第 31 話 好き勝手やる最強
「怪我は大丈夫なんだろ?」と
「ど、どこに行くつもりですか?」
「行けば解るよ」
「確かめるなんて、どうやって?」
「行けば解るよ」
リハナは戸惑いながらも、ベッドの傍らに置いてあった靴を履き、立ち上がると、再び神宮寺の引っ張る力が復活した。最早、行き先を明かす素振りもない。とやかく言う
「あれ? ちょっと待ってください」
扉を開き、神宮寺がそこを
これは、
リハナは立場上、無断な外出は許されていない。首相を拉致したマーダー小隊の一員であり、その主犯から無関係とする
勝手な行動を禁じられている身の上に、勝手な行動をさせないためにも、監視や見張りがつけられることはなんら珍しいことではない。なので、神宮寺がリハナを外に連れ出そうとしていることを察した見張り役の隊員は、あいや待たれと声をかけた。
「神宮寺さん、もうお帰りですか」
「ああ。もう、この部屋にいる必要もなくなったからな」
「坂原尋問官では、重要参考人から有益な情報を引き出すことは叶いませんでした。神宮寺さんはできたのでしょうか?」
「やけに細かく
「あ、すみません。自分、当初からこの部屋の見張りに就いてるもので、どうも気になって」
すらすらと交わされるやり取りに、リハナはこの二人は知り合いか何かなのだろうかと
それは、見張りの様子にちらりちらりと垣間見える、隠そうとしている感情の正体を見つけてしまったからだった。見張りの青年は、キリッとした眉毛に
会話が流暢に進むからといって、話をしている両者の仲が友好的とは限らない。大事なことを語り合うとき、人は集中して、相手の一言一句を聞き逃さんとし、返すべき言葉を深く吟味する。逆に、別の物事に意識を持っていかれれば、会話の内容も酷く簡素であっさりとしたものとなり、さも花が咲いているような活気溢れた雰囲気と誤解する場合もある。
まさに、今はそういう状態ではないのか?
「まあ、アンタもやりがいのない仕事を任されて嫌気が差してるのは解るけどな、あんまり
「あはは。そうですよね。機密情報、ってやつですよね。神宮寺さんもやっぱり、私が知らないだけで、どこかの部署の上役だったりするんでしょうか……?」
「おいおい、肝に銘じた矢先に踏み込もうとするなよ」神宮寺は笑いながら、見張りの青年の肩に手をまわすと、上機嫌な様子で、「うっかりアンタを消さなきゃならなくなったら眼も当てられないだろ?」とウインクした。
ガシャン、と音がした。
ガラスが割れるような音と、複数の金属がぶつかるような音の、二つの甲高さを合わせたかのようで、リハナの耳に不快感が波のように押し寄せてくる。
見れば、青年の持っていた銃がバラバラになり、その破片が床に散らばっていた。青年の手は、まだその現象に気付いておらず、まだ引き金に手をかけるべきか悩んでいるような仕草を続けていた。
「あ、あれ?」遅まきながら、青年は異変を察知した。
「組み立てるときにボロでもあったんじゃねえか」神宮寺がいけしゃあしゃあと言う。「急に壊れやがった。よかったな。これが戦闘中じゃなくて。でも、これじゃあ見張りの続行は難しそうだな。一回、銃の補充をしてこいよ。壊れたんじゃ仕方ないんだしよ。お前んとこの上司だって、手ぶらで中の人物の暴走を食い止めろなんて畜生なことは言ってねえんだろ?」
「いや、しかし……これは仕事でして……」
「武器なしのお前がいたって、『
「は、はあ」
見張りの青年は、神宮寺の滅茶苦茶な口振りに呑み込まれようとしている。いや、というよりは、呑み込まざるを得ない、という様子だった。この状況、偶然にも銃が壊れるなどと思えるはずもなく、何かしたとしたらこの男以外に有り得なかった。つまり、青年の意識化では、アサルトライフルの銃身をどうこうできる力を持った正体不明に肩を抱かれている、という悲鳴をあげてもおかしくない状況で、何か不手際を起こせば自分の身が危険に晒される。地面に散らばる銃のパーツ。あれが己の未来の姿だ、と想像してもおかしくはなかった。
