1.鬼泉番と弦士様②
その日の昼過ぎ。にわかに母屋が騒がしいことに福寿は気付いたが、自分には関係ないことと福寿は破れた着物の繕いを続ける。着物はこの二年の間、新調することなく同じものを着ている。さほど身長は伸びていないため、丈直し等は必要なさそうだが、擦れて薄くなったお尻あたりの地には当て布をする必要がありそうだった。
福寿は使用人室の横にある二畳しかない納戸のような部屋にいる。板張りの床に直接座る福寿の身体は常に冷えていた。
「ねえ?」
鈴の転がるような声が廊下から聞こえる。
「まあ
「お姉さまは?」
福寿は部屋の外で聞こえる声をはっきりと捉えた。
牡丹は福寿の実妹。その牡丹が姉を探しているというならば、福寿は牡丹の前に出て行かなければならない。
福寿は着物と針を置いて立ち上がると、部屋の戸を開ける。
「あら、こんなところにいらっしゃったのね、お姉さま!」
可憐な笑顔で振り返った少女の漆黒の髪には赤い花が美しく咲いていた。艶のある髪の毛が優雅に流れる。
牡丹は、柊家当主の次女である。当主の娘らしく上等な着物をまとい、健康的で肌艶も良い。牡丹が笑えば冬に咲く花のように可憐で、見る者を魅了する。
「牡丹……」
蚊の鳴くような福寿の小さな声は、牡丹に届いたか分からない。
だが牡丹は福寿が何か喋ろうと気には留めないのだ。
「聞いてください、お姉さま! わたしね
「え……」
「お姉さまが二年前に落ちるから、みんなの期待がわたしに集まってとても重圧に感じてましたのよ。ああ~、でも良かったわ~。これで一安心ですわ! だって落ちたらわたしもお姉さまと同じ使用人以下の扱いに落とされるってことですものねっ!」
福寿の喉がひゅっと鳴り、喉の奥が張り付いたように息が苦しくなる。
「ああ~、良かった~。そうそう、ゆきのさんにもお会いできて『筆頭補家の子が落ちるわけないわよね! おめでとう』と声を掛けていただいたのよ」
福寿は、ゆきのの名前に懐かしくなる。受験前は共に学んだ友人の名だった。彼女は福寿と違って見事合格し、現在、弦士大学に通っているのだ。
「当たり前よね、宰家を支える補家の中でも筆頭である柊家の生まれなのですもの。恥ずかしいことはできませんわ!」
牡丹の侮蔑の眼差しを受け、福寿の膝が床に落ちた。
「それからもう一つ! 明日は合格のお祝いに弓をあつらえに行くのよ! どんな弓にしようかしら? 楽しみだわ~。ふふっ、じゃあね~、出来損ないのお姉さまっ!!」
台所にいた配膳役の老女が心配そうに覗いている。それを目敏く見つけた牡丹は老女の横で足を留めた。そして先ほどの声音とは反対に低く静かに声を出す。
「ミツ。あれに優しくしたら許さないから。お母様に言いつけるわよ。ヤヱみたいに死にたいなら止めないけど」
それだけ言い捨てると牡丹はツンと顎を上げて母屋に戻っていった。
福寿は自分の呼吸が荒くなるのを抑えることができず、吸う息が多くなっていく。
しかし近くにいた使用人たちはどうすることもできず、唇を噛んで耐えるものもいた。
老女の足が震えながらひとつ動く。そして福寿の側に寄ると膝をついて福寿の波打つ背中を抱き締めた。
「お嬢様、落ち着かれませ。大丈夫です。大丈夫ですよ」
「ミ――」
福寿は呼吸の苦しさに涙を流しながら、ミツへ側に寄ってはならぬと首を横に振る。
「良いのです。娘を失ったこの老いぼれはどうなっても……。それよりもお嬢様の心が心配です」
ミツの優しさに触れた福寿の目から大粒の涙があふれる。ミツの娘とはヤヱのこと。
ヤヱは福寿のせいで、柊家の女主人である福寿の母親に殺されたのだ。
「わ、たしは、出来損ない……、おち、落ちこぼれ……、わたしのせいで、わたしのせいで」
「お嬢様」
「おミツさん、廊下はまずいわ。中へ」
年配の使用人が福寿の部屋を示す。
ミツはひとつ頷くが、福寿はこれ以上優しい使用人に迷惑をかけてはならないと、逃げるように外に飛び出した。
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