10.決戦

 宮都の北端。もう少し行けば黒水藩に入る。そちらには田畑があるが、ここは見晴らしがよく民家のない街道だった。

 冬真と福寿の前で靄が進行を止める。


 ――刹那。

 黒い靄の中で紅玉が二つ、不快な音を鳴らすが如く瞬いた。


 靄からぬるりと出て来るのは二本の角と、白い髪。生き物のように長い髪が四方に広がると、鬼が姿を現した。


「五蘊魔!」


 冬真が声だけで射殺してしまいそうなほどの怒りを含んだ鋭い声を上げる。


「あはははは。先日振りだな。会いたかったぞ」

「今日こそお前を祓ってやる」


 怒声を飛ばす冬真の斜め後ろで福寿は弓を構えていた。冬真の母から譲り受けた弓は手によく馴染む。

 深く呼吸を繰り返し右手に霊力を集めた。


 福寿は、冬真や衛冬のように霊力の操作が早くもなければ正確さもまだ伴わない。五蘊魔が少しでも妙な動きを見せれば霊力の矢を射かけることができるよう準備する時間が必要だ。


 冬真はすでに紫色の矢を右手に持っている。


「未来の我が花嫁よ。息災であったか?」


 五蘊魔が福寿を目指してふらりと飛んでくる。福寿の手にはまだ霊力が十分に集まっていなかった。

 焦った福寿の手の中で、いびつな霊力の弓が震えている。

 

「お前なぞに福寿はやらぬ!」


 冬真の矢が放たれた。しかし五蘊魔は矢を易易とかわす。


「なんだ。少しは出来るようになったのか。だが衛冬のように美味しくはないだろう? 衛冬はいないのか?」


 冬真の奥歯がガリッと言った。

 五蘊魔は衛冬とすれ違っているはずだが気付かなかったのかもしれない。


「兄上はおらぬ。お前はここで私が祓う」

「お主では出来ぬ」

「冬真様は素晴らしい方です。侮辱しないでください」


 福寿は十分に練った矢を五蘊魔目掛けて放った。しかし五蘊魔には手の甲で簡単に払い落とされてしまう。


「そう逸るでない。短気なおなごは可愛くないぞ?」

「貴方に可愛いと思われたくはありません」

「つれないな〜」


 にやにやと五蘊魔が嗤っている。


「貴方は、貴方を見てくれる相手を探すべきです」

「福寿は我を見てはくれぬと申すか?」

「はい」

 

 福寿ははっきりと肯定する。五蘊魔は目を丸くして眉尻を下げた。


「浦国へお帰りください。さもなくば」

「さもなくば?」

「祓います」

「お前たち二人でか?」


 笑止千万と、五蘊魔は高らかに笑い声を響かせた。


「二人の力でもってしても、衛冬一人分にも叶わぬぞ? それで我をどう祓う? やめておけ。福寿は大人しく我の嫁となれば良いのだ。自分より強い者には抵抗せぬ方が身のためだぞ」


