31話 名無しの怪物

時は加恋が最後の技を出す少し前までさかのぼる。


場所はクイックリンパサーの基地、そのモニターの前の椅子で眠っていたラナはようやく目を覚ました。

「ん、あれ」

「起きたか」

「私寝てた?」

「ぐっすりとな」

頭を抱えながらラナは体を起こした。寝起きでまだ意識がはっきりしないのだろう、あるはずもないスマホを探そうとあたりを触ってる。


「あ、れ?スマホは?」

「ポケットの中とかじゃないか?」

「あ、あぁそうだった、確か私はクイックリンパサーの基地に突入してそれで………」

そこでさっきまで慌ただしかったラナの動きが止まり、少しづつまるで機械人形のように軋みをあげながら首を動かしこっちを見つめた。


「麻木様はどこ?」

「さぁ、どこかに行ったんじゃないか?」

「あんたは知らないってこと?」

「そういうことだな」

「あっそ、じゃあそこどいて」

邪魔もの扱いのようにどんっと肩を押される。

「そうかっかするなよ」

「これが焦らないでいられる!?」

ラナは声を荒げた。その顔は少し歪んでて明らかな動揺が見えた。


「いいからどいて」と俺の横を通り過ぎていくラナを見て俺は思わず口を開いた。

「お前なんでそんなに麻木のことを気に掛けるんだよ、何がお前をそこまで突き動かしてる?」

「そんなの命を助けられたからとか、単純に好きだからとか、全部ひっくるめて私を動かしてるだけ、これはただの衝動だ」

「衝動、か」

「私もう行くから!」

「その前に一応電話でもしたら?」

「あ」

今気づいたのか、口をぽかんと開けたラナは一瞬呆けてからものすごいスピードでスマホを取り出し、目にも止まらぬ速さで番号をタッチしていく。


ぷるる、ぷるる、と何回もラナのスマホから電話の音が鳴る。


なんかこういうときってちょっと緊張するな。

「………出なかった」

「まぁだろうね」

「じゃあもう手当たり次第に探すしかない!」

「ちょっ落ち着けって」

またも考えなしに飛び出そうとするラナを止める。まだ瞳が揺れ動いている、こいつの火照りが俺の手にも伝わってくる。


「それどんだけ時間かかるかわかってるのか?」

「でも今ここで何もしないよりましだ!」

「それよか、まずは今ここでできること考えた方がいいだろ!」

キャラに似合わず大声をあげて近くにあった監視カメラを指さす。


「そうか監視カメラ………」

「その監視カメラを操作してみたらどう?これ、結構多くの場所に配置されてるみたいだし」

「麻木様、麻木様は!?」

食い入るように監視カメラに張り付いたラナは慣れた手つきで操作していく。


え、半分冗談で監視カメラを指したつもりだったけど、こいつなんで操作できてるんだ?………まぁいいかそんなことは。


「で?見つかったか?」

「いた、これは多分池袋駅、かな?」

「よかったじゃん、行ってあげれば?」

「うん今すぐ行く」

麻木を見つけて安心したのか、火照っていた体を落ち着けて笑みを浮かべる余裕を見せた。


「あぁいってらー」

「………ねぇ、あんがと」

帰り際に見せたラナの笑顔は紛れもなく俺に向けられたものだった。ラナは頬をほんの少し赤く染めて奥の細道の出口へと走り出していった。


俺は当然のことをしたと思っていた、当たり障りないことを言っただけだった。たったそれだけのこと、いいことでも何でもない、だからそんな顔を向けられる理由なんてないはずなのに。


