7.帝の求婚③

 福寿の手は、冬真の冷たい手に引っ張られていた。


「冬真様?」


 声を掛けても返事はない。校書殿を右に見ながら内裏を出て、またいくつかの建物の横を足早に抜けていく。

 大内裏の南にある朱雀門を出る瞬間、福寿は足を止めた。しかし冬真の力が強く、身体が前に傾いてしまった。

 それに気付いた冬真が足を止めて振り返るので、福寿の頭は冬真の胸にぶつかってしまった。


「すまない、大丈夫?」


 福寿が顔を上げると存外近くに冬真の顔がある。冬真の瞳に悲しみと怒りの感情が混ざっているように感じて、福寿はどうにか助けたいと思ってしまった。


「冬真様、勝手に外に出てもよろしいのでしょうか?」

「え? ああ……。まあ大丈夫じゃないかな」


 冬真が大丈夫というなら大丈夫なのだろう。福寿には判断できないので、冬真が良いなら、福寿もそれに合わせたい。


「どちらに向かうおつもりでしたか?」

「ん……」


 冬真は右や左に視線を送り、それから福寿に視線を戻した。

「何も考えてなかった」

「先ほどのお団子屋さんで休みますか?」

「福寿はお腹がすいた?」


 福寿が首を横に振ると、冬真は一寸考えてから微笑む。


いちに行ってみようか」


 市、と聞いて福寿の胸が弾む。市場には一度行ってみたいと思っていたのだ。はい、と元気よく返事をすれば冬真は嬉しそうに笑った。その笑顔に福寿の胸がまた弾む。


「よし、行こう」


 繋いだままの手を冬真がきゅっと強く握る。それを合図に二人は足を踏み出した。


「冬真様はよく市に行かれるのですか?」

「いや。弦大を卒業してからはめっきり減ったね。通っていた時はそれなりに行っていたと思うけど」


 冬真の口調から丁寧さが抜けていることに福寿は気付いた。冬真の気持ちの変化は分からないが、福寿の中に嬉しさが満ちていく。


「その時は何をお求めに?」

「大学で使う筆記具や、おつだよ。行ってみる?」

「はい!」


 冬真の学生時代が垣間見れるようで高揚する。どんな筆記具を使っていたのだろうか。なんのお八つを食べていたのだろうか。


 市に近付くにつれ、木造の建物よりレンガ造りの建物が多く見られるようになる。

 レンガの色も様々で赤茶色が多く散見するが、白色の建物も風情があり素敵だった。


「この見世みせが気になる?」

「いえ、外観が素敵だと思ったのです」


 白レンガで丸みのある建物。西洋の塔のような円錐の屋根が可愛らしく見えた。


「入ってみよう」

「でも」

「こういうのは一期一会だから大事にした方がいいんだ、って兄上の受け売りだけどね」


 冬真がガラスの扉を引く。どうぞ、と促されて福寿は中に入った。

 見世の中はきらびやかなのに落ち着いていてひんがある。


「ここは?」

 福寿は視線を左右上下に動かした。


「宝飾店のようだね」


 福寿は自分には関係ない見世だと思った。しかし冬真は真剣に商品を眺め始める。胸の高さの台に、宝飾が整然と並んでいる。

 何を見ているのかと視線を追えば、銀色の鎖だった。鎖の先には宝石が輝いている。

 冬真に似合いそうな紫色の宝石もあった。


「どれか良いものがある?」

 冬真にそう聞かれれば、答えは一つしかない。

 福寿の視線の先を冬真が追う。そこにある宝石を冬真が把握した。


「紫水晶か。とても綺麗だね」

「はい」


 冬真もそれを気に入ったのか店主を呼んで、すぐに支払いをする。お金を持ったことのない福寿は金額を聞いてもその価値が分からないが、きっと高価なのだということは分かった。