 少し前の福寿であれば強い者に逆らう気持ちなど持っていなかった。しかし自分の気持ちを消して、強い者に蹂躙されるだけの日々にはもう戻りたくない。

 弱い自分に打ち勝ち、胸を張って生きていきたい。叶うことならば、冬真の近くで生きることができたらいいと願う。


「宮国にて貴方は何をなさりたいのですか? まさか本当に嫁を探しに来たとは言わないですよね?」


 福寿はずっと疑問だったのだ。五蘊魔がこちらに来る目的が分からない。ただの暇つぶしだと言われれば衛冬の失くした腕が浮かばれないような気がした。


「我とて自由に行き来できるわけではないのだぞ」


 五蘊魔の言葉に驚いたのは福寿だけではない。


「我らがこちらに呼ばれるのだ」

「呼ぶ? 私たちが呼んでいると言うのか!? 誰もお前など呼ばぬ!! 嘘を吐くな!」

「嘘ではない。我らはお主たちの強い悪意に導かれてくるのだ。知っていたか?」


 面白そうに笑う五蘊魔とは対照的に、福寿も冬真も愕然とした気持ちに襲われる。


「私たちの悪意に導かれて?」

「左様。我は三度に渡り、この北に住むおなごの悪意に呼ばれ、それを喰ったのだ。誠に美味であったぞ」

「女性の悪意?」


 北に住むおなご、と聞いて福寿の頭に薫子の顔が浮かんだ。ぞくりと背筋が凍る。


「三度とも、同じ女性の悪意を食べたのか?」


 冬真の問いを肯定するように五蘊魔は破顔した。


「福寿と同じ年齢のおなごだ。周りからは『ゆきの』と呼ばれていたか?」

「なんだって!?」

「ゆきのちゃんが……強い悪意を?」


 まさかという気持ちが湧いたが、弦大入試の件を思い出せば、悪意というのも嘘ではないのかもしれない。


 ゆきのの悪意とは、やはり福寿へ向いたものなのだろうか。だが、ゆきのに対して悪意を抱きたいのは福寿の方である。

 しかし、ゆきのは福寿のことを死んだと思っているはずだ。では何に向けた悪意だろう。


「あれは、ねたみ、そねみ、ひがみ、うらつらみ。怨嗟の声がひと際大きいおなごであった」

「帆立ゆきのの怨嗟とは何だ」


 冬真が思案する。縦割り班が同じだったと榎菖蒲が言っていた。冬真はあまり覚えていないようだったが、悪意を抱くような出来事が彼女の周りで起きていたのかもしれない。


「お前と初めてまみえたのは確か私が弦大を卒業してすぐの春だったな」

「そうだ粋がるお主を守るために衛冬はその腕を失くしたのがその時だ。あのおなごの美味なる嫉妬は極上だったぞ」


 あははは、と五蘊魔が高らかに笑う。冬真は唇をぎゅっと噛んだ。


「ゆきのちゃんは何に嫉妬していたの?」

「ああ、何だったか? そうだ竹に落ちたとかで周りから笑われておったな」


 竹に落ちたとはどういうことだろうかと思案する。

 すると横から冬真が「新学年になり松組から竹組に落ちたということだろう」と教えてくれた。


 主席入学したはずのゆきのには、主席に値する能力がなく、みるみる落ちこぼれていったという話を聞いたばかり。成績順で教室が分けられるのであれば、ゆきの自身の成績は松竹梅の真ん中よりも下だったということだ。学校では笑いものにされ、家では叱られたに違いない。

 肩身が狭かっただろうな、と思う福寿の横で、冬真は怒りをにじませた声で「福寿を貶めたんだ、自業自得だよ」と呟いた。


「では先日お前が現れた時の、帆立ゆきのは何の怨嗟をもってお前を呼んだというのだ?」

「恨みだな。あの日は父親から『柊よりも優秀であれ』と言われておったぞ」

 