「わかんないなぁ」

その理由だけはだれだけ考えてもわからなかった。


それからどれだけの時間が経ったかわからないが、脳を使ったおかげである人物のことを思い出すことができた。

「柊のことも助けに行かないと」


俺は麻木からの命令と柊の安否を天秤に………かけるまでもなく、圧倒的に柊側に傾いた。


足に力を込め、ちょっと前に俺が空けた穴に向かって大きくジャンプする。


「あぁ、なんだもう夕暮れか」

日はもう落ちかけ、太陽は赤くなっていた。地平線はオレンジに光りどこかもの悲しい雰囲気を漂わせる。

「待ってろよぉ!柊!」

空気中にある酸素や窒素などを土台に踏み込み、弾き、飛ぶ。すさまじい爆風が飛んでいた鳥の航路を阻害しバランスを崩させ、とんでもない量の風が小さい竜巻を作った。



ホロウ株式会社深部、”闇”といわれているその空間はその名前の通り何も見えない部屋のドアが開かれる。


廊下に設置してある電球の光が部屋に差し込み、線状に伸びた光が部屋の中心にいた女のことを照らす。


女の名前は柊由香、数か月前ヒーロー側に捕まった革命軍の幹部の一人である。


柊は金属製の椅子に縛られていて、怪我は見当たらないが憔悴しきった様子だった。自慢だった縦ロールは見る影もなく伸びきっており、髪は地面についていた。

「ねぇ、今外はクイックリンパサーの暴動によってとんでもないことになっているの」

部屋に入って来たのはバレントで、自分の体より少し大きい白衣を着ている。その白衣を揺らし縛られている女の前に立つ。


立ち止まった慣性で耳にかけていた髪がはらっと崩れ落ちる、落ちた髪が目にかかり、怪しさを倍増させた。

「?、誰それは」

「そうだった、あなたは知らないんだったわね」

「だから誰と聞いてるんだけど?」

「革命軍の第七幹部のことよ」

「………そうか私の他の幹部の名前か」

「ねぇ聞きたいんだけどなんであなたは幹部なのに革命軍の事情をそこまで知らないの?」

「知らない、私が入会したきに幹部になれって言われてあのビルを渡されただけだから」

「言われた、って誰に?」

「どっかの仲介人みたいなやつ」

すべてをすらすらとしゃべる柊にバレントは目を開く。つい革命軍は横のつながりが強くて決して内部の情報は吐かないと思っていたからだ。


「随分と素直ね」

「当たり前、もう革命軍に用はないんだから」

「冷酷、あなたも一応革命軍に恩がないことはないんでしょ?」

「ない、そんなものはない、私が持ってるのはヒーロー共への殺意だけだ」

「利害の一致、ね、まぁいいやとりあえずあなたのその縄ほどくからおとなしくしてね」

「は!?」

バレントのあまりにも予想外のその言葉にががたっと椅子を揺らす。


拘束時間およそ5か月その間柊は特に何もしていない、情報を提供したわけでも何かの仕事をしたわけでもない、ただ凌辱されていただけだというのに突然告げられた宣告に動揺せずにはいられなかった。


「え、ちょっ、突然なんで!?」

淡々と縄をほどいていくバレントを避けるがごとくばたばたと足を動かす。

「………クイックリンパサーはあんたのことを人質として見てくれなかった、だからよ」

「だからって、私は犯罪者、縄をほどいた瞬間あなたに襲い掛かるかもしれないのに………」

「ほんとに襲い掛かるつもりのやつはこんなに抵抗しないでしょ?それにそんな前置きもしないわ」

「そんなの、わかんないじゃない」


柊由香の中ではまだ大量の人の魂を利用していたことへのふんぎりがつけられていたなかった。まだまだ自分の罪は償えるものじゃないと、そして今後すべての人生を凌辱されることで生きることすら覚悟していたほどだった。


「わかるわ、あなたは優しい人だもの」

バレントはそう言って笑った、どこか満足気で誇らしいその笑顔は柊から抵抗する力を奪った。

「………ほんと馬鹿」

「それがヒーローでしょ?」

「それが、ヒーロー………?」

「よしほどけたっ!」

縄がはらっつと落ち、その特殊な縄によって能力を制限されていた柊は縄が解かれた瞬間存分に能力を発揮し、超人的なスピードで後ろに回り込み、呆けていたバレントの喉元に右手中指の爪を突き立てる。


