7.帝の求婚

 大内裏の内側に、更に塀で囲まれた内裏がある。

 内裏の南西に位置する校書殿こうしょでんに福寿たちは案内された。外廊下の板がぎしぎしと音を立てる。

 そこから東に見える殿舎の老朽化は著しく、今はあちこち修繕しているのだと節護が歩きながら話す。 職人が木材を運んでいる様子が見えた。この校書殿も数年の内には修繕が必要になるという声を聞きながら、福寿たちは一つの部屋に入る。

 外観からは想像できないが、室内は外つ国の建具で揃えられており、福寿はソファという腰が深く沈む椅子に座らされた。

 奥で執務をしていた一人の男性がお茶を四つ運んでくる。


「改めて、私は黄土おうど節護せつご。黄土家当主の孫に当たる。今はここで主に執務と、それからある方の雑用を任されている」


 黄土おうどは宮国中央で帝を支える宰家だ。ちなみに、先ほど弦大で会った桜和美は黄土の補家の者にあたる。


「まずは五蘊魔の件から聞きたい。腕のない衛冬と、鳴司でもない冬真と、死亡届が出されている娘で対峙したのだな? それでよく生きてたな」


 節護は呆れ混じりに感心しながら机上に積まれた書類に目を通していく。


「福寿は纏色が視えます。そのお蔭で五蘊魔を追い返せました」

「祓ってはいないのだな?」

「申し訳ない」


 いや、と言いながら節護は書類にさらさらと文字を書き込んでいく。


「無事で良かった」


 節護は小さく呟くと、「で?」と衛冬を一瞥してから福寿に視線を向けた。


「この娘、霊力の操作が安定していないが? これで纏色が視えると?」

「福寿、緊張しなくていいから、呼吸を整えて」

「はい」


 衛冬に指摘されて福寿は自分が緊張していることに気付く。固まった肩の力を抜けば、肩の位置が随分下がった。

 深く息を吸うと、隣にいる冬真から沈香の匂いが微かに香る。他にも部屋の匂いや人の匂いも混ざるが落ち着いて呼吸できそうだった。


 三分ほど経過して、節護から感嘆の息が漏れた。


「なるほど。私より衛冬の方が視る目は上だからな。それで?」

「このように力を持っているにも関わらず弦士ではありません。福寿は二年前、弦大入試に落ちています」


 節後は眼鏡をくいっと上げて、その奥にある瞳を光らせる。


「それが今回宮都を訪れた理由か」

「はい」

「弦大受験で陰謀が?」

「陰謀とは言いませんが、何か不審点がなかったか調べようと思いまして」

「藩内での足の引っ張り合いの線は? よくあるだろう? 黒水の補家は柊、蕪元、帆立。野心家の蕪元が一番怪しいか?」

「蕪元の当主の妹は柊夫人ですよ」


 柊夫人とは福寿の母、薫子のこと。薫子の兄が蕪元康だ。


「薫子殿は尊冬さんの嫁候補の一人じゃなかったか?」

「そうなのですか?」

「結局満人殿の従妹である妙子殿が嫁いだ。お前たちの母だろう」

「ええ、母は柊の分家から」

「弦士としての腕は妙子殿より薫子殿の方が上だ。黒水夫人になれなかった薫子殿の企みという線は?」

「娘が不合格になるよう細工をしたということですか?」


 沈黙が落ちる。

 それはないだろうという衛冬の顔を見た福寿はしかし、あの母なら有り得るかもしれないと思った。


 その時、一人分の足音が近付いて来るのが分かり、一同の視線が外の回廊を向く。


「節護! 節護はいるか!」


 現れたのはおかっぱ頭の美しい青年。

 佇まいと着物を見るだけで高貴な人だと分かる。節護が「美矢様」とあきれたように呟いたので福寿にもそれが誰だかすぐに分かった。

 美矢とは、すなわち宮。宮国のみかどの尊称である。


 部屋にいた四人はソファから腰を下ろして床に膝を付き、頭を垂れる。


「団子屋に行ったのだろう。朕への土産はどこだ!」

「ありませんよ」

「何だと! 節護何を食べた!」

「みたらしに胡麻、それから餡子をいただきました」


 節護は淡々としている。対して帝は首を斜めに倒しておいおいと泣き出した。横髪が頬に掛かり女性のような艶めかしさがある。白い肌は女である福寿よりも美しく艶やかだ。

 帝は御年二十一歳だったと記憶しているが、二十歳を超えているとは思えぬ幼さも垣間見えるようだった。


「美矢様。皆が唖然としております」

「朕の団子が……」


 福寿は恐れ多くも顔を上げ、テーブルに置いていた紙箱を捧げ持つ。


「福寿、それは土産用にと包んだものだろう」


 団子を全て食べきれなかった福寿は『残すのが申し訳ない』と言うと、節護が女給を呼んで紙箱に包んでくれたのだ。しかも食べきれなかった分に更に追加で団子を包んでもらったのでずっしりと重たい。黒水に帰ったらミツへの土産にしようと思っていた。


「それを美矢様にくれてやることはない」


 節護にそう言われるが福寿は微かに震える手を下げなかった。


「娘、それは団子か?」

 帝に話し掛けられ、福寿は更に緊張する。


「左様でございます」

 小さく痙攣する頬に力を入れて返答すると、帝が福寿の顔を覗き込む。


「名はなんと申す?」

「ひ、福寿と申します」


 柊、と言うのをやめて、下の名前だけ伝えた。

 帝が福寿の前で膝を付くので、福寿は紙箱を捧げたまま頭を低く下げる。


「福寿」

「はい」

「団子は土産なのだろう? その優しき心だけ貰おう」


 帝が福寿の両肘下を持って紙箱を福寿の膝に下げる。


「福寿は花のように可憐で良き香りがするな。どうだ福寿、朕の側室にならないか」


 福寿は目をパチクリさせた。助けを求めるように冬真を見るが、冬真の視線は床にあるまま動かない。衛冬も同様だった。

 にこにこと笑う帝を咎めることができるのはこの部屋にただ一人。


「美矢様。お戯れはよしてください。福寿が困っております」

「冗談ではないぞ。八割本気だ」

「十割になってから求婚してください」

「よし、十割になった」


 節護はそれに大袈裟なほど大きくため息を吐く。


「そうだ。神泉は見たことある? 優しい福寿に神泉を見せてあげよう! ほら立って、行こう!」


 帝は福寿の膝にある紙箱をテーブルに置くと、福寿の右手を掴んで引っ張る。

 福寿はどうしていいか分からず冬真を見たが、唖然として固まっていた。立たされた福寿はなすすべもなく、帝に引っ張られて内裏の敷地の真ん中に連れて行かれたのだった。


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