持ちは解らなくもないよぅ。私達だって、『禁忌の人物史アカシックエラー』の正体が彼だって、議事堂の対策本部でさっき聞いたばかりだからさぁ。あの異名は、もはや『クロウム王』や『剣聖ラーケイド』並みのビッグネームだからねぇ」


 『へルミナス王国』の住人ならば知らぬ者はいない王族と最高戦力の名と並んでも反発が出ないほどの知名度。『異神五世界平和条約』が帰結された以上、そこまでに至った経緯を国民は明かさなければならないのはどこの世界の国でも同じで、その名を知る者はいないとまでされる存在感まで大きくなっていた。

 だが同時に、『禁忌の人物史アカシックエラー』は特定の個人である。戸籍も日本で、政府は彼を庇護する義務にあり、当然ながら本名まで一般公開するわけにはいかなかった。


「あの大学にいた『ソルジャー』も、彼が全員始末したらしいよ。逃げ遅れた民間人も無事。大学内には、『ネームド』の巣ということもあって、亡骸を数えた結果、51に昇るんだってさぁ」はあ、と溜め込んだ不満を一気に吐き出すようにため息をついた。「なら、始めからあいつ一人でよくない? って話だよねぇ。そりゃあ、条約もあって、なかなか実践投入するわけにはいかないんだろうけどさぁ」


 『禁忌の人物史アカシックエラー』こと神宮寺玲旺の戦闘参加は法的に禁止されている。これは冗談でも悪ノリでもなく、更新された六法全書でも閲覧できる。


 その理由は、強すぎるから。

 神宮寺玲旺が投入された戦闘、または巻き込まれた事例のいずれも、殲滅対象は手も足も出ずに掃討を記録的に確認されている。しかし、その分、周囲に及ぶ被害が、看過できないほどの甚大なレベルに達していた。本人曰く、「これでも抑えたつもり」と言っているが、その真意は定かでない。


 なので、神宮寺の存在は、日本にとって核兵器と同等の慎重な法案が可決されており、彼のおかげで他世界から狙われる心配はなくなったものの、彼のさじ加減によっては明日に世界が滅んでも不思議ではない、という複雑な事情が絡んでいた。


「『禁忌の人物史アカシックエラー』の法律的束縛の強さは知ってたけど、正直あそこまで厳しくする必要あんのかなぁ、とは思ってたけど――うん、アレはヤバいね。まさに規格外。他の世界が恐れるのも納得だよぉ」


「…………」リハナはミデアの話を聞いているのかいないのか、顔を俯かせたまま表情が読み取れない。


 神宮寺の鎮圧のために駆けつけた自衛隊員達から、ついでのように保護されたリハナは、ベッドの上に上半身を起き上がらせている状態だった。身体にはいくつも包帯が巻かれており、骨折した足首はギプスで固定していた。その他の箇所の骨にもヒビが入っており、暫くは安静にしておかなければ骨が地震みたいになりますよ、と医師に脅されてしまっていた。


 ベッドの上では、事の顛末も今後の方針も何も解らない。なので、ミデアに頼んで、あのときに何が起きたかを話してもらっていたのだが――――


「『禁忌の人物史アカシックエラー』…………」


 リハナも当然、その名前は知っていた。そう呼ばれる存在が、あの青年?


「あの、ミデアさん……」


「んー?」


 ようやく口を開いたリハナに、ミデアは口元を僅かに綻ばせた。


 ミデア・アルファム。マーダー小隊に所属する『派遣ビーファ』の一人だった。リハナがネコのような耳を生やしているのに対し、彼女は言うなればイヌ耳、テリア種によく見られる耳の先端が垂れている形をしていた。薄ピンク色の髪を短く切り揃えており、全体的に幼く見られることが多い容姿をしていた。しかしこれでもリハナよりは30も上だったりする。


「有陣大学での顛末は解りました。では、政府はこれから、どういった方針を取るつもりなのでしょうか」


「あー、それはついては私もまだ解らないんだよねぇ。というのも、只今それを決めている最中だから。対策本部のことは話したよね?」


「はい。国会議事堂に設置した、と」


「だったんだけど……ほら、神宮寺くんが有陣で暴れちゃったでしょ。その所為せいで話題が一旦中止になっちゃってぇ。本部のメンバーも何人か議事堂を離れて『ここ』に来てるんだよ。だから、議事堂とは通話を繋げて再度検討するんだってさぁ」


