10.決戦②
衛冬への懺悔の念が含まれた矢は五蘊魔に致命傷を与えることさえもできなかった。
自分の命などどうでもいいという投げやりな気持ちがあることは否めない。
だが、福寿だけは守る。衛冬に助けられた、この命にかえても。
そう思っていたが、実際に守られたのは冬真の方だった。
*
冬真は背中に届く衛冬の声を聞いて安堵した。また衛冬との再会に歓喜した五蘊魔に隙が生じる。
喜びの表情を見せる五蘊魔の目には、それまで存在をあらわにしなかった矢が目と鼻の先に迫っていることを視認する。五蘊魔にそれを避けるすべはない。
「福寿ーー!!」
衛冬の焦燥の声を聞いた冬真が、福寿が何をしたのか悟った。
五蘊魔の胸に深々と紫色の矢が突き立っている。硬い核が割れ、五蘊魔の目が見開かれた。
「おの、れ……」
五蘊魔が崩れていく。手や足先の末端から砂のように崩れ、頭が下へと落ちていく。
「我が……はな、よ……」
瘴気を祓ったときのように崩れた箇所から霧散し、地面の底から湧いた闇に溶けていった。
五蘊魔は灰燼となり、跡形もなく消え去った。
冬真は喜びを分かち合いたい相手が倒れている現実に理解が追いつかない。
「福寿? 五蘊魔を倒したよ?」
冬真は福寿の横に膝をついて、福寿を抱き起こす。腕は痛むが、それよりも胸の奥がとても痛い。
「ねえ、福寿起きて?」
息をきらせた衛冬が隣に立った。少し後ろから美矢様が追いかけて来るのが見える。
「兄上、福寿が……」
冬真の目に涙が浮かび、福寿の顔がぼやけて見える。
「冬真、しっかりするんだ!! すぐに玄武様の所へ連れて行こう。きっと間に合う。玄武様に鳴響力をいただきに行こう!」
「間に合わないよ」
静かに否定するのは美矢様であった。
「間に合うか、間に合わないかなどやってみなければ分かりません」
「ここから早くても三時間は掛かるのだろう? 福寿を抱えて行くとなるともっと掛かるのではないか?」
「それは承知の上です。だがこの時間が勿体ない。急がなければなりません。御前を失礼いたします」
「衛冬。朕を呼んだは何の為だ?」
「それは五蘊魔討伐のための応援ですが――」
「祓い終えた今、朕は用済みか?」
「申し訳ございません」
「謝罪が欲しいわけではない。違うぞ。朕は、この美矢を使えと申しておるのだ」
「美矢様を? 使う?」
「そうだ。朕を使えば福寿を麒麟様の元へ連れて行けよう。麒麟様の元であれば馬車に乗って三十分で行けるではないか」
「しかし福寿は黒水の者です。ずっと黒水で生きて行くと本人もそう申しておりました。しかしここで麒麟様の元へ連れていけば福寿は生涯を美矢様の元で暮らさねばならなくなるのですよ! 福寿の気持ちを尊重してくださいませ!!」
「生死を問うておるときに、悠長なことなど言ってはおれまい! 良いのか? 玄武様に辿り着く前に福寿の命のともしびが消えても?」
「それは……」
「ちなみに朕は福寿の死など望まぬ!」
美矢様の足元で冬真が低頭する。
「美矢様。どうかお願いいたします。福寿を麒麟様の所へ連れて行ってください」
「冬真! お前はそれで良いのか!?」
良いわけがない。福寿は黒水家に迎える算段であったのだ。
尊冬の考えは分からないが、福寿の力は黒水としても手放したくはないものだろう。
しかし、それは福寿が生きていてこそ成り立つもの。
「良いも悪いも、福寿の命が掛かっているのです。生きてさえくれれば、それで良いのです。どうか福寿を美矢様の側室にお迎えくださいませ」
「福寿のことは任せよ。悪いようにはせぬ。さあ、急げ!! 内裏に戻り、至急麒麟殿へ参るぞ!!」
「御意」と兄弟の声が重なった。
*