部屋を出るべきかどうか、扉の枠組み辺りで右往左往としているリハナ。その様子を注意すべきか逡巡させていた見張りの青年は、己の手元に視線を落とし、顔を上げ、傍らにいる笑顔の神宮寺に視線を戻すと、同じようにへらへらと笑みを浮かべ、そそくさと二人の元を離れてしまった。
「あんな逃げるようにいなくならなくてもいいのにな」神宮寺は肩を竦めた。「人を化物でも見るみたいに」
A.M.11:00 創明大学研究棟1F
神宮寺に引き連れられ、渡った道のりは、以前、車椅子で押されながらクレハに案内された光景と寸分違わなかった。窓の少ない無機質な廊下、エレベーター、そして一階へ。
途中で人と遭うようなこともなかった。この緊急事態の最中では、大学としての機能を一切停止させ、街から避難した市民を匿う受け皿と化していた。この騒動が鎮まるまで、地下の対『
上限の解らないタイムリミットは確かに迫ってきている。進むべき道も解らない暗闇の中で、誰もが銘々の形で戦っているのだ。
少なくとも、リハナはそう信じていた。
「そういや、これを渡すのを忘れていたな」と神宮寺が口を開いたのは、下降するエレベーターの中だった。
温くなった電子音のようなエレベーターの内部は、どうしても沈黙が際立ってしまう。神宮寺は再度ポケットを探り、もう一枚の紙切れをリハナに渡した。
「まだあったんですか?」喋りながらも、受け取ったリハナはすぐに広げて眼を落とした。
「ああ。けど、
その言葉の意味は文章を読めば解った。筆跡自体は、彼女のもので間違いなかった。紙の性質もさっきの手紙と変わらない。
しかし、そこに書かれていた思いは確かに彼女のものではなかった。
「ハクさんの……手紙……」
手紙の冒頭には、『お手紙をしたためていたら、自分もリハナちゃんに手紙を書きたい、ってハクが言ってきてさ。というわけで、ここからはあの子が言った言葉をボクがゴーストライターすることにするね!』と前置きがなされていた。
人工知能、ハクとはあの作戦以降、話を交わすタイミングがなかった。正確には、ハクが搭載されたスマホの電源を起ち上げる方法が解らなく、壊れてしまったのだと思い込んでいた。定期的に訪ねてくる尋問官に、元の持ち主に返してほしいと預けた後、どうなってしまったのか知らず、こうして無事なことを確認できたリハナは、ほっと胸を撫で下ろした。
あの作戦では、彼女の助けなしに『
内容は、こちらの身を案じることから始まり、作戦の終わりを労ってくれ、自身の活躍を主張することも忘れず、しかしリハナに対する憂慮が見え隠れする、人情に溢れたもので、香織が修正でもしていなければ、まるでAIが書いたような文とは思えない出来栄えだった。
特に、リハナを惹きつけた文章があった。
大将をやっつけた後のことは、強制的にシャットダウンされたアタシには把握できていない。けど、これだけは言える。クレハ達の感情は、リハナっちを嫌ってなんかいない。その点で、あの人達はリハナっちを裏切ってはいないよ。感情分析に長けたアタシが言うんだから、間違いないよ。
まただ、と思った。ハクも香織や神宮寺と同様、マーダー小隊のことを悪く書いていない。それどころか、裏切っていない、と断言している。
「なんで……」どうしてそう思えるのか。そして、そう思えない自責の念が彼女の心を掻き立てる。自分だけが、別の部屋でいることを強制されているような、そんな疎外感もあった。
「アイツらの要求は聞いてるんだったな」そんな彼女に、神宮寺は話しかける。
「はい。次の連絡時に、神宮寺さんを指定する場所につれてこい、と」
「まさか、俺の名前が出るとはな」人生解らないもんだ、と神宮寺は自虐するようにも言った。「だがな、そのメッセージには続きがあったんだよ」
