- 十一月 -

お泊まり

第25話

 秋も深まり、クラスの様子はすっかり受験モードだ。一花も例外ではなく、予備校に通い始めた。

 三年になってからの成績は悪くない。それもすべては水無月のおかげだ。しかし水無月だって同じ受験生。いつまでも甘えるわけにはいかない。

 そう思って通い始めたのだが、そのせいで水無月と過ごす時間は自然と少なくなっていった。


「……全部、この無駄に多い予備校の課題が悪い」


 昼休憩、パンを頬張りながら一花は問題集を広げてため息を吐く。すぐ隣では友人が「じゃあ行かなきゃいいじゃん。予備校なんて」とのんびりスマホを見ながら言ってきた。


「予備校に行かないと大学に受かる気がしない」

「じゃあ行かなきゃいいじゃん。大学なんて」

「……その発想はなかった」


 一花の言葉に友人は顔を上げると苦笑した。


「冗談だから。マジな顔で答えるのやめて」


 そして「それにしても、なんで最近は一緒に食べないの?」と彼女は首を傾げた。一花は思わず「へ?」と変な声を出してしまう。


「お昼。夏休み明けてからはずっと一緒に食べてたでしょ?」

「え、待って。何の話?」


 心臓が煩く鳴るのを誤魔化すように一花はヘラッと笑みを浮かべる。友人はニヤニヤと笑いながら「隠すな、隠すな。わかってるんだから」と続けた。


「彼氏できたんでしょ? 毎日お弁当作って来ちゃってさ。乙女丸出しだったじゃん。相手は誰よ? なんで教えてくれないわけ?」

「いやいや、違うって。そんなんじゃないから」

「そんなんじゃない奴はお弁当二つも作ってきません」

「違うって。お弁当は友達に食べてもらってて」


 しかし友人は「友達って、それはちょっとウソが下手すぎない?」とさらに疑いの目を向けてくる。


「いや、でも本当に」

「じゃあ、その友達って誰よ」

「えーっと」


 どう答えたものか考えていると、突然背後から「わたしだけど?」と涼しげな声が聞こえた。瞬間、友人が目を丸くして言葉を失う。振り返った先では水無月が澄ました表情で「如月、明日も予備校なんだっけ?」と友人を無視して話しかけてきた。


「え、あ、うん。そうだけど」

「じゃ、終わったら家に来なよ」

「へ?」

「勉強教えてあげる」

「いや、そんな悪いよ。金曜って予備校終わるの、九時過ぎるよ?」

「いいよ。明日は家に誰もいないからさ。ついでに間違ってるよ、ここ」


 水無月はそう言って一花が自信を持って解答したところを指差し、席に戻っていった。


「なんで一瞬で間違いを……」


 一花がガックリ項垂れていると「え、なに今の」と友人が呆然とした様子で呟いた。


「一花、水無月さんと仲良かったの?」

「あー、うん。まあ」

「え? いつから?」

「いつからって……」


 一花は少し考えてから「春くらいから?」と首を傾げる。友人は目を丸くして「全然知らなかったんだけど」と水無月へ視線を向けた。


「教室で話してるところだって見たことないよ?」

「そりゃ、グループも違うから」

「そうかもしれないけど、それにしてもだよ。えー……?」


 友人は心から驚いた様子だ。しかし驚いたのは一花も同じ。水無月が教室で話しかけてきたのは最初に挨拶を交わしたとき以来なのだ。

 別に決めていたわけではない。ただ、どちらともなく教室で話をすることを避けていた。それはきっと二人の関係を誰にも知られないようにするため。そう思っていた。しかし、最近の水無月は違っていた。

 昼休憩、一緒に昼食を食べた日には一花の膝枕で昼寝をすることが習慣のようになっているし、一花が予備校のない下校時には一緒に帰ったりするようになった。時には人前で手を繋いだりすることさえあった。

