7.帝の求婚②

 校書殿より渡殿を通って北にある清涼殿へ。そこから東の仁寿殿へ行くと北側にあるきざはしを下りた。

 用意されていたくつを履いて砂地に足を下ろす。


 目の前には池がある。普通の池ではないのだろうことは福寿の肌でも分かった。清冽な水が、空気を清めている。


「鬼泉に似ています」

「そうなんだよ。なんたって鬼泉と、この神泉は繋がっているのだから」

「え?」

「初めて聞いた?」


 福寿が自分の学がないことを詫びると帝はからりと笑う。


「二年前から鬼泉より流れてくる氣が変わったのは分かっていた」


 福寿は帝の言葉を聞いて心臓がぐっと痛くなった。何もかもを見透かしているような美しい帝の瞳が福寿を見て細くなる。お咎めがあるかもしれないと福寿は思った。蕪元康と帆立海三に罵倒されたのはつい先日のこと。


 しかし帝は朗らかな微笑みを見せる。 


「この穏やかな氣を持つ女人は誰だろうか、と朕はお前にずっと会いたかったのだ」


 風が流れて帝から香の匂いが漂う。冬真の沈香とは違う、甘い香り。

 帝の微笑みは何人なんぴとをも魅了する艶かしさがある。


「鬼泉は朝日が昇るに合わせて弦を鳴らすだろう?」

「はい」

「神泉はね、夕陽が落ちる瞬間に弦を鳴らすんだ」

「こちらでは夕方なのですね。どなたが?」

「もちろん朕が!」

「美矢様が御自ら?」

「ああ、そうさ。我が宮国の美矢であるのだから、美しい国を守るための矢となるは当然の仕事さ」


 帝の手に力が入る。福寿の手は未だ帝の手の平に包まれたまま。あまりに恐れ多く、汗の出た福寿の手が震えてしまう。


「美矢様、そろそろ福寿の手を離してくださいませんか」

 後ろにいる冬真が福寿の震えに気付いてそう声を掛ける。


「嫌だったか?」

 悲しい顔でそう問われては福寿も嫌とは言えない。相手はこの国の帝だ。不敬に当たるような発言は控えるべきである。


「……いえ」

「福寿よ」


 帝が両手で福寿の手を包む。真摯な瞳に福寿はドキリとした。


「我が真名まな悠輝ひさてる。我が側室に――」

「易易と真名を明かしまするな!!」


 節護の怒号が帝に飛ぶ。福寿に至っては何が起きたか理解しておらず、ポカンと口を開けていた。


「ちぇっ」

「拗ねた顔をしてもダメです」


 冬真が福寿の横に立ち、帝を見据える。


「そろそろ、お手をお離しくださいませ」

「嫉妬する男は醜いぞ、冬真。そんなに好きなら朕のように堂々と求婚すれば良い」

「すっ!?」


 冬真には珍しく耳を赤く染める。


「美矢様、節度をお守りください」

「節護」

「はい」

「朕は本気で福寿を側室に迎えたい。この心地良い氣の流れ。ここまで相性の良いおなごに会えることはなかなかないことだ」


 帝のその言葉を聞いて衛冬が発言する。


「美矢様にお伺いしたいことがございます」

「なんだ、衛冬?」

「その相性が良いと霊力が増したりなど、何か作用がございますか?」

「ほお。衛冬、どこまで知っておる?」


 衛冬は、いえと否定しながら冬真をちらりと見る。しかしそれだけで帝には分かってしまった。


「なるほど。冬真が福寿に触れたのだな。福寿よ、この世に色は何色存在していると思う?」

「色ですか?」


 福寿は頭の中に、黒白赤青黄緑――と浮かぶ色を数え上げていく。

 ちらりと振り返ると、後ろの冬真も指折り数えている。


「十四色……でしょうか?」

「冬真は?」

「二十色」


 二人の答えを聞いた帝が目を大きく輝かせる。


「この世に存在する色はね、二千万色あると言われているんだよ」


 福寿は二千万という数に驚いた。


「白色でさえ二百色あり、黒色は三百色もあるそうだ」

「白は白ではないのですか?」


 福寿は素直な疑問を口にした。


「そうだよ。純白、月白、白練、白百合、胡粉、生成と、少し色合いが変わるだけで別の色になるのだ。色とは誠に面白いだろう?」

「はい。とても奥が深いのですね」

「福寿、朕の纏色が視えるかい?」

「時間が掛かってもよろしいでしょうか?」

「いいよ。手も離してあげるね」


 帝の手が離れると汗をかいた手の平が冷えていく。その手をお腹に当てた。

 福寿は大きく息を吸ってお腹の底に空気を満たし、細く長く吐き出していく。

 沈香の香りがあるわけでもないのに福寿は霊力の流れをいつもより強く感じることができた。そのお陰で鍛錬の時よりも半分の時間で纏色が視えるようになる。