「ほら馬鹿だからこうなる」

柊は吐息すら凍っていそうなほど冷たい瞳をもってして、バレントを見下ろす、少しでも動けば殺すぞといわんばかりの殺気を放っている。


「ちょっ動いたら殺すって………っ!?」

だがそんな柊を見てもまったく臆することなくバレントは突き立ててきた右手に優しく触り握った後、その手を自分の頬に持ってくる。

「こんなにも暖かい手なのにそんなことするのはもったいないわ」

「くっ!」

バレントの頬から無理やり手を抜き取って握りなおし、拳の中に爪を隠す。


「お前、私がどれだけ人殺してきたと思ってるんだ?」

「100人以上、でしょ?」

「それを知っていてなぜこんなことをする!?」

バレントの優しさが柊の胸を締め付ける、その優しさを遠ざけようと必死に抵抗する。


「ヒーローはバカだからね表面上の事しか見れないんだ、今あなたが助けてほしそうに見えたから助けた、それだけのことよ」

「………それじゃあんたらはどんな悪党でも助けを呼んでたら助けるの?」

「………いいえそれはないわ」

「くっ!だったらなぜ私を助ける!その理由がないだろ!」

「ふぅ、あなたはほんとわかってないわね」

バレントはやれやれと肩をすくめ、ため息を吐いた。

「はぁ!?」

自分の中で話がつながらない柊はバレントの一挙手一投足に動揺を示す。


「あなたが悪党なわけないでしょ?あなたが命を奪ったのは何かしらの罪を犯したどうしようもない犯罪者ばかり、確かにやり方は褒められたものじゃないけどそれでも、あなたは十分罰を受けたでしょ?」


そんなの当たり前のことだと、首をかしげるバレントに憤りを感じながらも柊は自分の拳を見つめその感情を抑える。


「私は、犯罪者だ、だから、もっと罰を受けなきゃだめなんだよ、じゃないと、影野君に顔が見せられない」


柊は俯き、廊下の淡い光が彼女の横の頬を淡く照らす。


「ほんとわからずやね、じゃあ人助けでもしてみたらどう?誰かを助けることは影野さんも望んでいることじゃない?」

「………誰でも思いつきそうな言葉ね」

「ふっ、王道な言葉もたまには人を救うのよ?」

「………わかったわ、お前の思い通りに動いてあげる」

「ありがと、じゃとりあえずここを出て………」

立ち上がったバレントは柊の後ろに何かを見たのか口を紡ぎ、さっきまでの余裕の表情を崩し、こめかみに汗を貯める。


「?、どうしたの?」

疑問に思った柊が問うがバレントから返答はなくただ生唾を呑み込むだけだった。


柊より一歩前に出たバレントは震えた声で口を開く。

「なんで、テンヒさんがここにいるんですか?確か上の階で警備中だったはずじゃ………」

「え!テンヒ!?」

そのバレントの言葉に柊も振り返り、その姿を視認する。


テンヒは明るく光る蛍光灯をバッグに立っていた。体は陰で黒くなっていてよく見えずシルエットのようになってる。白衣にメガネといつものコーディネートをしていたテンヒだったがこのときばかりは普段とは打って変わった威圧感を放っていた。

「………別にお前がいなくなっていたから来ただけだ、それより、これはどういう状況だ?」

(どういうこと?バレントは了承を得て私の縄をほどいたわけじゃないの?じゃあこれは全部こいつの独断で………)