 福寿と冬真が顔を合わせる。柊とは福寿の苗字だ。

 ゆきのに対しての柊が福寿を示していないことは分かる。それであれば可能性として浮かぶのは妹の牡丹である。


「あっ」

「どうした福寿?」

「多分、妹が弦大に合格したことが分かったからかもしれません」

「同じ黒水藩の者として柊牡丹に遅れを取るなということか?」

「きっと、そうだと思います。同じ補家としてという意味も含まれていたのかも……」


 なるほど、と冬真が納得する。


「ではこの度は?」


 冬真は五蘊魔に問いながら、良い時間稼ぎになっていると感じていた。


「二年前がどうとか言っておったな~。世界の全てを恨むような禍々しい言葉を羅列しておったぞ」


 口端から垂れたよだれを、五蘊魔は舌をちょろりと出して舐め取る。恍惚に染まった表情は、それがとても美味なるものだったと物語っていた。


 今回、二年前の入学試験においての不正が明るみになったことで、ゆきのの怨嗟が溢れ出たのだろう。


「さて、馳走の礼に宮国を滅ぼして進ぜようかの~」

?」

「ああ。美味かったぞ憎悪を孕んだあの女は」

「食べたの? 貴方はゆきのちゃんを、……食べたの?」

「うむ。我の血肉となり、あの女も喜んでおろう!」


 五蘊魔の口端に垂れていたのはよだれではなく、よく見れば血だった。

 衝撃の後に、ふつふつと怒りが湧き上がる。

 黄土が騒がしかった理由はこれだったのだ。


「ゆ、……許さない」

「ははは、そうか。我が花嫁は許してくれぬか!」

「ここで必ず祓います」

「では腹ごなしにひとつ相手してやろうぞ」


 福寿も冬真も練り続けていた矢を素早く構えて五蘊魔に狙いを定める。

 先に冬真の矢が放たれる。続いて福寿が放つが、悠々と躱されてしまった。


 五蘊魔は欠伸をこぼし、それから首を左右に倒してポキポキと音を鳴らす。


「衛冬を呼べ。お主らではつまらぬ」


 ふわ~、と五蘊魔はもう一度大きな欠伸をした。

 その隙に福寿の横にぴたりと冬真が密着する。そして五蘊魔が欠伸をしているその目の前で福寿は冬真に肩をひしと抱かれた。


「?」


 何をしようとしているのか分からず首をひねる福寿の顔を見て、冬真は真剣に言う。


「共に力を高めよう」


 冬真の顔が近付き、唇同士が重なる。

 ぶわっと、お腹の底から湧き上がる霊力を感じて、全身に力が漲っていく。足先から頭の先まで軽くなるのを感じた。  


「面白くないな。目の前で見せつけてくれるなよ」

 

 五蘊魔の端整な顔が歪んでいた。

 これは『棒なんたら術』だと福寿は思い出す。


「この力があればできる。共にあれを祓おう」


 二人で五蘊魔に対峙する。


「今日こそ祓います」


 福寿が矢を一本練る間に冬真の矢が三本放たれる。しかし五蘊魔はそれらを全て笑いながら避けていく。

 埒が明かないと福寿は思った。五蘊魔の動きを封じることができなければ祓えないだろう。


 どうか一矢でも五蘊魔に当たりますように、と福寿は集中を高める。霊力を目に集めて五蘊魔の核を捉えようとしたが、その前に五蘊魔が飛んで来る。

 