 素敵な宝飾店を目に焼き付ける。福寿には二度と縁のない見世だろう。貴重な体験ができたと感じながら宝飾店を後にした。

 冬真と再び市の中を進んで行く。


「あっち」

 おもむろに冬真が木造の建物を指差すので福寿もその見世を見た。


「あそこがよく行ってた文具屋だよ」


 外から覗くと大小さまざまな筆が陳列されているのが見える。


「入ってみようか」

「はい」


 中に入ると墨の匂いがした。

 万年筆やインク、和紙の種類も多岐にわたり、見世の奥まで棚が広がっている。反対側の棚を見れば鉛筆、消しゴム、学習草紙や大学ノートが陳列してある。


「このノートをよく使っていたな」

 ノートの表紙を冬真が懐かしそうに撫でる。


「何か必要なものがある?」

「いえ、ありません」


 福寿がはっきりと答えると、冬真は「そ」と言って小さく笑った。


「じゃあ次。お八つを買いに行こう」


 冬真に手を取られ、一緒に文具屋を出る。冬真は文具屋のはす向かいにある煎餅屋を指差し、またその隣の瀟洒な建物を指差した。


「よく来ていたのはここと、そこ。そこは珍しい甘味が置いてあるんだよ」

「珍しい?」

「外つ国のチョコレイトやキャラメル。ウエハースやビスケット。福寿は食べたことある?」

 福寿は首を横に振った。


 赤レンガの建物の重厚感ある扉を開けば、中から甘い匂いが漂ってきた。鼻を大きくしながら空気を吸い込むと頭の奥がとろけそうになる。


 宝飾店とは違う輝きを見せる陳列棚に視線を向けた。小箱がキャラメル、銀紙がチョコレイトだと冬真が福寿の耳元で囁く。しかし包みの中が想像できない福寿にはただの箱と銀紙にしか見えない。


「どれがいい?」

「冬真様にお任せいたします」

「うん。分かった。ちょっと待っていてね」


 冬真は適当に見繕っているように見えるが、時折福寿をちらりと振り返る。その表情は鍛錬をしている時の真面目な顔と同じであった。

 真剣な横顔が凛々しくて見惚れてしまう。他にもいる女性客もその表情にときめいているようだった。


 ――やっぱり誰が見ても冬真様は素敵な人なのね。


 そう感じた福寿の胸がツキんと痛みを発する。落ちこぼれでも健康だけが取り得だった福寿はその胸の痛みを感じる度に自分の先は長くないのかもしれないと思った。

 もっと冬真と一緒にいたいが、そうはいかないだろう。医者に診てもらうお金もない福寿はこのまま一人痛みを抱えて命が尽きるのを待つだけだ。


「福寿、お待たせ」


 優しい微笑みを向けてくれる冬真。その表情を見て、福寿の胸はまた痛みを発した。


「この裏にある庭園に行こう」

「庭園ですか?」


 見世の奥にある扉を出るとさまざまな植物が手入れされた庭園となっていた。


「暖かい?」


 先程まで外は寒かった。しかしこの庭園は春先のような暖かさを感じる。


「上を見て」


 福寿は首を反らして驚いた。


「屋根ですか?」


 よく見れば、格子の支柱にガラスが嵌め込まれ、横と上が囲まれている。空の様子も良く見え、開放感があった。


「ここは温室なんだ」

「おんしつ?」

「暖かい時季に咲く花も見れるよ」


 あれは何の花だと冬真が教えてくれるが、種類が多すぎて覚えきれそうもなかった。中には外つ国の花もあり、初めて聞く名前はちんぷんかんぷんだ。


「薔薇なら分かる?」


 名前は聞いたことがある。ヤヱが好きだと言っていたからだ。


「これが薔薇ですか?」


 花びらが幾重にも重なった赤い薔薇。近くで見ようと顔を近付けると甘い芳香が鼻をくすぐる。

 ヤヱにも見せてあげたかった、と福寿の手が無意識に伸びる。柔らかな花びらを指で撫で、ガクから茎へと撫で下ろす。


「いっ……」

「福寿!」


 指を確認すると、赤い点がぷくりと大きく膨らんでいる。


 その指を冬真に取られ、そのまま冬真が福寿の指を食べた。


「へ? え、あの冬真様?」

「薔薇の棘に刺さったんだ。ごめん、棘があるって先に言えば良かったね」

「わたしの指……」

「舐めれば治るって。あれ、これって黒水家だけかな?」

「そうなのですか? 舐めれば治るのですね……」


 福寿は妙に心音が激しくなるのを感じて冬真の顔を直視できない。

 

