29話 sideワン

「すっ!」

「ははっ!動きが鈍くなっていますよ、ワン!」

ワンは腕をやぶからぼうに振るい、流体となって予測困難な動きで回りをうっとうしく回り続けているクイックリンパサーに当てようと必死だ。それは戦闘とはいえず、しいて言うならばその光景は気弱な生徒をいじめる陽キャな生徒といった感じだ。


(落ち着けまだ勝機はある、落ち着いてあいつの動きを観察しろ)


ワンは極めて冷静にクイックリンパサーの動きを目で追う。だがその心中は穏やかではない、”民間人を助けることができなかった”その事実がワンの心を締め付ける。

「そうだ、僕は………」

「ははっ!隙だらけですよワン!」

「しまっ!」

既に全身打撲、そして肋骨の数本はイカレている。折れた骨は肺に突き刺さっており、まともに呼吸することすら困難だ。そんな満身創痍の状態では死角からのクイックリンパサーからの攻撃をよけることができるわけもなく、背中に強烈な一撃をもらう。


「っ!」

「どうしましたワン、手応えがないですよ」

クイックリンパサーはやれやれとまるでワンに失望したかのように声をワントーン落として冷めた目で見つめる。余裕の現われか自分の帽子のつばをなぞった。

「はぁはぁはぁ」


(息がしづらい、視界がぐらつく自分の体じゃないみたいだ)

ワンはもう立っているのでさえやっとの状況だった。


「はっ!」

「遅い遅い!」

上、下、横、全方面から来る数百にも及ぶ攻撃をノーガードで喰らい続ける。


「がはっ」

腹にパンチをモロにくらい、胃液交じりの吐瀉物が喉に痛み出る。

「はぁ、はぁ」

(………救えなかった、助けられなかった)

けどそんな自分のことなど二の次だ、がワンの足を重くしている。


言いようのない感情が、ぶつけようのない衝動が、なんとか出てこないように自分の心に蓋をする。


「出しちゃだめだよね、僕はヒーローたもん」

「ヒーロー?そのざまでよく言えましたね、観客など誰もいないというのに」

クイックリンパサーは信号機を根本から抜き取り、近くにある縁石を使ってゆっくりと根本の部分を鋭利にしていく。


確かに、今この場に彼らの戦いを見ている観客は一人もいない。ゆえにヒーローというを取り繕う必要などない。


「それでもヒーローはヒーローさ」

「くだらない、さっさとその仮面を外したらどうだ?」

鋭利にさせた信号機の先端をワンの左目に近づける。その先端をひるまず睨む。

「………」

ワンは先端を睨み続けるだけで何も言わない、まるで言わないことがせめてもの抵抗だというように。

「まぁいい、死ね」

その先端が動き出しついにワンの目の寸前まで来たところで止まった。ぴくりともせず削れた信号機の先端がぱらっと少し崩れる。


瞬間クイックリンパサーが感じたのは悪寒にも近い感覚。



「動かない?」

力を込めて押しても動かない信号機に違和感を覚えたクイックリンパサーは眉を顰める。

「当たり前なノネ、私が引っ張ているのだから」

「誰だ、あっ!?」

彼が振り返るよりも先に体はその声の方向に引っ張られていく、まるで荒れた大海の波のように抗いようのない力に流されるままに飛んで行く。

「私が来た、ノーネっ!」

「かはっ!!」

クイックリンパサーの後ろにいる人影から放たれたその重い拳は彼の頬にクリーンヒットする。


地面に大きなひびが入るほど強烈に地面に叩きつけられる。


「あの姿は………」

ワンは人影の姿を直視する。それはかつて、ある少年を捕まえようとしたときに少年のことについて調べていたときに出てきた少年の姉の姿と重なった。


「動けない!まったくと言っていいほど」

クイックリンパサーは這いつくばった状態から体を起こすことが困難になっていた。上から襲い掛かる強烈な重さに指一本動かせていない。

「重力を強くしてるからなノネ、今お前の体重は通常時の1000倍ほどの重さになってるはずなノネ」

「はっ、ならば!」

すると彼は音もなく消えた。なんの前触れもなく忽然とクイックリンパサーという存在がその場から消えたのだ。残ったのはなんお変哲もない空気だけ。


「消えたノネ」

「気を付けてくれ!はぁ、おそらくやつはすべての物体に変形することができる!」

「あぁそういうことなノネ」

息もとぎれとぎれなワンからの忠告を聞ききながらも興味なさげに返答する。「その程度か」とでも言いたげなその冷たい瞳は交差点の中心に向けられる。


(まさか、彼女には空気に変形したクイックリンパサーの姿が見えているとでもいうのか?)

ワンは彼女の規格外さに戦慄した。


「ふっ、見つけたノネ」

顔の力を緩め、頬を少し吊り上げる。視線はそのまま交差点の中心に向け、自信満々に指を指した。瞬間横断歩道の中心のアスファルトがべこっとへこみ、その力はどんどん強くなっていく。ばきっ、ばきっ、と徐々に広がっていく亀裂はその力の強さを物語っている。


「ふはははっ潰れるノネ!!」

「え?」

ワンは見た、何もない空間から少しづつ人の形が生成されていくのを、その人影が女の後ろに作られていくのを見たのだ。


(え、彼女はそこにクイックリンパサーがいたと確信していたんじゃないのか?もしかして、全部テキトーだった?ていうか、まずい!)

