3.罪人

 黒水藩は北に蕪元、西に帆立、東に柊があり、そして南に黒水がある。

 福寿が藩主黒水家の屋敷に来たのはこれが初めてのことであった。


尊冬たかふゆ様にお取次ぎを」

 門前にて蕪元康が黒水家の使用人にそう言うと、使用人は「中でお待ちください」と丁寧に答えた。

 尊冬とは、黒水家当主の名前である。


 福寿は両腕を左右にいる男たちに捕らわれたまま屋敷の門をくぐった。前庭は驚くほど広く、大きな邸宅の他に立派な土蔵も見える。

 黒水家の使用人は補家の主人たちの顔を覚えているのだろう。側を通るたびに仕事の手を止めて、皆が頭を下げていく。


 案内された広間に着くと、その下座に投げ捨てるように福寿はひざまずかされた。

 衣擦れだけの静かな空間に福寿が落ちる音だけがむなしく響く。しかし誰も気にしてはいない。

 横に見える襖には匂い立つような精緻な冬の花々が描かれ、広間に華を添えている。

 

 しばらく待つと山茶花さざんかの襖が開いて男が一人入ってきた。柚子のような柑橘の匂いがふわりと広がっていく。

 銀鼠色の着流しに、黒色の羽織を肩にかけた男は、上座には腰を下ろさず康と海三の前に座った。生まれつきうねり癖のある髪が肩の上で踊っている。


「蕪元殿、それに帆立殿も待たせたね」

衛冬えいとう様にご挨拶申し上げます」

「いいよ、頭をあげて。それで父上に用があると聞いたけど、生憎出ているんだ。すまないね。だから代わりに要件を伺うよ?」


 衛冬とは、黒水藩主尊冬の長男の名前ではなかっただろうかと福寿は思い出す。大変に優秀で百年に一度の逸材だという噂があると生前のヤヱに聞いたことがあった。

 更に衛冬は弦士大学も首席で卒業し、弦士の中でも更に力のある者に与えられる称号「鳴司つかさ」を得ている。


 康も海三も、衛冬には一目置いているように見える。それは藩主の長男という理由だけではないのだろう。衛冬が鳴司であるということが一番大きいように感じる。


「それでは衛冬様に申し上げます」


 康が両手を前について腰を斜めに止めた。


「筆頭補家たる柊家の処遇について。そのご判断をいただきたく参りました」

「柊? もしかしてその後ろにいる女の子?」

 察しの良い衛冬は会話一つで十を悟る。


「はい、この柊の使用人が勝手な判断で鬼泉を穢しましてございます」

「鬼泉を穢したのかい?」


 衛冬は心底意味が分からないというように首を傾ける。

 

「鬼泉番は筆頭補家の女人の仕事でございます」

「うん、そうだね」

「しかしこやつは使用人の分際で鬼泉に青和の和紙を浮かべたのでございます。これは許していい行いではございません」

「どうして?」

「ど? どうしてと? それは今申し上げた通り、使用人は柊の血を受けた女人ではないからでございます」


 衛冬は立ち上がると下座へ足を運び、福寿の前にしゃがみ込む。左手を顎に当てて首を右から左に傾ける。


「ん~? 君、本当は弦士でしょ?」

「衛冬様!? 何をおっしゃいますか!?」

「ちょっと黙っててくれる」


 衛冬は福寿に視線を向けたまま不機嫌そうに低い声を背後の康へ飛ばした。

 その威圧感に福寿は肩を強張らせる。じっとりと全身にまとわりつくような衛冬の視線がどことなく恐ろしく感じた。


「君は柊の娘だね」


 衛冬との面識はないはずだが、言い当てられたことに福寿は驚く。驚いたのは福寿だけではなかったようで康も海三も「まさか」と小さく声を漏らした。


「そして君は、……弦士だね。いや、まだ卒業してないのか? でも卒業したら君は立派な弦士になるよ。うん、きっと鳴司つかさになる素質もある。よく鍛錬することだ」


 衛冬は雪解けの土の中から現れた花のように眩しく笑うと、また康たちの前に戻っていく。

 