了承を得ていればこんな争いは起こっていない、そうつまりバレントはこのクイックリンパサーの騒動に紛れて柊を逃がそうとしていたことになる。


「………テンヒさん彼女を逃がしましょう、彼女はもう十分に罰を受けた」

「ちっ、お前は何もわかっていない」

舌打ちをしたテンヒのメガネに光が当たり反射する。


「そいつを逃がしたら、どれだけ市民から非難されると思ってる、下手をすればこの会社の信用は地に落ちる」

「そんなのどうだっていいじゃないですか」

「どうっだっていいことがあるか、その信用が会社を成り立たせているんだぞ」

テンヒのシルエットから見えたするどい犬歯が目立つ。


「じゃあ全部を私の責任にしてください」

「は!?ちょっと、そんなことしなくたっていい、あんたがそこまで無理する必要は………」

それはだめだと柊が止めたがそれを無視してバレントは続ける。


「私が彼女を逃がす責任を全て負います、だから、どうか彼女を逃がしてください!」

彼女の意志は固かった。

「だめに決まっているだろう、お前はここに必要な存在だ」

「必要なのは私じゃなくて、私の能力でしょ?」

「ちがっ、そうじゃ………」

突き放すようなバレントの言葉にテンヒは言葉を詰まらせる。


「どうしても、私を止めるというのなら強行突破で行かせてもらいます」

「お前、本気か?」

「本気です」

戦う気しかないのかバレントは拳を握り、構える。それを見てテンヒはかちゃっと眼鏡を直す。むき出しにしていた犬歯を口の中に戻し、目をつむった。


そしてもう一度目を開け、腰に携えていたポーチから10㎝ほどの針を数本取り出す。その針を指の隙間に入れる。


「じゃあ少し痛い目を見てもらう」

「………ごめん、あなたのこと助けられないかも」

テンヒに聞こえないくらい小さな声でバレントは柊の耳にささやいた。


「はぁここまでしてもらったんならやるしかないわよね、私も一緒に戦う」

「………ごめんねー、こんな情けないヒーローでさぁ、ありがとうねぇ」

バレントとしては「いいや、ここは私に任せて」くらいは言いたいところだったのだが、それは現実的に不可能であったため情けなくも柊に頼る。

「そんなこと言わないで、あなたは私が見てきたヒーローの中で一番かっこいいんだから」

「それは、そのー、うれしいわね」

「………認めるわ、ヒーローにも悪くないやつはいるって」

柊は横で構えているバレントを横目で見ながら少し口角を上げた。


「話はそれで終わりか?」

「「はっ!?」」

テンヒはいつの間にか後ろにいた、そしてすでに二人の首に向かって針は投げられていた。


柊もバレントも油断はしていなかった、なにせ相手はヒーローランキング10位の女だ、だがそれでも目で追いきれなかった。


「くっ!」

「やばっ!」

両者ともその針を背中をのけぞらせることで避けたが、テンヒに隙をさらしてしまった。


テンヒは柊への追撃に針をがら空きの胴体めがけて放つ。


「くっそ!」

胴体すれすれまで針が届く前に柊はつい先ほど前まで自分を縛っていた縄を手に取りはじいた。

「舐めてるんですか!?」

自分に針が飛んでこなかったことに腹が立ったのか、バレントは態勢を直して拳に力を入れてテンヒに向かって突き出す。


だが戦闘経験が浅いバレントのパンチが当たるわけがなく、かすりすらもせず軽々と避けられる。


「甘いんだよ、全部が………」

「がっ!?」

容赦ない前蹴りがバレントの腹に刺さる。靴底がすっぽり埋まるくらいまで強く蹴られたバレントは部屋の壁に叩きつけられる。


「お前!」

縄を両手で持った柊はテンヒの後ろから襲い掛かる。

「遅い」

「かはっ!?」

テンヒが細い針を軽くふるうと図太い縄は細切れになった。それに動揺し硬直した柊の顔面を腰を入れてぶん殴る。


「がっ、あっ」

一回転した柊の体は出口の傍の壁にぶつかり、血反吐を吐きながらうなだれる。

「弱いやつが一丁前に自由を手に入れようとしやがって、ヒーローを舐めるな」

「舐めてなんかいないよ、けどこんな私なんかを助けてくれる人がいるから、諦めないだけだ」

柊は壁に重心を預けながら背中を擦って徐々に立ち上がる。その目にはまだ反抗の炎が燃えていた。

「………うるさい」

「テンヒさんっ、あな、たの、憧れた、ヒーロー、像は、そんなもの、なのか、彼女を凌辱させて得る信用がそんなに必要なのか?そんなのがヒーローなのかぁぁぁ!」

今にも胃の中のものが出てきそうなのを我慢しながらバレントも立ち上がる。


