9.主席と落ちこぼれ③

 福寿が弦士大学を再び訪れたのは尊冬から報告を受けた翌日のことである。

 親代わりだといって衛冬が付き添いを申し出てくれた。

 心配顔の冬真には、一緒に来て欲しいと福寿が頼むと喜んで同行してくれている。


 授業が終わった申の刻に学長室に招かれた。


 学長、副学長が揃って頭を下げる。おろおろする福寿とは違って衛冬も冬真も表情を崩さない。

 福寿を挟んで、衛冬と冬真はソファにどかりと腰を下ろす。


「福寿も座りなよ」

「はい、……失礼します」


 三人掛けのソファなのだろうが、少々狭い。それは両横からの圧を感じているからかもしれない。特に衛冬は怒りを放っているように見えた。


「本日は誠に――」

「長い前置きは不要です。で?」


 衛冬は背中を背もたれから起こすと両肘を両ひざについて身を乗り出した。それに反応した学長たちは背中を反らせる。


「受験の在り方を変える必要があるとは思いませんか?」


 衛冬が寒さを孕んだ声を出すと、学長の肩が震える。


「仰る通りでございます」

「常々、学力のみで判定を下し、入学者を決定するやり方には疑問を感じていたんですよね」

「仰る通りでございます」

「言う通りだと思っていたなら何故変えない?」

「それについては……」


 衛冬の怜悧な声に福寿まで緊張する。学長と衛冬は、祖父と孫ほどの年齢差があるが、立場としては鳴司である衛冬の方がはるかに上位なのだ。

 それに今日のこの場では衛冬は福寿の親代わり。本当に愛娘のために怒る父親にしかみえなかった。


 衛冬による一方的な抗議が続いたが、埒が明かないと判断したのだろう。衛冬はぱっと顔を横に向けて福寿に微笑む。


「福寿はどうしたい〜?」


 それはいつもの飄々とした衛冬の声だった。


「え?」


 いきなり振られて答えに窮する。


「春から下弦生として入学するか、それとも上弦松組に編入するか、どっちがいい?」

「どっち……?」

「一から勉強したいなら下弦生からかな〜? でも学校側の落ち度だから特待生として扱ってもらうこともできるよ! ねえ学長?」

 

 有無を言わせない圧に、学長が冷や汗を流しながら「はい」と言う。学長の頬が痙攣しているのを見て、可哀相だなと福寿は思った。


「学長の許可は得たから、勉強したい授業だけ選択してもいいよ!」

「はあ」


 福寿には授業を選択するということがどういうことなのか分からず、曖昧な返事となった。


「黒水に帰ってゆっくり考えようね!」

「そうさせていただけると嬉しいです」


 ここで今すぐ決めろ、という話でなくて良かったと胸を撫で下ろす。


「それじゃあ帰るよ。ああ、それから今回はわざわざ来てあげたけど、本来なら出向いて欲しかったな〜」


 学長と副学長の顔が青くなる。

 衛冬だけは怒らせてはならないのだと、福寿はしかと記憶した。


 学長室からしきりに謝罪を繰り返す声を背中に聞きながら、弦士大学を後にした。


 

 弦士大学を出た足で、次は黄土家へと向かう。

 しかし玄関先で止められた。


「節護殿へ事前に約束を伝えていたのだが?」

「申し遣ってございます。しかし本日はどうかお引き取りくださいませ」


 屋敷の奥が騒がしいのと関係があるようだ。先程から使用人が動き回っているのが玄関先からも見てとれる。

 

「承知した。日を改めることにするよ」


 衛冬の視線が北東の方角へ向いた。何となく、あちらには近付きたくない気配を福寿は感じる。

 衛冬と冬真も同じことを感じたかは分からないが、足早に黄土家の敷地から出た。



 馬車に乗り、家路を急ぐ。

 神泉で響く美矢様の鳴弦はすでに終わったあと。


 日が落ち、だんだんと空の色が濃くなっていく。


 その時、三人の視線が一斉に南に向いた。

 太陽が沈んだせいで暗くなっているわけではない。南から押し寄せる黒い靄が上空を漆黒に染め始めていた。


「何だあれは!!」

「こちらに来るぞ!」


 御者が馬を止める。


「あれは!?」

「もしや!?」


 福寿は生唾を喉を鳴らして飲み込んだ。

 恐怖が迫る。背筋が粟立つ。


 衛冬が右肩を爪が立つほどに掴んでいるのを見て、黒い靄を発するあやかしが、福寿の思うあやかしと同じなのだと分かる。

 福寿と冬真は馬車に積んでいた弓を手に取った。来たる災いに向かうために呼吸を整える。


「冬真、福寿。ここを任せる。あれをここで迎えよ!」

「はい」と二人で返事をすると、衛冬は二人に指示を与えてから馬車で南へ走った。


「福寿、無理をしないで。福寿は僕が守る」

「ありがとうございます冬真様。しかしわたしは冬真様の隣に立ちたいのです。どこまでも一緒に付いて行きます」


 福寿は右手を胸に当てる。そこには紫水晶がある。冬真が福寿に贈ってくれた首輪だ。


「福寿、いいかい?」


 黄昏の空を映した冬真の瞳は綺麗な紫色に見える。福寿の胸で輝く紫水晶と同じ色。紫は福寿にとって胸が高鳴る色になった。その美しい瞳を見て、福寿は強く頷いた。


「行くよ」

「参りましょう」

「いざ!!」


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