「鬼泉番は柊満人殿の奥方薫子殿の仕事だったよね? それを実娘が手伝ったってだけでしょう? それに何の問題が?」


 有無を言わせぬような威圧感でもって衛冬は康たちの反論したい気持ちを封じた。

 

「ああ、でも僕の勝手な判断で決めてはいけないだろうから、父上が戻るまでその子はここで預かるよ。いいね?」


 康と海三に与えられた回答は「是」のみ。


「うん、じゃあもう帰っていいよ。それに昨晩のあやかしをまだ祓えていないんでしょう? だから早く戻りなよ!」


 衛冬は笑っているのに笑っていない。静かに怒りを放っている。

 二人は衛冬の決定に従うように額づくと福寿を残してそそくさと退室していった。 


 異様な雰囲気が漂う室内に残された福寿はそっと顔を上げる。思わず衛冬と目が合い、すぐに視線を戻した。衛冬は驚くくらいの美丈夫だった。こんなに美しい男性を初めて見たと思った。以前、鬼泉で出会った弦士のトーマも整った顔立ちをしていたが、衛冬にはそれとは違う美しさがある。


「どうして君は使用人だと思われていたのかな?」


 福寿に問うというよりは、自問しているような穏やかな声音。

 衛冬はそれきり声を出さずに福寿を観察しているようだった。時折左手を顎に当てたり、腰に当てたり、首を傾げたり、衛冬の動作は止まることがない。

 居心地の悪さに福寿は必死に耐えながらも、衛冬の動きに違和感を覚えた。何がそう感じさせるのか。動いているのに動いていないという気味の悪さを衛冬から感じる。右袖が重さを感じさせることなく揺れていた。

 


 どれほどそうしていたか。背後の襖がいきなり勢いよく開いて福寿は心臓が飛び上がるほど驚いた。冷気が福寿の背を撫でる。


「あ、父上。それに冬真も、おかえりなさい」


 からりとした声で、衛冬が父上と言う。衛冬の父とはつまり黒水当主のこと。福寿は自分の後ろに、黒水藩主である尊冬がいるのだと理解した。と、同時に福寿はおでこに畳の跡が付くほど深く額づく。


「蕪元と帆立が来ていたと聞いたが? この娘は?」


 二人分の足音を、福寿は頭を下げたまま感じ取る。背後の襖が静かに閉められた。


「それが、かくかくしかじかでさぁ」

「きちんと説明しなさい」


 衛冬はまばたきをひとつすると真面目に話をした。

 最後まで話を聞いた尊冬は、うむと唸る。


「ではこの娘は柊の? 先日、弦大に合格したと報告を受けた牡丹か?」

「え? この子まだ通ってないの?」


 三人の視線を受けて福寿は更におでこを畳に付ける。


「顔をあげなさい」


 尊冬の命に福寿は上体を半分起こした。

 福寿の顔はまだ俯いている。しかし新たな声が「えっ」と発した。尊冬の威厳に満ちた声でもなく、衛冬の軽い声でもない。

 だがその声音を福寿は知っている。

 

「福寿、ですか?」


 福寿は声の主へと視線を向けた。

 驚きの顔を微笑みに変えたのは、竹林で福寿を助けてくれた弦士であった。


「トーマ様?」

「やっぱり福寿だ」

「冬真と面識があったのかい?」

「この間助けて……。え? と、いうことは福寿は柊の娘? てっきり使用人だとばかり」


 冬真はますます混乱していくように顔から微笑みを消した。

 そこに低い声が質問を投げかける。


「福寿……? お前が誠に福寿であるならば、どうして生きている」

 

 それは尊冬だけの疑問ではないようで、衛冬も同じ表情をしていた。


「柊に何があった? 柊の長女福寿は二年前に死亡届が提出されたはずだが」


 しかし尊冬の疑問に答えを与えられる者はここにはいない。当の福寿さえ、自分が死んだことになっていることを初めて聞いたのだ。


「死亡? 福寿はここに生きているではないですか!」

「何か手違いが?」


 冬真と衛冬の問いに答える声はない。


「調べましょう。それから父上、福寿の纏色まといをご覧になりましたか?」


 衛冬の言葉に尊冬は神妙な顔で、ああと頷いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る