 水無月が今までよりも近くに感じられるようになって嬉しい反面、彼女の表情が気になった。

 一花は振り返って水無月へ視線を向ける。

 彼女が友人に向けている表情はいつもと変わらない。愛想が良く、それでいてどこか距離があるような表情。しかし一花といるときによく見せる表情は悲しそうで苦しそうなのだ。笑っていても話していても、どこかそんな雰囲気を声や表情で感じてしまう。

 一花と一緒にいることが嫌なのだろうか。そう思ったりもしたが、最近はむしろ彼女の方から一花のそばにいてくれるようになった気がする。今だってそうだ。


「ねえ、よく水無月さんの家に行ったりするの?」


 ふいに友人が聞いてきて一花は視線を戻す。


「ううん、初めて。図書館で勉強教えてもらったりはしてたんだけど」

「へえ。最近は図書館も混んでるからってことかな。面倒見いいんだね、水無月さん」

「……そうだね」


 そのときスマホにメッセージが届いた。水無月からだ。


『せっかくなら泊まっていけば?』


 振り向いた先で水無月が一瞬だけ一花を見た。やはり、そこには一花にはよくわからない感情が見えた気がした。


 金曜日。時刻は二十二時三十分を回ったところ。綺麗に整頓された水無月の部屋で一花は温かなココアを飲んでいた。テーブルを挟んだ向かい側には水無月が同じようにマグカップを片手にココアを飲んでいる。テーブルの上には彼女が頼んでくれたピザが二切れだけ残っていた。


 ――落ち着かない。


 一花がここに来てから一時間くらい経っただろうか。その間、ほとんど水無月との会話はなかった。

 ふいに笑い声が響いて視線をテレビに向ける。この時間にテレビを観るのは久しぶりだ。しかし、今はとてもバラエティ番組を楽しむような余裕はない。水無月とこんなに会話が続かないのは初めてで、とても居心地が悪かった。


「……ピザ、ちょっと残っちゃったね」


 テレビを見つめているとポツリと水無月が言った。一花は笑って「あとちょっとだけど」と視線を彼女に向ける。


「食べちゃう?」

「太るよ」

「え、今さら過ぎない?」


 一花が言うと水無月は笑った。そのいつもと変わらぬ笑みに安堵しながら「じゃあ、お互いに道連れってことで一切れずつ」と一花はピザに手を伸ばす。


「……ほんとに食べるの? 冷めてるし美味しくないと思うんだけど」

「いいから。食べ物を粗末にしちゃダメなんだよ」

「はいはい」


 水無月は笑いながら残った一切れを手に取って食べ始めた。冷めてしまったピザは、それはそれで意外と美味しい。そう思ったのだが、どうやら水無月にとってはそうでもなかったらしい。モソモソと無表情に食べながら彼女は「食べたらお風呂入ってきなよ」と言った。


「え、でもまだ勉強してないよ?」

「頭をスッキリさせてからの方が効果的でしょ」


 彼女は最後の一口を食べると「着替えは持ってきてるんだよね?」と続けた。


「持ってきたけど、でもお風呂入ったらむしろ眠くならない? お腹もいっぱいなのに」

「それならそれで休めばいいじゃん」


 当然のように彼女は言う。


「えー、勉強教えてくれるって言ったのに」

「それは明日にしよう。予備校は夕方からなんでしょ?」

「まあ、そうだけど」

「それとも、もう如月は勉強以外でわたしと二人っきりになるのは嫌なわけ?」


 ――またあの顔だ。


 水無月の顔を見つめながら思う。また彼女は悲しそうな顔をしている。そして怒ったように口調を強めて視線を逸らす。まるで小さな子が拗ねたような、そんな態度。

 一花は「わかった」とゆっくり立ち上がった。瞬間、水無月が泣きそうな顔を浮かべたのがわかった。一花は無言で部屋の隅まで移動すると置いていたバッグに手を伸ばす。


「――帰る?」


 背中に聞こえた水無月の声は彼女らしくもない気弱なものだった。一花は笑みを浮かべて振り返る。


「お風呂、先に借りるね」


 それを聞いた彼女は悲しそうな表情のまま、息を吐くようにして笑った。

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