「うるさいぞ、お前らぁぁぁぁ!」

「ひっ!………あれ?」

テンヒから見て両端にいる二人に向かって針を投げる。その針は一直線に走っていく、だがその針は当たることなく、二人の頬を通過し壁に当たりからんっと落ちる。


「私は、私は、ヒーローに………」

次の針をポーチから取り出そうとする、しかしその針は重かった。重くてポーチから取り出せない。


「あなたが、ヒーローを目指したきっかけはなんなんですか?」

「それは………」

バレントからの問いにあるナンバーワンヒーローの姿がめに浮かぶ。「ヒーローを助けるのに見返りなんていらないだろう?」その言葉がチクリと刺す。


彼女は優しい人間だ、この会社に所属している他のヒーロー達のことも考えて市民からの信用を落とさないようにと頑張っている。柊由香については一任されていたため、市民の鬱憤を回復させるために一番手っ取り早かった”凌辱”という選択に至った。


その選択は間違っていない、どこまでも市民に寄り添った選択だ。だが彼女自体こんな行為は嫌いだった。


「私は、私は………」

腰に携えていたポーチが崩れ落ちた、中に入っていた針が零れ落ちる。

「………すみませんテンヒさん私達は先に行きます」

「勝手にしろ」

膝をついて完全に戦意喪失したように見えるテンヒを背にして走り出す。

「行こう」

「あ、うん」

あっけない終わり方に呆けていた柊の手を握りバレントと共に拷問部屋を抜け出した。


「これで出れるわね」

「そ、そうだけど、テンヒはあのままで大丈夫なの?」

「大丈夫よ、ヒーローがあの程度で折れるわけがないからね」

走りながら疑問を投げかける柊に飄々とした様子でバレントは答える。


「にしてもテンヒさんが来たときh」

「え、ちょっ、は?」

バレントが急に倒れこんだかと思えば柊自身もちくりとした感覚と共に言いようもない眠気に襲われる。そして意識が飛ぶ寸前に背後に見た、冷たい瞳を持ったテンヒの姿を。


「まじ、か………」

そこで二人の意識は完全に途切れた。



かつ、かつ、と革靴の地面を踏む音が廊下の壁に当たり反響する。


「だから甘いと言ったんだ」

テンヒはうつ伏せで倒れているバレントと柊の前でしゃがむ。

「甘い理想、考えなしの行動、吐き気のするほどの前向きな言葉、すべてがいらつく」

彼女たちはテンヒにないものを持っていた。現実を見ずに向こう見ずな理想にしがみつくその姿はまるで英雄のようで………


「強くなけりゃ、ダメだろう………」

勝った側とは思えないほど浮かない表情をしたテンヒは最初にバレントの首に刺さっている針を抜いた。

「………私もいつかお前みたいに」


”それは無理だ”と心の中の誰かがストッパーをかける。


「だよな、私は手を汚しすぎた………」

テンヒは自らの手を見て眉をしかめる。

「まぁいい、とりあえず縛りなおすか」

簡易的に時限性で能力を封じることができる手錠を柊の手首にかけた後、意識を失っている柊の腕を持ちあげ空いた空間に自分の体をねじ込みおぶる。


「………」

特に何もしゃべることなく、柊を背負ったテンヒは元居た拷問部屋に戻ろうと踵を返そうとしたとき、背後に圧倒的威圧感を感じた。


脊髄が抜かれたような脱力感がテンヒを襲う。一歩づつ確かにこちら側に近づいてくる足音を聞く度に脚の震えは増していく。


「いやーやられたよー、まさかあんなに精巧な人形を作ることができる能力者がいるなんてな、完璧なリサーチ不足だった」

「あぁついに私にもツキが回ってきたか?」

その声は長年この会社の人間のものではなかった、じゃあ一体後ろにいる人間は一体誰なのか、………いや彼女は見ずとも知っている。


だからこそ大きくため息を吐いた。あきらめたように目じりを垂らしてからゆっくりと振り返る。


「じゃあとりあえず、柊を返してもらえるか?」

「嫌だ、と言ったら?」

「うーん、仕方ないねそのときは無理やり奪い返すことなになる」

背後にいたのは男であった、男はまるで仕方ないと思っていないほど凶悪な笑みを浮かべている。


一見どこにでもいそうなこの黒髪の男は巷で噂になっている指名手配犯の少年と風貌がそっくりであった。というか本人である。


「はぁぁぁぁぁっ、やれるだけやってやるか」

どさっと柊を地面に落とし、ポーチに入っている針を手に持てる分だけ持ち、構える。

「流石ヒーローだ、最期まで諦めが悪い」

「はっ、軽口をっ!」

(やるなら!一瞬、最初の攻撃にすべてを乗せる。)