姉の奇行がワンを戸惑わせる。


「にげ、ろっぉぉぉぉ!!!」

ワンは壊れた喉に鞭うってなんとか彼女に伝えようと声を張る。

「ん?」

女が振り返ると目の前にはナイフの刃が迫ってきていた。

「あなたは何をやっているんですか?」

女の背後にいたクイックリンパサーはため息交じりに言う。


だが彼女は動じない。


「あぁそこにいたノネ」

極めて退屈そうに、振り下ろされたナイフを眺めながら瞬きする間もなくさらに早いスピードでナイフを掴み握りつぶしてしまった。

「は?」

「わ、私のあそこでの能力の使用はお前の油断を誘うためのものだったノネ」

額に脂汗をかいていることを隠そうともせずに目を右往左往させながら、焦点が合わないまま伸ばした腕はクイックリンパサーの顔にクリーンヒットした。


「かはっ!」

重力を乗せた殺意マシマシのその拳はクイックリンパサーの体を数メートルほど吹き飛ばした。さらに吹き飛ばした先にあったショーウィンドウの中に体ごと突き刺さった。

「あれは………」

と同じ圧倒的力を持っている者の戦いをワンはひと時も目を離すことなく眺めていた。


(あぁ、そうかがいなくても………)


そう、自分がいなくても他の誰かがきっと日本を守ってくれる。それは自分に代わりがあるということだ。それはナンバーワンであった彼のプライドを深く傷つけた。


「はっそうだよな俺なんかいなくても世界は回るよな、俺は誰も守れないし………」

誰にも聞こえないように発したその声は空気に溶けていく。そう、誰にも聞こえていないはずだった。

「ワンさん!!!申し訳ありませんが全員は助けられませんでしたが確かにここに1000人以上はいます!!」

「ロップス?」

ばっ!と声のした方向に振り返る。その先にいたのは池袋駅の隣にあるビルの中枢の中にロップスがいた、ロップスは手から出した縄をそのままに、壊れたガラス窓から顔を出してを声を張り上げていた。後ろには多くの人が控えているのが遠目からでも見えた。それは大勢の人がいるという証だった。


今ワンにそのことを伝えるのはクイックリンパサーに見つかってしまうというリスクがある、それでもロップスは自分が伝えなくてはならないという感覚に襲われていたのだ。


「ワンさん!あなたがそいつの目を引いてくれたおかげです!」

ロップスの力強い言葉がワンの心を揺らす。


「………」

ワンはどうしようもなく震える手を額に当てる。目からあふれ出しそうな何かを歯を食いしばって抑え込む。

「ありがとう………」

空気に溶けてしまいそうな感謝の言葉はロップスに届くことはなかった、しかしワンの様子を見て大丈夫と判断したロップスは部屋の奥に身を隠した。


「あぁそうかどおりで捕食できた人間の数が少なかったわけだ」

クイックリンパサーはガラスくずを髪につけながら崩れたショーウィンドから起き上がる。

「うっとうしいコバエめ」

彼の鋭い視線は今さっき身を隠したロップスの姿を確かに捕らえている。


「お前、どこ見てるノネ?」

「かはっ!」

どこかのドМが聞いたら羨みそうな言葉を吐きながらクイックリンパサーは大きく吹き飛んだ。


強烈な右フックがクリーンヒットしたせいで彼の左頬は大きくへこんでいた。

「私を前にしてよそ見とはいい度胸なノネ、根性叩き治してやるノネ、?、なんなノネ、喧嘩か?」

意気揚々と追撃しようと肩を回していたところで肩をポンと叩かれる。後ろを振り返るとそこにはさっきまでの余裕のないワンではなく、第一位らしい自信に満ちたワンだった。

「違うよ、あとはにやらせてくれと言ってる」

「おいしいとこ持っていく気なノネ?」

「ごめん、これでもプライドってものがあるんだ」

「あっそ、でも決めるのは私なノネ」


”こういうときは譲るもんでしょ”と心の中で愚痴をこぼしながら半ば無理やりに姉を押しやって前に出る。


「ちょっ、お前何するノネ!」

「ごめん!後で1万円あげるから!」

「………ゆずるノネ」

「え」

姉はさっきまでの抵抗が嘘みたいに力を抜き、まるでエレベーターガールのようにワンが通る道を邪魔しないように端に寄った。


ワンはお辞儀したまま顔を上げない姉を疑問に思いながら横を通る。


「クソガキども、この私を差し置いてよくもまぁそんな悠長に話せましたね」

おもちゃのように弄ばれたことを根に持ったらしいクイックリンパサーは眉間に血管を浮かべながら瓦礫の山から起き上がる。


その声を聴いてワンは視線をクイックリンパサーに向ける。


(僕はもうヒーローとして揺るがない………)


「殺しますよ?」

液体状に溶け出したクイックリンパサーを見逃さずワンは足に力を込めて猛スピードで近づく。

「………もう迷わない」

「がっ!?」

ワンが振り下ろした拳はコンクリでできた地面にひびを入れる。液体となっていたクイックリンパサーだったがワンの衝撃に耐えきれず強制的に人型に戻された。


「もう二度と僕は僕を見失わない」

「かはっ!」

弄ばれるように追撃を喰らったクイックリンパサーは体を風車のように大回転させた後壁に貼り付けになる。


”僕は皆を助けることができるような最高のヒーローであるワンであり続ける”


「だからもうお前は!そこで沈んどけ!!!!」

「ちょっやめ」

歯が欠け、左目にできたアザを手で押さえ、空いた片方の手を使ってワンに「来るな」と必死に訴えかける。しかしワンの拳は止まることなく進み続け………


「おらぁぁぁぁぁ!!!」

どかぁぁぁぁん!!と激しい轟音を響かせた。






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