11.兄妹
目を覚ますと金色の光が見えた。右も左も同じ色をしている。金光に包まれているのだと理解するのにいくらか時間が掛かった。
福寿が身体を起こすと、金色の光が弾けて消える。寒さにぶるりと身体が震えてしまった。
金色の光はとても暖かかったのだろう。
福寿がいるのは、板張の広い部屋。広いといっても黒水邸の広間ほどの大きさ。天井も高くはないが格子状に花の絵が描かれていて絢爛だった。
《具合はいかがかな?》
老爺のような声が背中の方から聞こえて福寿は慌てて振り返った。
ふよふよと浮遊する小さな獣。身体は
「麒麟様? ですか?」
もっと大きな存在だと思っていたが、小さくとも威圧感はひしひしと感じる。
《いかにも》
大仰に頷く姿を見て、やはり麒麟様なのだと納得した。
「わたしは、どうしてここに?」
尋ねながら覚えていることを思い出す。
「五蘊魔……、そうだ、生命力を使ったんだった……」
《ここに運ばれた時、そなたは瀕死であったぞ。あと少し遅ければ命はなかっただろうな》
「では、麒麟様がわたしを助けてくださったのですか?」
麒麟様は福寿の周りをくるりと一周すると、福寿の膝に蹄を下ろす。
《そなたには鳴響力を与えた》
麒麟様から鳴響力をいただくためには、帝の系譜に連なる者にならなければいけない。
「……ということは、わたし美矢様の側室に?」
すっと身体から体温が抜け落ちるような感覚に襲われる。
《
「……は、い」
麒麟様が、とんと飛び上がる。身体にある鱗がキラキラと輝いていた。
「麒麟様。わたしに鳴響力をお授けいただきありがとうございます。このお力は宮国を守るために使いたいと思います」
《無理をするでないぞ。宮国を守るという中には、そなたの命を守るという意味も含まれておるのだからな》
「承知いたしました」
福寿は三つ指ついて頭を下げる。
《さて、そなたを待っておる者が外におるぞ。早く顔を見せてやりなさい》
「はい。ありがとうございました麒麟様!」
麒麟様が息を吹きかけた扉が開く。
福寿は麒麟様に一礼して、観音開きの扉から外に出た。すぐに扉はバタンと閉まってしまう。
目の前には神泉があった。
太陽が真上から神泉を覗いている。
ここは内裏のど真ん中。早く黒水に帰りたい。早く冬真に会いたい。冬真は無事だっただろうか? 五蘊魔はあの後どうなったのだろうか?
聞きたいことがたくさん溢れてくる。
「誰か、……誰かいませんか?」
不安を感じて胸を押さえると、そこに固い感触を覚えた。
着物の合わせに指を差し入れて細い鎖を引き出す。紫水晶の宝石が瞬いた。
――福寿。
名前を呼ばれた気がして顔を上げる。
神泉の向こうにある殿舎と、隣の殿舎を繋ぐ渡殿に紫の纏色を視た。
「冬真様っ!」
まさか内裏にいるなどと思わなかった。黒水に帰っているものだと思っていた。いや、そう思わなければ会いたくて会いたくて名前を叫びながら内裏中を探し回ってしまいそうになるから。
良かった、無事だった、酷い怪我はなさそう、元気みたい、会えた、嬉しい、早く近くに行きたい――。
麒麟殿には渡殿がない。福寿は裸足で麒麟殿を下りて神泉を周り、そこから仁寿殿に上がって、清涼殿へと続く渡殿へ走る。
なぜか冬真がとても格好良く見える。
喜びの表情を見せてくれた冬真は、しかいし福寿が近付くにつれ表情をなくしていった。
それが何故か悲しい表情に見えて、「冬真様」と呼べなくなる。
福寿の足取りも重くなってしまった。
冬真との間に見えない壁を感じた福寿の足がピタリと止まる。そこへ冬真が膝をついて低頭した。
「福寿様、ご無事な様子で何よりでございます」
ひゅっ、と福寿の喉が鳴る。
冬真が何を言っているのか理解できずに足が後ろに下がった。
「さあ、美矢様がお待ちでございます。ご案内いたしますので、どうぞこちらに」
これは誰だろう、と福寿は思う。最初に出会った頃の敬語で話す冬真とも違う。
気付かぬうちに福寿の頬は濡れていた。
「福寿様? いかがなさいましたか? お加減が悪いようであれば御典医を呼びましょう」
冬真の心配そうに伸ばされた手は、しかし福寿に触れはしない。
福寿は目の前にいるこの冬真の言葉を聞きたくなくて踵を返した。
きっと本当の冬真は黒水にいるのだ。そうに決まっている。
紫水晶をぎゅっと握りしめて福寿は裸足で走った。
仁寿殿と清涼殿の間から北へ向かい内裏を出ようと門に向かう。そこを出たならば確か黄土の屋敷がある。更にその先にある玄武門から出て街道を真っ直ぐ走れば黒水に帰れると考えた。
走って帰るなど無謀なことは百も承知している。
だが内裏の門番に止められる。もう内裏から出ることも許されないのだろうか。籠で飼われる鳥にでもなった気分だ。いや、柊で飼われていた時分より随分と待遇は良いのかもしれない。
足踏みする福寿は、追いかけてきた冬真にあっという間に捕まった。
「どこに行かれますか?」
福寿の息は上がっている。肩が大きく上下して、息がすぐに整わない。
「福寿様、さあ戻りましょう」
優しい声で説得するように言われて、やっと福寿の声が出た。
「どうして……」
しかしその先に続く言葉は出なかった。
声に出せば堰をきったように言葉が溢れて、その内冬真を詰ってしまいそうだったから。
どうして壁を作るのか。
どうして様を付けるのか。
どうして恭しく扱うのか。
どうして悲しい顔をしているのか。
どうして諦めたような顔を見せるのか。
――それならどうしてわたしを美矢様の側室にしたのか!
望んでない。側室は固辞した。なのに、どうしてわたしの希望を汲んでくれなかったのか……。
絶望を冬真に当てつけたくはない。
きっと冬真のせいではない。
あそこで五蘊魔を倒すために生命力を使ったのは他ならぬ福寿なのだから。
冬真の隣で生きていきたいという夢は潰えた。
潰したのは福寿だ。誰を責めることができようか。いや、できまい。
「ごめんなさい」
しずしずと謝れば、冬真が泣きそうな顔で微笑んだ。そのような冬真の顔は見たくなかった。
そのような顔をさせたくはなかった。
全て自分のせいだと、福寿は気持ちを腹の中で昇華すべく、冬真に向けて最上の笑顔を向けた。
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