 帝の霊力は身体を覆うように静かに流れていた。


「美矢様の纏色は、明るい紫色です」


 貴人あてびとに相応しいはっきりとした紫色だった。


「福寿の纏色は?」

「わたしは濃紫……」

「朕と福寿の色系統は紫。色が近ければ近いほど惹かれ合うのがさだめ」 

「それならわたしと――」


 福寿は冬真の顔を見た。


「福寿、それ以上は言ってはいけないよ」

「はい。存じております」


 ――自分の纏色が視えない者へ、その者の纏色を告げてはならない。

 それが掟。


 福寿がもう一度冬真の顔を見ると何となく面白くない顔をしているように見えた。

 それもそうだろうと福寿は思う。皆が纏色が視える中で、冬真だけがまだ視えない。

 福寿は冬真にも早く纏色が視えるようになってほしいと思っている。


「全く同じ色を持って生まれてくる確率は二千万分の一。これはもう奇跡だ」


 そう言って帝は優しい眼差しで福寿を見た。


「婚姻をできるだけ同藩の中で結ぶのはどうしてだか分かるかい?」

「美矢様そのお話は――」

 節護が焦った顔で遮る。


「良いのだ。いずれこの者たちは知ることになるだろうから」


 福寿、冬真、衛冬の三人を見ながら帝はそう言うと、福寿に再度「分かるかい」と問うた。

 福寿は否と首を横に振る。

 

「陰と陽の循環がお互いの霊力に影響を与える。陰とは女、陽とは男のこと。纏色の色が似ているほど影響は大きいと言える。もしも福寿が宮国随一の鳴司を目指すというのなら纏色が似ていて、霊力の扱いに長けた者と婚姻するのが一番なんだよ。という事で、やっぱり朕の側室にならないかい?」


 帝は本気なのか冗談なのか分からない表情をしている。

 だがこれが本気の求婚だとしても福寿に受け入れる気持ちはこれっぽちもない。


「ふっ、補家の娘が美矢様の側室なんて栄誉なことではないですか。これで福寿を見下していた家族を見返せるね。みんな驚いてひっくり返るんじゃない?」

「冬真様?」


 投げやりな冬真の言葉とは思えない発言が、福寿の心を冷やした。

 背中を向けた冬真を衛冬がたしなめている。


 冬真の言葉は、福寿が帝の側室になることを望んでいるように聞こえた。

 この数日、誰よりも寄り添ってくれ、優しく気遣ってくれた冬真の心が福寿から離れていくのを感じて鼻の奥がつんと痛む。

 悲しい気持ちに胸が押し潰され、みるみる涙が溢れた。

 誰に望まれても、冬真にだけは否定して欲しかった、その気持ちに福寿は戸惑う。


「福寿?」

 帝が首を斜めにして福寿の様子を見てくる。


「申し訳ございません。わたし側室には……。申し訳ございません」

「困らせてご免よ」

「申し訳ございません」

「うん。もう言わないから、だから泣き止んで? 冬真、さっきの部屋に福寿を連れて行ってあげなさい」

「なぜ僕が!?」


 らしくもなく帝に反発する冬真を衛冬が「いい加減にしなさい」と怒る。


「いいえ、わたしは大丈夫です」

「福寿、素直な言葉を出していいんだよ。誰も困りはしないから。むしろ福寿が素直な言葉を出せると皆が喜ぶ」


 福寿は帝の真意が分からず首を傾げた。しかし自分が素直な言葉を口に出すことで冬真が喜んでくれるなら、勇気をもって素直な言葉を出したいと思った。


「わたしの気持ちは……」


 自分が少しでも変わることができるのなら、多くの助言は聞き入れようと考えていたのだ。それは強くなるため。守りたい人を守るために必要なこと。

 涙を拭う。唯一背中を向けるその人に向かって福寿は声を届ける。


「冬真様、一緒にいてくださいませんか」


 一緒にいたい。隣にいたい。そう思うこの気持ちが何なのかまだ分からない。

 でも初めて抱いたこの気持ちはきっと大切なものだと福寿は思う。


 福寿は素直な一歩を踏み出して冬真の横に立った。


「冬真様」


 深呼吸をして冬真の手を掴む。いつもは冬真から握ってくれる大きな手を、福寿は初めて自分から握ってみた。

 冷たい冬真の手を両手で包むと心地良さが伝わってくる。冬真がいつも微笑みを向けてくれるように、福寿も微笑んでみるが上手く笑えたか分からない。

 頬が痙攣しただけの、その微妙な笑みを見て冬真が口端を上げる。福寿はそれだけで心が弾み、ほんわりと温かくなるのを感じたのだった。


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