尊冬と衛冬が大笑いしている。いや、大笑いしているのは衛冬だけだ。尊冬は堪えられない笑いを噛み締めながら、しっしっしと声を立てている。


 ここは黒水家の茶の間。

 夫人の妙子が静かに茶を点てる、その横は非常に騒がしい。しかし妙子は注意することもなくにこにこと上機嫌だ。


「そのように笑わないでください。今考えても最良の願いだったと真面目に思っておりますので」


 小さくなる福寿の背中を冬真が撫でてくれる。


「あっはは、本当にそうだよ! 最良だったよ! さすが福寿だ! 賢いよね」

「衛冬様、それは褒めていらっしゃいますか?」


 褒めてる褒めてる、と衛冬はお腹を抱えて笑い転げている。目から涙までこぼして「おかし〜」と笑っているので、福寿は睨みつけたい気分になった。


 笑いを先におさめた尊冬が咳払いをする。


「確かに賢明な判断だったぞ。あの場で褒美を望んでおらなければ、明日にでも青木と赤火から婚約者候補が福寿の前に現れておったかもしれぬ。儂としても、次期当主は長男の衛冬に立ってもらいたい。そうなれば益々、冬真と福寿が夫婦めおとになるのは難しかったであろうな」


 夫婦という言葉に頬が熱くなる。

 福寿としてはそういうつもりで冬真を望んだわけではなかったが、どうやら話の流れでそういうことに決まったのだ。


「冬真さんと福寿ちゃんが婚約者だなんて、とても嬉しいわね〜。柊への報告はいかがされますの、殿?」


 全員の視線が尊冬に向く。


「これは私の一存では決めかねる。福寿よ、どう思う? 報告はいかがしよう?」


 今度は皆の視線が福寿に向かった。


「わたしは……」


 どうしたいのだろう、と悩む。わざわざ報告する必要はない気もするが、一応福寿の親である以上、報告の義務は発生するのかもしれない。


「柊には――」

「ああ、やだやだ。厭だわ」


 妙子がぷんと頬を膨らませて拗ねた顔を見せる。


「福寿ちゃんがあの人たちを『父母』とでも呼ぶなら報告しないと、と思ったけどやめましょう。もう、ずっと黙っていましょうね!」

「そうだよ、ずっと隠しておこう。弦大も編入しなくてもいいよ、妹の牡丹が行くんだろう? 私が一から十まで教えてあげるからね」

「兄上の教えでは理解できません。教えるなら僕がします」


 福寿はただ冬真の隣にいたくて、冬真が側にいて欲しくて『望む』と、そう口に出しただけのこと。

 飛香舎を用意すると帝が言ったので、福寿は内裏から出られないのだと思ったのだ。知らない人ばかりがいる場所に独りで取り残されたくない気持ち――それだけで福寿は冬真が欲しいと望んだにすぎない。


 着物を仕立てよう、調度品は好きなものを選べと帝に言われてから福寿はずっと考えていた。

 きらびやかな物に囲まれて独り虚しく過ごすだけの空間に欲しいものは何なのか……。


 何も要らない。着物も調度品も特に必要ない。


 福寿の側に必要なのは、福寿の側に居て欲しいのは、ただ一人。


「福寿様、少し外に出ませんか?」


 冬真に誘われるが、福寿はむっと口をつぼませる。


「『様』はいりません。いつものようにお話してください」


 福寿がゆっくり冬真の方へ顔を向ければ、冬真は「はい」と微笑む。


「福寿、奥庭に行こう」


 手を差し出され、それに右手をのせる。きゅっと握られて引き上げられた。


 二人で茶の間を出て奥庭に行く。二人で一緒に鍛錬した場所だ。

 沈香の香りが風に泳いでいる。


「母上や兄上はああ言っていたけど、本当に柊の家族に伝えなくていい? その……、一応僕にとっても義父と義母になる方へご挨拶が必要なら行かないと……」


 優しい冬真の気持ちは嬉しい。だが、あの人たちと冬真が家族になるのは考えただけで苦しくなる。


「わたしは……」

「ん?」


 すんと鼻から空気を吸えば沈香の匂いが心を落ち着けた。

 妙子が満人と薫子を『あの人たち』と呼んだことが、福寿の中でとてもしっくりときていた。


「わたしにとって、あの人たちなのです。父でも母でもありません。確かに産みの親ではあるのでしょう。でもわたしはあの人たちから家族の情を注がれた記憶がありません。愛情はいつも使用人たちからいただいておりました」

