怖いもの

第35話

 聞き慣れたBGMと嗅ぎ慣れた煙草の香りがする狭い店内。叶向はカウンターの向こうで昼食を作ってくれる秋山を眺めていた。店内には煙草の香りに混じって香ばしいトーストの良い香りがする。


「秋山さんってなんで料理が上手なの? 習ったりした?」


 隣の席でカウンターの向こうを覗き込みながら言う如月は以前よりも秋山に対する態度が柔らかくなった気がする。

 決して秋山への抵抗がなくなったわけではないだろう。それでもこうして普通に話すようになったのは彼女なりに納得してくれたからだろうか。秋山が叶向の大切な友達だということに。

 対する秋山は「まあ、一応は」と素っ気ない態度だ。しかし如月のことを邪険にするようなことはない。客に対するような見せかけの愛想の良さもない。彼女は叶向と話しているときのように自然体の彼女のままだった。


「ね、中入って見てもいい?」

「ただのホットサンドだよ?」

「でも水無月が好きなんでしょ? 秋山さんが作るホットサンド」


 如月の問いに水無月は笑って「好きだね。美味しいし」と答えた。すると彼女は嬉しそうに「だったら作り方知りたい!」と椅子から降りてカウンターの中に入って行ってしまった。


「え、邪魔なんだけど」


 そう言いながらも秋山は如月に見えやすいよう、少し場所を移動する。


「見てもいいけど、あんたのは自分で作ってね」

「お金を払うので作ってください」


 素直にお願いした如月に秋山は「客なら仕方ない」と苦笑する。そんな二人のやりとりを叶向はカウンターに頬杖をつき、微笑みながら見ていた。

 秋山が叶向以外とこんな風に会話する姿を見るのは初めてだ。大学時代も彼女はずっと叶向の面倒を見るばかりで友人の一人も作ってはいなかった。

 人間なんて面倒なだけ。

 叶向一人の相手で手一杯。

 そんなことを言っていたが、実際のところはどうだったのだろう。寂しいと思っていたかもしれない。だって彼女が求めていたのは友達だったはずだから。


「叶向」

「ん?」

「ニヤついてないで、あんたも少しは如月さん見習ったら?」

「え、なんで」


 目を丸くする叶向に秋山は「料理の一つくらい覚えろって言ってんの」とため息を吐いた。


「如月さんは、まあ、なんとなく料理できる感じあるけどさ。叶向は卵一つまともに割れないでしょ」


 叶向は苦笑して「まあ、それでもこうして生きてるし」と肩を竦ませた。秋山はこれ以上何を言っても無駄だと思ったのか「如月さんの料理の腕が上がるばかりだね」と出来上がったホットサンドを皿に乗せた。


「それで水無月が喜ぶならわたしは嬉しいけど?」


 秋山はなぜか呆れた目を如月にも向けてから残りのホットサンドも皿に乗せてカウンターに置く。


「これってメニューにしないの?」


 如月が席に戻りながら言う。いつの間に取ったのか、すでにその手には食べかけのホットサンドがあった。


「すごく美味しいのに」

「……知ってる? うちってカフェじゃないの」

「売れると思うけどな」

「面倒だからやらない」


 秋山はそう言うと立ったまま皿からホットサンドを取った。叶向も一つ取って口に運ぶ。食べ慣れた味。大学時代からよく彼女が作ってくれていた味だ。


「――あんたたちさ、いい加減うちに来るのやめたら? 昼休憩」


 しばらく無言で食べていると、おもむろに秋山がそう言った。叶向は「あー、ごめん」と謝る。


「迷惑だった? わたしたちが来るの」

「ていうか、なんでわざわざわたしを挟もうとするわけ。あんたたち付き合ってるんでしょ? 今度はちゃんと」

「うん」

「付き合ってる」


 如月と叶向が同時に答える。秋山は理解ができないとばかりに眉を寄せた。


「だったら昼休憩は二人だけで過ごすとかするもんじゃないの? 高校時代のあんたたち、そうだったでしょ」

「でも、如月が来たがってるから」


 水無月が言うと秋山は驚いたように「なんで?」と如月に視線を向ける。


「え、だって知りたいから」


 如月は迷いなくそう答えた。


「水無月のことを知りたいから、水無月のことよく知ってる秋山さんのことも知りたい」

「……あんた、わたしのこと嫌いでしょ?」

「好きじゃないけど、それはお互い様じゃない?」


 如月の言葉に秋山は「別にわたしは――」と言葉を濁した。如月は笑みを浮かべると「それに」と続ける。


「秋山さんは水無月が好きなものとか、きっとわたしよりもたくさん知ってるでしょ? だからそれもわたしは知りたくて」

「本人に直接聞けば?」

「ダメだよ。水無月が自覚してない水無月の好きなものが知りたいんだから」


 如月はそう言ってまっすぐに叶向のことを見てきた。

 ちゃんと付き合うようになってから彼女はよく叶向のことを見つめてくる。

 まっすぐに。

 何かを探すように。

 そのたびに叶向はどうしたらいいのかわからなくなって視線を逸らしてしまう。


「叶向が自覚してない好きなもの、ね」


 そう呟くように言った秋山へ視線を向けると、彼女は何か言いたそうに叶向を見ていた。


「なに、美守?」

「別に」


 なんとなく彼女の言いたいことはわかっている。


 ――あんたはあの子のことが好きなんじゃないの?


 高校時代に彼女が言った言葉だ。それに叶向は未だにちゃんと答えていない。あれからずっと考えてはいるのだ。叶向の如月に対する気持ちが何なのか。

 叶向は如月に視線を戻す。彼女は美味しそうに秋山が作ってくれたホットサンドを頬張っている。その様子は幼く、まるで高校時代に戻ったような錯覚を覚える。

 視線に気づいたのだろう、如月はきょとんとした表情を叶向に向けた。


「どうかした?」

「……いや。早く食べないと休憩終わるなと思って」


 叶向は笑って誤魔化しながらそう答えた。


「あー、そうだね」


 そのとき如月が少し表情を曇らせたのが分かった。最近、彼女はこういう表情も見せるようになった。その理由がよくわからず、叶向は気づかないふりを続けている。


「昼からはミーティングだっけ。部屋のセッティング担当、如月だったよね」

「うん。納品に向けてのスケジュール最終確認だって」

「今回は営業の松本さんも参加だってね」

「うん、そう」

「そっか……」


 そのとき店のBGMに混じってため息が聞こえた。視線を向けると秋山が食べ終えた皿を手にカウンターの向こうへと入っていく。


「さっさと食べて戻りなよ」


 叶向に背中を向けてそう言った彼女は何かに怒っているように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る