「続き?」
「リハナに乱暴なマネをしたら、首相を容赦なく殺す」
「……!」オブラートも配慮もない、その暴力的な言葉に、リハナは息が詰まったような顔をする。
「これが何を意味しているかは解らねえ。けど、少なくとも、アイツらがお前に無関心だったってことはなさそうだろ」
「……ただ、政府に混乱を招きたいだけかもしれません」
「疑り深い奴だな。まあ、いいや。それを確かめに行くんだからな」
エレベーターが指定の階に到着した、チン、という鈴のような音が鳴った。
十分後 緊急異世界災害対策支部
「……色々と、問い質したいことがあるのですが」
「なに?」神宮寺は目頭を押さえる
「なんで!」ドン、と叩かれた机が大きな音を立てた。「なんでリハナさんをここに連れてきちゃったんですか! 貴方、状況をちゃんと理解していらっしゃるんでしょうね!?」
「ふっ、愚問だな未月空ちゃん」
「はい?」
「俺が『ダメ』と言われてその通りに従ったことがあったか?」
ガタン、と今度は椅子が後ろに倒れた。欝河未月空が力をなくしたように膝から崩れ落ち、その近くにあった椅子が道連れとなった。異世界人相手にも強気な態度を一貫させていた彼女からは想像もできない様子だった。
「あ、あの……大丈夫ですか……」そんな彼女に、リハナは気を揉んだ声を出すことしかできない。
泰然自若にして初志貫徹する。そんなイメージの彼女が、それとは真反対な位置に立っているその原因は、間違いなく自分にあり、自分のせいでここまで取り乱している彼女の姿に、なんと声をかければいいのか判断がつかなかった。
「や、やっぱり、マズかったですよね……私がここに来ては……」
「……いえ。リハナさんは悪くありません」欝河未月空は崩れた体勢を整えながら、申し訳無さそうにしているリハナを手で制する。「
「そ、そんな、大袈裟ですよ……!」頭を下げる欝河未月空に、リハナは寧ろ申し訳無さが際立つようだった。「頭を上げてください。私は気にしてませんから。あんなことが起きれば、私に疑いをかけるのは当然です。賠償だなんていりませんから」
「いやいや、ここは貰っとけよ。今なら言いたい放題なんだぜ? 勿体ねえだろ」
「神宮寺さんは黙っててください!」
綺麗な円満で終わらせようと必死になっているところに、空気の読めない横槍を入れる神宮寺。
「とにかく、私は気にしてませんから!」
「……そうですか」欝河未月空は納得の言葉を口にした。元より笑顔よりも威圧感が籠もった仏頂面を浮かべてばかりなので、本当に納得しているか判断のしづらい反応だったが、それでもこちらの意思は伝わったようだった。「いや、まあそうですね。そういうことなら無理強いはできませんね。一応、こちらも規則で行っていますので、足し引きではどうにもならないところではあるんです」
「それが欝河さんの仕事ですから」
「リハナさんが話の解る方で助かりました」彼女は息をついた。それは、弱味を見せないように虚勢を張り続ける者が見せる、一瞬の隙のようで、リハナはとても好感を持てた。「有権者も貴方ぐらい物分りが良いと助かるんですけどね。ホント、こちらは貴方たちの安全を第一に考えているのに、職権乱用だとか横領だとか枕営業だとか勝手なことばかり言って」
「え、えっと……」ブツブツと洩れ始める愚痴のような、というより愚痴そのものに、リハナはどうにか乾いた笑みを浮かべる。聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。
「あろうことか、この緊急事態に我が物顔で政府を利用する問題児まで始末ですし」
「おい、こっちの顔を見ながら言うな」欝河見月空に睨まれた神宮寺は、言いがかりと言わんばかりに唇を尖らせた。「とにかく、話が済んだのなら、さっさと本題に入ろうぜ。そのためにリハナを連れてきたんだ」