テンヒは手に持っていた針を一斉に前に投げる。


放射状に投げられた針は一瞬にして廊下を埋め尽くす。


最早男の逃げ道は後ろしか残っていないという状況で、男は迷わず針に向かって走り出した。


「どれでもいい、刺され!」

テンヒの能力は針を刺した相手の意識を奪ってから記憶を探るというもの、この無数にある針の中のどれかでもかすれば男は瞬時に気絶するだろう………刺さればの話だが。


「はっ!はっ!甘いなぁぁぁ!テンヒぃぃぃっ!」

「こんの、化け物がっ!」

針は男に刺さることはなく、ぽき、ぽき、とすべて無惨に折られていく。男にとって針なんて怖いものではなく、表情を崩さず一直線にテンヒの方向に向かってくる。


勢いは止まらず二人は接敵した。

「じゃあな10位」

「はぁ、目が覚めたときにお前が捕まっていることを願うよ」

「それは無理」

にかっと満面の笑みを浮かべた男は拳を握りしめ、巨大な山とも思えるほどの重さをもってしてテンヒの顔面に向けて振り下ろした。


か、に思えたがその拳は寸前で止まり強力な風圧がテンヒを襲い、業務用扇風機に口を開けて近づいたときのように顔を崩し吹っ飛んでいった。


テンヒの体がばん!と激しく壁にぶつかり、うなだれる。瞳は光を失い白目をむき、そのまま意識を失った。


「元気だったか?柊」

「………」

「探したぜー、こっちは本物だろうな?」

男は柊の閉じているまぶたを無遠慮にひっぺがす。「がっ!」と前の偽人形のときにはなかった鼻息を出したので本物ということにする。


「うんよしじゃあ行くかー、あー後個々の入口に溜まっていたあのくそ雑魚クイなんとかの始末でもしてやるか」

柊を担ぎ天井に向かってジャンプする、綺麗に穴を開け進みながら男はその場から消え去った。



池袋駅前、ワンと姉対クイックリンパサー(本体)

「はぁぁぁぁぁ!!」

「がふっぅっ!!?」

ワンの渾身のパンチがクイックリンパサーの頬に当たった。クイックリンパサーの体は数メートル吹き飛び背後にあった壁にぶつかった。


壁が崩れクイックリンパサーの体は瓦礫の下に埋もれている。だが瓦礫はぴくりとも動かず、死んでいるのではないかと錯覚するが、こんなもので死ぬものかとワンは考え直した。

