11.兄妹②

 ゆきのの死に関しても自分が悪いのだと福寿は思った。ゆきのが抱えていた思いも知らず、「一緒に頑張ろうね」という言葉をそのまま受け止めていた。


 違うのだ。そこにはきっと「助けてほしい」という思いがあったはずなのに。それに気付くこともなく、苦悩を聞いてあげることも出来ず、それでどうして友人だと言えていたのだろう。そんな自分が不思議でならない。


 だがその時の福寿も自身のためにいっぱいいっぱいだったのだ。だがそれを仕方ないと受け入れることは今の福寿には無理そうだった。


 実母から疎まれ納戸に押し込まれていた福寿。

 父親の過度な期待を押し付けられ疲弊していたゆきの。


 人の痛みは定規で測ることはできない。優劣をつけて勝敗を決めることも出来ない。

 どちらが可哀想で、どちらがそれよりももっと可哀想かなど誰にも分からないのだ。

 他人と比べて自分がより可哀想だと憐憫に浸ることこそ、傷々しい。


 それにゆきのの性格であれば同情を嫌うだろう。


「福寿様、こちらで美矢様がお待ちでございます」


 冬真もまた、福寿が帝の側室になったことを嘆いているのかもしれない。


「そのような悲しいお顔をされないでください冬真様」


 冬真は唇をきゅっと引き結んで首を小さく横に振った。


「申し訳ございません」

「謝るのはわたしの方です」


 沈黙が落ちる。二人の会話は終わった。





 案内された場所には錚々たる顔ぶれが揃っていた。


 そこは大事な話や決め事を行う場であった。

 いつもは御簾がおりている上座の御簾は今は上がっている。そこには帝、皇后が座しており、その下に宰家の当主が五人並ぶ。それから衛冬と節護が末座に控えていた。


 衛冬と節護の横に一席空いており、宰家当主の前にもう一席空いている。

 冬真が衛冬の横に座るので、福寿は自分がどこに座るべきなのか悟った。しかし、まさか自らそこに腰を下ろすわけにもいかず、末座へと向きを変える。


 帝に背中を向ける福寿を見て美矢様が笑い声を立てられた。


「福寿、君はこちらに来なさい」


 優しい声であったが、それは帝の命である。誰が逆らえようか。

 冬真、衛冬はいざ知らず、節護まで視線を下げているので、福寿を助けてくれる者は誰もいないのだと悟った。


 自分が宰家当主たちよりも前に立つ日が来るなど誰が思おうか。

 渋々足を進めて、福寿のために用意されたその席に腰を下ろす。


「福寿、何か申したいことがあるならば今申すがいい」


 言えるわけがないと福寿は黙った。宰家当主ばかりか皇后様もいらっしゃる場で自分の気持ちをぶちまかす平民などいない。


「良いのですよ。福寿さん、貴女は知らぬままにここに連れて来られたのだから心の内にある靄を吐き出してしまいなさい」


 皇后の香秋かあき様が微笑まれる。


「男というのは女の意見を聞かなくてもいいと思っているふしがあるとは思わない? わたくしは常々思うのよ。女の気持ちを蔑ろにしているって」


 場にいる男全員の口が真一文字に引き結ばれた。


「本当に男ってどうしてこうも身勝手なのかしら? それで女がどれほど苦労するか分かってないのよ。いつも男の尻拭いは女の役目……」


 大きな溜息を香秋様が扇の内側に吐き落とす。


「香秋」

「あら美矢様のことを申し上げたのよ? 聞こえまして? お耳のお掃除が必要かしら?」

「聞こえておる。だがその愛らしい声を出す唇を扇の中に隠してくれないか?」

「まあひどい……。それよりも先ず、福寿さんを労ってあげたらいかがですか?」


 香秋様の出身は白金である。温厚な性格な者が多いが香秋様には苛烈さもあるように見えた。


「ああ。福寿よ、よくあの五蘊魔を討伐してくれた。褒美は何が良い? まず飛香舎ひぎょうしゃをやろう。それから着物もたくさん仕立てさせよう。それから調度品は好きなものを選ぶが良い。さあ他には何が欲しい?」


 福寿は美矢様の側室となるのだ、それくらいの対応は普通の事なのだろう。だが、納戸に押し込められ、襤褸着で生活してきた福寿には分不相応に思えて仕方がない。


「欲しいものは、……分かりません」


 要らないとは言えなかった。きっとこの先、帝の好意に頼る場面はあるだろう。その時のために今は控えておけばいい。


「そうか。思いついたら申しつけよ!」

「はい」


 明るい声を出す帝に対して、福寿は陰鬱な声しか出せなかった。


「さて福寿。君を皆に紹介しようと思うが良いだろうか」


 福寿の許可を得ているように聞こえるが、すでに紹介する場を設けているではないか。福寿には「是」の答えしか許されていない。

 香秋様の「蔑ろにされている」という話を聞いたせいだろうか、どうしても反論せずにはいられなくなる。


「美矢様、発言してもよろしいでしょうか?」

「ああ、もちろんだとも」


 福寿は帝に真っすぐ視線を向けたまま、短く息を吸った。


「わたしを皆様にどう紹介するというのですか。わたしは二年前に弦士大学入学試験を落ち、柊家の都合により亡き者とされた、どこの誰でもない鬼籍の福寿だとでもご紹介してくださるのですか」


 言った後で、言い過ぎた、とすぐさま反省してうなだれる。申し訳ございません、とか細い声が帝に届いたかは分からない。

 緊張感を孕む静寂をうち破ったのは皇后の香秋様。扇が小刻みに震え、その内側から可憐な笑い声が蝶のように舞い上がる。


「香秋」

「だって、とっても可愛くて、ふふふ」


 福寿の発言に場違いなほど笑っているのは香秋様だけ。しかし帝も眉尻を下げ困った顔をしている。どうやら怒らせてはいないようだ。

 だが安堵はできない。身を引き締める。


「福寿、あのね。ここにいる者たちは君の経緯を知っているよ。尊冬なんて福寿を養女にするって言ってあちこち動き回っていたんだから。それから帆立ゆきののことに関しても情報は共有している」


 帝が背筋を伸ばして顎を上げる。


「今ここで新たな情報を与えたい。それは今ここにいる福寿がどこの誰かということ。これはまだ朕と皇后しか知らぬことである」


 福寿はごくりと生唾を飲んだ。

 宰家当主たちは背筋を正している。

 

 とうとう福寿は帝の側室だと言われるのだろう。顔を覆いたくなった。尊冬の養女となる話しを聞いただけでも恐れ多い。なのにどうして補家の家から帝の后が輩出できるのか。きっと大騒ぎになるに違いない。


「福寿はすでに柊の者ではない」


 心臓が嫌な音を立てる。


「福寿を我が系譜に連ねたことは麒麟様もご承知くださっておる。福寿はすでに麒麟様より鳴響力を授けられた鳴司である。そして朕のーー」


 『中宮とする』という想像が一瞬頭を駆けめぐる。耳鳴りがキーンとした。その向こうでぼんやりと帝の声を拾う。

 美矢様は確かにその口から「妹である」と発言されたのだった。


 

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