8.紫水晶の首輪②

 土曜の夕食後。福寿は黒水当主である尊冬たかふゆに呼ばれる。

 広間に行くとすでに衛冬と冬真が座って待っていた。


「冬真の横に並ぶといいよ」


 そういう衛冬は上座より一段下から下座であるこちらを向いている。冬真は広間の中央で正座して主が来るのを待っていた。

 福寿は冬真の横に膝をつき、背筋を正してその時を待つ。


 いくらもしない内に衣擦れの音がして、梅の描かれた襖が開いた。

 しんと冷えた空気が広間に緊張感を与える。

 冬真は居ずまいを正すが、福寿は三つ指ついて頭を下げた。


 上座にある座布団に腰を下ろしたのは主、黒水尊冬である。


「二人とも楽にしなさい」


 はい、と二人の声が重なる。福寿はそっと頭を持ち上げた。尊冬に対面するのはここに来た日以来になる。


「明日、また宮都に行くそうだな。大概のことは衛冬から聞いておる。明日で何か分かれば良いのだがな」

「はい、申し訳ございません」


 俯く福寿に、尊冬はすっと眉を上げた。


「何を謝る? その必要はない。二年前のことが明らかになれば、然るべきところから謝罪を受けよう。それまで無闇に謝るでない」

「はい」


 話を変えるように、尊冬が咳ばらいをする。


「それから。二年前の件について明らかになってからで良いのだが、早いうちに玄武様へご挨拶に伺おうと思う」


 はい、と返事をしたのは冬真だけであった。福寿はどういうことか理解できずに目を開いている。

 助け船を出すように衛冬が口を開いた。


「福寿も一緒に行くんだよ。玄武様に挨拶へ行くって言ったら、まあ弦大に通ってたら習うんだけど。福寿は知らないだろうから説明するね、冬真が」

「私ですか!?」

「そうだよ、隣にいるんだから教えてあげなよねぇ~?」


 分かりました、と冬真は膝の向きを斜めに動かす。福寿も冬真の顔が見えやすいように向きを変えた。


「黒水藩は玄武山にいらっしゃる玄武様。他藩もそれぞれ、自藩の山に神獣様がいらっしゃるんだ。それは知ってる?」

「青木藩は青龍様。白金藩は白虎様。赤火藩は朱雀様ですよね? わたしの認識はお山に祀られている山神様でしたが、そうではなく、お山にいらっしゃる神獣様、という意味でしょうか?」


 一言ずつ確認するように福寿は声を出した。

 山は神聖な場所であるゆえ、足を踏み入れてはならないと藩塾ではそう教えられた。神聖である理由が神獣様がいらっしゃるからだとなれば、易々とおとなうことはできない場所なのかもしれない。

 

「まず一に、玄武様――神獣様に拝謁ができるのは鳴司つかさだけになる」

「はい」

「鳴司が扱う力は大きく、使い過ぎると自身の生命力を削ることになるんだ。これは先の五蘊魔との戦いで分かったと思うけど。最悪の場合、命を落としてしまうんだ」

「はい。力の枯渇を感じました。あのまま使い続けたら私は死んでいたということですね」

「うん」


 冬真は眉を寄せて頷いた。


「神獣様に認めていただけると、その生命力に代わる力を授けてくださるんだ」

「生命力に代わる力?」

「ああ。それを『鳴響力めいきょうりき』という」

「鳴響力……」

「父上と兄上は玄武様から鳴響力をいただいていらっしゃるんだ」

「そうなのですね。分かりました。それで冬真様とわたしが玄武様にご挨拶へ伺い、鳴響力を授けていただけばれ良いんですね?」

「そういうこと!」


 なるほど、と納得した福寿は、ふとあることに気付く。


「……あの、宮都にいらっしゃる黄土の方はどちらの神獣様のお力をいただくのですか?」

「おっ! いい質問だね~!」


 衛冬がゆらりと傾きながら立ち上がった。


「北の黒水には玄武様。東の青木には青龍様。西の白金には白虎様。南の赤火には朱雀様がいらっしゃる。そして中央の宮都には、実は麒麟きりん様がいらっしゃるんだ」

「宮都にお山はございませんが?」

「そうなんだよ! でもね、大内裏の中に麒麟殿きりんでんと呼ばれる殿舎があるんだ」

「麒麟殿ですか?」

「福寿も見ているはずだよ」

「え?」


 いつ見たのだろうと疑問に思う。

 大内裏に入ったのはあの日が初めてだった。


「美矢様とともに、仁寿殿をおりて神泉を見たでしょう?」

「はい」


 確かにあの日。初めて大内裏に行き、初めて美矢様にお会いして、初めて鬼泉と繋がる神泉を見た。


「その時の、目の前の殿舎だよ。神泉の向こう側にあった。……あそこに麒麟様がいらっしゃったんだ」

「え?」


 福寿は思い出そうとするが、見るもの出会うもの全てに圧倒されていたせいでちっとも思い出せなかった。思い出せるのは全てが絢爛豪華で美しかったということくらいだろう。


 それから、美矢様の側室に望まれたことも衝撃が強すぎて覚えている。また固辞したこともきちんと記憶にあった。未だにそれが正しい振る舞いであったか分からない。だが、福寿は何度望まれても首を縦に振ることはないと、それだけは確信している。


「まあ、福寿が美矢様の側室になるというのなら、麒麟様に会えるかもしれないね。玄武様に鳴響力をいただいたあとでは麒麟様にはお会い出来ないかもしれないけどさ」

「お会い出来ない、というのはどうしてですか?」

「あー、それはね、何ていうか――」

「それは私が説明しよう」


 衛冬の説明が途切れると、尊冬がその説明を継ぐ。


「結論から言って、神獣様の皆様には、会おうと思えばお会いできる。ただし、鳴響力を授けてくださるのはおひと方のみ。神獣様のお力は強大であるゆえ、あちらの神獣様からもこちらの神獣様からもと鳴響力を重ねていただけば人間の体は壊れてしまうのだ」

「はい」

「福寿が生涯をこの黒水で過ごすのであれば、鳴響力は玄武様からいただくのが良かろう。美矢様の側室にと声が掛かったことは聞いたが、側室になるつもりがあるならば、麒麟様にいただくべきだろうな」

「いえ、側室の件はお断りいたしました。ですのでわたしも玄武様から鳴響力を授かりたいと存じます」

「そうか……。なら良い」


 尊冬は表情を崩した。


「まずは明日、弦大にて二年前の入学試験について内密に調べて参れ」

「はい」


 福寿、冬真、衛冬の三人は短く返答する。

 明日、何が判明するのかは分からない。もしかすれば何も判明しないかもしれない。福寿の胸に緊張が走った。





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