「はぁ、はぁ、はぁ」

「で?これ、倒せてるノネ?」

「わかんない、倒せてるといいんだけど」

「まぁゴキブリ並にしぶといやつなノネ、油断しないことなノネ」

「あぁ、油断するつもりはないよ」

ただ一点を見つめ二人は立ち止まる。


「動かないな」

「まぁあれだけの攻撃を受けてれば死んだんじゃないノネ?」

「いやあんな攻撃で死ぬとは思えない警戒してた方がいい」

「私に命令するななノネ」

「………めんど」

ワンがぼそっとつぶやいたその声を姉は一言一句聞き逃していなかった。


「はぁ!?今私に悪口言ったノネ!?ふざけんじゃないノネ!」

一気に噴火した姉はワンに突っかかる。ワンの胸元の襟をつかみ、体を左右に大きく揺らす。ワンの口答えすら許さないほどに激しく揺らした。

「ちょ、ごめ、ごめっ」

「訂正するノネ!訂正するノネぇぇぇ!!」

「訂正する!訂正するから!君はめんどくさくなんかっ」

「訂正するのねぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

全く聞く耳を持たない姉は未だ収まることない怒りをワンにぶつけ続ける。その慟哭はおよそ5分ほど続き、その間ワンの脳は揺らされ続けていた。


そんな時後ろから聞こえてきたのはきぃぃぃぃぃんっ!という飛行機の飛行時にも似た金切り音だった、その耳障りな音にワンと姉の二人は振り返る。


姉は胸元の襟を離し、近づいてくる音の方角を睨みつける。

「何か来るノネ」

「あぁ、とんでもないのが来るな」

「さぁどうする?」

「どうする?そんなの決まってるノネ、受け止める一択なノネ」

にやっと笑った姉はまるで抱きしめるかのごとく腕を大仰に広げた。


「来た」

壁という壁を破壊しながら一つの馬鹿でかい光線が一直線にやって来た。姉は舌なめずりをして構えたが、あっけないことにその光線は姉とワンの横を通り抜ける。

「なんだ、拍子抜けなノネ、ってあっちの方向は………」

その光線が標的とした方角とは”クイックリンパサー”が埋もれている瓦礫の方角そのものだった。

「………」

ワンはその光線を横目で見送り、光線が瓦礫に当たり破裂したのを見て目を細めた。


彼は見たのだ、光線が当たる寸前、瓦礫の山から這い出てくるクイックリンパサーの顔を、その愉悦に満ちたような狂気的な笑みを。


「………来る」

ワンは予感した、これから現れる”規格外”の存在の予感を。


「ふははははははははっ!!!」

破裂した光線による瓦礫の山から出てきたのさきほどの数十倍はあるだろう巨躯を持ったクイックリンパサーだった。さらにその体の膨張はとどまることを知らず天井を突き破っていき、一階まるごとがクイックリンパサーの足だけで埋まってしまう。


「まずい!逃げるぞ!」

ワンが振り返りざまに姉の手を握り走り出す。だが姉はその手を振りほどき髪を払って大声を上げる。

「うるさいノネ!私に命令するななノネ!ぎゃぁぁぁぁぁっ!!」

とか言ってる間に崩壊した天井の瓦礫が姉の体に襲いかかる。大量の瓦礫によって姉の体は完全に埋まってしまった。


「………もういいや、多分大丈夫でしょ」

呆れたワンはため息を一つ吐いてから軽快にもう一度走り出す。


崩壊していく音を後ろで聞きながらビルを出たワンは今一度振り返り、状況を確認する。


「はっ、これはやばい」

ワンは最早ビルの最上階から顔をのぞかせるほどの大きさまで膨れ上がってしまったクイックリンパサーの体を見て諦めたように目を閉じる。


しかしそれもものの数秒、すぐに目を開けて別のビルに身を隠していたロップスに向けて怒号する。

「ロップスは避難者を連れてどこか別のところに逃げろ!!!」

「っ!了解です!!」

ワンからの避難指示を聞いたロップスはうなずき、自分の手から出したロープを使って近くにいた避難者達を縛る。


「逃げましょう」

ロップスはぎゅんっと少し無理やりながらも引っ張り、ビルを駆け下り、もっと奥にあるビルの中に入っていった。


「さて………これをどうするか」

「ワ、ワンしゃま!!」

「ゲマズ!?」

「渋谷区、秋葉原区、巣鴨区、鎮圧完了しあしたぁ!他の地区も他のヒーロー会社によって鎮圧されていましゅ!ワンしゃま!後はここだけでしゅ!!」

心もとない木の枝に体重を預けているゲマズがさっきまでロップスがいたビルの屋上から顔を出した。


つけている眼鏡はずれているが、その奥に宿る瞳は真っ直ぐに燃えている。


「了解」

ワンは短く息を吐き、構えをとる。

「はぁっはぁっはぁっ!!合体するのはもう少し後になるかと思っていたが思いのほか優秀なんだなぁ!ヒーローども!」

腕を大っぴらに広げ叫ぶクイックリンパサーに眉を顰める。


今ややつの一挙手一投足は見逃せないものだ、少し腕を動かしただけでとんでもない量の風圧が起きた。


巻き起こった礫によってワンの頬に傷をつける。


「さぁ、エンターテインメントの始まりだ」






























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