- 十月 -

欲しかったものは

第21話

「如月ってさ、進路はもう決めてる?」


 昼休憩。いつもの階段で叶向は如月を見上げていた。彼女が作ってくれた弁当を食べ終えた後。お腹もいっぱいで少しだけ眠い。

 ウトウトしながら聞いた質問に如月は答えることもなく、どこか居心地が悪そうに視線を彷徨わせていた。


「なに、どうしたの」


 訊ねると彼女は「どうしたのって、この体勢がどうしたのって感じなんだけど」と困ったような顔で叶向を見下ろしてくる。


「なんで水無月、わたしの足を枕にしてるの?」

「え、まさか膝枕を知らない?」


 わざと驚いたように聞くと彼女は「知ってるけどそうじゃなくて」と困ったように眉を下げた。


「ここ、学校だよ?」

「学校じゃなかったらいいの?」

「だからそうじゃなくてさ……」


 叶向は薄く笑みを浮かべた。困った顔をした彼女が言いたいことはわかっている。如月は人の目を気にしている。叶向と一緒にいるところを誰かに見られることを避けている。

 理由はよくわからない。

 今の叶向にはどうでもいいことだ。


「別にいいじゃん。付き合ってるんだから」


 言って叶向はゴロンと身体の向きを如月の方へ変えると、その細い身体にギュッとしがみついた。如月の温もりと香りが叶向を包み込んでくれるようで心地良い。


「……最近、変だよ。水無月」

「そう?」

「そう。夏くらいから変」


 ふわりと叶向の髪が如月の手に掬われて流れていく。叶向は「そうかもね」と彼女にさらに強くしがみついた。少しでも彼女の柔らかさを感じたくて。もっと彼女を感じたくて。


「水無月、ちょっと苦しい」


 思わず力が入りすぎてしまったらしい。


「あ、ごめん」


 叶向は我に返って彼女から手を放した。そして再び仰向けになる。叶向を見下ろす彼女は困った顔のままだ。叶向はそんな彼女をじっと見つめてから「それで」と笑みを浮かべた。


「決めた? 進路」

「んー、まあ……。地元の大学に進学かな」

「へえ。どこ?」

「行けそうなところ」


 彼女らしい答えに叶向は声を上げて笑う。その反応が不服だったのだろう。如月は「だったら」と少し頬を膨らませた。


「水無月はどうなの? あ、実はすでに推薦決まってたりとか?」

「全然何も決まってない」

「……人のこと笑えないじゃん」

「だね」


 将来やりたいことがあるわけでもない。大学に行きたいわけでもない。しかし、親がうるさいから進学はしなくてはいけない。結局は叶向も如月と同じだ。行けるところならばどこでもいい。だったら――。


「一緒のところにしようかな」

「え……?」

「大学。如月と同じところにしようかな」


 そうすれば如月と一緒にいられる。如月だって新しい環境になれば人目を気にせず一緒にいてくれるはず。そう思った。しかし彼女は「ダメだよ」と微笑んで叶向の額に手を当てた。


「水無月は成績良いんだからさ。ちゃんと自分に合った良い大学行かないと」


 少し冷たい手が叶向の前髪を掻き上げる。彼女の言葉が氷のように心へ落ちてくる。

 その言葉は期待していたものではない。

 彼女の見せる表情も、すべてが期待とは違う。


「……そっか」


 ――なんで如月は追いかけてきたんだろう。


「そろそろ休憩終わっちゃうね」


 声と共に額から彼女の手が離れていく。それを叶向は思わず掴んでいた。如月は驚いたように「え、水無月?」と動きを止めた。


「如月はさ、嫌? わたしが同じ大学に行くの」


 すると彼女は困ったように笑みを浮かべる。


「そんなわけないじゃん」

「じゃあ、受ける大学教えてよ」


 深いため息と共に彼女の足がもぞりと動く。そして再び額に手が乗せられた。


「まだ決めてないってば」

「決まったら教えてくれる?」


 食い下がって聞くと彼女は「なるほど」と納得したように微笑んだ。


「さては水無月、遠距離恋愛ができないタイプだな?」

「え、なにそれ」

「なにって、わたしと離れるのが嫌なんでしょ? そういうことじゃん」


 ふわりと彼女の手が水無月の頬を撫でる。まるで小さな子供をあやすかのように。叶向は思わず彼女から顔を背けた。

 彼女の言う通りだ。如月と離れるのが嫌だ。しかし、きっと彼女が思っているような理由ではない。

 そんな綺麗な理由などではない。


「なんかさ、水無月ってめんどくさいよね。寂しいならそう言えばいいのに」


 何も知らない彼女はそう言ってフフッと笑った。


「……別に、そういうのじゃない」

「素直じゃないなぁ」


 柔らかな声に、叶向は顔を背けたまま視線だけを彼女に向けた。そして眉を寄せる。


「如月、なんでそんな嬉しそうなの?」

「えー、だってなんか嬉しいじゃん。友達が自分と離れたくないって思ってくれてるってさ」

「友達、ね」

「あ、違った。彼女か」


 少し照れ臭そうに笑う如月を見て、ふいにいたずら心が湧く。叶向は再び如月を真っ直ぐに見上げた。


「もう予鈴鳴るよ。ほら、早く起きて」


 しかし叶向が動かないでいると如月は困ったように首を傾げた。そのとき、静かな空間にチャイムの音が鳴り響き始めた。


「鳴っちゃったじゃん。早く戻らないと。次の授業って移動教室じゃなかったっけ?」

「いいじゃん。このままサボっちゃおうよ」

「ダメだよ。内申に響くかもしれないし」

「ふうん」


 如月は「ふうんじゃなくて早く起きてよー。遅刻するってば」と、なんとか叶向を起こそうとする。それでも叶向が動かないでいると痺れを切らしたのか「いい加減にしないと怒るよ?」と眉を寄せた。

 こんな表情を見たのは初めてだ。

 彼女が自分にだけ見せてくれる表情に、ほんの少しだけ嬉しくなる。しかし、どうやらこのままだと怒られてしまうらしい。叶向は少し考えてから「じゃあさ」と口を開いた。


「キスしてくれたら起きるよ」


 叶向の言葉に如月は一瞬動きを止めた。そして「ん、なに?」と首を傾げる。


「だから、如月からキスしてくれたら起きる」

「え、なんで……」


 明らかに戸惑った様子で如月は視線を泳がせる。


「なんでって、理由なんている?」


 叶向はじっと彼女を見上げたまま続けた。


「わたしは如月の彼女なんでしょ? だったらしてよ」

「いや、でもなんでいきなり……」

「如月からされたことないなぁと思って」


 叶向は言って薄く笑みを浮かべる。


「ま、嫌ならいいけど。このまま如月の膝を枕に気が済むまで昼寝する」

「えー……」


 如月は心から困っている様子だ。おそらく叶向が本気なのかどうかわからないのだろう。叶向は片手を上げて彼女の頬に触れる。思っていたよりも温かな肌は、一瞬にして仄かに朱く染まった。


「――本気で言ってんの?」

「言ってる」


 本気で如月のことを試そうとしている。

 如月が叶向のことをどう思っているのか知りたいと思っている。

 そして、どこまで彼女が受け入れてくれるのかを知ろうとしている。


「まあ、いいけどさ」


 言って彼女は一度何かを確認するように視線を階段の下へ向けてから、おもむろに背中を丸めて顔を近づけてくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る