 咄嗟に避けようとしたが、五蘊魔の手に捕らわれてしまった。背中にまわった冷たい手が背中を撫でる。おぞけが走り、全身に鳥肌が立つ。


「福寿!」


 福寿と五蘊魔が重なったせいで、冬真の弓が左右にぶれる。


「福寿から離れろっ!!」

「冬真様、このまま射って! 五蘊魔を祓ってください!」


 福寿は今こそが好機だとその細い腕を五蘊魔に巻きつけた。


「福寿やめろ! そいつから離れてくれぇー!」


 傍から見れば福寿と五蘊魔は抱き合っているように見えるだろう。


「お願いします冬真様、祓って!! このまま矢を放って!」


 好機を逃すなと懇願する福寿の額に、五蘊魔の吐息が落ちてくる。


「ふっ、ふははは」


 五蘊魔は堪えきれないと言ったように笑い出した。

 かと思えば福寿は五蘊魔の手により腰を掴まれる。そして、飛翔した。


「ひっ、やあぁぁぁぁ〜〜!」


 浮き上がった足元に恐怖が湧く。


「下ろして、下ろして!」


 涙が浮かぶ福寿を見て五蘊魔は楽しげに笑った。


「花嫁はもらった。さらばだ」

「行かせるものかっ!!」


 焦った冬真は何もせずにはいられなかったのだろう、五蘊魔目掛けてつがえていた矢を放った。


 だが五蘊魔も払い落とそうと腕を振る。それを一瞬で理解した福寿は落ちることも覚悟してジタバタと五蘊魔の腕の中で暴れる。


「こら、動くでない」


 五蘊魔の体勢を崩すことには成功した。冬真の矢も五蘊魔の腕に深々と刺さる。


 それ故に五蘊魔の腕が緩み、その隙間から福寿は見事に落下した。

 落下のあまりの恐怖に福寿は声さえ出ない。


「福寿!?」


 冬真は弓を地に落として両腕を広げる。

 福寿は両手を胸の前で握りながら自身の死を悟った。


 ――ごめんなさい、冬真様……。


 福寿の背中に衝撃が走る。鈍い音がした。しかし、覚悟していたほどの痛みはなく、目を瞬く。


 目の前にはほっとした表情の冬真がいた。福寿の落下を支えたのは冬真の腕だったのだ。


「良かったよ、痛っ」

「冬真様!? どこかお怪我を!?」


 鈍い音がしたのは、福寿の背中ではなく冬真の腕だったのではないかと悟る。


 冬真が痛むであろう右腕を押さえた。


「すまない、受け止めきれなかった……」

「そのようなことはありません。ごめんなさいわたしのせいで」


 上空から風が下りてくる。きっと睨むように首を回せば五蘊魔が地に下り着いたところであった。


「花嫁を助けていただき感謝するよ、冬真殿」


 からかうような言い方に福寿は苛立ちのような怒りを覚えた。


「花嫁では、ない! あなたはわたしが祓います」

 

 幸いなことに福寿の弓は近くに落ちていた。


 ――お力を貸してください。五蘊魔をどうか祓えますよう。


「祓いたまえ」


 福寿は悠然とした様子で近付いてくる五蘊魔に向けて矢を放つ。

 あまり良いとは言えない矢だ。それでも次から次へと間隔を開けずに矢を放つ。 


 五蘊魔も避けていたが、あと一歩で福寿に手が届くという所で動きが止まった。

 五蘊魔が美しい顔を歪めている。


 五蘊魔の胸に紫色の矢が刺さっていた。それは福寿の矢ではない。


「こちらが近付く手間が省けた感謝する」


 福寿の後ろから冬真が声を上げる。


「おのれ……」

「冬真様、腕は!?」


 振り返って見ると冬真は脂汗を吹き、歯を食いしばりながら弓を構えていた。すでに次の矢を準備している。


「わたしたちで祓おう」

「はい」


 福寿もありったけの力を振り絞って綺麗な形の矢を練り上げた。

 五蘊魔は冬真の矢を抜いて体液を止めている。


 はだけた着物から見える胸の穴。それを目で捉えた二人の矢が五蘊魔に向いて放たれた。


 五蘊魔も慌てて後方に飛びすさる。


 福寿の矢が五蘊魔の脇腹に刺さった。

 五蘊魔のうめき声を聞きながら、次の矢を用意する。しかし福寿の体力も霊力も限界に近付いてきた。

 冬真も福寿の三倍以上は霊力を使っている。


 疲労困憊なのは三人とも同じだ。誰が先に倒れてもおかしくない。


 五蘊魔も反撃のために手や足を武器のように操る。それに対するのは肩で息をする冬真であった。


「福寿、祓え!」


 福寿へ攻撃が届かないようにと冬真が全ての攻撃を受けている。痛いだろう右腕は半分も上がっていない。冬真はまだ動く足を使って応戦した。


 ここにいない衛冬は内裏に行き、応援を呼ぶと言った。それまで持ち応えられれば良い。決して無理をするなと言っていた。


 だがこのままでは冬真がやられてしまう。

 福寿も手が震えてなけなしの霊力が少ししか集まらない。


 福寿は唇を噛んで、身体の奥底に眠る蓋を開けた。それはいわゆる生命力というものだろう。


『――最悪の場合、命を落とすよ』


 きっとこの力を使えば死ぬことになるのかもしれない。だがすでに霊力が残っていない。だからと言って指を加えてじっとしていることも福寿にはできなかった。


 福寿は深く息を吐き、大きく息を吸う。


 腹を殴られた冬真の身体がくの字に折れている。

 これ以上、傷が増える冬真を見ていられない。


「冬真様を殺させはしない。私がお守りいたします」


 手に集まる生命力は深い紫色をしていた。心音さえも凪いだような静けさが福寿を覆い、心が穏やかになる。


 ――大丈夫。できる。


 そんな自信が湧いてきた。

 矢尻は鋭利で深く刺さり、簡単には抜けないものを。まっすぐに伸びた一本の美しい矢を練り上げる。五蘊魔に狙いを定めて弓を構えた。


「――祓いたまえ。――清めたまえ」


 ギリギリまで引いて放つ。

 ピンっ、という短い音と共にグサリと、捕らえて離さないような鈍い音がした。


 福寿の膝が折れる。手足が震え、目の前が霞む。息も苦しい。


 福寿の名前を呼ぶ、愛しい声が聞こえたような気がしたが、耳にはキーンという音しか聞こえなかった。



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