麒麟殿に足を踏み入れることを許されているのは帝と、帝の系譜に連なるもののみ。宰家である黄土は元をたどれば帝の兄弟筋である。補家の桜と橘は学問を修め、政に携わる家のため、鳴司を輩出するのは稀な事であった。
美矢様は福寿を側室にと望まれていた。冬真も側室に迎えて欲しいと発言した。心の中ではそれを望んでなどいないのに、だ。
しかしそれ以外の方法はない。
治療を受けた冬真は、衛冬とともに校書殿にて時を待つ。
出されたお茶に手をつける気にもなれず、中身はすでに冷えていた。腹も減らず饅頭が菓子器に盛られたまま乾いていく。
「いま
顔を出した節護に説かれるが、冬真は福寿を待っていたかった。
「あのな、待ちたい気持ちは分からなくはないが、美矢様の側室となられた福寿様へのお目通りは易易と叶わないと覚悟しておくんだな」
福寿に「様」を付けて呼ぶ節護の言葉を聞いて、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
麒麟殿に入ったということは、もう冬真の手には届かない雲上人になられたということなのだ。
「福寿……」
「未練がましい」
「福寿の手を離したのは誰でもない冬真だぞ? 私は玄武様の所に行こうと言ったのに」
「玄武様の所へ行っていれば福寿は間に合っていなかっただろうな。麒麟殿を選んだその選択は冬真が正しい」
内裏に運び込んだとき、御典医たちは顔を青くしていた。
普通の人ならば助からない、と一人が言えば、鳴司ならば万に一つ助かる道が残っておる、と別の一人が囁いた。
美矢様が『道を開けよ』とひと声放つだけで、野次馬たちはしずしずと下がっていく。
それからは早かった。冬真が福寿の手さえ握る前に、名前さえ呼ぶ前に、福寿は麒麟殿の中に運ばれていった。
衛冬が腕を失ってしまったのは自分が弱いせいだと自身を責め続ける冬真は、今度は福寿を自分のせいで失ってしまうのではと怖かった。
弦大では自分が発揮できる力を制御することをひたすらに覚えさせられる。
制御することを知らずに育った福寿はいとも簡単に自分の生命力を引き出したのだ。
自分が福寿の代わりに生命力を使っていれば――とさえ思う。
夜が静まる更深になっても知らせはない。
ふと足音がすると気付いたのは虎の刻だった。
すぐに校書殿を出て麒麟殿を目指す。麒麟殿の手前にある仁寿殿へ着くと、そこに美矢様の後ろ姿が見えた。
「美矢様!」
振り返った美矢様は疲労をたたえた顔に渋面をのせる。
「うるさいな、寝てなかったの君は?」
「あの、福寿……福寿様は?」
ついて来いと示された冬真は、美矢様の後を追った。
仁寿殿から西にある清涼殿へ移り、自身の居室に入った美矢様は寝台に身体を横たえる。美矢様の側仕えは美矢様の羽織りを脱がすと、それを片付ける。
敷布の上に大の字となった美矢様は疲れたとばかりに大きなため息を吐いた。
冬真は中に入ってすぐの所で膝をつく。美矢様の側仕えは廊下に座した。
「あの――」
「安心しろ。一命は取り留めた」
冬真はほっと安堵する。肩が落ちて手が床に落ちた。全身の力が抜けていく。
「明日か明後日には目を覚ますだろう。どうせ今日は会わせられぬのだから、そこで休め。報せがあればここに一番に届くからな。今日だけは側に控えることを許してやろう」
「ありがとうございます」
「ほら、眠るぞ」
美矢様は二枚ある掛布のうち一枚を冬真に投げる。床で休めということだろうと思っていたが、美矢様が静かに「ソファがある」と囁やかれた。
外つ国から仕入れた革張りのソファは大きいが、冬真の足はソファからはみ出してしまう。贅沢を言える立場ではなく、冬真は身体を丸めて眠りに就くのだった。
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