第34話

 しばらくスマホの画面を見つめて迷っていると「ねえ、一花」という声と共に机に両手が置かれた。顔を上げると友人が少し心配そうな顔で一花のことを見下ろしていた。一花は驚いて「え、なに。どうしたの」と首を傾げた。


「いま一応授業中じゃない? 立ち歩いたらダメじゃん」

「チャイム、とっくに鳴ってるけど」


 言われて周囲に視線を向ける。たしかに休憩時間に入っているらしい。教室は雑談する生徒たちで賑やかになっていた。


「ほんとだ。全然気づかなかった」


 一花は苦笑しながらスマホを閉じて机に置く。友人はニヤニヤと笑みを浮かべながら「彼氏?」と前の席の椅子に座った。


「違う」

「じゃ、浮気?」

「なんでそうなるの」


 一花が笑うと友人は「だって」と首を傾げた。


「彼氏できたわりに一花ってテンション変わらないじゃん? むしろ前よりも楽しそうじゃないっていうか。なんか、付き合う前よりも枯れてる感じがする」

「枯れてるって……。女子高生に向かって言う言葉じゃない」

「そのブランドもあと二ヶ月の命だけどね」


 友人はそう言って笑ったが、すぐに心配そうな表情に戻った。


「もしかしてうまくいってないの? 小野寺と。良かったら相談のるけど」

「ああ、ううん。違うよ。そういうわけじゃなくて」

「ふうん? じゃ、今は誰と連絡とってたわけ? 暗い顔してさ」

「あー……」


 一花は少し考えてから「水無月なんだけど」と薄く笑みを浮かべながらスマホに視線を向けた。


「水無月さん? なんで水無月さん相手にそんな深刻そうなの」


 友人は怪訝そうだ。


「そういえば水無月さんって最近、学校あんまり来なくなったよね。もしかして体調不良?」

「さあ、どうだろう」


 一花が答えると友人はさらに怪訝そうに「いま連絡してたんじゃないの?」と言った。


「送ろうとしてたところ」

「なんだ。じゃ、送っちゃいなよ」

「うん……」


 一花は頷くとスマホを手に取って画面を開いた。そこには入力状態のままメッセージが残っている。それをしばらく見つめ、一つ深呼吸をしてから「えい!」と送信する。


「いや、なんでそんな気合がいるの。別に普通のメッセでしょ?」


 少し首を伸ばして一花のスマホを覗き込みながら彼女は言う。


「家に遊びに行くほど仲良いのにさ」

「……仲が良かった、みたいな感じだけど」

「ケンカした?」

「してない。でも、なんかちょっと緊張しちゃって」

「あー、水無月さんってそういうところあるって聞くもんね」


 友人の言葉に一花はスマホから顔を上げた。


「そういうところって?」

「ちょっと仲良くなったかなと思ったら距離を置くっていうか。水無月さんがよくいたグループの子も前に言ってたよ。最近はまったく一緒に遊ばなくなったって」


 一花は自然と教室の後ろに視線を向けた。そこでは水無月と仲が良いメンバーが集まって雑談をしている。


「……それっていつの話?」

「んー、夏休み明けたくらいかな」


 ――わたしのせいだ。


 ちょうどその頃から、水無月は自分の友人よりも一花と一緒にいることを選んでくれるようになっていた。そのせいで彼女が孤立していたなんて知らなかった。

 水無月がそばにいてくれることが嬉しい。そんな自分の気持ちしか見えてはいなかったのだ。

 こんな自分が彼女と付き合っていたと言えるのか。いや、もしかすると友達だったとすら言えないかもしれない。


「そういえば、一花と水無月さんがよくお昼食べてたのもそれくらいの時期だったよね?」

「……そうだね」


 一花は視線をスマホに向ける。送信したメッセージには既読がついていた。


「今までの友達に飽きちゃったから一花に乗り換えた感じだったのかなぁ」

「ううん。違うよ、それは……」


 一花は呟くように答えながら一文字ずつ、ゆっくりと新たなメッセージを打っていく。


「いや、そうでしょ。それで一花にも飽きちゃったって感じなんじゃない? ちょっとひどいよね」

「――違うって。水無月はそんな子じゃないよ」


 友人の言葉に苛立つ自分を感じながら一花は打ち終わったメッセージを見つめる。


『ごめんなさい』


 何も気づけなくてごめんなさい。

 何も分かることができなくてごめんなさい。

 何もしてあげられなくてごめんなさい。


 謝りたいことはたくさんある。直接謝ることが許されないのなら、せめてメッセージだけでも。

 思いながら一花はメッセージを送信した。


「いや、そうだよ絶対。あ、そういえばわたし見たんだよね。水無月さんのこと図書館で」


 一花は「え……」と目を見開いて顔を上げる。


「図書館? いつ?」

「いつだったかな……。先週くらい? なぜか秋山さんと一緒だったから驚いてさ」


 その名前に一花は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。そして「そう、なんだ……」と呟きながら窓際の席へ視線を向けた。休憩時間の少し騒がしい教室で、誰かと雑談するでもなく静かに文庫本を読んでいる女子生徒。

 秋山とはあれ以来、会話をする機会はない。彼女と話しているとなぜか無性に悔しくなるから話をしたくなかった。彼女と水無月の仲を知るのが怖くて近づこうともしなかった。

 しかし、彼女なら水無月がどうして苦しんでいるのか理解することができるのだろうか。

 どうして学校に来なくなってしまったのか知っているのだろうか。

 どうして返事をくれないのか、その理由もわかるのだろうか。


「そういえば秋山さんと水無月さんって同じ大学に行くらしいよ。気になって先生に聞いたら教えてくれた。県外の国立だって」

「――そうなんだ」

「あの二人の成績、学年トップクラスだもんね。国立とかも余裕で受かりそう」


 友人の声が遠くに聞こえる。なんだかもう、何も考えることができない。


 ――どうでもいいや、もう。


 一花はぼんやりとした意識でスマホの画面に視線を落とした。


『ごめんなさい』


 そのメッセージの横には既読の文字。しかし予想通りというべきか、水無月から返信が来ることはなかった。

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