「……大体は察しましたけど、本気なんですか」
「何か問題でも? リハナは話を聞く権利がある。それだけだ」
「……解りました。しかし、これだけは確認させてください」と欝河未月空はリハナに視線をやった。「リハナさん」
リハナは思わず背筋を伸ばした。
これから二人が何を行おうとしているのかは、エレベーターを降りてこの部屋に向かうまでの間に聞き及んでいた。
「覚悟の上なんですね?」
「……そう改めて言われると、正直解りません。ですけど」リハナはそこで深呼吸した。気持ちを落ち着かせる。詰まりそうな息を通しやすくする作業に、そこまでの作用があるのか疑問ではあったが、自然とそうしてしまうぐらいには日本の文明とは付き合ってきた。「このままじゃダメだ、という気持ちはずっとありますから。逃げていい場面と逃げたい場面を履き違えるつもりはありません」
「……お強いんですね」
「え?」
「いえ、こちらの話です」欝河未月空はかけてもいない眼鏡の位置を戻すような、つまりは聞かれたくない独り言を誤魔化すために適当な動作をした後、「では、始めましょうか」
「俺ら三人でやるのか」神宮寺は話をしている三人以外いない、張りぼてに近い対策支部の一室を見渡した。「前みたいに議事堂と繋いで、みんなで話し合うとかもなしなのか」
「これは会議ではなく、交渉……いえ、交渉とも言い難いですね。
「それもそうだな」神宮寺は頷いた。
リハナは欝河未月空の配慮をありがたく思った。確かに、これから行うことを考えれば、とてもではないが心を許していない他人に傍聴されては堪らない。
欝河未月空が準備を手掛ける。準備、といっても大仰な仕掛けを施すようなものではない。彼女は机の上にあったノートパソコンにUSBケーブルを繋ぐと、もう片方のアダプタにはスマホを取り付けた。
欝河未月空の仕事用のケータイだ。官僚としての顔がすべて詰まっており、この緊急事態においても昼夜を問わず頻繁に充電をしながら各公的機関や権利者からの連絡を受け止めている働き者だった。
作戦中に異常があったり、遂行が不可能と判断すれば、すぐに連絡するように、と事前に言われて番号を教えられていたことをリハナは思い出した。
もっとも、それはリハナ本人が関わったものではない。いつだって戦況を分析するのは、その作戦を指揮する系統と決まっているのだから。
つまり、このスマホには彼女が電話をかけることができるということ。
スマホと有線で繋がった状態のパソコンを、欝河未月空は操作する。ペアリングを行わないのは、今後のことを考えてだ。このパソコンは一応、別の仕事用として使うので、痕跡が残るようなことをしたくない。
「では、かけるとしましょうか」欝河未月空は情緒もなく言った。蛇口から出る水を止めるような迷いのなさで発信ボタンを押した。
発信音はかろうじて聞こえるぐらいに抑えられていたが、この狭い空間の中では妙に響き渡るような気がした。ぷるる、という音を初めて聞いたとき、リハナは不具合でも起こしたのかと不安になったことがあった。耳の傍で聞こえ、か細くも酷く耳にさわり、まるで頭の中を這いまわられるようなこそばゆさを覚えた。
そんな複雑な感情を思い起こさせる電子音が、不意に切れた。着信したのだ。『……やっと来た』
「すみません」欝河未月空は謝るも、それは形式的で他人行儀な姿勢だった。「随分とお待たせしてしまって」
『あまりにも待たされたから、後5秒くらいで首相さんに八つ当たりするところだったかも』
「おう、それは危なかった。ギリギリセーフだった。後少しで、お前達の極刑が決まるところだった」
『……意外。まだ、死刑じゃないんだ』
電話の相手は
『私達の要望通り、【
クレハ・アードロイドは言った。
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