「あそこで休もう」


 冬真に引っ張られて、誰もいない東屋に座る。舐められた指が熱い。もしかすると棘に毒でもあったのではないだろうかと不安になる。


「冬真様は大丈夫ですか?」


 棘に毒があったのなら、毒に触れた指を舐めた冬真は毒を口に含んだことになる。


「ん? ああ、内裏では嫌な態度を取って悪かった。ごめん」


 毒の件から内裏へと話題が変わったことに福寿は一拍遅れて反応した。

 冬真が詫びているのは帝の前で福寿に素っ気ない態度を取ったことなのだろうと思い至る。


「いえ。……わたしも何か冬真様に失礼な態度を取っていたのではありませんか?」

「福寿は……、そんなことはないよ」

「でもわたし、どんなに冬真様に望まれても、美矢様の側室には絶対になりませんから」

「望まないよ!」


 必死な顔をする冬真を見て福寿の胸が跳ねる。


「……チョコレイトでも食べようか」


 銀紙の包みを開ける冬真の耳が赤いことに気付いたが、福寿は冬真の手元に視線を移して銀紙の中から何が出てくるのかと胸を高鳴らせた。


 煌びやかな色の甘味が出てくるのかと期待したが、出てきたのが茶色の板で福寿は期待外れだったことに落胆する。


 冬真が茶色の板を折る。半分に割れたそれを冬真が差し出した。


「あ、ありがとうございます」


 おずおずと受け取り、チョコレイトの端をほんの少しかじる。かじった時は固かったのに、舌の上ですぐに溶けてしまった。


「なくなりました……」

「指を見て」

「うわ」


 チョコレイトを持っている指が茶色に染まっている。


「熱で溶けてしまうんだよ」


 福寿は茶色の指を舐めた。色に反して、甘くて美味しい。それだけではなく甘い匂いが鼻を抜けて心まで楽しませてくれる。


 チョコレイトを全て食べると、冬真は次に小箱から方形の粒を出し、福寿の手に乗せる。


「これはキャラメル。包みを開いて、飴のように口の中で舐めて食べるんだ」


 冬真が白い包みを開く所を見て、福寿も真似する。黄土色のキャラメルはチョコレイトのように固いのに、口に入れてもすぐに溶けなかった。

 そのすぐに溶けない所を福寿は気に入る。ずっと味わっていられるのだと思ったが、しばらくすると柔らかくなり、ゆっくり小さくなっていくのが分かった。


「柔らかくなったら噛むこともできるけど」


 冬真の歯が上下に動き出す。


「でも噛んだらすぐになくなってしま、痛っ」

「冬真様?」

 冬真が右の頬に手を当てる。


「大丈夫、舌を噛んだだけ」

「では今度はわたしが舐めて治します!」

「舐め!?」

「舌をべーっと出してください」

「福寿待って」

「お任せください」


 舐めたら治ると教えてくれたのは冬真だ。市を案内してくれた礼にはならないかもしれないが、冬真のためにできることがあるのなら、福寿は何でもしたいと思う。


「あの、えっと、でも、汚いかもしれないし」

「汚くありません。先ほど舐めていただいた指が治りました。冬真様のお口に黴菌ばいきんはおりません。舌を出してください」

「いや、そうじゃなくて……。ああ、もう知らないよ……」


 頑として譲らない福寿に、冬真が観念した表情で舌を出す。

 舌の右にひと際赤くなっている所があった。唇の端からぎりぎり出ている患部に向かって福寿も舌を伸ばす。

 沈香の香りに頭がくらりとしながら、さらに身を寄せる。二人の間に隙間がなくなるほど近寄った。

 そして冬真の赤くなった舌をぺろりと舐めた福寿は直後、自分の霊力が沸騰したように突如として昂ったことに驚く。

 それは目の前の冬真も同じであった。


「え?」

 呼吸も整えず、霊力を練っていないにも関わらず、福寿は纏色が視えることに吃驚する。


「な、なんだこれは? 力が湧き上がるこの感覚がいつもより大きいのはなぜだ? ……もしや、これが美矢様が言っておられた陰と陽の循環?」


 冬真は自分の手を見下ろした。


「ああ、どうしよう。とうとう僕は自分の纏色を視てしまった……」


 冬真の顔が上がり、福寿と目が合う。


「そうだったんだね」


 冬真は知った。


「濃紫だ。……僕と福寿は」

「はい。同じ色です。いえ、二千万色あるというなら、どこまでも似ていて非なる色かもしれません」

「それでも僕と福寿は誰よりも色が近いということだね。……なるほど、これは房中術に当たるのか?」

「棒……術?」


 首を傾げる福寿に向かって冬真は微笑んだ。



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