「福寿……」


 冬真の喉が鳴る。


「わたしは親の愛が何たるか知らぬ女でございます。わたしは冬真様のお近くでずっとお仕えできたら本望なのです。わたしはここで使用人として――」


 福寿の言葉の先が冬真の胸に吸い込まれる。視界が暗転した福寿は、冬真に抱き締められたのだと理解した。


「言わないで。それ以上は言わないで。福寿に相応しくないのは僕のほうだ。でも僕はもっと鍛錬して、兄上よりも強くなる。すぐに玄武様にも認めてもらって、そして福寿を守れる男になるから、だから」


 福寿は冬真の言葉の先を否定するように首を横に振った。


「福寿を守る。あやかしからも守るし、柊の家からも守る。僕は福寿を絶対に守るよ。お願い僕に守らせて。僕の隣にいて」


 福寿は冬真の胸からすっと顔を上げた。


「いいえ、わたしは冬真様に守っていただきたいわけではありません。わたしも冬真様をお守りします」

「福寿……」

「わたしは冬真様の隣に立ちたいのです。背中を任せてもらえる弦士になりたい」

「うん」

「一緒にまた鍛錬してくださいますか?」

「ああ、もちろんだとも」


 福寿が微笑むと冬真も笑った。


「わたし、……麒麟殿から出たあと、冬真様に会って、……一線引かれていて、とても悲しかったです」


 もやもやしていたことを言うか迷ったが、きちんと心の内をさらしておきたいと思った。


「ごめん。福寿が美矢様の側室になっているとばかり思っていたから……、ごめん」

「わたしは美矢様の側室には絶対になりません」

「うん、妹で良かった。父上も黒水の養女にと考えていたみたいだけどさ、今考えると、うちの養女にならなくて良かったと思ってる」

「え、それは……」


 福寿は黒水に必要ないということだろうか、と気分が沈む。


「ああ、勘違いしないで! そうではなくてね、養女になるってことは、僕の妹になるってことでしょ?」

「はい」

「そうしたら、兄と妹では夫婦になるのは難しくなる……じゃないか……」


 見上げた冬真の耳が赤く染まっている。


「福寿」

「はい!」


 福寿の両手は冬真の大きな手に包まれた。包まれた手が熱い。知らず知らずのうちに視ていた纏色が重なる。

 同じ紫色が混ざって、どちらの霊力か分からなくなる。


「福寿、こっちを見て?」


 冬真の右手が離れ、福寿は顎をすくい取られた。

 見上げた冬真の瞳に熱がこもっている。その瞳から目が離せないまま、冬真の瞳が大きくなる。否、瞳が近付いていた。


 そのまま触れる唇は、『棒なんたら術』ではない。

 愛しいもの同士が重ねる口付けに、福寿は全身が熱くなるのを感じた。


「福寿、愛している。誰よりも幸せにするから、僕の隣にずっといて欲しい」


 愛のささやきに福寿の腰が震える。


「わたしもお慕いしております。生涯、冬真様の隣にいることをお許しください――」


 福寿の目から涙が一筋こぼれ落ちた。


 奥庭に落ちる二つの影が一つに重なる。

 暖かな風が流れて、春の訪れを知らせるように光り輝いていた。




【了】


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鬼泉番の福寿とあやかし祓いの弦士様 風月那夜 @fuduki-nayo

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