「……? 有陣大学と『ここ』は別に付近というわけでもないはずですが」


「ああ、正確には、神宮寺くんも含めて議事堂に戻るつもりだったんだけどぉ、問題の彼がそれを断ってるんだよぉ。俺はここから動くつもりはなーい! ってさぁ」


 政府としては、神宮寺に魔法を行使させないために、できるだけ近くで監視下に置きたいのだろう。だが、肝心の本人が対策本部に行くのを嫌がっている。反抗されて不用意なことをされても困るのでなくなく従っている、ということだった。


 ――この緊急事態に妥協を選ばざるを得ないほど、『禁忌の人物史アカシックエラー』のご機嫌取りは最優先事項、というわけですか。


「リハナも無線で言ってたよねぇ。ある民間人をこの『創明大学』に連れていかなければならない、って。まさか、その相手が『禁忌の人物史アカシックエラー』だとはねぇ。わざわざここを選んだということは、彼にも何かしらの事情があるんだろうねぇ」


 有陣大学から回収された二人が運ばれたのは、東京都目黒区に所在する創明大学という場所だった。本来であればそのまま議事堂に連れて行くはずが、神宮寺の我儘でそうなったらしい。創明大学は緊急避難指定地でもあったため、人を受け入れる備蓄や資源は揃っており、会議を開けるだけの機密空間も用意できたのは、本当に幸いとしか言いようがなかった。


 ちなみに、リハナが寝ているベッドがある場所は、創明大学の一室を改造した簡易的な病室だった。病人を休めるための保健室などももちろんあるのだが、『マキナ』に襲われた民間人がベッドの数より多く、毛布や布団が他の教室でも広げられている悲惨な有様となっていた。

 負傷した民間人は共有スペースに眠らされていたが、リハナは個人用の病室を用意してもらっていた。理由は、彼女が『獣人デュミオン』だからだ。地球人の中には、未だに異世界人に対し良い思いをしていない人物も多い。


「そんな……申し訳ないです! 今すぐ私も毛布と交換してください!」

「いいのいいの。リハナは頑張ったんだからさぁ。素直に特別扱いを受け入れなさいって」


 そうしたやり取りが、リハナが病室に案内されたときには行われたが、いくら抵抗しても状況が転ずることはない、と諦めて大人しく眠ることにした。

 実際、リハナほどの重傷を負った民間人はおらず、軍人だから特別扱いをする、という基準で処置を施しているわけではなかった。


「まあ。彼のおかげで私達が得してることもあるよぉ?」


「得?」


「まず、クレハ達が会議に参加できたこと」


 政府と合流できた『派遣ビーファ』は、マーダー小隊が最初だった。他の小隊は、別の方角で『マキナ』の掃討を続行しているようだった。なので、『獣人デュミオン』の貴重な意見を聞くために対策本部はマーダー01と02こと、クレハ・アードロイドとアイーシャ・アードロイドの会議参加を認めた。


「だから、会議の内容は終わり次第、隊長さんから直接話を聞けると思うよぉ」


「そうですか」


「それともうひとつ。彼を通して法的機関と対話することによって、今よりも強い装備を要求することができる。これはリハナにとっての朗報だねぇ」


 リハナの装備はボロボロだった。手榴弾はすべてを消費し、マグナム銃も何発も使った。メインの短機関銃サブマシンガンは破壊されてしまった。ハンドガンは。ナイフだけでは流石さすがに心許なさすぎる。


「ああもちろん、その怪我ですぐに復帰しろとは言わないよぉ。リハナが休みたいというのなら、わざわざ戦わなくてもいいし。『マキナ』のほうも、幸運を言うべきか、『暴君タイラント』を見かけた報告もないから、徐々にではあるけど、確実に優勢ではあるから」


「……いえ。私は前線に復帰します。皆さんにお任せして休むなんて論外です」


「……そう言うと思ったから、まあ一応言っておいたんだけどねぇ?」ミデアは呆れとも感心ともつかない表情を作った。


「ですが、本当に装備は補充できるんですか」リハナはそこが気になった。「先ほどは、神宮寺さんを仲介に交渉してもらうと言いましたけど……そもそも、あの人が私達の味方をしてくれるでしょうか」


「それは大丈夫。


「はい?」


 そこで、タイミングを見計らったかのように扉が開いた。廊下に繋がる唯一の出入り口だ。リハナが寝ているベッドを正面に、南東の位置にあった。


「よお、リハナ。勝手に入るぞ。着替えでもしておいてくれや」


 扉の奥から、当該の人物が姿を現した。

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